002「前戯──じゃなくて、前置き」「わざとやってんだろ」
「そうだね。前戯──」
セーラー服の彼女は、そこまで言いかけて、慌てて口を右手で塞いだ。それから小さく「いっけね」とこぼした。
「──前置き、必要だよね。やっぱり」
彼女の視線が、僕を一直線に刺す。
僕は、本日何度目か分からない溜息を漏らして、一言。
「絶対わざとやってんだろ」
***
通称・びちこ。
僕は心の中で、セーラー服の彼女を、便宜上そう名づけた。ちなみに、「ビッチ」が由来である。しかし「ビッチ」では余りに直接的すぎるし、ここまで幾度となく溢れんばかりのクレイジーさを見せているとはいえ、初対面相手にそれは失礼すぎると思った。だから「びちこ」。ビッチな子、の略。で、可愛らしさを演出するために、平仮名表記にしてみた。
「さくらんはさ……」
「おい、ちょっと待て」
「なぁに?」
「さくらん、って、まさか僕のことか?」
びちこが、にひひ、と笑った。
「そうだよ。チェリーボーイ……サクランボ……転じて、さくらん。平仮名表記にして、可愛らしさを演出してみた。いいでしょ?」
やる前に、やり返された。倍返しなんてもんじゃない。心のキズはデカい。
「よくねーよ! 初対面相手にチェリーボーイ呼ばわりは、いくらなんでもヒドすぎる!」
「だから、ちょっとヒネったんじゃん。これは、優しさだよ?」
僕の知る「優しさ」と違う。かつて或る文豪が「〈人〉の〈憂〉いが分かると書いて〈優〉しさ」と言ったが、彼女のそれは「〈人〉を〈憂〉いの底へ叩き落とす、と書いて〈優〉しさ」って感じだ。
まあ、僕も心の中で「びちこ」呼ばわりしているけれど。
「あ、あのさぁ。一応、僕にも名前があってだね……その、岡崎──」
「ストップ」
びちこが、右手をパーにして突き出し、僕の発言を制止した。
「名前、言わないで」
「はあ? なんでだよ」
「まだ、そこまでの関係じゃない。でしょ?」
線引きが分からん。
人を、エッ……その、なんだ、いかがわしい行為に誘ったくせに、名乗るのは禁止かよ。
「だから、私も名乗らないんで。よろしく」
さいですか。ま、別に、いいけど。
別に、今後関わることはあるまい。雨宿りの間だけの関係だ。名前を知らないからと言って、不利益はない。
「で、話は戻るけど」びちこが首を傾げながら、言う。「さくらんはさ、好きな子、いるの?」
「は、はぁ?」
びちこの質問に、変な汗が噴き出す。元々水浸しの身体が、さらに、びしょ濡れになったような気がした。
「な、なんだよ。唐突に」
そう言ってから、「いや。唐突なのは直前の質問に限った話じゃないな」と思った。
「だってさ。私と、シたくないんでしょ?」
「あ、ああ」
「じゃあ、好きな子がいるのかなあ……って。だから、拒否られたんかなぁ、って」
「ちげーよ! 好きな子がどうこうとかじゃなくて、普通に拒否るだろ! 会ったばっかりなんだからさあ!」
「そ。ならさ、初めてじゃなかったら? 例えば、二度目とか」
「二度目でもあり得ん!」
「三度目」
「変なオークション開催すな!」
んだよー、といじけるように、びちこが斜め下を向いた。どんだけ欲求不満なんだよ、と呆れる。まさかコイツ、乳酸菌飲料の訪問販売よろしく、町中の男性に声かけて廻っているわけじゃあるまいな。
「重要なのは回数じゃなくて、こう、親密度とか、付き合っているかとかそういう、関係性だろ」
「まー。おっしゃる通りなんだけどさあ」
「でしょ? 僕と君の間には、それがない。そういう、エッ……イヤらしいソレに到るまでの仲じゃない。だから、嫌なの。分かった?」
うん、と、びちこが頷く。
納得したようだった。そういう風に、見えた。
「じゃあ──」
しかし、どうやら。
「──エッチするに値する関係性があれば良いってワケだ!」
コイツは、しぶとかった。
「だ、だからさぁ……!」
「そうだね。その通りだ。さくらんの言う通り。関係性が足りないよ、私たち」
「なんでそうなる!」
「うーん、関係性かあ。じゃあねえ……」
びちこが斜め上を見て、しばし、考える素振りを見せた。そして、数秒後。
彼女は、人差し指と中指、それから薬指を立てて、
「三回」
「え?」
「三回会えたら、その時は──シて?」
またもや、謎の理屈を、僕に押し付けた。
「関係性の話はどこ行ったんだよ! 大事なのは会った回数じゃないって、さっき言ったよねぇ!」
「うん、言った」
「だったら、どうしてそうなる!」
「その三回は、ただの〈会った回数〉じゃないから」
「はあ?」
「考えてみてよ。私たちは、今ここで、偶然、出会いました。普通ないよ。知らない人同士が、同じ軒下で雨宿りして、そんで、ここまで会話が発展するなんて。でしょ?」
まあ、そりゃあ、そう……だ。びちこが話しかけてこなければ、一言も交わさなかっただろう。僕たちは、赤の他人なんだから。
「お分かり? 私たちは、既に他人じゃないんだよ。でも、それ以外には共通点がない。同じ学校に通っているワケでもないし、家が近所とかでも、親同士が仲良いとかでも無い。そういう絶妙な関係性が、ここにある」
「それ、哲学かなにか?」
「哲学じゃないよ。ただの事実。で、普通なら、その程度の二人、もう二度と会うことはないよ。そうでしょう? 接点がないんだもん。だから」
「……だから?」
「例えば、あと三回も会えたとしたら、もうそれは紛れもなく、普通じゃない」
「…………」
分かるような、分からないような。抽象的な話だった。
「普通じゃないとしたら、なんだよ」
「そうだな〜」
びちこが言葉を探すように、灰色の空を仰ぐ。手を背中で組み、クルリと僕に背を向けた。それから、二歩、三歩、進む。軒下からハミ出ない、ギリギリの辺りで立ち止まって、振り返った。
「運命」
彼女は、ハッキリと、そう言った。
「……なんじゃ、それ」
「そう呼ぶしか、ないでしょ」
「運命の押し売りだ……」
「激安セール中」
「自分の発言が安直だっていう自覚、あるんだ?」
にひひ、と、びちこが笑う。
「そういうワケだ。さくらん」
「どういうワケだ」
「広い街の中。普通なら私たちは、もう二度と会わないくらい広いこの街で、もしも三回会えたら、それは運命だ。私たちは運命の二人だ。だから、その時は──」
はてさて。
以上が、僕と彼女の出会いだった。
ゼロ回目の出会い。この時の僕には、この先の二人がどうなるのかなんて、当然、知る由もない。それどころか、もう二度と会うことが無いと、決めつけていた。
しかし、何故か、この物語は、ここで終わらない。それはつまり、ちゃんと後日談があるということであり、即ち僕と彼女は、またも出会ってしまい、「普通」の関係性じゃなくなっていく、ということである。
「──とびきり燃えるようなソレを、シよう?」
これは、僕と、彼女が、三回出会うまでの物語。
出会って、それから──その、なんだ。
まあ、これ以上は、割愛。
今は、多くを語るべきではない。だろ?
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