「3回会えたらヤッてよ私と」「あ、おう。は?」

永原はる

プロローグ

001「これも何かの縁だしさ」「……え?」

「え?」


 その日は土砂降りだった。例年よりも一ヶ月近く早い梅雨入り。それだけでも憂鬱だというのに、その初日から容赦ない大降り。しかも今朝傘立てに入れたはずのビニル傘はパクられていて、更には昇降口を出た瞬間に降り始めるという災難の連続パンチを食らったものだから、ちょっと泣きそうになった。雨宿りできる場所に駆け込んだ時には、既に全身水浸しだった。


 走り回ってやっと見つけた、下校路にあるシャッターの閉まったタバコ屋。その軒下で、身体を震わせながら、雨が止むのを待つことにした。一人で。


 最初は、一人だったのだ。


 けれど気づけば、軒下にはセーラー服の女子がいた。チラリ、横目で女子を見る。黒く長い髪、ハッキリとした目鼻立ち。「可愛い」より「綺麗」が似合うような女子。白地の袖が濡れて肌に張り付いている。そこに気づいて、「綺麗」の印象は「艶やか」に変わった。ついうっかり見惚れるような御姿。多分、歳は近い。制服を見るに、同じ高校ではなさそうだ。


 とまあ、そこまで観察したところで、頭上のビニル製の屋根を叩きつける雨音が、僕を我に返した。いっけね。見ず知らずの女子高生をジロジロ見るのって、ヘンタイっぽいよな。


 ため息を漏らして、曇天の空を仰ぐ。まだまだ、雨音は強かった。世界から雨音以外が消え失せてしまったのかと錯覚するくらいの強音。

 そう。その日は土砂降りだったのだ。


 ──だから。雨音が、うるさかったから。だと思った。


「いま、なんて……?」


 いま聞こえた言葉は、聞き間違いか空耳の類で、いや、まさかとは思うけれど、セーラー服の彼女が、実際に発したセリフでは無い。そう思ったのだ。


「ちょっと。何度も言わせないでよね」


 彼女はそう言いながら、僕の顔を真正面に捉えた。


 それから、


「これも何かの縁だしさ」彼女の薄い唇がつり上がる。「今度会えたら、エッチでもしよう」


 僕は、さっきのセリフが聞き間違いでは無いことを、知った。


   ***


「雨宿りって、男女が契りを交わすシチュエーションなんだってね。古文の授業でそう聞いたの。ほら、『御伽草紙』とか、『源氏物語』とか。雨宿り、イコール、フラグなんだって」


 雨は止む気配が無い。そして、セーラー服の少女の喋りも、止まる気配は無かった。


「ってことはさ、いまこの瞬間も、何かのフラグってことだよね。なんか、約束しなきゃだよね」

「…………」

「なら、どうせだったら特大級の約束した方がいいじゃん。ね?」

「……い、」意味が分からなかった。なんでそうなるんだ。


 彼女が僕の顔を覗き込む。反射的に、顔を逸らす。


「こ、古文の話だろ」

「まーね」

「それにさ、女子が気軽に、その、え、エッチとか言うなよ」


 セーラー服が「ふふっ」と笑った。


「童貞?」

「なっ……」

「分かりやすっ」

「ち、違っ──。あのさ、意味分かんないことばかり言うなよ! 逆ナンなら、よそへ行け!」

「こんな土砂降りの下に、女子を放り出すんだ? そういうとこだぞ。童貞クン」


 ビシッ、と人差し指を僕の顔に突きつけて、彼女は笑った。


 出会って五分足らず。早くも僕の心は、出会ったばかりの名も知らぬ女子に、掻き乱されていた。まったく、最悪だ。……マジで、災厄だ。せっかく土砂降りから逃げてきたのに、災難の連続パンチは、どこまでも僕を追い詰めるらしい。いつの間に、天は僕を見放したのだろうか。


 と、この世界すべてに嫌気がさしかけた瞬間だった。僕はふと、セーラー服少女の左手に視線を移す。そして、目に飛び込んできた光景に、驚愕せざるを得なかった。


 この女、普通に傘持っとるやんけ。


「雨宿り、必要ねーじゃん!」


 思わず、叫んだ。


「はあ?」対して、抗議のような声が返ってくる。「必要でしょ。こんだけ大降りだと、傘で凌ぐのにも限界あるって」


 まあ、そりゃそうか。と即座に納得してしまう。


 なんて。どうして僕は、彼女の都合を容易く受け入れているんだろう。


 ああ、もう。なんだか、やりづらいな。雨宿りって、これほど高難易度なモノだったろうか──なんて、皮肉が頭の中にポンと浮かぶ。


「で?」


 僕の思考を妨げるかのように、甲高い声が僕の耳に飛び込む。


「なに、」


 それに、またもや応えてしまう僕。


「ヤるの? ヤんないの? ……おせっくす」


 ニタニタと笑う顔が視界に入る。

 マジで鬱陶しい。初対面なのに。


「したくないの?」

「だッ、もう……したくねーよ」

「一生?」

「え? あ、い、いや。一生は、ヤだな」

「ハハッ。やっぱ童貞なんじゃん」

「……!」


 こいつめ、ハメやがった……!


「にひひ」


 という笑い声が、轟音の雨音と合わさって響く。非常に不快なハーモニーである。鼓膜が腐り落ちてしまいそうだ。彼女の顔に目をやる。その満面の笑みに、網膜もただれ落ちてしまいそうである。五分の二感がもはや瀕死状態だ。


 まずい。深呼吸だ。一旦、深呼吸をしよう。


 もうこのまま素直に受け答えしていたって、埒があかない。永久に、安寧の雨宿りタイムは訪れない。ここはもう意を決して、多少大人げなかろうが、男らしくなかろうが、追い払ってやる、くらいの覚悟で反撃すべきだと思った。


 再度、深く息を吸う。それから、グッと彼女を睨みつけ、口を開いた。


「あ、あのねぇ! 初対面の男にそういうこと言うの、マジで良くないぞ! 僕が、はいヤります、って言ったらどうすんだよ!」

「ヤる」

 しかし彼女は動じることなく、真顔だった。

「じゃあ、仮に……仮にだぞ! 僕が特殊性癖の持ち主だったら!?」

「アブノーマルかあ。そそるね」

 しかし彼女は動じることなく、むしろ笑顔だった。

「実は僕がストーカー気質で、君とヤりたいが為に、住所とか学校とか特定したら──」

「にひひ」


 口元を手で隠しながら前屈みで爆笑する彼女に、もはや、呆れるほか無かった。どの攻撃も、彼女に効果は無いようだ。


 ええい。ダメ押しの、一撃だ。


「何笑ってんだよ! 僕は真剣だぞ!」

「だってさ──」


 そう言って彼女は、姿勢をそのまま、上目使いで僕を見た。


「──そう訊くってことは、実際にはしない、ってことでしょ?」

「…………」


 急転直下。言葉に詰まる。


「……まあ……そりゃ……」


 その通りだった。僕が本気でアブノーマルでストーカー気質だったのならば、こんな仮定を持ち出すことはない。黙って、行動に移すだろう。……知らんけど。


 ……まったく。

 ここまでずっと、防戦一方。からかわれてばかり。


 嘆息。


「……なあ」


 僕の口から出たのは、もはや観念したような声だった。


「なに?」

「君は……マジで、なにがしたいんだ?」


 ニヤリ、彼女の口角がつり上がる。


 雨は降り続いている。

 当分、止む気配は無い。


 セーラー服の彼女の左手にある傘も、当分、開かれる気配は無かった。

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