栄光の2010年代

全てフィクションです。

第1話 政権批判しとけば単位が降ってくる

「政治家は嘘つきというのは昔から知られてきましたが、これほどの嘘が蔓延した事はついぞなかったでしょう。まさに政治の腐敗は、社会の劣化を表しており、軍靴の響きはますます近づいてきています。若い人々は、自分の事を考えるだけでなく、社会全体がどうすれば良くなるのか、人類の平和と幸福とは何なのか、是非に考えていただきたいです」


 外部講師の新聞記者が講義を締め括り、講堂にパラパラと拍手が響いた。ちなみにこの記者が所属する新聞社はデタラメなワクチン批判をして、せっかく助かるはずだった子宮頸がん患者を奈落の底に叩き落としている。


 講堂の端っこでは、この講義の責任者を務める教授が満足げな顔をして頷いていた。学生はといえば、出席票を兼ねたレポート用紙に一心不乱に政権批判の文章を書き込んでいた。平和が大切だ、国際協調だ、資本主義は行き詰まっている、というスパイスを振りかけることも忘れない。


 この講義は学生の間で有名だった。なぜならレポート用紙に政権批判と資本主義批判を書き連ねれば単位が降りてくるからだ。そうやって教授の元には政権を論難する文章が大量に集まる。教授としては、若い学生がこれほどまでに日本の将来を憂いていて、平和や平等を希求しているという事を知り、目頭を熱くする。若い人も自分の頭で考えられるではないか、と感心する。


 そうやって学生に大量の単位がばらまかれる。ばら撒かれた単位を手にして、学生は就職活動に臨む。教授が目の敵にする政権が作った好景気に乗っかる。学生の関心はもっぱら経済的安定である。自分の頭で考えた結果として、単位取得のために政権を論難して単位を揃えることが得策だと判断している。


 経済的利得のみに突き動かされるのはさもしいではないか、と言われたところで、年金を貰えるかどうか分からないのだから仕方がない。勉強のできた年上の親戚が、マトモに職につけずにバイト生活をしていたのを親戚中から馬鹿にされていたのが幼少期のトラウマになっている。ちなみにその年上の親戚はここ5年ほど音信不通である。他人の心配ばかりしてもいられない。自分だって300万円の奨学金を返す必要がある。金がないと何も始まらない。


 飯のタネも単位のタネも作ってくれるなんて、現政権には感謝しても仕切れない。戦争で撃たれるのも、経済的困窮で縄を括るのも同じ事である。死という結果に変わりはない。戦争で死ぬより、四十にもなってバイト生活をしていることに絶望して電車のお世話になる方が現実的なシナリオである。じゃあ起こるかも分からない戦争に反対するより、この好景気の波にさっさと乗ってしまった方がいい。


 2017年にはありふれた話であった。


 

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