07.転がり込んできた来訪者
一夜明けた今、私たちはベッドの上で少し遅い朝食を摂っている。
ベッドに乗せられた銀色の大きなトレーには、白パンやハム、スクランブルエッグやサラダや果物に、パンに添えるジャムやバターなどが所狭しと並ぶ。
起き上がられなくなった私の為にと言って、ノエルが食事を持って来させたらしい。
……一体、誰の所為でこうなったと思っているのかしら(憤怒)?
睨みつけたところで、犯人は紫水晶のような瞳を蕩けさせるだけで効果は無い。
私を背後から抱きしめるようにして支えつつ、朝食のパンやら果物やらを口元に運んでくれる。
甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるこの夫が容赦なかったせいで、こちらは朝からクタクタで起き上がられない状態だ。
労わってくれる優しさがかえって憎い。
「……誰かさんが夜明けまで寝かせてくれなかったからこの有様なのだけど、反省しているのかしら?」
「おや、誰かさんこそ交代したいと言って積極的だったのに私の所為にするのか?」
「っそれは! ノエルに抱き潰されそうだったからターンエンドさせようと――もごっ」
売り言葉に買い言葉。
そして反論は、バターとマーマレードジャムを程よい比率で塗られたパンで塞がれてしまった。
美味しい。食べ物に罪は無いので大人しくいただく。
ノエルは私が好きな味付けを完全に再現しているわ。
悔しいけれど、完全に好みを熟知されてしまっているのよね。
……それは置いておいて、今はどうにかしてこの状況を脱したい。
「ノエル。動きにくそうだし、食事の時くらい離れたらどうなの?」
「いいや、全く不便ではないよ。むしろこうしておかないと落ち着かないからね」
つまり、抱き枕の代理をさせられているらしい。
ノエルは快適なようだが私は不便だ。
なんせ、至近距離で気だるさと色気を振りまかれているのだから、たまったものじゃない。
心がざわついて食事どころじゃないから困っているのよ。
こちらは遠回しで離れて欲しいと言っているのにも拘わらず、夫はしれっとお腹に腕を巻き付けてきて更に密着する。
食事中にお腹に触れるな……!
ご飯を食べれば当然、お腹が膨れるもの。
触れたノエルにそう気付かれるのが恥ずかしいし、あと、最近太ったかもしれないから、触られるとヒヤヒヤする。
結婚式まではウエストを絞るためにダイエットをしていたけれど、ウェディングドレスを着るミッションが終わった今では気が緩んで少しぷよっとしてきた気がするのよね……。
ノエルに悟られる前にお腹周りを戻そうとしていたのだけれど……、なぜかオルソンが毎日お菓子をお土産に買って来てお茶に誘ってくれて。
断り切れず一緒にお菓子を食べている物だから、追加でお肉がついてきたような気がしてならない。
だから早くその手を外して欲しい(切実)。
「ううっ……隠しておきたいのに……」
「隠す?」
うっかり零した呟きを、ノエルはすぐに拾ってしまう。
「レティ、隠し事はよくないな」
「ひえっ」
夫は私の呟きをどう捉えたのかわからないが、そこはかとなく妖しい空気になり始める。
耳元に迫る低い声に追い詰められそうになっていたその時、扉を叩く音が聞こえて来た。
「おはようございま~す! あ、昼前だからこんにちはですかね? ユーゴです! ファビウス侯爵にお話したいことがあるので開けていただけませんか~!」
バンバンと扉を叩くユーゴくん。そんな彼を止めようとして、ミカと支配人らしい人たちの声も聞こえてくる。
「なぜ彼がここに……?」
私も同じ疑問が浮かんだのだけれど、今はそれどころではない。
有難い事に、ユーゴくんが来たおかげでノエル注意がドアの外に向けられたのだ。
グッジョブよ、ユーゴくん。
これはチャンスだと、女神様とユーゴくんに感謝しつつ、ノエルの腕の間からすり抜けた。
「ていっ!」
「レティ?!」
あからさまにショックを受けた顔をするノエルを見ると少し罪悪感がするけれど、来客を迎える為には身支度せねば、と言い訳してバスルームに逃げ込んだ。
◇
身支度をした私とノエルは、ユーゴくんを部屋に迎えた。
「――私は妻と新婚旅行中なのです。この事は昨日お話したのでご存じですよね?」
「は、はい! 存じています……」
ノエルはひどく穏やかな笑顔を浮かべているけれど、身に纏う空気は絶対零度まで下がっている。
ユーゴくんは寒さと凄みで震えてしまっていて可哀想だ。
「誰にも邪魔されず妻との時間を過ごすのを楽しみにしていたのですが、なぜ君は突撃する勢いで私たちの部屋を訪ねて来たのですか?」
「ひぃぃぃぃっ! ご、ごめんなさい!」
外は先ほどまで気持ちの良い天気だったはずなのに、今はすっかり真っ暗で雷鳴が轟いている。
ピカッと稲光が室内を照らす中、悠然とした微笑みを浮かべるノエルはまさに黒幕と言った様子で、私もユーゴくんも震え上がる。
「説教はここまでにして、話とやらを聞こうか?」
「あ、あの。僕を王都に連れて行って欲しいんです。邪神を相手にするのに、僕を使ってください!」
おや、と思ってノエルの様子を窺う。
ノエルは眉一つ動かしていないし微笑を崩していないけれど、纏う冷気は深まるばかり。
「――君は、ランバート博士と一緒に居たいと言っていたではないか?」
そう。ユーゴくんは昨日、メアリさんの側に居たいと言ったばかりだ。
一晩にして決意が変わるなんて、何があったのかしら?
「お師匠様は、ファビウス卿が情報を求めてくれてとても喜んでいるんです。……あの人は父親の無念を晴らすために研究を続けているのです。そんなお師匠様の為に自分ができることを考えました」
だから王都に行って邪神からノエルを守りつつ、研究に必要な情報を集めたいのだと言う。
「……ダメだ。君を連れて行かないよ」
「ファビウス侯爵に迷惑をかけるようなことはしませんから!」
「君は、ランバート一家を陥れた貴族を見つけたら復讐するだろう?」
ノエルの言葉に、ユーゴくんは肩を揺らす。
「復讐に呑まれてしまえば大切な人を傷つけかねない。ともすれば失う可能性も、悲しませてしまう事だって在り得る。……だから、ランバート博士を大切に想う君に復讐させる訳にはいかないよ」
そう言って、ノエルはそっと右手の甲を撫でた。
かつてナタリスを取り込もうとした時の呪術の痕がまだ残っている場所。
一生消えないその痕跡を、ノエルは戒めのように思っている。
「復讐は絶対にしませんから、どうか王都に連れて行ってください!」
「……そんなに悔しそうな顔をして言われても説得力がないな……」
ノエルはちっとも連れて行く気が無く、ユーゴくんの頼みを断って帰したのだけれど――。
オリヘンに滞在する間、ユーゴくんは行く先々で現れては王都に連れて行ってくれと懇願していた。
どんなに頼み込まれてもノエルは首を横に振っていたのだけれど、王都に戻ってから事態が一変する。
「――闇の王! 星の力を持つ者が居るのに、なぜ従わせないのですか?!」
ダルシアクさんにユーゴくんの事を話すと、ダルシアクさんは神速でオリヘンに向かってユーゴくんを回収し、自分の後継者として育て始めた。
つまり、元・黒幕(予備軍)の手下の引継ぎが始まったと言う訳で……。
こうして、賑やかな星が仲間に加わり、新しい生活が始まった。
***あとがき***
更新お待たせしました……!
第一章はこれにて完結です。明日、ノエル視点のお話をお届けします。
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