02.街を散策しましょ
「はぁ。やっと着いた……」
馬車の外を見ると、景色が次第に降下していく。空の青から海の青へと変化し、白い漆喰が塗られた建物で形成された街が現れた。
見渡す限り白と青が続く世界に、思わず感嘆の息を漏す。
ここがオリヘン。
異国情緒溢れる街並みが有名な、ノックス王国屈指の観光名所だ。
ノエルのエスコートで馬車から降りると、潮の香りが迎えてくれる。
深呼吸して新鮮な空気を灰の中に取り込み、溜息に変えて吐き出した。
……ふぅ。ようやくノエルから解放されたわ。
馬車の中ではずっと枕にされていたから、すっかり肩が凝ってしまった。
伸び上がって筋肉の強張りを解しつつ、ノエルをじっとりと睨みつける。さっきまでは訳も分からずうじうじとしていた夫は、今や爽やかな表情で御者と話している。
一体何に落ち込んでいたのか分からないけれど、元気になったのならまぁ、いいか。
「……ノエル?」
しかしノエルは時折、感慨深そうな顔で街の景色に目を遣る。
緊張と不安と、一抹の寂しさが見え隠れしていてるような横顔には、一言では言い表せられないような感情が込められている。
先代の国王が葬られ、ようやく母親の墓参りができる自由を手に入れたノエルの事を想うと、胸がツキンと痛んだ。
「ねえ、ノエル。市長に挨拶に行く前に、墓地に行きましよ。その方がゆっくりとオリヘンのお義母様に挨拶できると思うわ」
「……ああ、そうだな。墓地は丘の上にあるようだから、グリフォンたちに飛んでもらおうか」
「いいえ、歩いていきましょう? 途中で花を買わないといけないもの」
「しかし……その靴でこの丘を上がるのは辛くないか?」
「平気よ。学園ではヒールを履いたままやんちゃな生徒を追いかけていたことだってあるんだから!」
「靴擦れしないか心配なのだが……」
夫はなぜかいきなり、過保護モード全開になってしまった。
しかも複雑な心境らしく、私の足を心配してくれているけれど、一緒に散策したいとも思ってくれているみたいで。
二つの気持ちの間で揺れているのが見て取れる。
仕方がないから、繋いだ手を引っ張って誘導した。
「さぁ、探検しましょ。観光したい場所が沢山あるの」
「なるほど、それが本音か」
「ち、違うわよ」
「オリヘンの店を入念に調べては地図に印をつけていたのに?」
「それは、ノエルと迷子になってしまわないように道を調べたついでにマルをつけていただけよっ」
ノエルが言う通り、美味しい魚介料理が食べられるお店や柑橘系のケーキが有名なカフェがあると聞いて楽しみにしていたけれど、決してそれがメインと言うわけではない。決して、浮かれていた訳では無いわ。
オリヘンに来たのはあくまでノエルの産みのお義母様に挨拶する為。
ただ、ノエルの気晴らしにこの街を散策出来たらいいなと思っただけよ。
「わかったよ。一緒に街歩きしよう」
本当にわかってくれたのかは不明だけれど、ノエルはくすりと笑って私の足に魔術を施してくれる。
足にかかる負荷を軽減させてくれる魔術らしい。
「私たちが観光している間、グリフォンたちを散歩させてやってくれ」
ノエルが御者たちに向かってそう命じると、お留守番を予感してしょんぼりしていたグリフォンたちが、目に輝きを取り戻した。
ピイピイと、まるで妖獣が親に甘えるときに出すような声で鳴いてノエルに擦り寄る。
知らない土地を歩き回りたいのは、人も魔獣も同じようで。
思いがけず散歩の時間を与えてくれた当主に、ファビウス家のグリフォンたちの好感度が爆上がりしたようだ。
さらにノエルは長旅を支えてくれた御者たちを労い多めの昼食代を渡すと、御者たちは涙ぐんでノエルを拝む。
こうして、私とノエルは二人で行動することになった。
「花はこのお店で買いましょう?」
「ああ、鮮やかな花がたくさんあるお店だね」
私たちは店員に頼んで、真っ白な百合の花束を作ってもらう。
出来上がった花束を受け取ったその時、ノエルが店頭にある赤い花を一輪購入し、私の耳元に掛けてくれた。
花の甘い香りが、ふわりと漂う。
南国らしい鮮やかな色彩のその花は、オリヘンの住民たちが記念日になれば恋人や伴侶に贈る風習があるのだと、店員が教えてくれる。
それならばお返しに私も贈ろうと思って購入し、ノエルのジレの胸元のポケットに刺し込んだ。
「……っレティ」
「何?」
ノエルの声に我に返り、顔を上げるとノエルはじっとこちらを見ている。それも、眉尻を下げて困惑しているような表情で。
もしかして、旅先だからはしゃいでいると思われてしまったのかしら?
そう思った途端に照れくさくなってしまうのだけれど、ノエルが狼狽えた理由は、私の予想を遥かに超えたものだった。
「レティ、同じ色の花を贈り返すのは夜の誘いと同義なんだ」
「なんですと?!」
慌てて花を回収しようとすると、なぜかこの元・黒幕(予備軍)は素直に渡してくれない。
説得しようとしてもはぐらかされるし、他の花を渡しても受け取ってくれず……。
だからと言って、このまま二人で同じ花を身に着けたまま街を歩くわけにはいかない。
同じ色の花を身に着けた二人なんて見たら、街の人たちが要らぬ察しをするではないか。
羞恥心で死ぬのは御免よ。
「ううっ……。お母さんはノエルをそんな風に育てた覚えはありません」
「……それ、まだ続けようとしているのか……。頼むからそろそろ飽きてくれ」
意外にも泣き落としが効果覿面だったようで。
魔術で花の色を変えると言うことでようやく譲歩してくれて、事態は丸く収まった。
気を取り直して急な坂道を上がり、頂上に辿り着いた私たちは、閑散とした墓地の中に入った。
高台にあるこの墓地は街や海の向こうまで見渡せて、景色の良い場所だ。
「オリヘンのお義母様のお墓は奥にあるそうよ」
その昔、グーディメル先生とラングラン侯爵が密かに作ってくれたお墓。
先代の国王に見つからないよう、墓石に名前は書かれていないそうだ。
おまけに、オリヘンのお義母様の家族が先代の国王に狙われないように、彼らを外国に逃したそうで――その為、オリヘンのお義母様は、独りでこの地に残っている。
「早く会いに行きましょ」
ノエルの手を引いて墓地の奥を進むと、寂れた一角に辿り着く。
お墓には先客の姿があり、私たちはぴたりと足を止めた。
先客は中年くらいの女性だ。焦げ茶色の髪をざっくりと結んでおり、ちらほらと後れ毛が零れている。
彼女は私たちの足音が聞こえていたようで、振り向き――瞠目した。
「その紫色の瞳……そっくりだ。お前さんが例の、レジーヌの子どもなのかい?」
問う声は震え、まるで幽霊でも見ているかのような眼差しで、ノエルを見つめている。
「母を、知っているのですね?」
繋いでいるノエルの手に、微かな力が籠められた。
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