第一章 黒幕さんと、新婚旅行です

01.新婚旅行が始まりました

 穏やかな時間が、ゆっくりと過ぎてゆく。


 私たちを乗せたグリフォンの馬車は、春の淡くやわらかな青空の中を翔けている最中だ。

 窓の外を見ていると眼下にある雲間からドラゴンの群れが見えて、思わずノエルに声を掛けた。


「ノエル、見て! ドラゴンの群れだわ!」


 窓の外を指さして振り返ると、ノエルは紫水晶のような美しい色の瞳を細めて私をじいっと見つめている。


 違う。こっちじゃない。

 外を見ろ、外を。


 そんな気持ちを込めてもう一度窓の外を指さすけれど、ノエルはくすりと笑うだけで視線を動かそうとしない。


 ……どうしてこちらを見るんだ。


「私はドラゴンじゃないわよ」

「知ってるよ。レティはドラゴンじゃなくて私の妻だろう?」

「――くっ」


 小首を傾げ、わざとらしく声を甘くして囁く姿は直視できないほど妖艶で。

 この元・黒幕(予備軍)は、馬車の中を色気で満たして私を窒息死させるつもりらしい。


「ノエル」

「ん?」

「私じゃなくて外を見て?」

「はしゃいでいるレティの方が気になってしまったんだ」

「……そうですか」


 そうこう言っている間に、ドラゴンの群れは通り過ぎてしまった。

 なによ、もう。こっちは王都ではあまり見ることができないドラゴンの群れを見せたくて話しかけたのに。


 愉しそうにこちらを観察し続けている夫の視線を無視して、座席に置いていた本を手繰り寄せた。


 待っていても構ってあげるものか。

 今の私はいじけているから、ノエルの相手をするつもりはありません。


 しかし、ぱらりと頁を開いて本に視線を落とせば、ノエルが体を寄せてくる。ぎしりと音を立てて、座席が微かに軋んだ。

 邪魔するなと睨んでみたところで、ノエルの笑みは深まるばかり。

 ……その微笑みがあまりにも幸せそうだから、何だかもう、これ以上はいじける気になれなかった。


「ノエル、退屈なの?」

「いいや、レティと一緒に居るから楽しいよ」

「それは……よかったわ。オリヘンまでは長旅になるもの」


 私とノエルは只今、新婚旅行中だ。

 

 行先はオリヘンと言う名の、ノックス王国南部にある地方都市。

 そこはノエルの実母の生まれ故郷で、彼女のお墓があるらしい。

 グーディメル先生からその事聞いた私は、ノエルの実母こと《オリヘンのお義母様》の墓参りに行かねばと使命感に突き動かされた。


 そして、新婚旅行の行先としてオリヘンを提案したのだ。


「本当に、オリヘンで良かったのか?」


 私に気を遣わせたのではないかと、それが不安で仕方がないらしいけど――そんな事は無いわ。

 むしろ私は新婚旅行と言う特別な機会だからこそ、ノエルに縁があるオリヘンに行きたいと思う。ノエルの事を、もっと知りたいから。


「ええ。ノエルを産んでくれたお義母様に挨拶したいもの。それにね、ノエルに縁がある土地だからこそ行きたいと思っているのよ?」

「……ありがとう」

 

 すっと目の前の景色が翳り、気づけばノエルに抱きしめられている。

 頭に優しく触れる唇の感触の柔らかさに胸がざわつくけれど、目を閉じて受け止めた。


 ノエルの愛情表現にはまだ慣れない。

 まるで前世で観た洋画に出てくる恋人たちのように甘くて優しくて、「海外ドラマか!」と毎度心の中でツッコミを入れている。

 

 この世界では当たり前の愛情表現なのかと言えば、私の両親はこのように甘々ではない。

 お父様はお母様の尻に敷かれていて、どちらかと言えば上司と部下、親分と子分みたいな雰囲気だったもの。


 かくして免疫の無い私は、このままでは心臓が持ちそうにないからウンディーネに相談したのだけれど――「口から砂糖を吐きそうだ」と揶揄われてしまった。

 やはり、ノエルが特別愛情深いらしい。


「――ところで、レティに聞きたいことがあるのだけど」

「何?」

「新しい理事長は、学園によく来るのか?」

「んー、そうね。前の理事長よりはよく見かけるわ」


 つい数日前、オリア魔法学園の理事長が世代交代した。


 オリア魔法学園の理事長はぺルグラン公爵家の当主が代々務めている。

 ぺルグラン公爵家はノックス王国三大公爵家の一つ。その当主が変わったから、必然的に理事長も変わったのよね。


 新しい理事長はクレメント・ぺルグランと言う方で、彼の息子がもうすぐでオリア魔法学園に入学するらしい。

 ご令息の名前は確か――サミュエル・ぺルグラン。赤い瞳と雪のように真っ白い髪が特徴的な子だ。メガネを掛けており、いかにも優等生といった印象だったわ。


 そんなサミュエルさんは、理事長とは血の繋がらない親子らしいのよね。

 理事長は独身を貫いているから、サミュエルさんを分家から引き取ったのだとか。


「……アロイスに、似ているな?」

「ええ、親族だもの。よく似ているわね。ぺルグラン公爵閣下のお姉様がアロイスのお母様よね? 雰囲気は以前のアロイスに似ているなとは思ったわ――ノ、ノエル?!」


 急にどうしたのか、ノエルは私の肩に顔を埋めてしまった。


「どう、思った?」

「どうとは?」

「アロイスと似ているだろう? 心を動かされたんじゃないのか?」

「ノエル、もしかして心配しているの?」

「……」


 沈黙もまた答えと言うべきかしら?

 何も言わずに抱きしめる力を強めてくるノエルがいじらしく見える。

 

 夫の意外にも可愛らしい一面に、思わず胸が軋んだ。

 この人が前世でプレイしていた乙女ゲームの、あの油断ならない黒幕だったなんて信じられないくらいに、ありのままの心を見せてくれるのが嬉しい。


「ノエル、心配しないで。私の心はそう簡単に変わるものではないわ。だって、誓ったんですもの」

「レティ……」


 安堵が滲む声を聞いてホッとした。

 私の夫は心配性だから、どうやらアロイス似のイケメン理事長を見てから気が気でならなかったのかもしれないわね。


 そんな弱り切った夫を労わりたくて、髪を手で梳き流しつつ、背中に手をまわして抱きしめた。

 するとノエルはやっとのことでもぞりと動いて、目を合わせてくれる。


 いつも愛情がこもった眼差しを贈ってくれる、この紫水晶のような瞳が愛おしい。

 ノエルを安心させる為に、微笑んで見せた。


「私の推しは、前世でも今でもアロイス一択よ。アロイスの卒業後に、顔とか雰囲気が似ているなんて理由で、身近にいる理事長を推しにすることは無いわ。たとえ離れてしまっても、アロイス推しとしての誇りを持って、ずっと応援していたいもの。前世でそう誓ったのよ」

「――え?」


 ノエルは虚を突かれたような、そんな顔をした。


「え?」


 心底びっくりした顔をしているから、私も釣られて驚いてしまう。


「レティ、どうしてそこでアロイスが出てくる?」

「だって、私が推しを変えてしまわないか不安だったんでしょう? アロイス不在の学園に、アロイスに似た雰囲気の理事長が現れたから――」


 アロイスはノエルの異母弟だから、兄として弟が推しから外れてしまうのが可哀想だと思っている……のよね?

 そう思っていたのだけれど、ノエルは遠くを見るような目になってしまう。


「……違う、そうじゃない」


 絞り出すような声でそう零し、もう一度私の肩口に顔を埋めた。


 それからオリヘンに着くまでの間、ノエルはずっとこの状態で。

 枕にされてしまった私は、肩こりに悩まされたのだった。



***あとがき***

お待たせしました!

ようやく黒幕さん2をお届けすることができ、ホッとしております。

引き続き、レティに振り回されるノエルを見守っていただけますと嬉しいです。

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