第25話 ちぎれそうになっても

 今日は葉山さんが来ているのでメンソールの一服タイムはなしで、わたしと葉山さんはお茶を、教師はクッキー&クリームを食べていた。この前も食べてたからチョコレートが好きなのかしら、と考える。今度わたしが買い物に行った時は買ってきてあげようと思う。


 雨は弱まる様子もない。


「泊まってけよ」と教師が言うと葉山さんは「最初からそのつもりだよ」と答えた。

 教師はアイスを食べると二階に上がってしまい、わたしと葉山さんは残されてしまった。

 葉山さんがいかに社交的な人とはいってもやはり居心地が悪い。このところ教師と、というより葉山さんと一緒のことが多い。

 こんなんでは『期待値』は下がる一方だ。

 暇だから映画でもみようか、と葉山さんが言って、そうですねとわたしは賛同した。


 その映画は老人ホームが舞台で、主人公の男性が毎日、入所者の女性にあるひとつの物語を読んで聞かせるというものだった。「泣けるらしいよ」と葉山さんは言って、あんまり恋愛映画はみないわたしは半信半疑で画面をみた。

 ポップコーンの代わりはないかと探すと、かりんとうとキャラメルコーンしかぽりぽりしたものはなくて、それで我慢することにした。葉山さんが「こんな甘いものばかりでよく我慢してるよね」と言うので「実はわたしは普段は甘いもの、摘まないから」と答えた。口寂しい時にはタバコがある。

 映画は水鳥が美しい情景から始まって、朗読される若者たちの物語の中の情熱的な恋に目が離せなくなる。それからどんどん切なさが募るのはふたりが『身分違い』で、彼女は街に帰されてしまうからだ――。

「少し止める?」

 こくんと頷く。こんな時でも葉山さんは紳士的で、何も言わずにティッシュを取ってくれた。

「女の子ってこういうのに弱いよね」

「男の人は違うんですか?」

「感動するには感動するけどさ」

 そう言った葉山さんの顔には笑顔が貼り付けてあるようだった。内心、少しは感動しているに違いない。


 ぽりぽりとポップコーン代わりのキャラメルコーンを食べて、葉山さんは呟いた。

「耀二の絵は『人を食う』って言ったじゃない? 俺も食われたひとりなんだけどさ、ほかにもいたんだよね。その人は、耀二の一番近くでひっそり誰にも知られず食われていったんだよ。人見知りが激しくて、耀二はそんなところが見逃せなかったのかもしれない。ふたりは見かけると一緒にいたし、いつでも仲が良さそうだった。まるで喧嘩なんてしそうになかった。彼女はいつも耀二の方を眩しそうに見て、恥ずかしそうに笑ったよ。そして耀二を『耀ちゃん』と恥ずかしそうに呼んだ」

 これが『絵麻さん』の話なんだなと合点が行く。わたしと知り合う前の教師の姿を上手く想像できない。わたしが小学校を卒業する頃まで教師も学生だった。頭ではわかるけれど映像にならない。

 葉山さんはキャラメルコーンをまた少し摘んで続きを話した。

「この話を金沢さんにするのが適当かどうかわからないけど、知りたいなら教えてあげる。それとも嫉妬するくらいなら知らない方がいい?」

「教えてください」

「それじゃ、続きね。学校に入学した時から耀二の絵は明らかに人と違った。鉛筆で描いた絵が胸に刺さるんだ。そういうのわかる? それまでみんなどこかでデッサンを習ってきてたけど、耀二のを見るといままで自分は何を描いてたんだろうと思う。美大っているんだよね。自分より上手いやつがいるとやめちゃう自主退学するやつ。実際いたんだよ」

 うちの学校にもいた。

 せっかく入った学校なのにどうしてやめちゃうんだろうと思ったけど、そういうこともあるのか。

 わたしなんか自分は平々凡々としてるから他人と比べるなんておこがましいなぁと思ってきた。

 でもそう思えない人がいるのがわからないわけでもない。わたしも上手い人がいれば羨ましかった。


「それでね、耀二を嫌うヤツらもいたし、耀二の取り巻きもできた。僕がその一番手さ。彼女は取り巻きではなかった。でもたぶん、ふたりは惹かれ合う何かがあったんだろうね」

「じゃあどうしていま、ここに彼女はいないんですか?」

「……死んでしまったんだ。遺書にあったのは『耀ちゃんの絵が好きだったから』。彼女は本当は猛烈に耀二の絵に嫉妬して、自分でもどうにもできなくなってしまったんだろうね。実際遺書にもそう書いてあったらしいよ。彼女の描く絵は完璧だった。正確で細密だった。でも彼女は絶望していたんだ。自分の絵では人の心を動かせないということに」

 そんなに絵に対して真摯に向き合ってた人が、諦めて筆を折り、人生を終わらせてしまうなんて、それは現実的だと思えなかった。もしも葉山さんがここで「嘘だよ」と言えば、ああやっぱりと思うに違いない。

「たださ、耀二は下を向いていたよ。悲しんではいたけれど絵はやめられなかったんだ。それが大学三年生の夏。ちょうどこれからの季節だ」

 呆然としたわたしを他所に、葉山さんは映画の続きを流した。美しい画面の中、語り合うふたり。老女は朗読をせがんでそして。

『わたしたちに『愛の奇跡』はあるかしら?』

 わたしは何に自分が泣いているのかわからなかった。


 それでも涙は自浄作用となって、心を潤してくれる。もしも映画のようながあるのなら――わたしはどんな奇跡を望むだろう。

 誠とのわだかまりを解消して元の生活に戻るのか。

 それとも自分が葉山さんのように絵を描くことをやめるようになっても、教師とこれから一緒に生きていくのか。

 そもそもわたしの愛はどこにあるのか? どこへ向かったらいいのか?

 それはとても難しい問題でとても解きほぐせそうになかった。


 不思議と絵麻さんに対して嫉妬はわかなかった。

 だけどその話を聞いて、わたしはわたしが教師を好きだと確認した。

 わたしもあの寡黙な背中の広い人の腕の中に、いつまでもしまわれていたい。

 確信は持てなかったけど、わたしはたぶん、教師の絵に食われることはないだろうと思った。人の絵と、自分の絵の区別くらいはつく。教師の絵をみて絶望した人はみんな、教師みたいな絵を描きたかったんだろう。

 そんなヤキモチを焼く必要はない。絵を受け入れてしまえばいいんだから。

 ――できるかな?

 たぶん、できる。第一にみんなが間違ってるのは、彼と彼の描いた絵は別物だということだ。

 絵を好きになることが彼を好きになることとは違う。実際わたしは彼のことが好きだった。絵は見たことがなくても。


 ――明日パソコンを取りに行きます。

 長年付き合った彼との繋がりがちぎれそうになっている。痛いほどそれを感じている。

 返事はない。

 お風呂にでも入っているのか、昼寝して寝入ってしまったのか。

 ――それで俺たちの仲を全部解消できると思う?

 ――思わない。

 ――そうだよ。そんなに簡単に繋がりは消えないよ。わかっててくれてうれしい。気をつけておいで。

 ちぎれそうになっても繋がりは繋がりだ。そして愛は愛だ。あの日、「やり直そう」と言った気持ちは嘘ではなかった。

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