吸血鬼メイドがただ主人の血を吸うだけの話

こふる/すずきこふる

吸血鬼メイドがただ主人の血を吸う話



 大変なことになってしまった。


 エングラー伯爵家の若き当主であるローレンツは、大きなため息を漏らした。


 この国にはとある奇病が流行っている。それは他人の生き血を飲まなければ生きられないという病。伝説やお伽話で語られる吸血鬼のような症状であることから、吸血病きゅうけつびょうとも呼ばれる。


 その病にエングラー家に仕えているメイド、ゲルダが罹ってしまった。


 ゲルダの一族はエングラー家に代々仕えていた。幼い頃から交流のあった彼女をローレンツは放り出すことはできなかった。


 そして、この奇病に罹患した彼女が世間から白い目で見られることも耐えられない。



(どうにかして彼女を今まで通りの生活を送らせてやりたい…………)



 ローレンツは斜め前に座って手鏡を見つめている少女に目をやる。まだ10代半ばの少女はキラキラとした目でローレンツに言った。



「ご主人様、ご覧ください! この犬歯! 立派なものでしょう!」



 指で唇を持ち上げ、尖った歯を見せる少女こそが、このローレンツに仕えるメイド、ゲルダだ。


 ローレンツの幼馴染みでもある。


 大きく波打つ明るいブロンド。青い瞳は大きく垂れさがっていて愛嬌がある。元より肌の色は白かったが、吸血病にかかったせいで陶磁器のような血の気のない肌色をしていた。



「吸血病にかかったら犬歯が鋭くなるって本当だったんですね! 肌もぐんと色白になって……あ、でも顔色が悪いのでお化粧は必須ですね……ワントーン明るいものを用意しなければ!」



 主人の心配も知らずに能天気なことをいうメイドに、ローレンツは眉間に皺を寄せる。



「このアホ!」

「ひゃあっ⁉ なんで怒鳴るんですか⁉」

「お前、吸血病にかかったんだぞ! もっと真剣に考えろ!」



 今、治療法を研究している段階であり、完治する方法はない。


 吸血病は衝動的に人の生き血を欲する症状がでる。そのため、血を抜かれた相手が失血死するという事件も多発していた。お伽話や伝説のように吸血行為から感染するのではないかという噂も広がり、迫害同然の扱いを受けている者も少なくない。



「バレたら村八分かもしれない……いや、変な噂をばらまいて、うちを潰そうと考える貴族だって出てくるに違いない」



 エングラー家は元々名のある貴族だったが、ローレンツの両親が急逝し、彼がエングラー家の当主となった。


 そこでエングラー家の頼れる執事だったゲルダの祖父に支えられながら、なんとか家を維持してきたが、その彼女の祖父も亡くなった。


 気合でなんとか乗り切ってきたが、貴族というものは常に足の引っ張り合い。屋敷に吸血病にかかったメイドを雇っていると知られれば、付けこもうとする者も出てくる。



「で、では……クビ、ですか⁉」

「家族同然のお前を無責任に放り出せるわけがない。何年一緒にいると思っているんだ?」



 ゲルダは幼い頃に両親を亡くし、ローレンツの両親が娘のように可愛がり、ほとんど兄妹のように育てられてきた。互いに切っても切り離せない存在と言っても過言ではない。



「で、でも……さすがに隠し通すのは無理じゃ……だって吸血衝動だってありますし……」

「まあ、そうだが……その吸血衝動を抑える方法はある」



 幸いなことに、この吸血病は完治できないものの。衝動的な吸血を抑える方法はある。


 それは定期的に血液を摂取することだ。


 吸血行為による失血死の原因は、生き血を摂取しないこととで罹患者が飢餓状態になってしまうことだった。


 人間が食事を摂らないでいると頭が働かないように、吸血病の罹患者も生き血を飲まないと頭が働かない。喉の渇きを覚え、理性を失って生き血を求めてしまう状態を飢餓状態といい、見境なく人を襲ってしまうのだ。


 吸血行為で相手を死なせてしまった者のほとんどが、吸血行為を拒み続けた者が多い。そして、飢餓に陥った結果、生き血を貪ってしまい相手を死なせてしまうのだ。



「たとえ少量でも定期的に生き血を摂取すれば、吸血による事故死も防げる。多少抵抗はあるかもしれないが、そこは我慢してくれ」

「で、でも生き血って誰のを? さすがに屋敷の人や領民からいただくわけには……」

「何言ってる? オレのに決まってるだろ」

「なるほど! 嫌です!」

「ずいぶん力強い返事だなぁ、おい?」

「当たり前です! ご主人様の血を頂くなんてとんでもない!」

「なら、他の奴からどうもらうつもりだ? おしゃべりスズメの口を黙らせるなんて簡単な事じゃないぞ?」



 おしゃべりというものは娯楽の一つだ。屋敷の使用人たちもおしゃべり好きが多く、一体どこから話が漏れるか分からない。それなら事情を知り、気心知れた相手が一番いい。


 しかし、ゲルダはローレンツの問いに、視線を彷徨わせながら必死に答えを探していた。



「えーっと……そう、牛さん! 困った時は家畜の牛さんから血を頂けば、血を吸い過ぎて干からびたとしても、干し肉にできます!」

「アホ! 定期的に乳を出せる生きた牛と、作る費用も時間もかかる干し肉、どっちが経済的だと思ってるんだ!」

「生きた牛さんです!」

「正解だ! 分かってるんだったら、腹くくれ!」

「で、でも……でも……その……」



 ゲルダは指をもじもじさせながら、顔を俯かせる。彼女の白い頬が朱に染まっているのが、ローレンツにも分かった。



「まず、人の血を飲むって言うのが初めてですし……何より私はご主人様にお仕えしている身……ご主人様に何かあったら、亡くなった旦那様と奥様に顔向けできません」

「長くオレに仕えてくれた者をほっぽり出すほど、オレは薄情じゃない。それに死人を出さないための吸血行為だ。問題なんてない」

「そ、そうだとしても……でも……だめなんです……だって……」



 どこか落ち込んだ様子で言葉を切ったゲルダに、ローレンスは怪訝な顔をする。



「だって?」

「この病がいつ治るか分からないのなら、ずっとご主人様から血を頂くわけにはいかないんです。いつかご主人様が伴侶をお選びになった時、私は結婚のお邪魔になってしまいます。そして、ご主人様が一介のメイドに吸血行為を許していたなんて未来の奥方様が知れば、きっといい顔をするわけがありません……それならお金を払ってでも定期的に血をもらえる方を探した方が……っ⁉」



 いつの間にか隣に移動していたローレンツが、ゲルダを強く抱き寄せ、彼女が次の言葉が出ることはなかった。



「ダメだ。他の誰かなんて……絶対に許さない」



 抱きしめた彼女の身体は人よりも体温が極端に低い。それは吸血病の特徴ともいえる。人の熱を持たない彼女が不安げに、ローレンツの服を握りしめた。



「でも……」

「でもじゃない。お前はオレのメイドだ。お前はオレの命令に従う義務がある……そうだろ?」



 ローレンツは彼女と過ごした時間が長すぎた。それは強い情を抱いてしまうほどに。そして、家族を失ってしまった今、互いに互いを失うことはできない。



「命令だ。オレの血を吸え」

「そ、その言い方はずるいです…………」

「返事は?」

「…………うう、はい」

「おりこうさん」



 ぽんぽんと叩くように頭を撫でてやると、ゲルダは恥ずかしそうにローレンツの胸に顔をうずめる。



「絶対に痛いですよ……血が出るんですから、絶対に痛いですよ……」

「そんなの覚悟の上だよ」

「ご主人様が……ご主人様が疵物になってしまいます……ああ、なんて私は罪深い。天にいる旦那様、奥様。そしておじい様……仕える主人に疵をつける行為をどうかお許しください」

「その言い方やめろ……」



 抱きしめた腕を離すと、顔を赤くした彼女が顔を上げる。目のやり場に困ったローレンツは、視線を逸らしてシャツのボタンを外していき、無造作に首筋を晒した。



「ほら、どーぞ」



 そうローレンツがいうと、彼女はぽかんとした顔で彼を見上げた。


 その表情にローレンツが顔をしかめる。



「あ、あの……ご主人様?」

「どうした?」

「わ、私、てっきり指とかをちょっと切って、血を頂くと思っていて……く、首筋では密着度が違うと言いますか……その…………きわどいというか……」



 そう、生き血を与える方法は一つではない。首筋から与える方法以外思い浮かばなかったローレンツは、自分の顔が羞恥で熱くなっていくのが分かる。彼女の言うように指を切って与える方法が一番手っ取り早いだろう。しかし、首筋を晒した彼は引くに引けなくなった。



「うるせぇえええ! 一思いにやれぇええええええ!」

「はいぃぃぃいいいいいいいっ!」



 ◇



「ああ、真の意味でご主人様が疵物になっていまいました……」

「その言い方やめろって…………」



 吸血行為が終わり、止血をされたローレンツはソファーに横になっていた。血を抜いてどこか頭がすっきりした気持ちもあるが、若干身体が重い気もしなくもない。ゲルダ自身はあまり血を欲しがっていなかったが、念のため多めに吸わせた。今後、どういう頻度で与えるかは相談し合った方がいいだろう。



「首の痛みはどうですか?」

「あー、まあまあかなぁ?」



 首からの吸血行為は思いの外、痛みは少なかった。それよりも終わった後の方が痛みはあった。次に首から吸われる機会があるなら痛み止めを用意した方がいいだろう。吸血する場所も、傷の治り具合も、見ておかなければ。


 伝説やお伽話の吸血鬼は、吸血時に媚薬のような効果を相手に与えたり傷を早く治したりすると聞いていたが、実際にどうかは分からない。



「ご主人様?」



 ゲルダが心配した顔でローレンツの顔を覗き込む。青い瞳が小さく揺れているのを見て、彼は苦笑して彼女の頬に手を伸ばす。



「なんつー顔してんだよ……」

「だって、主人の血を吸うなんて……背徳感が……あと罪悪感もすごいです」



 苦しそうな顔で胸元を掴む彼女にローレンツは笑う。



「慣れてくれ」

「慣れることができるでしょうか……?」

「じゃないとオレが困る……」



 たとえ、同性だろうと彼女に他人の血を吸わせるわけにはいかない。


 首筋に帯びた熱と痛みにどこか満たされている自分がいる。



(背徳感……それに罪悪感? 上等だ……そのまま縛られていてくれ)



 自嘲するように内心で呟くと、ゲルダの髪を指先に巻き付けて弄んだ。


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