第8話 飛び込み
刺殺未遂から一命をとりとめ、回復して退院したエルディは、死ぬことの難しさについて悩んでいた。
腹を刺されて殺されかけても、そう簡単には死ねない。すぐに救急車を呼ばれて蘇生されてしまう。
エルディはもっと確実な死に方はないかと、ゴミゴミしたこの大都会の真ん中でふらふらと当てもなく彷徨い歩いていた。
電車に乗ろうと改札を通り、ホームで電車を待っていた時のことである。白杖を突いた金髪でマッシュルームカットの小柄な男性が、駅のホームをふらふら歩いていた。並ぶ人にぶつかって突き飛ばされた男性は、黄色い点字ブロックの外側を申し訳なさそうに歩き、空いている場所を探しているようだった。
すると、男性は足を踏み外し、ホームから転落してしまった。その衝撃で白杖は折れ、線路上に転がる男性。男性は体を半身起こすと、何かを探すようにあたりの地面をまさぐっていた。
「落ちたぞあの人。何やってるんだ。早く引っ込まないと轢かれるぞ」
「だいじょうぶですかーあ」
「何やってんだバカ!もうすぐ電車来るぞ!この間抜け!」
「早く上がって来いよ!邪魔だぞ!死ぬぞ!」
ホームの人々は口々に好き勝手な言葉を男性に投げかける。しかし、男性は立ち上がろうとすらしない。必死にあたりをまさぐり、何かを探しているようだった。
「足折れたのか?立てねーのか?」
「何やってんだよ!邪魔になるだろ!」
男性は焦っているようで、両手で頭を抱えながら途方に暮れいていた。と、一人の女性が重要なヒントを見つけた。
「あの人、目が見えなくて困ってるんじゃないかしら?杖を突いていなかった?」
「杖?そういえば、なんか折れた棒が転がってるな」
「おにいさーん!杖、折れちゃったみたいよ!杖なんか探さないで早く逃げて!」
女性の呼びかけに、線路に落ちた男性は悲鳴のような声を上げて困惑した。
「そんなあ!どうしよう!」
ここまで、男性を助けようと降りる人物もいなければ、駅員を呼びに行く人物もいなかった。皆口々に男性に好き勝手な野次を飛ばしているだけだ。その様子に、一人怒りを燃やしている男がいた。
「なんでみんな助けないんですか!あの人、目が見えないんでしょう?!手を引いてあげなくちゃあそこから動けない!あと二分で電車が来ちゃいますよ!」
そう叫んで、一人の青年が線路に飛びだした。その男性は、我らがエルディ・スミス・フィルキィである。エルディは、躊躇なく線路に飛び降り、男性を抱き起こしてホーム下の隙間に誘導し、身を潜めた。
間一髪であった。
エルディと男性がホーム下に隠れると同時に、通過列車が猛スピードで走り去っていった。
「危なかった……大丈夫ですか?足折れてませんか?」
エルディが男性を気遣うと、男性は足をさすりながら
「くじいてしまったみたいですけど、指が動くので折れてはいないみたいです。ありがとうございました。助かりました」
と、エルディに礼を言った。
二人がホーム下から生還すると、ギャラリーがわあっと歓声を上げた。勇敢なヒーローに、可哀想な盲人が救われた。皆二人に手を伸ばし、英雄と弱者を救い上げるという手柄を欲しがって群がった。二人は人々に引き上げられ、エルディと盲人の周りに人だかりができた。
「僕はデニス。デニス・ブランといいます。ご覧の通り、光すら見えない全盲です。あなたは?」
「僕はエルディ。僕は殺されても死なないぐらいの健康体ですよ。あなたが助かって本当によかった。足を怪我していたんですよね?どこかに急いで出かける用事があったんですか?」
「実は、いま通勤途中なんです。障害者雇用で事務をしていて……。でも、今日は出勤できないですね……。病院に行って脚を診てもらってきます」
そういうとデニスはリュックの中を探って、財布を取り出した。手探りで中身を確認すると、「ああ!」と小さく悲鳴を上げた。
「そういえば給料前でお金がないんだった……。どうしよう。病院に行ったら生活できないな」
エルディはデニスに同情し、とことん面倒を見てやろうという気持ちになった。
「あ、じゃあ、このお金、使ってください!」
エルディは財布の中の有り金をすべてデニスに手渡した。その感触に、デニスは驚いた。
「え、でも……」
「いいんです。あなたには必要なお金だ。使ってください」
男性は目に涙を浮かべてその金を受け取った。
「何から何まで、ありがとうございます」
「いいえ。僕にとっても喜びです」
エルディはにっこり微笑み、男性を電車に誘導して、この路線から行くことのできる駅近くの病院まで付き添った。
「人助けをすると、気分いいなあ♪」
晴れやかな顔をして帰路についたエルディだったが、ATMで金を引き出そうとして愕然とした。
「そうだった……忘れてた……。あれが最後の生活費だったんだっけ……。死のうとしていたから実家の仕送りも断ってしまったし、もう、どこにもお金がない……」
エルディはその場にへたり込むと、この先どうやって生きていこうかと途方に暮れた。
「もう、いよいよ、死ぬしかない」
軽い気持ちで死ぬ方法ばかり考えていたエルディだが、いよいよ本気で死なないわけにはいかなくなってしまった。
「ここで今すぐ死ぬ方法は……電車、か」
視界の端を、猛スピードで電車が通過してゆく。あそこに飛び込むしか、もう、道は残っていない。
電車の運賃を電子マネーで支払い、エルディはホームに立った。小さな駅なので、この駅に停車する電車は三本に一本しかない。二本は通過列車で、確実に殺してくれるだろう。
エルディはホームから線路に飛び降り、線路に寝転がった。すると、
「何やってんだあんた!死ぬ気か!」
と、初老の男性が線路に飛び降り、エルディの腕を引き上げた。
「もうお金がないんです。死なせてください」
「馬鹿か!そんなことぐらいで死ぬな!駅員さん!駅員さん電車止めて!」
駅員は慌てて停車信号を送り、通過予定の電車を二駅手前で停車させた。エルディの命は男性に救われてしまった。
男性に担ぎ上げられ、ホームに引き上げられたエルディは、ホームで電車を待っていた人々に殴る蹴るの暴行を受けた。
「何電車止めてんだ!急いでんだぞこっちは!」
「人の迷惑考えろ!お前のせいで遅刻したら金請求するからな!」
「こんなところで死のうとしないでくれる?迷惑なんだけど!」
「そんなに死にたいなら死ぬほどぶん殴らせろ!」
駅員が仲裁に入り、人々が離れると、エルディは痣だらけ傷だらけでその場に倒れた。
「また死ねなかったよマイスウィートハート……カフィン……。これからどうやって生きたらいいんだああ~~~~」
エルディはその場に転がりながら気が済むまで泣いたという。
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