第9話 睡眠薬
あの後実家に頼み込んでギリギリ生活できるだけの生活費を振り込んでもらったエルディは、いよいよ本格的に死ななければと、そればかりを願うようになっていた。
「カフィンに会いたい」という恋心から始めた自殺への挑戦が、いよいよ彼を死に急がせる要因に膨れ上がり、追い詰められてゆく。もはやカフィンのことは半ば諦めかけていた。
「ただ、一刻も早く死にたい。死ぬしか道はない」
エルディは久しぶりにデライラに会ってみようと考えた。
デライラに会えなかったのは、前科者となったエルディとの交際を、彼女の親が認めなかったからである。そのことがきっかけでデライラはますます不安定になり、頸動脈を自傷したり屋根から飛び降りたり売春をして身ごもって子供を堕ろしたり、荒れた生活のし過ぎで入退院を繰り返していた。
閉鎖病棟に閉じ込められ携帯電話を取り上げられていたため、エルディに鬼電も掛けることができず、一年以上にわたり一切連絡が取れなかったのである。
エルディが久しぶりに電話をかけると、元気そうなデライラの声が聴けた。
「エルディ!!久しぶり!もう私のこと忘れちゃったか、本気で死んじゃったかと思って怖くて電話できなかったの!生きててくれて嬉しい!」
生きていることを喜んでもらえることに、エルディは喜びを感じた。こんなダメ人間の自分の身を案じてくれる人がまだいたのか。エルディはデライラに看取られながら死にたいと思った。
「久しぶりに会おうよ。うちにおいで」
デライラは翌日すべての予定をキャンセルしてエルディの家に駆け付けた。
「聴いてエルディ。いままですっっっっっっっごく寂しかったんだから!寂しくて気が狂いそうで、狂って、ずっと精神科の閉鎖病棟に入院してたの」
「そうだったんだぁ……。だから連絡くれなかったんだね。連絡が無くなって僕も寂しかったよ。僕も相変わらずいつも死のうとして、失敗して入退院を繰り返してたよ」
強めの薬が効いているのだろうか、デライラはいつの間にか少し精神的に落ち着いたように見える。尖った針のようなきつい印象が、少し丸みを帯びたような気がする。
「僕、あんまり警察のお世話になったり迷惑をかけまくったからさ、いよいよ本気で死ななくちゃいけなくなったんだ。確実な死に方を知らない?」
デライラはエルディの死にたい気持ちが本物であることを知り、エルディに協力しようと考えた。
「あたしも本気で死にたいんだ。もう入院したくない。一緒に死のう?」
「とはいっても、もう痛いのや苦しいのはこりごりなんだ。苦しまずに今すぐ死ねる方法は無いかな?」
デライラはある提案をした。
「それならODはどう?エルディ精神科の薬飲んでる?」
「OD?」
OD(オーバードーズ)。大量服薬のことである。自殺志願者はしばしば医師の処方薬を溜め込み、ODをして死のうとすることがあり、問題となっている。デライラもしばしばODをして病院に運ばれ入院することがあったが、相変わらず懲りずにODを繰り返していた。
「薬か……。抗鬱剤と睡眠薬があったかな……」
「睡眠薬あるの?ラッキーじゃん!眠るように死ねるよ!一カ月ぐらい薬溜め込んで一気にODすれば確実に死ねるよ。苦しまずにね。私は警戒されてて、睡眠薬出されてないんだぁ……」
エルディは驚いた。医師が危険を感じてデライラに処方しない薬が、自分の手元にあるというならば、うまくすればデライラと確実に心中できるかもしれない。エルディは次の自殺方法をODに決めた。
「じゃあ、一か月後、また連絡するよ」
「絶対薬飲まないで溜めててね!あたしも今日から断薬して薬溜める!」
そしてデライラは一カ月間薬の服用とエルディへのストーキングを我慢し、一か月後、エルディから電話をかけて彼の部屋で落ち合った。
「薬溜めたよ。一日二錠飲むから、七二錠ある。これだけあればいいかな?」
「二人で分けたら三六錠ずつか……。心配だから鬱の薬とか安定剤とか全部集めて飲もうよ」
「そんなことして大丈夫なの?」
「死にたいんでしょ?死ぬほど飲まなくちゃ」
「そ、そうか……」
二人は薬を飲みやすくするためにヨーグルトを用意し、そこに薬を半分に分け合ってすべて投入し、一気に掻き込んで完食した。
「ついでにお酒も飲んじゃおう?お酒飲むと死ねるよ」
「じゃあお酒も用意しよう。どうせ死ぬから家にあるもの全部飲もう!」
二人で胃にビールやテキーラを飲めるだけ流し込んだ。酔うというレベルではないほど二人はたちまち泥酔する。
ベッドに二人で体を横たえ、手を繋いで時を待った。
「結構苦しいね。さすがに多いな……」
「でもこれで死ねるよ。おやすみ、エルディ。出会えてよかった」
潤んだ瞳でそう呟くデライラの横顔が、なぜだか愛おしくなり、エルディも初めてデライラに愛を囁いた。
「僕もデライラに出会えてよかった。色々教えてくれてありがとう。おやすみ。愛してるよ」
そして二人は猛烈なめまいとともに意識を失い、夢も見ないほどの深い深い眠りについた。
目を開けると、見覚えのある白い天井が見えた。視界の端にカーテンが引かれ、左側から陽の光が差し込んでいる。
途端、ぐにゃりと視界が歪み、回転する。体は寝ているのに目が回って目を開けていられない。めまいが治まった隙に目を開け、周囲を目だけで確認する。すると、デライラがベッドの横に備え付けられた椅子に座って居眠りをしていた。
「で……デライラ……?」
その声に、デライラが気付いたようだ。パッと目を覚まし、花が開くような笑顔を向ける。
「エルディ!目が覚めたのね!よかった。私だけ置いていかれたらどうしようと思ってた」
ぼうっとする頭が次第に冴えてゆく。そうか。自殺は失敗したのか。
「丸三日眠り続けていたんだよ。待ってね、看護婦さん呼ぶね」
デライラは枕元のナースコールのボタンを押し、看護婦を呼んだ。
「目が覚めましたか。まったく。とんだお騒がせですよ、あなたは。いい加減自殺なんか諦めてください」
看護婦は呆れ果てた様子でエルディの様子を確認すると、医師を呼びに行った。
「ははは、エルディ君。残念だったね。死ねなかったろ?」
医師はにやっと笑いながら椅子を引っ張ってきて、腰かけながらエルディに話しかけた。
「なぜ……死ねなかったんですか……?」
「君みたいなおバカさんが多いから、最近の睡眠薬は何錠飲んでも死ねないように改良されているんだよ。とても飲みきれない数を一気に飲まない限り、死ぬのは難しいだろうな。残念だったね」
エルディは目を伏せ、すべて医師に見抜かれていたことを恥じた。最初から死ねない薬しか処方されていないのである。
「目が覚めたなら、退院だね。もうバカなことはしないようにね。自殺なんかするだけ無駄だよ。絶対に失敗して後悔するだけだからね」
そういうと医師は看護婦に指示を出して去っていった。看護婦はエルディの性器から尿道カテーテルを乱暴に引き抜くと、点滴も外してその一式を台車に載せ、点滴のポールを引きずって去っていった。
「い、痛い……」
「尿道カテーテル痛いよね。あたしも昨日目が覚めた時に思いっきり引き抜かれて超痛かった」
エルディが上体を起こすと、倒れそうなほどの激しいめまいに襲われた。
「さ、帰ろう」
「ちょっと待って。めまいがひどくて起き上がれない……」
「大丈夫?」
デライラは再びナースコールを押した。
「今度は何ですか?」
「目が回るんですけど、ほんとにこのまま退院なんですか?」
「当たり前でしょう?!もう面倒は見ません。これに懲りたらもう自殺なんかしないこと。早く帰ってください。ほら!ほら!自業自得!」
エルディはデライラに支えられ、死んだほうがましだと思うほどの苦しみとともに帰宅した。
「また死ねなかった……。カフィンにも会えなかったし。もうODなんかこりごりだぁ……!」
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