第7話 割腹
イルミネーションのきらめく冬の街。粉雪がチラチラ舞い、吐く息が白く立ち上る。陽気な音楽が店の一軒一軒から漏れ聞こえてきて、街はすっかりクリスマス一色だ。
エルディはクリスマスケーキを買い求めに街へ繰り出した。目指すはチョコミント専門菓子店「ショコラ・ア・ラ・モン」だ。
エルディはデライラの影響ですっかりチョコミントにハマっていた。思い込んだら一直線の性格のため、街中のチョコミント菓子を見つけ次第購入していた。そんな時に見つけたのが「ショコラ・ア・ラ・モン」である。とても一気に食べきれないほど品数豊富のチョコミント菓子の数々に、すっかり虜になっていた。
ケーキやアイスクリームだけでなく、プリンも、ゼリーも、マフィンも、シュークリームも、クッキーも、マドレーヌですらすべてチョコミント。「ショコラ・ア・ラ・モン」はチョコミントフリークたちの聖地として名を馳せていた。
そこでエルディは、「今年のクリスマスケーキは『ショコラ・ア・ラ・モン』にしよう!」と思い立ち、同店を訪れたのである。
エルディがガラス張りの自動ドアの前に立つと、ドアが開くと同時にけたたましい怒声が飛び出してきた。
「うるせー!!俺はこの店を潰しに来たんだ!誰がお前の不味いケーキなんか食うかよ!!」
見れば、サングラスにマスク姿の男が刃物を店員に突き付け怒鳴っている。不自然な深紅の髪は、染めているのだろう。刈り上げたうなじにトライバル模様のタトゥーが彫られている。威勢がいいのは張り上げた声だけで、小柄でヒョロヒョロの弱そうな男だ。
「ああ、あなたはいつだかのチンピラさんですね。まあそういわず、ミントクリームなど如何ですか?」
ナイフを突きつけられた優しそうな紳士は、この「ショコラ・ア・ラ・モン」のオーナーパティシエ・ジョゼフ=セザールである。セザール氏はチンピラに背を向け、奥の工房に姿を消してしまった。
「ゴォラ!!無視すんじゃねー!この店燃やしたるぞゴラア!!」
するとセザールは手に一枚の皿を載せて出てきた。
「やれるもんならやってみろ!!!」
セザールは急に豹変して雷のように怒鳴ると、チンピラの顔面めがけて手に載せた皿を叩きつけた。皿にはミントクリームがたっぷり盛られていて、チンピラは大量のミントクリームを顔面に浴びた。サングラスとマスクで顔を保護していたチンピラがミントクリームで窒息することは免れたが、ミントの刺激に目がやられ、その場にもんどりうった。
「目が、染みて、いてええええええええ!!!」
「さっさと帰れ!今忙しいんだ!お前のようなガキを相手している暇はない!」
温和そうな顔を般若のように変貌させたセザール氏は、追い打ちをかけるようにチンピラを威圧した。普段ニコニコした優しい職人の顔しか見ていなかったエルディは、その変貌ぶりに圧倒されてしまった。
「うわあ……怖い……」
チンピラはクリームまみれのサングラスとマスクを外すと、カウンターを乗り越えてセザールに躍りかかった。
「殺す!!」
「キャー!!」
その場にいた客や従業員が、凶行に悲鳴を上げた。エルディは考えるより先にチンピラの凶行を止めようと、カウンターの奥へ飛び込んだ。
「やめてください!」
揉み合うチンピラとセザールの間に割って入り、チンピラの手からナイフを奪おうとする。
「邪魔すんじゃねーゴラア!!死にてーのか!」
その一言に、エルディの頭の奥がすうっと冷えた。
(死にたいのかって?え、そ、そうだな……可能なら死にたいな。あれ?これ、ひょっとして死ぬチャンスじゃないかな?)
「セザールさんを殺すなら僕を殺せ!」
咄嗟に出た台詞だったが、その勇敢な行動とカッコいいセリフに、その場の人々が感銘を受けた。そして、この隙に警察を呼ばなければ、と、だれからともなく警察へ連絡し始める。
「スプリングバレー通りのケーキ屋さん、『ショコラ・ア・ラ・モン』に強盗が入りました!今お客さんの一人が襲われてて……!」
その声を耳ざとく聞いたチンピラが「ポリ公呼んでんじゃねーぞ!」と怒鳴ったが、エルディとセザールに両腕を掴まれていて、通報を止めることができない。
「クッソ、離せこらあ!!ぶっ殺してやる!」
「殺せ!さあ、僕を殺してみろ!」
「お客さん、危ない!手を放すんだ!」
揉み合う三者の力の均衡を崩したのは、「Freeeze!!!」と飛び込んできた警察官の怒声だった。
不意に、エルディのチンピラの腕をつかむ手が緩み、その隙にチンピラの刃物を持つ手がエルディの胸を切り裂いた。返す刀でチンピラがエルディの腹を刺す。
一瞬の出来事だった。
エルディは痛みを感じるより、なぜだか「熱い」と感じて飛び退った。その腹にナイフが刺さったまま、チンピラはナイフから手を放し、勢い余ってエルディの上に覆いかぶさった。
セザールはその様子を、スローモーションを見るかのように見送った。
エルディの体から、深紅の液体が溢れ出た。
そのまま、エルディは意識を失った。
「何!?クソ、チンピラめ!」
飛び込んできた警察官・セシル・ポッフェリオは、犯人の脚に向けて発砲した。犯人が足の自由を奪われ動けなくなったところへ、警察官たちがカウンターを乗り越えて確保した。
被害者の青年を抱き起こしたセシルは、その顔を見て「あっ!」と思わず声を上げた。
被害者のエルディは、セシルが先日心中事件を担当したときに見知った顔だったのである。
翌日、新聞の一面にケーキ屋襲撃事件が躍った。テレビのニュースでもその凶行が取り上げられ、セザールの噂、犯人の情報、そして、被害者のエルディについても情報が拡散された。
まずはセザールの情報である。
セザールはチョコミントにこだわりを持つ頑固な菓子職人で、修行時代自由にチョコミント菓子を作らせてもらえない不満から、師匠を殴って店を飛び出し、独立開業してチョコミント専門店「ショコラ・ア・ラ・モン」を開業したという。しかし、チョコミントのケーキを美味しくないと不満を漏らした幼児や、「歯磨き粉みたいで嫌いだ」と何気なく口にした客に突然激昂し、しばしば暴力沙汰を起こしていたようだ。
警察から厳重注意されると、暴力ではなくミントクリームの皿を顔面に投げるという方法をとるようになった。今回の犯人は先日そのミントクリームでおろしたてのスーツを汚された腹いせに、凶行に及んだという。
次に犯人の素性である。犯人はマフィアの鉄砲玉として暗躍し、表向きはホストを生業にしていた。ホストとして同伴した女性客がこの「ショコラ・ア・ラ・モン」に立ち寄り、ケーキを買い求めた時に、チンピラは何気なく「それ美味いのか?」と口にしたという。するとそのセリフにセザールが激昂し、おろしたての高級ブランドのスーツをミントクリームだらけにした。この後仕事があったチンピラはスーツをだめにされたために出勤することができなくなり、営業成績が下がってしまったという。その腹いせに、セザールを殺害しようと考えたのであった。
最後にエルディだが、先日心中事件で世間を賑わせたばかりである。メディアは「死にたがり青年が再び命を投げ出した」と大盛り上がりであった。エルディは一命をとりとめたが、病室には報道関係者が詰めかけ、医療従事者は人払いに追われることになった。
事情聴取にやってきたセシルは、再びエルディを担当することに内心呆れていた。
「死にたかったのか?」
「死にたかったわけじゃないんですが、結果死にかけてしまいました」
「死にたかったんだな?」
「NOと言ったら嘘になりますね」
「はい、自殺願望から犯行に割って入った、と……。おまえ、馬鹿だろ?」
「馬鹿だって言われました」
「誰に?」
「死神さんに……」
「そりゃ死神もお前みたいなやつ馬鹿だと思うだろうな」
「はい……」
生死の淵をさまよったエルディは、またもカフィンに「そう簡単には殺さない。生きろ」と大目玉を食ったという。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます