第2話 ビルからの飛び降り

「はぁ……死にたいな」

 エルディはため息をつく。エルディの心は希死念慮でいっぱいだ。しかし、通常の希死念慮とは大きく異なる点がある。

 「死女神さんに会いたい……。これ、恋なのかな……。ああ、死んであの大きな胸に抱かれたい」

 とても前向きでポジティブな恋心であるという点だ。

 「よし、死のう!」

 先日の自殺未遂に懲りることなく、エルディは自殺の計画を立て始めた。

 書店で“How to SUICIDE”という本を購入し、本格的に自殺について考え始める。決してこの世から逃げ出したいという悲観的で悲壮感漂う感情ではない。例えるなら、そう、ガイドブックを読みながら旅行の計画を立てる感覚に酷似している。

 「へえー!高層ビルからの飛び降りは飛び降りてるうちに気絶して、楽に死ねるのか!いいかもしれない!これなら確実だね!」

 エルディは近くに屋上まで上がれるビルを探しに行った。

 手近なビルを一棟一棟探っていくと、とある古ぼけたオフィスビルに、屋上まで昇れる階段があるのを発見した。

 「うん、ここはそこそこ高いし、屋上もあるし、周りは人通りもなくて静か。ベストじゃないか!」

 屋上の見晴らしのよさに感激し、最高の瞬間を迎えるポイントを探す。すると、フェンスの外に見覚えのある黒いドレスの女がいた。近づいてみると、愛しの死女神ではないか。

 (嘘だろ?死女神さんが、なんでここに?僕を迎えに来たの?なんてミラクルだろう。そうか、死女神だから僕が死ぬ時を前もって知っているんだ。だから僕が死ぬポイントで待ってくれているんだ!)

 「死女神さ……!」

 エルディが声を掛けようと駆け寄った瞬間、死女神は雷のような剣幕で怒鳴った。

 「意固地になるな!お前の人生には続きがある!刈り取るわけにはいかん!!」

 すると、甲高い少女の声が反論する。

 「もういいんだもん!私なんていらない子だもん、死んじゃっていいんだもん!カフィンはなんで私を生かすの?私は何度も死にたいって言ってるじゃん!!」

 エルディは、死女神の隣でビルの縁に佇み死女神と口論する、少女の姿を見止めた。

 「何だ……先客がいたのか……。死女神さんは他の人も担当しているんだな。そりゃそうか。忙しそうだなあ」

 エルディは割り込めない空気に圧され、口論する二人を見守った。

 「お前の気持ちは関係ない。生きるべき寿命を全うしろと言っているのだ。ここから飛び降りてもお前は死ねないぞ。ボロボロに傷ついて、後悔しながら天寿を全うすることになるのだ。それでいいのかお前は?!」

 「嫌だよ!だからカフィンに頼んでるんじゃん、殺してって!私は今度こそ死ぬの!」

 少女は死にたいの一点張りだが、フェンスから手を放そうとせず、いつまでも死女神と喧嘩しているので、エルディはだんだんイライラしてきた。

 (結局あの女の子は死ねないのか。邪魔だなあ。僕より先に死女神さんと仲良くなろうなんて、図々しいんだよっ!)

 エルディは思い切って少女に声をかけた。

 「あのですねえ、僕より先に死なないでください!その死女神さんは僕の女神なんです。抜け駆けなんて狡いですよ?!」

 エルディは金網によじ登り、フェンスを乗り越えてビルの縁に立った。

 「エルディ!貴様まで来たのか?!」

 死女神は仰天した。エルディは今日死ぬ予定ではなかったため、ノーマークだった。頭の痛いお荷物が二人もそろってしまったことに、死女神はため息をついて天を仰いだ。

 「えっ、だれこの人……。カフィン、知り合いなの?」

 「お前のように中途半端に死にたがる奴は他にもいるということだ」

 エルディは少女に詰め寄ると、説教をし始めた。

 「死女神さんはあなたはまだ死ねないと言ってるんです。それなのに死のうとすると、今よりみじめになりますよ。痛いし、苦しいし、怪我はするし、いいことなんて一つもない。死女神さんが死ねないというならあなたは死ねないんです。もう決まっていることなんです。その若さで人生を棒に振るつもりなんですか?生きてください。僕より先に死のうとするなんて許さない」

 先日軽率に死のうとしたエルディが、真っ当な説教をする姿に、死女神は感心した。

 (おお、自殺が愚かな行為だと学習したようだな)

 一方、少女は突如現れ同じ目線で自殺を止めようとするエルディが貴公子のように見え、彼の説教に心を打たれていた。

 (あ、この人結構かっこいい。自殺未遂経験者かな。僕より先に死ぬななんて……関白宣言みたいなセリフをさらっと言うのね)

 エルディの演説はヒートアップする。

 「僕は先日自殺未遂をしました。その時あなたの隣の死女神さんに会って、命の尊さを学んだんです。死女神さんが死ねないと言ったら、本当に僕は生きながらえてしまった。目が覚めた時はあまりの気持ち悪さに、自殺しようとしたことを後悔した。一思いに死ねたらどんなにか楽だろうと思うほど、死にそうなぐらい苦しんだ。でも死ねなかったんです。中途半端に死のうとすると、生き延びたときにみじめになりますよ。僕の首には首吊り縄の跡がくっきり残ってしまった。もう首を露出して生活できません。こんなふうに、後遺症が残るんです。その若さで後遺症と闘うんですか?早まった真似はやめてください。あなたより先に死ぬのは僕だ。死の覚悟も定まっていないくせに、自殺なんかに手を出さないでください!」

 死女神は饒舌に語るエルディに感心していた。まさに彼女が言わんとしていることを全部語ってくれている。これは少女も胸を打たれ、生きようと考えなおしてくれるに違いない。

 死女神が少女を見やると、少女は瞳にハートを浮かべて、エルディの説得に聞き惚れているようだった。これで一安心か。死女神は胸をなでおろし、帰ろうとした。すると、

 「じゃあ、僕はお先に死にます。死女神さん、僕の死に様見守っていてください!」

 と、エルディがフェンスから手を離し、勢いよく飛ぼうとしゃがみこんだ。

 「ちょっと待ってください!!」

 「え?」

 エルディは今にも飛び降りようと足を踏み出そうとして呼び止められ、たたらを踏んだ。

 「なんでそこであなたが死のうとするんですか!言ってることとやってることめちゃくちゃじゃないですか?!」

 エルディはきょとんとする。間違ったことを言った覚えはなかった。なぜ引き止められるのかわからない。これに死女神も加わる。

 「お前は自殺の愚かさを思い知ったのではなかったのか?なぜそこでお前が死ぬことになるんだ!言っておくが、お前もこんなところでは死ねないぞ?!」

 死女神の説得にエルディはがっかりした。自分だけは思い切って殺してくれるかもしれないと考えていたのに、彼も殺さないと死女神は言う。こんな低いビルでは死ねないのか。エルディはしらけてしまった。

 「ええ~?僕も死ねないんですか、死女神さん。僕のために待っていてくれたんじゃないんですか?」

 「貴様は自殺未遂の予定にも組み込まれていない!私も貴様が来ることは知らなかった!」

 「ひどっ!じゃあ今から予定に組み込んでください!僕は今から無事に死にますって!」

 「却下だ!」

 エルディは死女神と会話できたことを喜んでいた。構ってもらえるとなんだか嬉しい。少女と死女神がいちゃいちゃ喧嘩するのは気分がよろしくなかったからだ。死女神の真紅の瞳を独占するのは自分だけでいい。他の人間が死女神の心を奪おうなど許せない。

 だが、少女は別の意味で嫉妬心を抱いていた。

 (カフィンとイチャイチャしないでよ……。何よ、カフィンなんかより私の方が可愛いでしょ?!)

 「二人ともやめて!カフィンが言うにはどうもここじゃ死ねないみたいだわ。じゃあ、私死ぬのやめる。あなたも死のうとしないでください。ところであなた、お名前は?」

 「え、エルディ、だけど……」

 「初めまして、エルディさん。私はデライラ。私に生きろと言った責任、取ってくださいね。私、あなたが死ぬまで生きるから」

 「せ、責任……?責任って?」

 デライラはエルディの胸に抱きついて、瞳を伏せた。

 「私と付き合ってください。私の彼氏になって。アドレス教えるから」

 「ええーーー?!」

 エルディは急に積極的になったデライラの行動に驚いた。初対面なのに、付き合えとはなんとも強引だ。

 「ちなみに拒否権はないから。私、カフィンとは友達だし、あなたの事をカフィンから教えてもらって、家にもついていくからね。私から逃げられると思わないでね」

 「は、はあーーー?!」

 エルディは驚愕した。これは逃げられる気がしない。エルディは天を仰いだ。

 (め、めんどくさい人につかまってしまった……。放っておけばよかった……)

 デライラはエルディを抱きしめる腕に力をこめ、彼の匂いを胸いっぱい吸い込んだ。

 (新しい依存先カレシ見つけた……。絶対放さない。私の王子様……)

 斯くして、エルディは齢十七歳の可愛い彼女が出来た。彼女はこの後、エルディと様々な形で大きく関わることになる。手始めにエルディに襲い掛かったのは、ひっきりなしにスマートフォンを震わせるメールの嵐と電話の着信履歴だった。

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