MySweetDying

ぐるぐるめー

第1話 首吊り

「モニカさん、ずっと前から好きでした。僕と付き合ってください!!」

 とある大学の食堂で、次の授業の予習をしていたモニカは、同じ大学の同期のエルディという青年に告白された。

 モニカは茫然とエルディを見つめる。しばらく固まって動けなかったモニカだが、ようやく頭が働いたときに口から出た言葉は、「あなた誰?」だった。

 「あ、僕のことよく知らなかったかな。同じクラスだよ。いつも後ろの席にいるから気付かなかったかもしれないね。でも、これから仲良くなろうよ。ね?」

 エルディは顔をしかめて疑いの目を向けるモニカの反応にたじろぎながら、何とか仲良くなる糸口はないかと食い下がった。

 「ごめんね。あたし忙しいの。それに、知らない人から付き合えって言われて、すぐに付き合うほど尻軽じゃないし。つかさ、告白するなら段階とか手順とかあるでしょ?まずははじめましての挨拶ぐらいしたら?で、あんた誰よ?ホントに同じクラス?」

 眉間にしわを寄せて正論で攻撃するモニカに、エルディはたじろぐ。おかしい。こんなはずでは。しかし、モニカの言うことももっともだ。

 「ごめんね。あいさつしたことはあったと思うけど、改めて自己紹介するよ。僕はエルディ。文学と哲学と心理学を中心に講義を取ってる。何度か一緒のクラスになったよね?」

 モニカは瞳を巡らせて思い返してみた。だが、まったく検索結果に引っかからない。空気のような存在だったに違いない。

 「ごめん。知らない。つかさ、心理学取ってるんだったらもっと実践に心理学使ったら?あなたの心理学、私の心に全然ヒットしないんだけど。ごめん、忙しいの。あたし次の授業出るからさ、ここで油売ってるわけじゃないんだ」

 完膚なきまでに叩きのめされて、エルディは引き下がった。まさか存在すら認識されていなかったとは思わなかった。傷心のエルディは食堂から飛び出し、午後の授業もサボって、自宅に帰ってしまった。

 「ひどいよ、モニカ。新学期に挨拶したじゃないか……。でも、確かに会話したことはなかったなあ。会話なんて恥ずかしくてできなかったよ。やっとの思いで告白したのに、あんな態度、あんまりだよ……」

 エルディの心境は地獄に叩き落とされて血の海で喘ぐ亡者に等しかった。ああ、いっそ本物の亡者になった方が幾分楽だろうか。

 エルディの脳裏に、首吊り縄のイメージがよぎった。

 「死にたいなあ……」

 「よし、死のう!」

 こうと決めたことは即やらないと気が済まない男・エルディは、思い付きの勢いにしたがって、自殺を試みた。道具箱からビニール紐を取り出し、スマートフォンで自殺用の縄の結び方を検索すると、試行錯誤の末、首吊り縄を作り上げた。首吊り縄作りはまるで工作のようで、絶望的な心理状態をほんの少しの間忘れてしまう。夢中になって紐を結びなおし、理想の首吊り縄を結ぶ時間は楽しいものだった。「完璧な首吊り縄が出来たら、きっと楽に死ねる。苦しい人生の何もかもとおさらばできる」自殺はエルディにとって希望の光だった。

 椅子を踏み台にして、カーテンレールに紐を結ぶと、エルディは輪の中に頭をくぐらせた。この椅子を蹴れば、苦しむ間もなく天国へGOだ。

 エルディは椅子を蹴った。

 首吊り紐が絞まり、エルディの気道を塞ぐ。

 だが、おかしい。苦しいが、一瞬では死ねない。

 (あれ?苦しい、死んじゃう!うわ、ダメだ、怖い!僕ホントに死んじゃうよ!!助けて!!誰か!!このままじゃ僕、ほんとに死んじゃう!!一瞬で死ねるんじゃないの?苦しい、助けて、苦しい!!死ねない、なかなか死ねないじゃないか!おかしいな、このままじゃ苦しいだけだよ!!助けて!!死んじゃう!!)

 エルディは苦しみ藻掻いた。一瞬で苦しまずブラックアウトしてあの世に行けると思っていたエルディは、予想外になかなか死ねない時間に焦りを感じた。死にそうなほど苦しいが、死ねない。脳味噌が沸騰しそうな苦しさ。そして、全身を駆け巡る死への恐怖。エルディはパニックに陥った。

 (た、助け……)

 (……)

 (……)

 エルディはやがてブラックアウトした。


 真っ暗闇に、美しい女神がいた。女神は威厳のある低い声で、エルディの名を呼んだ。

 「エルディ・スミス・フィルキィ。お前はまだ死ぬべきではない。お前の命はまだ育てる必要がある。お前の人生には、まだ続きがある。生きろ。その首吊り縄を、私が切ってやろう」

 女神は身の丈ほどもある大きな鎌で、エルディの頭の上をひと薙ぎした。

 そしてエルディを襲ったのが落下する感覚。重力が地獄の底までエルディを引っ張っていく。落ちる。落ちる。永遠に続くかに思えるほど、どこまでも落ちていく。

 「生きろ、エルディ!」

 「うわああああああああ」


 次の瞬間、エルディは真っ暗に陽が落ちた自室で目を覚ました。いつの間にか床に倒れている。なぜだか苦しくてたまらない。エルディはぐらぐら目の回る頭をおして、ハサミを手に取り、首にかかった紐を切った。

 「今の、なんだったんだ……?女神……。死神?」

 気持ち悪くて息苦しくて、目が回って頭がひどく痛い。エルディは嘔吐した。

 一度吐くと気持ちの悪さが少し軽くなり、エルディはベッドまで這って行って横たわった。

 「美しい人だった。真っ黒い長い髪。赤い瞳。白骨化した顔の半分。大きな鎌。黒いドレス……。美しい人だった……」

 いつの間にかエルディは眠りに落ち、翌朝を迎えた。


 それからというもの、エルディの頭の中はあの女神の事でいっぱいになった。この命を育てる必要があるといった、あの女神。生きろといった、あの女神。

 と、いうことは、だ。エルディはまだ死ぬことが出来ないのだろう。死ねないとわかっているなら、また死のうとしたらあの女神に会えるのではないだろうか。死ぬことなく、ぎりぎり死の淵で、またあの優しい微笑みを浮かべて、慰めてくれるかもしれない。

 「……よし、もう一回死のう!」

 エルディは自宅に帰ると再び首吊り縄を準備した。またカーテンレールに括り付け、輪の中に首を通す。椅子を蹴る。さあ、出でよ死女神!

 すると、ブラックアウトしたエルディの視界に、再びあの女神が現れた。しかし、鬼のような形相で、エルディをにらみつけていた。

 「なぜ死のうとする?!お前はまだ死ねない!生きろと言ったはずだ!」

 「やったー!!死女神さん、会いたかった!また会えた!あなたに会いたかったんです!会いに来ました!」

 死女神は嫌悪感をあらわに恫喝した。

 「ふざけるな!私は暇ではない!そんな理由で死のうとするな!命を何だと思っている?!」

 「そんな怒らないでください。苦しい思いをして会いに来たんじゃないですか。あなたにもう一度会いたかったんです、我が女神。ああ、やっぱり美しい。一瞬だけだったから、よく見えなかったんですよね」

 死女神はエルディの勝手な言い分に完全に堪忍袋の緒が切れた。

 「貴様に安らかな死は与えぬ!!苦しみぬいて生きろ!!」

 死女神はエルディの首吊り縄を自慢の大鎌で断ち切った。

 「あ、待って、もう少しお話ししましょうよー!!」


 エルディは再び陽の落ちた自室で目を覚ました。が、今度は首吊り縄が完全に食い込んでいて、首が痛い。首が擦り切れ、血がにじんでいるようだ。頭が沸騰する。息が詰まる。苦しい。しかし、死女神は命を断ち切ろうとしない。

 『苦しみぬいて生きろ』

 女神の声が脳裏にこだまする。エルディはやっとのことでハサミに手をかけ、首の紐を切った。

 「……怒らせちゃった……」

 首吊りの苦しさ、恐ろしさを二度も味わったエルディは、もっと楽に確実に死ぬ方法について考え始めた。

 「あんなに綺麗な女神様に看取られて死ねるんなら、なんとしても死んでやる。よーし。次は失敗しないぞ!」

 斯くして、エルディの恋と希死念慮は走り出した。

 死女神に愛されるために、一刻も早く死にたい。

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