第3話 入水
エルディは大学の講義が終わった後、親友のヴァイスに声を掛けられた。ヴァイスは真っ黒の肌にソフトモヒカンの金髪を輝かせた好青年だ。頬の笑窪をぐっと凹ませて笑いながら、朗らかにエルディの肩を抱きかかえてくる。
「今日はBLUE SKYに飲みに行こうぜ。この前告白した結果、聞かせてくれよ」
「ああ、あの話か……はは、いいよ。行こう」
『カフェバー BLUE SKY』。大学の近くで若者に支持されているお洒落なカフェバーだ。不定期にミュージシャンがバーをジャックして音楽イベントを開催する。今夜は十八時からヒップホップのミュージシャンがクラブイベントを開催するらしい。二人は十七時三十分を回ったころ、店内の隅の方の席に陣取った。
手始めにキューバリブレとコークハイを注文し、乾杯して語り始めた。
「なあ、それで、告白の結果はどうだったんだよ?OK?OKだったろ?」
親友の幸せを疑いもしないヴァイスに、エルディは口ごもる。言いにくいなあ。
「実は、ダメだったんだ」
「うっそ?!なんで?エルディほど優しくていい奴、振るなんて信じられねえ!」
「僕のことよく知らないのに、知らない人とは付き合えないって言われちゃった……。僕の存在は記憶になかったって。僕、影薄いかな……?」
ヴァイスは少し考えてみた。ひょっとしてエルディはモニカと話したことがなかったのではないか。それなら仕方ない。だが、これから仲良くなれば脈は動き始めるかもしれない。
「そうか……。まだ仲良くないのに告白したからびっくりされたんだな。でもそれって、これから仲良くなるように、いっぱい視界に入ってお前をアピールすれば解決できるんじゃねえ?仲良くなった後告白すればよかったんだよ」
エルディは前向きに励まそうとするヴァイスに気まずさを覚えた。実は、もう新しい恋に夢中なので、モニカなどどうでもいいのだ。
「モニカのことはあきらめたんだ。いや、ショックだったから、ちょっと……自殺の真似をしたけど……」
自殺という言葉に、ヴァイスはショックを受けたようだった。目を見開き、今にも雷を落としそうだったので、エルディは慌てて弁解する。
「あ、でもね、自殺は失敗したんだ。なぜかって言うと、突然黒いドレスの美人の女性が現れて、僕の命を助けてくれたんだよ。すっごい美人で、『お前の人生には続きがある。生きろ』って言ってくれたんだ。だから、僕、まだ生きるよ?」
雷を落とすために大きく吸い込んだ息を、はあーっと吐き出して、ヴァイスは頭を抱えた。
「お前ってやつは……。馬鹿だなあ。その女性には感謝だな」
「心配かけてごめんね。だから、僕ね、その女性に一目惚れしちゃって……。だから、もうモニカのことはいいんだ」
「その女性にはその後も会ったのか?」
「うん。そのあと二回ほど会ったよ。僕が落ち込んでいると、不思議と僕の前に現れてくれる、運命の人なんだ」
それを聞いてヴァイスの顔がぱあっと輝いた。
「そうか!じゃあ、モニカに失恋したことは正解だったかもな!そのおかげで運命の女性に出会ったんだ。よし、今度はモニカと同じ失敗は重ねるなよ。今度は何度も何度もアプローチして、出来るだけ印象付けるんだ。何度も会っていれば、そのうちこっちのことが気になるはず。応援してるぜ親友!」
エルディもぱあっと顔を輝かせた。やはりヴァイスはいつでも味方になってくれる唯一無二の親友だ。そういう事ならばぜひ何度でも自殺未遂をして、彼女にアプローチしなければ。
「ありがとうヴァイス!ぜひそうするよ!よし、今夜は飲もう!!」
ちょうどその頃店内がわあっと歓声に包まれた。DJのご登場だ。ヴァイスはグラスの中身を一気飲みすると、エルディの手を引いた。
「始まったか!相棒、踊ろうぜ!」
踊り疲れて酔いつぶれて、フラフラと帰宅したエルディ。今ならぐっすり眠れそうだ。
「こんな最高の気分で死ねたら楽に死ねるかなあ。そうだ!バスルームに水を張って入水自殺をしよう!眠ってる間に死ねるぞ!そしたら今度こそカフィンさんのところに行ける!」
エルディはバスタブに着衣のまま入り、水を全開にした。泥酔して火照った体に冷たい水が気持ちいい。
「おやすみ……カフィンさん……」
ヴァイスは楽しい気持ちを抱えながらエルディの幸せについて考えていた。落ち込んでいると必ず現れる女性か……。そんな女性に何度もアプローチするにはどうすればいいだろう。と、そこまで考えたとき、ヴァイスは胸騒ぎを覚えた。まさか、エルディはまた会うために自殺未遂を繰り返す、などという馬鹿な真似はしないよな……?
ヴァイスの読みは大当たりなのだが、まさか彼も想い人が本物の死神だ、などというファンタジックな真実だとは、考えもしない。せいぜい運命的な近所のお姉さんか何かだろうという推察だが、エルディならやりかねない。
ヴァイスはエルディの携帯電話に電話を掛けた。
「……出ないな……。寝たか?いや、もしかしたら……」
ヴァイスは電話を切り、エルディのいるアパートへ駆け出した。
ヴァイスがエルディの部屋までやってくると、部屋の鍵は閉まっていた。ヴァイスは管理人の部屋に声をかけ、エルディの部屋の鍵を開けさせると、ドアを勢いよく開けて中に入った。
すると、浴室の前に靴が脱ぎ捨てられ、水の流れる音がする。しかし、浴室の電気はついていない。まさか。
「エルディ!」
ヴァイスは浴室の電気をつけた。すると、着衣のまま水風呂に入って眠るエルディがいた。
「エルディ!エルディ、しっかりしろ!」
するとエルディはゆっくり目を開けた。
「あれ?ヴァイス?え?今何時?」
「何やってるんだエルディ!死ぬ気か!!」
大家もエルディを叱りつける。
「フィルキィさん、うちのアパートで自殺なんかやめてください!!死ぬ気なら出てってもらいますよ!!」
エルディは眠りから覚めきれず、なおも眠ろうとした。それを勘違いしたヴァイスに頬を思いっきり殴られる。
「エルディ……!お前は本当に馬鹿野郎だ。今度死のうとしたら許さねえ!!目を開けろ!」
エルディはようやく自殺に失敗したのだと悟り、浴槽から出て、服を脱ぎ、洗濯機に濡れた服を押し込んで、パジャマを着た。
「ごめん、ヴァイス……もう、やらないから……。今日は、安心してよ」
ヴァイスは泣きながらエルディを強く抱きしめると、彼に念を押して帰っていった。大家も彼のあとに続いて帰っていく。
「はあ、今回も死ねなかったか。ヴァイスにちょっと話しすぎたなあ。今度はうまくやろう。そういえば僕、溺れてたのかな?」
実は服を着たまま水風呂に入って眠っていただけで、溺れてもいなければ凍死も遠く及ばない健康的な睡眠だった。そのため、カフィンは今回も彼が死のうとしたことすら気付かなかったという。
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