第七十九話-変わらぬ日々
斜陽の光が西の空に完全に消える頃。
ガス灯の灯りが街に灯される中、特夷隊の詰め所でも外に設置した蒸気機関式の発電機によって生み出される電気の灯りが執務室を含めた各所に灯される。
祭事部の武装部隊だという連中が押し入り、ようやく救う事が出来た仲間である春樹を失ってから数日。
たとえ哀しみの縁にあろうと特夷隊の日常は変わらなかった。
「本当に行くの?
特夷隊の狩衣をモチーフにした和袖と詰め襟が特徴的な隊服を身に着ける大翔の後ろで、桔梗は少しだけ不安げに問いかけた。
「九頭竜隊長は休んでいいって言ってたよ?」
詰め所の二階にある仮眠室のベッドに座り、桔梗は大翔の着替える様子を見守っていた。
「大丈夫。それに、何かしていないと落ち着かなくて…」
気遣ってくれている桔梗を肩越しに振り返り、大翔は少しやつれた目尻を緩ませた。
現在、大翔は桔梗、竜胆と共に特夷隊詰め所のこの場所に寝泊まりをしている。
春樹の居場所が救出して間もなく突き止められた事で、大翔達の家は危険だと判断した真澄の裁量により、現在大翔は特夷隊の詰め所に、姉である晴美は真澄の自宅に住まう事になった。いずれは大統領府の職員用宿舎が宛がわれる予定だが、その準備ができる数日の間だけ詰め所で生活する事で落ち着いた。
昨日までは兄の死を目の当たりにし茫然自失としていた大翔だったが、このままでがはいけないと自らを奮い立たせ、今夜から巡回に出ることを真澄に申し出ていた。
「それに、巡回をしていればもしかしたら何か掴めるかもしれないでしょ。真澄さんや隼人さん達はずっと陸軍の動向を追っていたし。怪夷と対峙していれば向こうも何かしら行動を起こすかもしれないしさ」
「そうかもだけど…」
いつもと変わらない気丈さをみせる大翔に桔梗は困ったように眦を下げた。
「それに、僕には君と竜胆さんがついてるから、大丈夫だよ」
朗らかに笑う大翔に押され、桔梗はそれ以上いう事は出来ず、「そうだね」と静かに頷いた。
「よし、準備出来た。行こうか」
制帽を目深に被り大翔はベッドに座る桔梗を促して仮眠室の扉へと向かう。
それに応じる形で桔梗もベッドから降りると、大翔と共に仮眠室を出た。
グリーフィングを終え、予定時刻に大翔達は巡回へと出発した。今日のメンバーは大翔、桔梗、竜胆、桜哉、鈴蘭の五人。通信役は朝月と鬼灯が担っていた。
真澄は雪之丞と南天と共に御茶ノ水にある東雲総合病院へ行くと言って出かけていき、隼人達残りは各々休息を取ったりしている。
先日の春樹の一件から立ち直れたように見えるが、その胸の内は様々だった。
「無理しなくてよかったのに…」
巡回に出て直ぐ、顔を覗き込んで桜哉は心配そうに大翔に声を掛けた。
自分は室内で待機していた為、直接現場を見ていないが、1人の人間が木っ端みじんに弾け飛ぶ様を目の当たりにした大翔はきっと心穏やかではないだろう。ましてやそれが身内なら猶更。そんな事を思いながら桜哉は彼女なりに大翔を気にかけていた。
「大丈夫。確かに立ち直れたかって言われると微妙だけど…じっとしているより、こうやって巡回に出ている方が気持ちが紛れるから。それに、いつ怪夷は発生するか分からないし、清白君の改良型八卦盤のお陰で以前よりは探知しやすくなったとはいえ、現場近くにいた方が対応も早いだろうし…今は、いつも通りに過ごせるのが一番いいんだ」
顔を曇らせる桜哉に大翔は気丈に振舞うと、笑みを浮かべてそう告げた。
「辛くなったら言ってね」
「ありがとう」
同い年であり同期でもある桜哉の気遣いに大翔は心から感謝した。
「それで、今日はどの方面に向かえばいいですか?」
八卦盤を通して大翔は通信班である朝月と鬼灯に呼びかける。少しのノイズが走った後、鬼灯の声が聞こえて来た。
『手元の方位盤では新宿方面に反応が出ていますね。甲州街道をそのまま進んでもらって、御苑の方へ進んでください』
手元の八卦盤が示す方位と東京市の地図を照らし合わせ大翔達は針が触れる方向へ進んでいく。
「新宿か、この時間なら流石に人の行き来も少ないかな…」
「あら、新宿は帝都座やムーランルージュもあって、夜遅くまで賑わっているわよ。それに、花街の名残もあるし」
時計を見ながら桜哉が呟くと、横から鈴蘭が話を差し込んできた。
「う、そうか、花街…」
鈴蘭の話に桜哉は少しだけ頬を赤くして困惑した。
新宿は甲州街道の内藤新宿場という宿場として栄え、江戸が東京に名前を変えてからは、山手線の駅が置かれた後、東京の西と東を繋ぐ甲武鉄道が敷かれた事で、繁華街へと発展していった場所だ。
五年前の震災でも、武蔵野台地という頑丈な地盤のお陰で被害は少なく、当時まだ郊外であった地に下町から多くの人が移り住んだのは記憶に新しい。
また、江戸時代から岡場が遊郭に変わった歴史や、デパートや紀伊國屋書店など大型の商店も多いことから、昼夜問わず人の往来が激しい場所として有名だった。
そんな場所に怪夷の反応とは、と大翔は内心眉を顰めた。
「民間人に知られないといいですけど…」
「逢坂の時代なら、夜間外出は禁じられていたから、もっと討伐も簡単だっただろうね」
懸念を示す大翔の呟きを聞き取った桔梗はその顔を真横から覗き込んで首を傾げた。
「でも、その時代の怪夷の方がもっと強かったと言います。光や人の気配がある分、怪夷も少しは弱体化している可能性もありますよ」
「そうかしら?怪夷は人の怨念の塊、案外繁華街や花街では強かったりするかもしれませんわ」
「そう言えば、夏に吉原に出た怪夷も結構強かったっていうし。人の思いが強い場所は怪夷にとっても重要な場所かもしれないね」
「あれは、結局は陸軍の怪夷化歩兵のなりこそないでしたが…確かに、強い思い、負の感情が渦巻く場所は怪夷を強くするのかも」
半年前の出来事を思い出す桜哉の見解に大翔もまた自身の意見を上げた。
「なんにせよ。用心するに越した事ないわ。大翔ちゃんはこの間の事があって本調子じゃないでしょう?」
大翔の肩を優しくなで、慈しむように鈴蘭は眉を垂らす。
「大丈夫だよ鈴蘭、僕と竜胆がいるんだから問題ないよ。いざとなれば僕等だけでも怪夷の一匹や二匹蹴散らせるもんね」
ない胸を張る桔梗に大翔と桜哉は微笑み、鈴蘭と竜胆はやれやれと肩を竦めた。
「普段司令塔している方が良く言いますわ」
ぼそっと、小言を唇に乗せた鈴蘭に桔梗は「うっ」と呻き声を漏らした。
ぎこちない動作で後ろを歩く竜胆を振り返り桔梗は目を泳がせた。
「やだなあ。僕だってちゃんと戦えるよ」
「あら、それならしっかり指揮と指示もしてくださいね、隊長」
頬に手を添え、微笑みながら鈴蘭は桔梗に発破をかけた。その表情が笑っているのに、大翔も桜哉も鈴蘭が桔梗をからかっているのだと理解した。
「まっかせてよ!これでも僕は強化歩兵討伐部隊の隊長だからね」
大翔と桜哉に見せる様に桔梗は胸を張った。
自分達と年齢の変わらない見た目ながら、桔梗は鈴蘭や竜胆、南天やあの曲者の鬼灯ですら従える隊の長だという。
彼等の紹介を改めて受けた時は大翔も桜哉も竜胆の方が隊長だと思っていた。だが、よくよく話を聞いてみると、桔梗の方が階級は高いのだという。
小柄な少女の容姿からは想像もつかないが、周りがそれなりに立てている所をみると、実力もそれなりにあるのだろう。
鈴蘭にからかわれているのを分かっていながら胸を張る桔梗を大翔は静かに見つめた。
竜胆を含めて彼女達と契約をしてから、まだ怪夷との戦闘には遭遇していない。竜胆に関しては彼が召喚された時に少しその戦闘スタイルを見たが、桔梗にしては使用する武器すら未知数だった。
(かつて、雪那様が携えていた聖剣。神刀・
桔梗と竜胆の兄妹を眺めて大翔は内心小首を傾げた。
夜の街道を進みながらそんな会話を繰り広げていると、胸ポケットに忍ばせていた八卦盤が警告音と共に細かく震え出した。
それとほぼ同時に桔梗、竜胆、鈴蘭の視線がそれまで雑談をしていたのとは打って変わって険しくなる。
「大翔さん」
「うん、恐らくこの近くだ」
「街からあまり離れていませんわね…戦闘には用心した方がよろしいわ」
ざわりと真冬にしては嫌に生暖かい風が、大翔達の頬を撫でる。
指針が示す方角へ爪先を向け、五人は街から少し離れた暗がりへ視線を向けた。
急成長した街には大小様々な明暗が色濃くでる。
華やかな街も少し外れれば街灯もなく本来の闇が広がっている。
その闇の先で、黒い塊が蠢いたのは彼等が警戒をはじめて直ぐだった。
暗闇の中から鋭く空を切って影が飛び出してくる。足元に迫ったそれを桜哉と鈴蘭は互いに左右に跳んで避けた。
「今のは…」
「気を付けて」
竜胆の警告が響くと同時に暗がりから更に数本の影が飛び出して来る。
真っ直ぐに自分達に向かって伸びるソレを、鈴蘭と桜哉は携えた大剣と軍刀を引き抜き、足元に迫る手前で切り落とした。
びちゃりと、粘着いた黒い液体が地面に広がり、切り落とされた黒い塊がバタバタと地面を這いずり回る。
「これは…触手?」
「鈴蘭、桜哉さんと一緒に前衛を頼む。竜胆は僕と一緒に大翔の護衛を。大翔、結界の展開と援護を」
地面で未だ蠢く黒い塊を見据えている鈴蘭を含めた四人の耳に、桔梗の涼やかな指示が届く。
「了解」
桔梗の指揮に慣れているのか竜胆と鈴蘭は頷き、指示通りの配置に付いた。
「行くわよ桜哉ちゃん」
「は、はい」
優しく肩を叩いた鈴蘭の促しに桜哉は制服の懐から一本の小瓶を取り出すと、コルク栓を抜いた。
「いきますよ、鈴蘭さん」
「ええ」
桜哉同様に小瓶を取り出していた鈴蘭は隣に並ぶ契約者とタイミングを合わせ、小瓶の中に満たされた液体を飲み干した。
直後、2人の身体を熱となった力が駆け抜けていく。鈴蘭と桜哉。それぞれが手にした得物は白銀に耀き、鈴蘭の瞳も同様の輝きを宿した。
互いに横目で視線を交わし、桜哉と鈴蘭は左右に別れて暗闇の中へと駆けていく。
その二人を後押しするように、後方で展開された大翔の結界が包み込む。
結界が張られた事により、それまで暗闇に包まれていた視界が、ぼんやりと淡く光り出し、闇の中で蠢いていた影を暴き出した。
「なんだあれ…」
「うわ、これっていわゆるイソギンチャクってやつ?」
結界を張る事に集中している大翔を護るように陣取った竜胆と桔梗は、暗闇の中から現れた怪夷の姿に各々顔を顰めた。
桜哉と鈴蘭が目標に近づくために駆け抜ける中、円柱の如き体躯に無数に蠢く触手が二人の接近を阻むように蠢く。
眼前に迫る触手を桜哉と鈴蘭は、それぞれの刃で切り裂いては地面へ落とし、切れないモノは軌道を変えて躱していく。
二人を捕らえ損ねた触手は地面を抉って地面に減り込んでいく。だが、直ぐに体制を立て直すと、今度は背後から二人に向かって迫った。
「竜胆、援護して」
「だが、ここを離れる訳には…」
「もう、何言ってんの?君の所属、忘れたの?」
困惑に眉を顰める竜胆に桔梗は呆れた様子で溜息を吐くと、何処からともなく布に包まれた長物を差し出した。
「…そうだった」
差し出された長物をのんびりと受け取り、竜胆は何処か涼やかに微笑んだ。
(あれは…)
結界を張りながら大翔は桔梗と竜胆の何処か危機感の薄い会話に困惑した。
二人が南天や鬼灯同様怪夷との戦闘に慣れているのは知識として知っている。だが、仮にも戦場にあるというのに、このんびりとしたやり取りに理解が追い付かない。
(雪之丞様は頼りになるって言ってたけど…)
先程の桔梗の手早い指示には驚きながらも流石だと感心したが、この兄弟の何処かズレた遣り取りに大翔は内心不安を感じた。
だが、桔梗が竜胆に手渡した布がばさりと払われた途端、その不安は直ぐに払拭された。
布の下から現れた筒状の得物を、竜胆は静かに構えた。
「鈴蘭さん後ろっ」
目標の怪夷まであと数メートルという地点で、桜哉と鈴蘭は足止めを食らった。
目標に近づくにつれ、標的から放たれる触手も数を増し、躱すのがやっとの状態へと追い込まれていた。
鈴蘭の背後に迫った触手を、寸での所で桜哉は切り落とす。
だが、新たな触手が桜哉の足に絡みつき、一瞬のうちに彼女の身体を軽々と宙へ引き上げた。
「桜哉ちゃん!」
頭上高く逆さまの状態で吊り上げられた桜哉は絡みついた触手を切り落とそうと軍刀を振り回す。
だが、右往左往と自身の身体を振り回す触手に翻弄され、狙いが定まらない。
(気持ち悪い…)
今まで体験した事のない揺れに三半規管を刺激され、眩暈が桜哉を襲う。
くらくらとする視界の中、軍刀を握る手に力が入らなくなりそうになった刹那、空気を震わせる乾いた音が、夜の闇の中に響いた。
パアンと、視界の隅で触手が弾け飛び、黒い粘液と肉片を散らす。
解放され、宙に放り出された桜哉の身体は重力に抗う事無く地面目掛けて落下していく。
地面に激突する寸前、桜哉の身体は後方から飛んできた無数の紙の束によって受け止められた。
桜哉が着地した地面に目掛けて迫る触手を、数発の弾丸が穿ち、蹴散らしていく。
桜哉の行方を敵を退けながら追っていた鈴蘭はそこで安堵した。自身の周りも援護する主の本領発揮に内心で感謝する。
「鈴蘭、桜哉さんは任せてそのまま標的に集中して」
「分かりましたわ」
再び跳んだ自身の上司からの指示を受け、鈴蘭は迷いを払うように大剣を大きく横に振り払った。
桜哉を受け止めた紙の束はそのまま後方から結界を張る大翔達の傍へと運ばれた。
「桜哉さん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
「前線って指示したけど、ちょっと作戦変更。あの怪夷、多分ランクAクラスだ。きっと、君の力じゃ厳しいと思う」
地面に座り込む桜哉の顔を覗き込み桔梗は穏やかながら辛辣な事を告げた。
「それは…どういう…」
「大翔と一緒に後方支援をお願い。竜胆」
「了解。まったく、私に銃を抜かせておいて。もう前線投入かな?隊長」
鈴蘭を援護するように小銃(ライフル)を構えて引き金を引いていた竜胆は、やれやれと肩を竦めた。だが、決して呆れた様子ではなく、桔梗からの新たなオーダーに慣れている様子だった。
「大翔、例のあれ持ってる?」
結界を張る事に集中していた大翔は、桔梗からの呼び掛けに一瞬戸惑ったが、桔梗が取り出した小瓶を見て瞬時に懐を漁った。
「巡回で使うのは初めてだね」
ニコリと微笑む桔梗に大翔は掌の上にある小瓶を桔梗、竜胆を交互に見遣る。
「それじゃ竜胆、久し振りの前線へと参りますか」
「オーケー」
互いに視線を交わし合った兄弟は、どちらからともなく手を取る。すると、淡い光が二人を包み込んだ。
光に包まれた中、桔梗の姿が光の粒となって弾け、竜胆の中へ吸い込まれていく。
「大翔さん、いきますよ」
唐突な竜胆の呼び掛けに大翔は自然と小瓶のコルク栓を抜いた。
竜胆とほぼ同じタイミングで大翔は初めて口にする小瓶の中身を口腔に流しだ。
僅かな鉄の味が広がったかと感じた刹那、喉から全身を焦がすような熱に大翔はくらりと身体をよろめかせた。だが、それも直ぐに収まり、今度は全身を感じた事のない力が駆け巡っていくのを覚えて目を見開いた。
(これが…聖剣と契約した事による力…?)
お伽噺のように聞いていた怪夷を滅する事に尽力した英雄達が用いた力の一端に触れ、大翔は身を震わせた。
己の中の霊力が増幅されていく感覚はまるで五感が広範囲に広がったような鮮明さを持っていた。
自然と強化された結界の中で、鈴蘭を取り囲んでいた触手が一瞬にして塵となって消えていく。
自身の力の変化に驚愕する大翔の傍で、桔梗と融合し、同じく力を開放した竜胆は、手を覆うようなグローブを嵌めて指を鳴らした。
「桜哉さん、ここは任せます。大翔さんも援護を」
大翔と桜哉、二人を後方に残し、竜胆は一気に地面を蹴って駈け出し、鈴蘭の傍へと追いついた。
***********************
朔月:さて、次回の『凍京怪夷事変』は…
暁月:旧ランクAの怪夷との戦闘に苦戦を強いられる大翔達。一方、特夷隊詰め所では鬼灯が不穏な事を言い始めて…
朔月:第八十話「憶測と疑念と」次回もよろしく頼むよ
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