第八章

第七十八話―昔語り





 十一月下旬に近づき、日を追うごとに昼は短くなり、夜の闇が長くなる。

 あとひと月もすれば冬至。その頃には夜の闇は最も濃さを増す。


 古来より冬は神々の時間であり総じて人ならざるモノ達に力を与える。

 特夷隊が相手にする怪夷も例外ではなく、晩秋から冬にかけての時期は怪夷の力は最も強くなるとされていた。


 それは、60年前。この日ノ本、及び世界に怪夷が蔓延るようになってからずっと変わらない認識であった。






 大統領府へ続く街道に植えられた銀杏並木が色づき、黄色い葉がひらひらと道路に落ちる頃。

 季節は十一月の終わり。寒さも一掃増し、各地で年末に向けた行事が行われるようになっている。


 真澄が住む地区でも商売繁盛を願った酉の市が行われ、人々は日の短さから来る闇を遠ざけるように華やかな祭りに興じていた。



 特夷隊の詰め所内。

 薄暗い資料室で雪之丞は過去の怪夷に関わる資料を広げていた。


 三好経由で聞いた春樹が突き止めた情報。怪夷の制御に関わると思われる鍵という存在。

 それが本来の意味である鍵を示すのか、もしくはそれは呼称であり、本来は物、又は人を指した言葉なのかは解明に至っていなかった。


(これが何か分かれば…もう少し連中の動向も読めるのに…)


 溜息を吐き、雪之丞は資料室に置かれた長椅子に深々と身を沈めた。


「ここにいたのか」


 扉が開く音と共に声がかかり、雪之丞は差し込んで来た光の方へ視線を向けた。


「真澄、お疲れ」


「お疲れさん。明かりくらい付けろよ」


 入ってきた真澄の呆れ顔を眺めて雪之丞は間延びした声を零すと、長椅子に座り直した。


「何か分かったか?」


「いや全然。そもそも、ここにある怪夷に関する資料なんて真澄達が参加していた欧羅巴戦線からの物しかなくて、怪夷が跋扈していた時代の資料はほんと少ないんだよね」


 手にしていた一番古いと思われる資料のファイルを真澄に押し付け、雪之丞は肩を竦めた。


「やっぱり、これは帝都にでも出向いた方がいいかな…あそこならもっと詳しい資料があるし」


「けど、それを閲覧するにも許可がいるだろ?確か、怪夷関係の資料は最重要書物で帝の許可がないと閲覧できない物も多い筈じゃ…」


「許可取りに半月とかざらだしねえ。そんな待てるかっての」


 大きな溜息をついて項垂れた雪之丞を見下ろし、真澄は渡された資料を何気なく開く。

 それは、かつて自分が参戦した欧羅巴戦線の時の報告書だ。怪夷との攻防の記録や当時の状況などが記されている。


 怪夷を封じた時の様子も少しは乗っていたが、詳しい部分までは書かれていない。

 真澄自身、怪夷を封印する現場は正直見た事がない。


 あの当時はまだ聖剣使いであった英雄たる両親達が現役で、自ら戦場に出ていた。

 封印に関しても彼女達の力を持って行われている為、別動隊で動いていた真澄はその時魔術炉があったベルリンの地にはいなかった。


 それは雪之丞も同様で、補佐はしていたが封印を行う時には立ち会っていない。


「…いっその事、怪夷が最初に江戸に溢れた時の状況を振り返ってみるのはどうだ?」


 ぽつりと、真澄は思いがけずそんな事を呟いた。封印に関してはこれまで幾度となく調べてみたが、本来の始りの部分に関しては全く触れていなかった。


「…真澄、どうしたの?やけに冴えてるね…」


「やけには余計だ。そういえば、俺達は江戸城から怪夷が溢れた60年前、世界が大混乱に陥ったって史実は知っているが、実際に何が行われてそうなったのかは、知らないだろ?お袋達からも聞いた事がない…」


「確かに、教科書でも幕府の陰謀やら暴動が原因って書かれてるけど、具体的に何があったのか、言われてみれば知らないね。その辺りを思い切って調べてみようか」


「ここは、大統領の力を借りてみるか。普段無理難題に答えてんだ、これくらい応じて貰わないとな」


「いいね、行こう」


 ニヤリと、悪童のような笑みを浮かべ、真澄は早速とばかりに雪之丞と共に柏木の執務室へ向かうべく、資料室を出た。





「却下だ。というか、無理だ」


 国会から戻り、執務を行っていた柏木に報告があるという名目で執務室での面会に応じて貰った真澄と雪之丞は、さっそくとばかりに自分達の要求を伝えた。

 だが、その要求はあっさりと拒否された。


「国家権力を握る私とて、国の存亡、ましてやかつて国を滅ぼしかけた旧時代の異形に関する資料など、閲覧できるわけがない。権力を握っているとはいえ、あくまで私は期限付きの身分。帝が管理する禁書に相当する一級資料など手に入れられない」


 椅子に踏ん反り替えって座り、腕を組んで告げる柏木に真澄と雪之丞は落胆した。


「怪夷が最初に生み出された時の状況が分かればいいんだよ…何が必要だったのか、どんな風に儀式を行ったのかとかさ…ねえ静郎、時間かかってもいいから何かしら取り寄せられない?」


 胸の前で手を合わせて懇願する雪之丞に柏木は肩を竦めた。


 およそ半年近くかけて陸軍や祭事部、オルデンと呼ばれる連中の事を調べてきた中、ようやく5年前の旧江戸城で行われていた事が判明した。だが、何が行われたのかが判明しただけでは、これから先に起こるであろう厄災は防げない。必要なのはどうやってそれが行われたのか、その状況を突き止める事だ。


 どうにか出来ないか思考を巡らせた柏木の脳裏に、ふとある人物達の顔が浮かぶ。

 資料よりも詳しいまさにその眼で当時を見て来た人物を柏木はよく知っていた。それよりももっとよく知っている人物が目の前にいる。


「…いるじゃないか、最も詳しい人が」


 次はどうするべきか頭を抱えていた真澄と雪之丞は柏木の唐突な一言に顔を上げた。


「資料を閲覧できないなら、一番深く関わっていた人物に直接話を聞けばいいじゃないか」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべながらの柏木の提案に、真澄と雪之丞は顔を見合わせる。


「一番深く関わっていた人物……」


 柏木の言葉を繰り返し呟き、二人は脳裏にある人物を思い浮かべる。と、揃って顔を青ざめさせた。


「げ……」


 真澄と雪之丞が思い浮かべた人物。かつて怪夷を封印し、その誕生に深く関わっている人物。それは英雄と呼ばれた両親達。特に母親達だ。


「ちょっと待て柏木、確かにお袋に直に話を聞けばそりゃ簡単だが、あの人は今松江にいる。雪の方にしたって神戸だ。直接話を聞くには俺達が向こうへ赴くか、あっちに東京へ来てもらう必要がある…老体にかなりの長旅を強いる事になる。流石に現実的じゃないだろ」


「それに、今回の件防げてない時点で絶対小言言われるよ。この間安否報せたらそれはそれは凄かったんだから…」


 二人揃って肩を震わせる男達を前に柏木はやれやれと嘆息した。


「…何も御方様方に聞く必要はないだろう。ほら、怪夷の最初の封印、逢坂や江戸解放戦線に関わった人物は他にもいるだろう?それも東京に」


 柏木の濁した言葉に、真澄と雪之丞は一瞬首を傾げるが、同時に「あっ」と声を上げた。


「確かに、あの人なら気兼ねなく教えてくれるかも。真澄、丁度行くつもりだったんだし、思い切って尋ねてみようか」


「そうだな…柏木、ありがとうな」


 思わぬ所で手掛かりを見つけた事に真澄は柏木に素直に礼を言った。

 いつもと違う真澄の対応に一瞬面食らった柏木だったが、いつも通りの不敵な笑みを浮かべて机の上で手を組んだ。


「吉報を期待するぞ」


 入ってきた時の沈んだ様子とは打って変る活き活きとした二人の様子に満足げに微笑んだ柏木は、二人の幼馴染を送り出した。




 特夷隊執務室に設置された電話で確認を取り、真澄と雪之丞は診療の終る時間にその人物を尋ねる事になった。

 本日の巡回組とのグリーフィングを済ませ、出掛ける支度をしていると、二階にある仮眠室から南天が下りて来た。

 ここ数日真澄が詰め所に泊まり込んでいるので、自然と南天も仮眠室が自宅と化している。


「マスターとドクター、出掛けるんですか?」


「ああ、ちょっと御茶ノ水まで行ってくる」


「ボクも行きます。お二人の護衛として連れて行ってください」


 唐突な申し出に真澄と雪之丞は顔を見合わせた。男二人、いくら夜闇が暗くなったとは言え、問題はないが、怪夷と遭遇した場合を考えると鞘人であり真澄の契約者である南天の存在は心強い。


「そうだね。ついてきてもらおうか」


「南天、寒いから上着を着てこい。待ってるから」


「はい」


 真澄に促され南天は一端執務室に戻ると、上着を着込んで玄関へ戻って来た。

 南天を連れて、真澄と雪之丞は大統領府にある特夷隊詰め所を出るとバスに乗り込んで御茶ノ水へと向かった。


 御茶ノ水にある東雲しののめ総合病院。その病院の医院長である東雲雨りののめしぐれは夜も遅いというのに訪ねてきた友人達の息子二人と護衛役の少年を快く迎え入れた。


「いやあ、まさか雪之丞君が無事に戻ってたなんて吃驚だよ、雪那さんから連絡もらった起きはホントに驚いたし、でも安心したよ」


 院内の医院長室。応接用のソファに座るように促したすぐれは、雪之丞を見るなり目頭を熱くした。

 雨に促されて真澄と雪之丞、南天は並んでソファに腰を下ろした。


「その節はご心配をおかけしました。もう少し早くご報告したかったんですが、色々立て込んでいて…」


「いいよ、いいよ。無事な事が分かっただけでもほっとしたからさ。それで、真澄君と二人揃って僕の所を訪ねて来たのは、雪之丞君の安否を報せる為じゃないよね?」


 尋ねてきた三人にお茶と菓子を出しながら雨はニヤリと笑みを零す。

 それこそ生まれる前から自分達の事を見てくれている先生だけあって、雨は実子にも等しい真澄達の到来に何かを察していた。


「すみません。本当なら母や父に聞くのがいいのでしょうが、時間がなくて…」


「先生、僕達に怪夷がこの世に生み出された時の事と、旧江戸城に怪夷を封印した時の詳細を教えてください」


 背筋を伸ばし、真剣な眼差しで真澄と雪之丞はかつて聖剣を振るい、英雄と今尚語り継がれる人物へ頭を垂れた。

 深く頭を下げる友人の息子達を前に、雨は穏やかな眼差しを向けると、小さく息を吐いた。


「…いつかは聞かれるかもねって、前に莉桜さんや雪那さん達とは話をしていたんだ。僕等は多くを語らずにあの欧羅巴戦線を潜り抜け、平和になったのをいいことに十年近くも事実に口を噤んできたからね」


 目を細め、すっかり暗くなった窓の外を眺めてから雨はじっと真澄と雪之丞を見遣ってから、すっと視線を横にずらした。


「そこの彼には聞かれてもいいの?」


 真澄の横に静かに座っている南天を見遣り、雨は首を傾げた。

 この部屋に二人が入ってきた時、名前と彼が特夷隊の隊員で今回は護衛役として付いてきていると聞いていたが、これから話す話は本当に身内しか知らない話で、念のため雨はそのことを二人に確認する。


「構いません。南天もある意味で当事者ですし、特夷隊の隊員にはいずれ俺から伝える話ですから」


 南天が僅かに腰を上げて席を外そうとしたのを真澄は素早く制止した。

 真澄に一瞥され南天は静かに姿勢を正すと、いつもの感情の読み取れない顔でその場に留まった。

 雪之丞も同意のようで雨は淡々と当時を回顧し始めた。


「教えてあげるよ。60年前、世界を飲み込んだ大災厄。そして、怪夷討伐の第一歩である江戸解放戦線。その間に何があったのか」


 真っ直ぐに若者達を見つめ雨は静かに唇を開いた。


「あれは、45年前。まだ僕が逢坂の地で執行人と呼ばれる怪夷の討伐を生業とする職業に従事していた14歳の時だ。あの頃、怪夷を完全に滅する事が出来る聖剣を持っていたのは、莉桜さんだけだった。莉桜さんと雪那さん、二人の下で僕は補助役として夜の逢坂で怪夷を討伐していた。そんな中で、メルクリウス率いる集団が聖剣を探して執行人を狙った辻斬りを始めたのがそもそもの始まりだった」


 お茶を口に含み、雨はゆっくりとお伽噺を語るかのように三人に逢坂での日々を話して聞かせた。


 執行人と呼ばれたかつての怪夷討伐のプロフェッショナル達。そこで行われた大規模な作戦。

 逢坂の街を混乱に陥れた事件。


 それは、真澄と雪之丞も初めて聞く内容だった。


「軍警の斎藤一さんに近衛軍の土方さん、同業者でライバルだった赤羽志狼さん達執行人、帝の情報部隊だった高杉晋作さんに坂本龍馬さん…色々な人の力と助けを借りて、僕等は怪夷を生み出したのがメルクリウスの江戸城と世界に設置された魔術炉を使った実験によるものだと突き止めた。そして、その最初の実験。怪夷を呼び起こす時に生贄にされたのが、雪之丞君のお母さんである雪那さん。でも、それは色々な奇蹟が重なって雪那さんは救出されて、今も無事に存命だけど、その実験が失敗した事で、この世に怪夷という恐ろしい異形が現れた」


「母が生贄に?」


「そう、怪夷を生み出してしまった実験の本来の目的は、石炭に代わる新たなエネルギー資源を生み出す事だった。その術式を完成させるのに、陰と陽の鍵と呼ばれる御子が必要だったんだよ。でも、メルクリウスは何を思ったか当時実験に関わっていた幕府の大老達に必要なのは陰の気質が強い者のみ。と教えた。そして、それが雪那さんだった。この辺は僕も聞いただけに過ぎないけど…江戸解放戦線の前に自暴自棄になった雪那さんが帝都に秘密裏に建築されていた魔術炉を使って同じことしようとしたから、状況だけは知ってるんだ」


「ちょっと、待って、母さんが自暴自棄になってた?何それ?」


 雨の口から出た言葉に雪之丞は思わず食いついた。当の雨はまるで口を滑らせたとでも言いたげに、雪之丞から視線を逸らす。


「あの雪那様が自暴自棄…うちのお袋絡みですか?」


 真澄にまで食いつかれ雨は視線を右往左往させてから、苦笑いを浮かべて話を戻した。


「まあ、あの頃色々あってね…あれがあったから君達がこの世に生を受けたといっても過言じゃないけど…まあ、要するに男女の色恋でぐちゃぐちゃしてたんだよ。猛さん…雪之丞君のお父上の名誉の為にもいうけど…とにかく大変だったんだ」


「なるほど、うちの父が珍しくなんかやらかしたんですね。後で詳しく教えてください」


「あはは雪之丞君もいうようになったね。昔は猛さんに泣かされてたのに…まあ、それは置いといて、その雪那さんの自暴自棄の時に彼女は自らを魔力の溜まった魔術炉に投げ込んだ。でも、それを陰の対、陽の鍵であった莉桜さんと聖剣が止めた事で、旧江戸城で何が行われたのかを知る事ができた。陰陽二つの鍵の性質によって、魔術炉は暴走することなく、むしろいい方向に傾いたからね」


「お袋が陽の鍵…なるほど、陰陽はそれぞれ対だったのか…」


「まあ、それが分かるのも僕等が五本あった聖剣と対話するようになってからだけどね。そもそも、怪夷がどうして生み出されたかなんて、あの頃は殆ど知る者もいなかったし。知っていても口を閉ざしていたからね。そうして、僕等は当時は東宮だった先代帝の指揮の下、怪夷の討伐と江戸を解放する為に江戸へ向かった。多くの犠牲を払い、メルクリウス達を倒して、旧江戸城の魔術炉を聖剣と陰陽の鍵の力を持って封印する事に成功した。大元であった日ノ本の魔術炉を閉じた事で世界を覆っていた回路が途切れて、世界を救う兆しが見えた。それから先は君達も知るところだよ」


「やっぱり、怪夷の封印には陰陽の鍵が不可欠。陰陽の鍵ってのは、陰と陽の性質を強く持つ人物の事だったんですね」


「そうそう、鍵っていうから物かと思われがちだけど、ようは機械を稼働させるための装置みたいな意味合いがあるから鍵って呼ばれてたみたい。ほら、エンジンとかかける時に鍵を使うでしょ?あれと一緒」


 ようやく判明した鍵の謎に真澄と雪之丞は顔を見合わせた。


「先生、今怪夷が東京に溢れているのは知っていますよね?」


 視線を彷徨わせ、話そうか迷った末、真澄と雪之丞は今回ここへ過去の話を聞きに来た理由を雨に話すことにした。


「五年前の震災の時に、旧江戸城で怪夷を復活させ、制御しようとした実験が行われたみたいなんです。でも、ご覧の通り特夷隊が結成された。怪夷は東京の闇に紛れ、まだ力や数は全盛期に及びませんが、確実に力を取り戻しつつある。そして、それを陸軍の一部が兵器として利用しようとしている…僕等はメルクリウスに連なるオルデンという組織が再び旧江戸城で怪夷に関わる実験を行おうとしているのを、阻止したいと考えています」


「なるほど、それで過去の状況を僕に聞きに来たんだね…そのメルクリウスに関わる人達は、どこまで終っているの?」


「分かりません。しかし、奴等は陰と陽の鍵を探しているようで…心当たりはありませんか?」


 不意に尋ねられ雨は目を見張ってから、考え込むように眦を伏せた。


 かつての陰と陽の鍵である2人の母親の事は知っているが、もし彼女達に何かあれば真っ先に自分の所にも情報が飛んでくる。だが、五年前の震災の前も、現在に至るまでも彼女達に何かあったという話はない。


「僕が一番よく知っている陰陽の鍵の二人は特に何もないし…つまり、彼等は新たに鍵を要したってことかな?陰と陽の性質を強く持つ者なら、恐らく数年に一組は生まれているだろうし…結びつきが強いほど、その明暗は濃くなるというし…でも、彼等が怪夷を制御する為に実験の行ったにも関わらず、怪夷が制御出来てないって事は、五年前のあの時、そのメルクリウスの関係者達は、60年前同様に実験に失敗したんじゃないかな?」


 薄々感じていた事だったが、雨が口にした事で真澄と雪之丞は確信を持った。

 彼等が今動いている理由はやはりもう一度怪夷を制御するための実験を行う事。その為に必要な材料である陰陽の鍵を五年前から探しているという事。


「ヘルメス達が探している陰陽の鍵…それを彼等より先に見つけるのが最優先か…そういえば先生、聖剣って、どうして怪夷を封印で来たんですか?今の話だと、聖剣が出て来るのは母達が怪夷討伐を逢坂でしていた頃っぽいですけど」


「ああ、それはね、元々莉桜さんと雪那さんの護り刀として打たれた代物だったんだよ。でも、その最初の二振り、神刀・三日月と神刀・刹月は雪那さんが陰の鍵として魔術炉にくべられた時に変質した。それで怪夷を滅する力を獲得したみたいなんだ。あまりの偶然だから僕も仕組みやらは説明できないけど…それで、二つの刀を作成する前に同じ玉鋼を使って作られていたのが、残りの三振りだった。経緯に関しては、今度直接雪那さん達から聞くといいよ…僕にその辺りを話す資格はないからね」


「つまり、聖剣は怪夷の封印には関わっているが、制御や生み出す事には関わっていないんですね」


 真澄の確認を込めた問いに雨は深く頷く。


「聖剣は、怪夷を滅ぼす物。生み出すとは真逆の性質だから、恐らく、その実験の時に彼等は聖剣を抜いたんじゃないかな?本来は御子が要になる筈の役割を聖剣が担った。世界各地で封印した魔術炉も聖剣を模した五本の刀剣を使っているから、恐らく聖剣の存在は邪魔だろうね」


「確かに…一理あるな…」


「でも、聖剣の本歌はもしあるとすれば旧江戸の地下、魔術炉のあった場所だし、僕等が10年前まで使っていた写しは、上野の博物館に寄贈してしまったし…五年前の混乱の時から行方が知れないって聞いていたけど…」


 自分の記憶を確認するように雨は真澄と雪之丞を見遣る。


「その事なんですけど…実は…」


 今度は雪之丞が5年前自身が旧江戸城の大穴に落ち、現在から失踪した時の事を雨に語って聞かせた。


 母である雪那の助言で博物館から聖剣の写しを持ち出していた事。

 27年先の未来に辿り着き、そこで起こった事や鞘人達の事など、詳細を伝えた。


 だが、鞘人に関しては一緒に着ている南天がその一人といことだけは話さなかった。

 横で聞いていた真澄と南天も、雪之丞が鞘人に関する内容をぼかしているのに気付いていた。


 最初は驚いていた雨だったが、これまで長い間様々な経験をしてきたためか、最後には納得して大きく頷いた。


「それで、今聖剣はその鞘人と呼ばれる若者達の中にあるのか…まあ、核自体が動物の姿で会話出来たくらいだし、それくらいあっても不思議じゃないか…」


 ふむふむと雪之丞の話を噛み下し、雨は自らの中で折り合いをつけた。


「それなら、その鞘人自身が怪夷を滅する事が出来ると考えていいのか…それ、恐らく敵側に知られたら何かしら手を打ってくる奴だね」


「やはり、そうですよね…」


 ちらりと真澄と雪之丞は顔を見合わせた後、南天の方をちらりと見た。

 鞘人と使い手が契約を結んだ事で、怪夷の討伐は以前より威力を増した。だが、それに対してヘルメス達が対策を練ってこないとは限らない。


 こちらの情報が何処まで向こうに漏れているかも定かではなかった。

 ましてや、先日南天がヘルメス達に一度囚われている理由を真澄はまだ突き止めていなかった。


 その理由が聖剣に関わることだった場合、もう少し迅速に動く事が要求されてくる。


「僕は前線を退いた身だからもうとやかく言うことはないけど、もし、またこの東京が混乱と混沌に陥った時は、君達に力を貸そう。といっても、医療面でのサポートが主だけどね」


 朗らかに微笑み自ら協力を申し出てくれた雨に真澄と雪之丞は礼を述べた。そんな状況は極力避けたいが、これまで大きな事を成そうとする時には必ず何かしら起こる。そうなる事を防げなくとも、そうなった時に対応できるかが今は重要だった。


「さて、そんな所で真澄君、腕の調子を診ようか?実は三好先生からも天童君からも、静郎君からも左腕の状態を確認するようにお願いされててね」


 ニコリと、医者としての顔に戻った雨は嬉々として真澄の左腕を指さした。


「う…はい…」


「もう、元々はそっちが本命でしょ」


 忘れてくれるかと思っていた要件を掘り返され、真澄は雪之丞にも促されるまま左腕を雨の前に見せた。


「わあ、ホントに濃さが増してる…本当に支障でてない?」


「問題ないです…」


 手首から肘にかけての皮膚の色が既に漆黒に変色している。更に、掌の下半分と肩の方に向けても墨を引いた様な色に変色し始めており、それだけ見ればこの病の末期と言っても不思議ではない状態だった。


「話をする前に撮って来てもらったレントゲンも問題なかったし…一応採血の結果は三好先生経由で知らせるから。また何かあったら来るように」


「分かりました…ご迷惑をおかけします…」


「気にしないの。君達は息子みたいなものだからさ。無事に任務を遂行できるように祈っているよ。また聞きたい事があればいつでもおいで」


 温かな雨の言葉に真澄と雪之丞は深くお辞儀をする。


「君も、何か遠慮なく僕を頼ってね」


 真澄と雪之丞の傍で静かに話を聞いていた南天にも雨は優しく微笑みかけた。その表情に南天は珍しく警戒心を薄めてこくりと頷いた。


「もう遅いし、今夜は気を付けて帰りなさい。朝月によろしく」


 時計を見遣り、雨は三人へ帰宅を促す。それに素直に従って真澄達はそのまま医院を後にした。





***********************



刹那:さて、次回の『凍京怪夷事変』は…


朔月:ようやく再会した身内を失っても、特夷隊の日々は変わらない。苦しい思いを抱えながらも大翔は仲間と共に巡回へと向かい…


刹那:第七十九話「変わらぬ日々」次回もよろしく頼むぜ

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