第七十七話ー始まりの悲劇

 外から響いてきた騒がしい声と音に仮眠室で眠っていた真澄は目を覚ました。


(なんだ…)


 まるで喧嘩をしているような緊迫した声に真澄は未だ寝ぼけた頭を振り払いながら身体を起こす。

 その隣では雪之丞も同じように目を覚ましていた。


「なに…なんか騒がしい…」


 大統領府という厳粛な場所に似つかわしくない喧騒に真澄と雪之丞が眉を顰めていると、バタバタと騒がしい足音を立てて二階へと誰かが上って来た。

 足音は真っ直ぐに仮眠室へ向かい、勢いを付けて扉が開かれた。


「マスター大変です。春樹さんの行方を突き止めた祭事部の連中が押しかけてきました」


 血相を変えて仮眠室に飛び込み、いつにない緊迫した声音の南天が知らせて来た内容に真澄と雪之丞は頬を引き攣らせた。


「今隼人さん達が対応してくれていますが、いつ戦闘になるか分かりません。彼等は祭事部の荒事を担当する武装部隊なようで」


 拓から聞いた情報を的確に伝えた南天は、真澄と雪之丞をじっと見上げる。

 普段無表情な分、険しさの滲む南天の端正な顔立ちから、状況が思わしくない事が直ぐに伝わった。


「分かった。俺も出る」


「祭事部の荒事部隊って…一体どっから情報漏れたんだろ」


 春樹が昨夜ここに運ばれたのを知っている者は少ない。千葉から東京へ戻る時も南天や隼人に背後の見張りをさせていたから追手がなかったのも確認している。

 春樹の身体に追跡用の呪術が施されていた形跡もなかった。

 数日経ってならともかく、こんなにも早く居場所を突き止められたのが雪之丞には疑問だった。


「春樹が逃げ込む先の見当ならつくだろうさ。恐らく、脱走が判明した直後から連中は春樹の行きそうな場所を確認したんだろ。多分、大翔達の家も確認されていた筈だ。ただ、そこにいないことが分かって、この詰め所に白羽の矢が立った。そんなところだろうな」


「祭事部も案外勘がいいって事か…ちょっと甘く見てたな」


「俺は下に降りて隼人達に加勢する。雪、お前は春樹君を何処かに逃がしてくれ」


「了解。南天、真澄の事お願いね」


 互いに役割を果たすべく真澄と雪之丞は階段を降りる。南天もまた雪之丞の言葉を護るように真澄の後について行った。





 真澄と雪之丞が外から聞こえてくる喧騒に急かされて目を覚ましたのとほぼ同じ頃。春樹もまた静かに目を覚ましていた。


「ああ、起きましたか」


 ゆっくりと身体を起こし、窓の外へ目を凝らしてみると、自分を呼ぶ声がかかった。窓から視線を外してそちらに顔を向けると、椅子に腰掛けて珈琲を飲んでいる三好と目が合った。

 明け方に話をして眠りについたからどれ程時間が経ったのか、既に窓の外には日が昇っている。


 若い女性の声と数人の男達の声。喧嘩とも言い難い異様な空気感の騒々しさに春樹はある確信を持った。


「三好先生…外のあれは…」


「ええ、お察しの通り貴方を捕らえに来た祭事部の武装部隊でしょうね」


「やはり…こんなに早く…」


 三好から告げられた男達の正体に春樹は唇を噛み締め、シーツの上で拳を握り込んだ。


「どうしますか?貴方がいいなら裏から逃がしてあげますよ。九頭竜隊長や秋津川博士には私から話しておきます。東京は人が多い上にそれなりに広い。身を隠す場所なら色々あるでしょう」


 椅子から立ち上がった三好はカーテンの引かれた窓辺に立ち、そっと外の様子を伺った。

 特夷隊の詰め所の正面玄関は医務室からはほぼ真裏に近い位置だ。だが、それほど距離が離れている訳でもない為、騒がしい声はしっかりと聞こえていた。

 声の中に隼人の声が混じると、事態はいよいよ大事になりつつあった。


「……」


 三好からの提案に春樹は俯き考え込む。隠れる場所は正直に言えばそれなりに用意しているし、協力者がいない訳でもない。だが、この騒ぎの中自分だけ逃げる事に対して罪悪感があった。

 偶然とは言え、ここまで連れ帰ってくれた真澄や隼人達の事を思うと、彼等に現状を対処してもらうのは忍びない。


 考え込んでいると、不意に自身の内側にいる存在が囁いてきた。


『ねえ春樹君、ボクにちょっと考えがあるだけどさ、乗ってくれない?』


 ペテン師の如き不気味な囁きに春樹は溜息をついた。最初に取引を持ち掛けられた時から、この秋葵オクラという存在はいつだってトリッキーな事を提案する。


(一応聞いておこう。今度はどんな悪戯を思いついたんだ?)


 だが、その突拍子もない提案に助けられてきたのも事実だった。

 自身の相棒とも言うべき存在に春樹は応じる。それを肯定と理解した秋葵は、ニヤリと口端を吊り上げながら、声なき声で己の考えを口にした。

 そのあまりに突拍子のない話に、春樹は一瞬驚いたが、直ぐに苦笑した。


「やれやれ、君の考える事はどうしてそう、大胆なんだか…」


 唐突に呟いた春樹に、三好は彼が内側にいる秋葵と何やら取引をしたのを察した。


「三好先生。九頭竜隊長達にこれ以上迷惑はかけられません。だから、私自身が出ます」


「春樹さん、それはつまり…」


「貴方の仲間は大分大胆な作戦を提案してくれました。すみません。協力してください。私はまだ連中に捕まる訳には行かないので」


 ゆっくりとベッドから降りた春樹は真っ直ぐに三好を見つめると、まるで秘め事を囁くように秋葵の考えを口にした。



 それほど長い訳でもない廊下を数人の足音が駆け抜けて行く。大翔と桔梗、そして、二階の仮眠室から降りて来た雪之丞が医務室に着くのはほぼ同時だった。


「大翔」


「雪之丞さま…兄を」


「うん、分かってる」


 互いに頷き合い大翔と雪之丞は二人揃って医務室の扉を開く。桔梗は入口の横で何かあった時の為にと待機した。


 二人揃って医務室へ入ろうとした時、ほぼ同時に内側から扉が開いた。

 中から出て来た人物に大翔と雪之丞は大きく目を見張る。


「なんで君が…」


 驚く二人に医務室から出て来た春樹は淡く微笑みかけてから二人の横をゆっくりと擦り抜けた。

 いつの間にか春樹は病衣から着替え、単衣物に袴という装いで医務室から廊下へ出た。


「兄さんっ裏から逃げてください。そっちは祭事部の人達が…」


 自分達の横を擦り抜けて廊下をエントランスの方に向けて歩き出す春樹を大翔は咄嗟に呼び止め、単衣の袖を握った。

 ピタリと、春樹は歩みを止める。だが、大翔を振り返ることはせず、ゆっくりと唇を持ち上げた。


「心配いらないよ大翔。私も子供ではない。ちょっと話をしてくるだけだから」


 背中越しに大翔へそう告げた春樹は掴まれた袖をやんわりと外し、再びゆっくりと歩きだす。

 廊下を進んで行く春樹の腕を大翔は咄嗟に掴もうと腕を伸ばす。だが、その腕は雪之丞に捕まれ、更に行動はその後に続いた呼びかけに遮られた。


「彼の好きなようにさせてくだいませんか?」


 春樹を追いかけようとした大翔と状況を静観していた雪之丞の耳に、医務室から出てきた三好の声が響く。


「どうして……」


「何か考えがあるみたいだね…」


 困惑する大翔とは対照的に春樹が自らエントランスへ向かった事に意味を見出していた雪之丞は医務室から出て来た三好に視線を移した。


 雪之丞の視線を受け、三好は無表情で静かに頷いた。

 二人の間には無機質で何処か不穏な空気が流れていた。


 それに不安を覚えた大翔は咄嗟に方向を変え、雪之丞の手を振り払って廊下を駆け出した。


「大翔、待って」


 春樹を追いかけていく大翔を桔梗は反射的に追いかけようと壁から離れる。その際、桔梗は雪之丞を振り返ったが、彼は引き留める事も助言をする事もなくただ静かに走っていく大翔の背中を見つめていた。


「もう、もう少しレディは大事にすべきだよ、ドクター」


 雪之丞に対する嫌味を込めて呟いた、桔梗はエントランスへ向かって走って行った。





 大統領府内。本来であれば乱闘はご法度の場所で、男達の怒声と罵声、呻き声が響いていた。


「ぐあっ」


「このっ」


「おら、最初の威勢はどうした!」


 拳を握り、隼人と海静は向けってきた祭事部の若い男四人を殴り飛ばし、背負い投げ、地面へと叩きつけていた。


 先に手を出して来たのは祭事部の方である。隼人は警告をした上で彼等の暴力を受け止めていた。


 向かってきた四人の背後にはさっきまで威圧的に話しをしてきたリーダー各の男と、ずっと静観を続ける赤い髪の男がいる。

 隼人には自分達にい切ってきた祭事部の男達より、背後に控えた赤い髪の男を警戒していた。


 地面に祭事部の四人がへたり込む。

 それを見て隼人は試しに彼等を挑発するように声を荒げた。


「そこまでだ!」


 隼人の拳がもう一発祭事部の男達に見舞われる寸前、詰め所の玄関からかかった声に、乱闘は唐突に終わりを告げた。


 鋭く空気を震わせる張りのある声音。かつて陸軍で出撃の号令を幾度となく迸らせた声量は今も衰えず、いっそ年齢を重ねた事で更に威厳を持ったそれに、隼人達は動きを止めてゆっくりと玄関先に視線を向けた。

 先程まで仮眠を取っていたとは思えない、きっちりと特夷隊の隊服を身に着けたこの詰め寄の主たる人物が視線の先に佇んでいる。


「隊長…」


 握っていた拳を下ろし、隼人はそっと横に退く。

 彼と彼がそれまで対峙していた祭事部の面々の元へ真澄は静かに歩み寄った。


「特務怪夷討伐部隊隊長、九頭竜真澄だ。貴殿等は祭事部の武装部隊とお見受けする。早朝からこの詰め所への訪問の要件を聞こう」


 紳士的だが仮にも押しかけてきた者達へ毅然な態度を持って真澄は訪問者の来訪理由を尋ねる。

 それにようやく話の分かる相手は出て来たと感じたリーダー格の男が再び前に出た。


「私は祭事部武装部門より派遣された山城と申しす。ここに祭事部の禁忌を犯した重罪人、宮陣春樹が匿われているという情報を得た為、参上した。貴殿も祭事部と政府の関係性はご存じだろう?事を荒げたくなければ宮陣をこちらに引き渡して頂きたい」


 初めに来た時より穏便に山城と名乗ったリーダー格の男は真澄へここへ来た理由を語った。


「重罪人?大変申し訳ないが、確かに宮陣春樹はここにいる。だが、彼が禁忌を犯したという証拠はどこにある?祭事部内の事とは言え、禁忌と言うからには帝や国家に関わる大事。重罪と言うからにはそれくらいの罪状だろう。もしそうならこちらにも通達がある筈だ。国家の大罪人を国家の政治を預かる大統領が野放しにする筈はないし、大統領直属の私設部隊である我々特夷隊にも何かしら指示がある筈だ。たとえ、それが仲間であっても、国家に仇名す者を放っておく程、我々は甘くない」


 腕を組み、仁王立ちで真澄は淡々と口上を述べる。

 真澄の言葉には誰もが納得する内容と張ったりが含まれていた。


「貴殿等武装部隊は、幹部クラスの者でないと動かせないと聞いている。一体誰の指示で動いている?貴殿等の依頼主の名と所属、今回の件に関する書状なり令状なりがない限り、貴殿等に宮陣を引き渡す事は出来ない。お引き取り願おう」


「それは出来ない。貴殿等にはここで奴を引き渡してもらう」


 軍人然とした真澄に僅かに怯みながらも山城は己の目的を果たそうと食い下がる。

 その視線が一瞬、背後で静観していた赤い髪の男に注がれた。


(あ……っ)


 真澄の後ろで様子を伺っていた南天は、山城の視線が向いた先に気づき、息を飲んだ。


 一瞬、鋭い風が詰め所側と正面から吹き抜ける。直後、鋭い金属音と共に真澄と山城の間で火花が散った。


「くッ」


「へえ、やるじゃねえかっ」


「南天!?」


 真澄を庇うようにして真澄の前に躍り出た南天は、軍用ナイフでもって眼前に迫った両刃の大剣を受け止めていた。

 ニヤリと、それまで静観していた赤い髪の男が不敵に笑い、ギリリと自身の得物より小振りなナイフに大剣の刃を擦りつける。


「いつまでちんたらやってやがるんだ?さっさと目的の野郎を差し出しな。そしたら今回は見逃してやるよ」


 南天のナイフを受け止めたまま赤い髪の男は真澄へ最後の忠告とでも言うように啖呵を切る。

 だが、真澄は南天が押さえ込む赤い髪の男を見据えたまま口を噤む。


「なんだ、さっきまでの勢いはどうした?それとも、このチビに俺が負けるとか思ってねえだろうな?おい、てめえ等も力ずくで目的を果たしやがれ」


 地面で伸びていた祭事部の男達や山城を睨みつけ、赤い髪の男は彼等をせっついた。


「わ、分かっている…おい、こうなったら武力行使もやむなしだ!」


 山城の号令に隼人によってのされていた男達は、よろよろと立ち上がり懐に手を入れた。

 それが戦闘開始の合図だと踏んだ隼人達も、真澄の許可を待たずに愛用の獲物に手を掛ける。


 南天と赤い髪の男の競り合いを中心に、再び戦闘態勢へと切り替わる中、詰め所の玄関先には新たな人影が現れた。




「そこまでです」


 張りつめた空気を震わせる澄んだ声に、各々武器や道具を出して戦闘に発展していた面々は、ぴたりと動きを止めた。


 日が中天近くに上り、位置が変わった事で詰め所のエントランスには影が落ちている。その陰の中から出て来たのは、単衣に袴を着た宮陣春樹、その人だった。


「春樹君…どうして」


「九頭竜隊長、ご迷惑をおかけしました。彼等は私の客人です。後は私が自分で対応します」


 部下と部外者達の乱闘を毅然と見守っていた真澄は、予想もしなかった人物の登場に一瞬だけ動揺を見せた。


「待て、何故ここに…」


 雪之丞達が裏から逃がしたと思っていた人物の登場は、真澄を混乱させるだけでなく、その場の仲間達にも動揺を煽る結果となった。


「春樹さん…どうして出て来たんだよ」


「隼人君、すまなかったね。でも、後は私一人で十分だ」


 真澄と隼人の制止を擦り抜け、春樹は山城の前と静かに歩いて行く。


「…ようやくおでましか…」


 南天と攻防を繰り広げた赤い髪の男は吐き捨てるように呟くと、同じく驚いている南天を蹴飛ばしてその場を離れ、山城の後方へと戻っていった。


 咄嗟に受け身を取りそこねた南天は、地面に倒れ込みかける。が、後ろから歩いてきた春樹に支えられ、そっと横へと移された。


「……」


「君も九頭竜隊長の傍に戻ってくれ」


 驚く南天を何故か哀れむような目で見つめた後、春樹は山城達の前へと進み出る。


「私が宮陣春樹だ。祭事部の武装部隊の方々とお見受けする。用があるのは私のみの筈だ。今回の事はこの場を持って納めて頂きたい」


「ふん、最初から奴等が素直に貴様を差し出せばこんな状況にはならなかった。今回の事は我らが主より厳重に抗議させてもらう。だが、まずは貴様の身柄を拘束させてもらおう」


「己で行った事に責任は持とう」


 肩を竦め、疲れ切った表情で春樹はゆっくりと山城達の前に両手を差し出した。拘束を促す仕草に、山城に付き従ってきた男達の内、二人が春樹の傍へ近づく。


「彼を引き渡すなど俺が許可しない!」


「ふざけんなっその人が何をしたんだよ!」


「春樹さんっ戻ってくださいっ彼等についていく必要なんかないっ」


 後方から真澄達の抗議の声が響く。だが、それを飲み込んで春樹は静かに目を閉じた。

 二人の男が春樹に近づいた直後、それは突如として起こった。







 春樹を追いかけて大翔は廊下を必死に駆け抜ける。

 それ程遠くない筈の距離が、その時は何故か果てしなく思えた。

 息を切らして玄関を突き抜けた直後、大翔の目には祭事部からの使いと思われる男達の前に進み出る兄の背中が映った。


 真澄も隼人もいる中、彼等の抗う声がさざ波のように聞こえている。


「兄さん!」


 自ら投降しようとする兄を引き留める為、大翔が必死に手を伸ばした刹那。

 その場にいた全員の目の前で春樹の身体が内側から閃光を放って弾けた。


「ッ…!?」


「なっ」


 それは、誰もが目を疑う光景だった。


 一人の人間の身体が一瞬閃光に包まれたかと思うと、その形を内側から木っ端みじんに爆ぜさせたのだ。

 鮮血と髄液、粉々になった肉塊と骨が四方へ飛び散り、真澄や南天、山城などの祭事部の面々、ずっと様子を見守っていた晴美の足元へと飛び散る。


「きゃああああ!!?兄さんっっ」


 目の前で兄たる人物が爆ぜる様を目撃した晴美は驚きと混乱のあまり悲鳴を上げた。

 目の前で爆ぜた春樹の破片は、地面に落ちるなり小さく燃えて灰となる。


「春樹!?」


 直前まであった人間一人が突然塵となって消えた事にその場の誰もが戦慄を余儀なくされた。

 黒く染みとなったかつて春樹がいた場所をその場にいた者が茫然と見詰めていると、山城達の背後から更なる人物が現れた。


「政府の重要な場所である大統領府で一体何をしている?」


 全てを凍らせるような冷やな声に、春樹が弾け飛んだ事で茫然としていた誰もが声のした方へ視線を向けた。


 そこに佇んでいたのは、この大統領府の主であり、国家の最高指導者である男その人。


「特夷隊の隊員から連絡を受けて戻ってみれば、これは一体どういうことだ?祭事部はいつから我が領域で好き勝手を赦されたのだ?」


 普段、真澄達親しい者達に見せる皮肉屋な表情が成りを潜めた柏木は、国の政治という大事を預かる要人としての冷たい仮面を被っていた。


「柏木大統領…何故…」


「何故?愚門だな。ここは我が領域だと今伝えたばかりだ。此度の騒ぎに関しては祭事部へ厳重に抗議を入れさせてもらう。貴様等の飼い主に飛び火する前にさっさと立ち去れ。それとも、貴様等をこの場で拘束して尋問にかけても構わないが?」


 ぎろりと、鋭い刃の如き視線を向けた柏木は、怒気を含んだ声音で山城達を威嚇した。


「く…どうやら、間が悪かったようだ…出直してこよう…」


「飼い主に伝えておけ。我が私設部隊へ手を出すなら容赦はしないと」


 はっきりとした脅しをかけ柏木は招かれざる客達へ顎をしゃくって出口を示した。

 唇を噛み締め、悔し気な表情を浮かべたまま、山城は部下と赤い髪の男を連れて大統領府の敷地から出て行った。


「九頭竜君、今回の事は後でしっかり聞かせてもらう。その前に、やる事をやれ」


 普段の彼とは異なる国家の最高責任者としての顔を前面に出していた柏木の、常と変わらぬ促しの声に、一部始終を見守っていた真澄は、ハッと我に返り周囲の部下達を見渡した。


 その場の誰もが突然いなくなった者の事で茫然としている。

 気が付くと自分の背後には彼の妹である大翔の姿もあった。


「……隼人、海静、南天、春樹君の亡骸を集めてくれ。桔梗、晴美ちゃんと大翔を執務室へ誘導してくれ…」


 微かに掠れた震える声音で真澄は、その場にいる部下達へ指示を出す。

 彼等は無言で真澄の指示に従った。だが、かつて一人の人間だった者の遺骸は、灰や塵となって既に大地に還っていた。


 残されたのは、黒く地面にこびり付いた影だけだった。それは、彼等が普段相手にしている旧時代の異形の断末魔と同じ様相を呈していた。






 夕暮れになって、真澄は柏木に今回の一件の一連の状況を報告した。

 雪之丞からも話を聞きたかったが、婚約者である人物の実兄があんな事になった後で、そちらに寄り添うよう柏木は便宜を図っていた。


「…まったく…何故私が到着するまで待てなかったんだ……」


「…すまない…」


 執務机の椅子に腰掛、柏木は沈痛な面持ちで目の前に幽鬼の如く佇んでいる真澄を見上げた。

 祭事部が書状もなしに押し入ってきた時、柏木は拓から連絡を貰っていた。だから国会を早々に切り上げて大統領府に戻ってきたのだ。

 それなのに、到着してみれば事態は取り返しのつかない最悪の状況になっていた。


「春樹君の帰還は、彼が追っていた御方様からの依頼の内容を知る為に必要だっただろう。それを、あんな…大翔君や晴美さんにとっても気の毒だ」


「俺だって、止められるなら止めたかった…けど、突然アイツ目の前で…」


 ぐしゃりと前髪を握り締め真澄は悔し気に息を詰める。

 親友の表情から今回の一件が真澄にもどうしようもなかったことを察した柏木は、深く息を吐いて背もたれに寄り掛かった。


「……暫く無理はさせるな。君も、自分を追い込むなよ。祭事部の件に関しては私の方で動いておく」


「けど、怪夷の討伐を怠る訳には行かない。もう直ぐ冬になる。そうなったら、アイツ等が力を増すのはお前も知ってるだろう」


「なら、怪夷の討伐及び巡回にのみを重点おくように。これまでの陸軍への探りも祭事部の件も暫く詮索や調査は中断だ。…海静の時とはまた違うだろう…貴様等には休息が必要な筈だ。心労が溜まったままじゃこれからの戦いに耐えられないだろう?」


 俯いた真澄の顔を覗き込むようにして柏木は、真澄を諭すように言葉を掛けた。


「今日はもう下がっていい。風呂にでも浸かって気持ちを切り替えてこい」


「くそ…っ」


 慰めるような柏木の視線を受け、真澄はぎりりと奥歯を噛み締めて踵を返すと、無言で大統領執務室を出て行った。


 ばたんと、乱暴に閉められた扉を見つめ、柏木は再び溜息を零す。


 夕陽に照らされた窓をぼんやりと見つめていると、机の上に備え付けられた電話が呼び鈴を鳴らした。

 出たい気分ではなかったが、あまりにも長く鳴り続ける為、柏木は渋々と受話器を持ち上げた。


「はい、柏木ですが………はい、はい…しかし、通年ではもう少し遅い筈では?…はい…承知致しました…それでは…」


 受話器の向こうからの会話に一瞬戸惑いながらも柏木は静かに応じると、一礼をして受話器を静かに置いた。

 椅子から立ち上がり、机に手をついて柏木は後れ毛の落ちて来た前髪を掻き上げた。


「まったく、こんな時にあのお方は……」


 悪態をつくように呟き、柏木は真澄が出て行った扉を自らも出て行った。

 夕陽に垂らされた執務机の上には、春樹が纏っていた着物の一部が残骸のように置かれていた。










**********************



三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


刹那:春樹の一件から数日。いまだ心に深い傷を残しながらも特夷隊の日常は今日も続き…


三日月:第七十八話「昔語り」次回もよろしくお願いします。











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