第七十一話―暗澹たる城の辺にて




 暗闇の中、湿り気を含み粘り気を纏うモノが全身を包み込み蠢いている。


 今が昼なのか夜なのか分からない中、全身に纏わりつくモノ達に蹂躙されながら、蠢くモノ達の中心に身体を横たえたその人は大きく息を吸った。


 既にどれ程こうしていたか分からない。


 身体は既に蟲や蛇、術を完成させる為に共に入れられた畜生達に蝕まれ、感覚が薄れている。

 このままここで朽ち果てるのか。そんな事を考えていた時、不意に耳元に声が響いた。


『キミが望むなら、助けてやるよあげるよ…ボクならそれが出来る』


 耳元で囁かれたような、頭に直接響いたような声は、彼の薄れかけていた意識を再び繋ぎ止めた。

 身体の周りを這いずり回るモノ達の間から、上に向けて手を伸ばす。

 それが、暗闇に閉ざされた中で呼びかけに応じる答えだった。





 宮陣家で晴美と大翔から行方不明になっている特夷隊隊員の宮陣春樹の日記と雪之丞宛に残されていた手紙を受け取った真澄は、翌日特夷隊詰め所へ出勤すると、直ぐにずっと空席で残されていた春樹の机を開いた。


「まさかここに来て春樹の消息に関わる案件が出て来るとはな…」


 埃の積もった引き出しをゆっくりと開きながら真澄は背後で行く末を見守っている隼人と拓に声をかけた。


「あの時期は海静を失ったばかりで特夷隊もごたごたしていましたし、春樹さんの消息を探す余裕もなかったですからね…」


 一年前の出来事を思い出しながら、沈痛な面持ちで隼人は重い口を開く。

 相棒の言葉に横に並んで頷きながら拓はぎゅっと左腕を握り締めた。


「春樹さんに関しては、僕等も色々調べましたけど、祭事部からの協力は得られなかったし、あの人が何を探っていたのかも、教えてはもらえなかった…」


「極秘だったしな。まあ、秘匿を信条とする祭事部とはいえ…ほんと、神戸の御方様も人が悪い」


 昨夜、晴美と大翔から春樹が残していた日記や手紙、部屋に残されていた資料等を受け取った後、真澄と雪之丞はそこに記されていた文面から一年前の正月、春樹に祭事部の動向を調べるよう依頼したのが、雪之丞の母である事を突き止めていた。

 夜半過ぎであったが、雪之丞が意を決して神戸の実家へ事の真相を聞くために電話を掛けると、彼の母親はあっさりとその旨を息子へと暴露した。

 その調査の内容は、五年前の震災の前後にあった祭事部の不穏な動きについてだった。


「あの地震の起こる前に祭事部内の一部に不穏な動きがあったなんてな…」


「でも、祭事部はそのほとんどが穏健派。帝による治世を取り戻そうという思想はあっても、帝が最高司祭というお立場を受け入れている以上、そこまで現政府に盾突くとは思えないのに…」


「祭事部の中にも陸軍と繋がる保守派派閥があったって事だ。春樹や大翔の実家である宮陣家は穏健派の中でも政府に協力的な革新派寄りだからな。あそこも一枚岩じゃないさ」


 ごそごそと机の中に残されていた数冊のファイルを取り出し、真澄はそれを机の上に置いた。


「それで隊長、俺達は何を調べればいいんですか?」


「元警視庁組の僕等が呼ばれたからには、調べ物ですよね」


 ファイルに付いた埃を払いながら真澄は、強気に訊ねてくる隼人と拓の様子に苦笑いをした。


「悪いな。また余計な仕事増やして」


「いいえ、ようやく陸軍への調査も終わった所ですし、春樹さんの事はずっと気になってましたから」


「僕等で出来る事はしっかりやりますよ」


 肩越しに真澄が振り返ると、隼人と拓は胸を張って頷いた。


「それじゃ、早速だがこれから伝える祭事部の関係者のここ六年間の所在と動向、それから春樹の消息を調べてくれ」


「祭事部の関係者…分かりました」


 勘付いてはいたが真澄からの要請に隼人と拓は視線を交わして僅かに眉を顰めた。

 祭事部に関しては警視庁でも踏み込めない部分が多かった。その制約がなければ春樹の失踪当時にもう少し手掛かりを掴めた筈であるが。


 不安を滲ませた隼人と拓に真澄は突如、ニヤリと笑いかけた。


「安心しろ、今回は元々の依頼主である御方様のお墨付きだ。それに、雪之丞が宮陣家の当主へ話を通してくれて明日にでも書状が届く。秋津川、宮陣両家のお墨付きがあれば大体の家への聞き取りは円滑に進むだろう」


「おお、これが有効な権力の使い方」


「職権乱用って言ったら聞こえが悪いけど。うん、これは強力な後ろ盾ですね」


 真澄が出して来た大きな手札に隼人と拓は感嘆の声を零す。止まっていた調査の再開は彼等にとって新たな局面へ進む幕開けとなった。





 深夜の東京の街を、今夜も特夷隊は怪夷への警戒と討伐を行う為に巡回に出ていた。

 今夜のメンバーは真澄、朝月、鬼灯、それからようやく巡回復帰を赦された南天だ。


「やっと出してもらえた…」


 腕の関節をほぐしながら南天はぼそりと呟く。

 珍しく零された不満を聞き届けた鬼灯がクスリと笑う。


「九頭竜隊長が過保護だという事です。良かったじゃないですか」


「良くない…」


 じろりと横に並んで歩く鬼灯を横目に見据え、南天は彼にしては珍しく不満を顔に出した。

 オルデンとの一件の後、雪之丞召喚を終えるまでの間、南天は真澄の指示でほぼ怪夷討伐の前線から退けられていた。

 最初は日中の勤務から始まり、巡回時の通信係、大統領護衛任務と徐々に慣らしていき、今夜が巡回への復帰だった。


 その間、真澄も南天に合わせた勤務についていたのだが、真澄の配慮は南天からしてみれば少々大袈裟な対応だった。

 傷はほぼ完治していたし、精神面的な部分のケアもそれほど必要ではなかった。


 真澄は真澄で説明を求めてもはぐらかすので、別な部分でフラストレーションも溜まり放題だった。


「それに、オルデンの動向も分からなかったですし、本調子でない貴方を巡回に連れ出してまた拉致されたらこちらが困る、という意見もあったんです。大目にみなさい」


「…それ、マスターだけじゃなくて、鬼灯達も過保護って事でいいよね」


 鬼灯から出た経緯に南天は少し不満を残しながらも納得した。

 陸軍の本丸とでもいうべき市ヶ谷の陸軍省にオルデンの面々が入省してから、鬼灯と朝月は彼等の動向を内部にいる純浦と共に探っていた。

 だが、雪之丞の事で動いていた間も、あれからオルデンは特に行動を起こしていない。


 巡回で特夷隊が遭遇する怪夷も普段の野良怪夷で、オルデンや陸軍が実験の末に造り上げた怪夷化歩兵ではなかった。

 真澄も鬼灯も陸軍は実験を兼ねて怪夷化歩兵を解き放ってくるものと思っていたが、予想は外れた。


「まあ、貴方を前線復帰させた事で、向こうも動いてくるかもしれませんけど」


「…別に、囮くらいなるよ」


「ふふ、九頭竜隊長が許可してくださるなら、わたくしも貴方を囮に連中を呼び出すのもありだと思いますけどね。ですが、多分許可されないでしょう」


「どうして?海静さんの時は七海さんを囮にしたのに?」


 夏頃に行っていた黒銀の狼を誘き寄せる作戦の事を思い出し、南天は首を傾げた。

 今でこそ七海は特夷隊と関わってしまった関係者だが、あの時点ではまだ柏木大統領の娘というだけの一般人だった。必要だったとは言え、一般人である彼女を大統領の承諾があったとはいえ囮に使ったのは記憶に新しい。


 それなら、戦闘員である自分を囮にした作戦の立案と実行はそれよりも確実性があるのではと南天は鬼灯に進言した。ただ単に疑問だったのもある。


「なら貴方から九頭竜隊長に申し出てみなさい。あくまで予想ですけど、多分、絶対、却下されますよ」


「…意味が分からない…ボクはこれでも怪夷討伐のプロフェッショナルなのに…」


 むすっと、今度は頬を膨らませた南天に鬼灯は、彼の中に起きた変化に気づいた。


(いつもならボクはキリングドールなのにって言いそうなものなのに…)


 南天の言葉尻を汲みとり鬼灯は内心その変化を喜んだ。


 彼に出逢ってまだ二年くらいだが、出逢った頃よりずっと表情が豊かになっている。

 特にこの現代の東京へ来てからの変化は実に目まぐるしい。


 ちらりと鬼灯は朝月とルートの確認をしながら歩いている真澄を見遣る。

 南天のこの急速な変化は、恐らく確実に真澄が関わっている事は間違いなかった。

 自分達では出来なかった事を容易く果たしてしまう真澄との関係性に喜びながら鬼灯は少しだけ嫉妬と寂しさを覚えた。


(雛鳥の巣立ちを見守る親の気分ですね、これは)


 前方を歩いていた真澄に呼ばれ駆けて行く南天の少し伸びた背中を見つめ、鬼灯は目を細めた。


「鬼灯、お前もこいよ」


「ふふ、今行きますよ主様」


 南天と共に呼ばれた筈の鬼灯が来ない事に朝月が溜息交じりに彼を呼び寄せる。

 それにいつもの調子で応えながら鬼灯は駆け足で三人の傍へ寄った。


「今夜は少し旧江戸城の方へ巡回経路を伸ばす。特に怪夷の発生が強い場所だから注意しろ」


「了解しました」


「南天、分かってるとは思うが、あんまり無茶は」


「マスター、ボクは大丈夫です。しっかり訓練もしました。無茶はしません」


「旦那、南天だってそんなヘマしないでしょ、それだとなんか信頼されてないのかって思いますよ」


 南天と真澄の様子を見ていた朝月が思わず口を出した。


「む、それもそうだな…すまない、そういう訳じゃないんだが」


「大丈夫です。マスターとの連携に勤めます。だから、マスターもボクに力を貸してください」


 真っ直ぐに南天は澄んだ紅玉の瞳で真澄を見上げた。

 純粋に決意と信頼の籠った眼差しを向けられ真澄は、少しだけ照れくささを感じて頬を掻いた。


「分かった。背中は任せたぞ」


「はい」


 力強い返事と共に南天は軍人らしく敬礼をする。それに真澄も隊長として応じた。


「はあ、あの人達、もうちょい穏やかに会話してくんないかな」


「おや、主様は隊長と南天の会話が不穏だと?」


「いや、なんていうか…たまに一触即発感ない?」


 後頭部を掻きながら朝月は溜息を零して鬼灯に同意を求めた。だが、鬼灯はそれには答えず着物の袖口で口元を隠して笑うだけだった。


「それだけ、お互いを信頼しているという事です、きっと、彼等にしか分からない絆があるんですよ」


「もっと分かりやすくしてくれよ、まったく…」


 ぼやきながらも鬼灯は真澄と南天が歩き出したのに合わせて歩を進める。その横に鬼灯も続いた。

 暫く四人は旧江戸城の南側を堀沿いに歩き、永田町から桜田門のある方面へと進んでいく。

 暗い堀の向こうには、かつての江戸城がある。

 怪夷を生み出し、一度は封じられながらも今も尚禍々しい異形を溢れさせる元凶の場所。

 夜の闇と離れているとはいえ、漂ってくる瘴気に真澄達は顔を顰めた。


「……」


 堀に隔てられた向こう側を見据え、南天は僅かに顔を歪めて胸元を押さえた。


「南天?大丈夫か?」


 不意に頭上から降って来た気遣う声に南天は顔を上げて首を縦に振る。


「大丈夫です…何故か分からないけど、旧江戸城に近づくと胸が苦しくなるんです」


 心配そうに自分の顔を覗き込んで来る真澄に、南天は今まで黙っていた事を話した。鬼灯と共に現代の東京へ召喚された時から、悩まされている現象の一つだ。

 口にしてから思わず南天は内心でしまった、と気づいた。だが、既に口をついて出た言葉を取り消す事は出来ない。頬を僅かに強張らせつつ南天は真澄から顔を逸らした。


 南天の口から出た内容に真澄は、思わず小言の一つ二つが口を付きそうになって、ぐっと己を制した。


「…そうか、なら少し堀から離れるか。この位置から旧江戸城の観測は出来たから問題ないだろう」


 堀沿いに歩いていた進路を堀から離れるように永田町の内側へ真澄は進路を変更した。


(どうして今まで言わなかったんだとか言われるかとおもったのに…)


 旧江戸城から離れる様に歩き出した真澄の背中を見つめ、予想と違う真澄の様子に南天はキョトンと目を見張った。


「今の話、初めて聞きましたよ」


 真澄から何も言われない事にホッとしたのも束の間、追及は思わぬ方向から突き付けられた。


「いつからです?」


「…東京に来てから」


 真澄の後ろを歩きながら鬼灯はわざと真澄にも話が聴こえる声で南天に追及を掛けた。


「最初からじゃないですか」


「別に黙ってた訳じゃない…いうタイミングがなかっただけ」


 これまで巡回で旧江戸城へ近づく事は少なかった。だからこそ、今のような胸の痛みなどを話す機会はほぼなかったに等しい。

 思わぬ形で露呈した南天の状態に、真澄は内心心配になったが、鬼灯が代わりに尋問をしているのを静かに聞いていた。


「どんな感じですか?三好先生に相談は?いえ、していたらわたくしの所に情報が入っていますね…」


「相談はしてない。絶対鬼灯にチクられるの分かってらから…大したことじゃないんだ…ちょっと息苦しいというか、胸が何かに捕まれたような感覚がするだけ」


「旧江戸城に近づくとですか?」


 鬼灯の問いに南天は頷く。これは昼間でも夜間でも堀に近づくと出る症状だった。


「…旧江戸城。あそこには聖剣の本歌が今もある筈…なら、そこにある本歌と呼応しているんでしょうか?わたくしは何も感じませんが」


「それだったらいいんだけど…なんだか、これは…嫌な感じ」


 自分の中にある曖昧な感覚を南天は言葉に乗せる。だが、口に出してみても胸の違和感への原因は思い浮かばなかった。


「詰め所に戻ったら三好先生達に相談ですね」


 鬼灯から予想通りの内容が返ってきた南天は嫌そうに視線を逸らした。


「南天、俺もあまり言わないが何か不調があれば直ぐに報せろ。戦闘で不安があるのは自分の身と仲間を危険に晒す」


「気を付けます」


 真澄からの忠告を素直に南天が聞いた所で、全員が携帯している通信機機能のついた八卦盤が警告を鳴らし、黄色に点滅を始めた。それと同時に通信が入る。

 今宵の通信係は桜哉と鈴蘭だ。


『こちら特夷隊詰め所。九頭竜隊長。そこから陸軍の日比谷練兵場付近に怪夷の反応を確認。ランクB相当が予測されています』


「了解した」


 詰め所では真澄達の順路は常にモニタリングされている。事前の予測と照らし合わせても発生源の予測は間違いなかった。


『その付近は少し入れば陸軍の縄張りです、くれぐれも気を付けてください』


「分かった。全員戦闘態勢だ」


 桜哉からの通信を聞いた真澄は既に武器を構えている部下達に改めて下知を飛ばした。

 南天を先頭に真澄達は八卦盤が示す方角へ駆け抜ける。

 舗装された道の先、広く開けた陸軍練兵場の手前で真澄達は立ち止まった。

 夜半を越えた練兵場周辺は音もなく静まり返っている。暦の上では冬を迎えた今、虫の声はなく、鳥の気配すらこの場にはない。

 徐々に冷えてきた空気に身を摩ると、衣擦れの音がやけに大きく響く。


「この辺りか……」


 八卦盤を手に周囲を見渡していた朝月は、真っ暗な闇の中、木立の隙間にぽつりと光る赤い点を見つけて咄嗟に外套の懐に手を差し入れた。


「隊長…」


「ああ」


 朝月の呼び掛けに真澄は腰に携えた軍刀の鯉口に指を掛ける。彼の横に並ぶ南天は既に袖の中に隠していた軍用ナイフと鈎爪を構え、臨戦態勢に入っていた。

 ガサガサと地面に降り積もった落ち葉を踏み鳴らし、木々の間から練兵場の広い敷地を何かが蠢いて近づいてくる。

 ガキンと金属音が鼓膜を震わせた刹那、真澄達の目の前に三メートルはあろうかというムカデが姿を現した。


 携帯している八卦盤が一斉に警告音を鳴らす。それを待たずに朝月は札を四方八方へと飛ばし、現れた怪夷を中心にして結界を張り巡らせた。


「随分な大物が出て来たな」


「復帰戦にはもってこいです」


 真澄の横に並び立ち、結界が張られた事で苦痛に咆哮を上げるムカデの怪夷を見据えて南天は僅かに口端を釣り上げる。


「さて、一気に片付けるぞ、南天」


「はい、マスター」


 互いに視線を交わし合い、真澄と南天は互いの呼吸を読みながら目前に現れた怪夷へ向かって戦闘を開始した。








***************************



弦月:さあさあ次回の『凍京怪夷事変』は…!


刹那:使い手と鞘人の契約後、初めての怪夷討伐に挑む真澄と南天が進む先にあるものは…


弦月:第七十二話「復帰戦」次回も乞うご期待!!







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る