番外編:いつか君への祝福を


 ※アテンション

 凍京怪夷事変二周年祝い&南天誕生日記念番外編。

 南天救出作戦から雪之丞が戻って来るまでの幕間のお話です。

 ネタバレを含みますのでご注意ください。







********************************








「あーすっかり忘れてた!」


 大統領府内にある特夷隊の詰め所。執務室に入るなり朝月は目も覚める程の大声を上げた。

 その声に、執務室で仕事をしていた同僚達が何事かと一斉に入り口付近の彼を凝視する。

 仲間達の視線に気付き朝月は咄嗟に口を手で覆い隠し、頬を引き攣らせて笑みを刻んだ。


「いきなり大声を出してどうしたんですか?」


 丁度資料室から資料の纏められたファイルを手に出て来た桜哉が皆を代表して朝月に声を掛けた。それに朝月は執務室の中を見渡し、ある人物がいない事を確認してから近づいてきた桜哉と他の同僚達に聴こえる声で問いかけに応じる。


「南天の件やら怪夷化歩兵の一件で忘れてたけど、旦那の誕生日過ぎちまった」


「あっそう言えば」


 朝月が口にした内容に、桜哉ははっと口元を押さえて徐に壁に貼られたカレンダーに顔を向けた。彼女同様にその場にいる特夷隊隊員達も全員カレンダーに視線を注ぐ。今日の日付は10月28日。あと数日もすれば11月だ。


 そして、特夷隊の隊長であり朝月達の上司である九頭竜真澄の誕生日は10月12日。このところ様々な任務や問題が発生していたせいもあって毎年祝っていた真澄の誕生日祝いを今年は誰もが忘却していた。


「まあ、真澄さんならそれくらい気にしてないと思うけどな…」


「でも、毎年お祝いしていたし、あれ実は楽しみにしているんだよね。今から準備してやろうか?」


 先日の怪夷化歩兵実験の一連の報告書をまとめていた隼人と拓は朝月が思い出した内容を受け、仕事の手を止めて話を始めた。


 真澄の性格からして拓の言う通り自分の誕生日を祝う事を忘れていてもあまり気にしていないだろう。といより、真澄は他の者の誕生日は憶えていても、自分の事に関しては無頓着な部分がある。そんな彼だが、昔馴染みである部下達にとっては大切な日でもあった。


「そうだな。よし、朝月、お前が思い出したんだがから今年はお前が幹事だ」


「え?俺が…まだ先日の怪夷化歩兵実験案件の報告書が終わって…」


「それは俺達がやってるからいい。お前は真澄さんの誕生日祝いの準備してくれ」


「桜哉さんと大翔君と三人で準備したらどうかな?今年入隊の二人は初めてでしょう?先輩がしっかり教えてあげないとね」


 大翔と桜哉を見詰めたから、拓はにこりと朝月に微笑みかけた。この拓の異様に圧のある笑みに押されて朝月は頬を引き攣らせた。


「わ、分かりました。やりますよ」


「いつも俺達がやってんの見てんだから大丈夫だろ、しっかり後輩に教えてやれ」


「はーい」


 隼人からも発破をかけられ朝月は肩を竦めて頷いた。真澄の誕生日を祝いたくない訳ではないが、食事の用意や飾りつけ、プレゼントを用意するなどの細やかな作業が朝月は苦手だった。毎年隼人と拓が中心になってやっているのを横から見ていたが、中々凝った事を毎年するので正直荷が重い。


「別に、俺達のやり方を真似なくていいんだぞ」


「そうそう、朝月君らしいやり方でいいと思うよ」


「俺らしいね…」


 先輩二人の助言に朝月は眉間に皺を寄せて考え込む。難しい顔をしている朝月を桜哉はおずおずと覗き込んで声を掛けた。


「あの、朝月さん、毎年どんな事をされているか教えてもらえますか?私も考えるので。それに大翔さんも一緒ですから。三人で考えましょう」


 1人で考え込む朝月に桜哉は救いの手を差し伸べる。確かに仮にも実の伯父である真澄の誕生日は知っていたが、特夷隊の面々が毎年祝っていた事まで桜哉は知らなかった。真澄は友人や家族を喜ばせる為に色々サプライズをしてくれるが、自分がされる側になるのは桜哉自身想像もつかなかった。毎年誕生日に合わせて手紙とプレゼントを母親と連名で送っていたが、それとは異なる場所で真澄が祝福されていた事が桜哉は嬉しかった。真澄の誕生日の祝いの話が出た時、拓に言われるまでもなく朝月に協力するつもりだったのだ。


「そうだな。よし早急に準備しよう。出来れば10月が終わる前に」


「そうなると、お祝いの日は31日でしょうか?」


「そうだな。大翔の意見も聞いてからだけど、それがいいかもな」


 会話を交わしながら朝月は桜哉と共に自身の執務机に向かい、メモ用紙を取り出してあれこれ案を出し始めた。最初は乗り気でなかった朝月の声が段々軽やかな物になっていく。桜哉も自分なりの考えを楽しげに話していく。


 若者二人の会話を聞きながら、隼人と拓はどちらからともなく顔を合わせると、笑みを浮かべて頷き合った。


 隼人と拓が朝月や桜哉、若い隊員達を今回の催事の準備役に指名したのは、何も自分達の役目を学ばせる為だけではない。

 この所の潜入作戦や戦闘で精神のすり減りは相当なものだった。更に言えばこの隊の指針となるべき真澄が疲弊した状態まで見てしまった彼等にはこれまでの状況はほぼ困難と言って等しい。ようやく落ち着いたと言っても、まだやらなければならない課題は山積みであり、まだまだ全て終わったわけではない。


 そんな緊迫した状況が続く中、今訪れた安息の時をいかに過ごすか。それには何か楽しみが必要だった。


「まさか真澄さんの誕生日祝いを利用するなんてね」


「利用っていうなよ…でも、誰かの祝いならあいつらも少しは楽しめるだろ?普段お世話になってる隊長の為なら猶更」


「そうだね。息抜きにはもってこいかもね」


 いつの間にか大翔も巻き込んで三人で話し合いに興じている朝月達を見つめ、拓は朗らかに微笑んだ。


「真澄兄さんにも休息は必要だしな」


「そうだね。楽しんでもらえればいいね」


 この場にいない我等が隊長の事を脳裏に浮かべ、隼人と拓は誕生日祝いの話し合いに花を咲かせている若者達を優しく見守った。





 副隊長である隼人からの要請で発令された『九頭竜隊長生誕祭大作戦』は思いのほか順調に進められた。

 生誕祭の会場は特夷隊の執務室。飾りつけは前日の通信係勤務である大翔と先日召喚されたばかりの桔梗、竜胆が担当する事になった。


 プレゼントは桜哉と鈴蘭が買いに行く事になり、ついでにケーキと軽食の用意も担う事になった。


 朝月はというと、当日の勤務体制を見ながら各隊員の動きを考え、隊員以外の数人へ密かに会の事を伝えて招待状を送った。

 そして、最後に彼が協力を求めた人物は…。


「マスターの誕生日祝いですか?」


「ああ、お前にプレゼントを渡す役を引き受けて欲しいんだが、頼めるか?」


 唐突な朝月の頼みごとに南天はキョトンと目を丸くした。先日の救出作戦で無事特夷隊に戻ってきた南天は今、真澄の自宅で休暇を取っていた。そんな所に職務の合間を縫って朝月は訪ねて来たのである。

 朝月が来た理由を聞いて南天はその内容に首を傾げた。


「ボクは構いませんが、ボクでいいんですか?朝月さんや桜哉さんの方が適任なような気もしますが…」


 自分が指名された事に対して疑問を抱く南天を朝月は更に説き伏せるべく話をする。


「そりゃ、誰から渡されても旦那は喜ぶだろうけどさ。俺は絶対お前から渡された方が旦那は喜ぶと思うんだ」


「…その根拠は?ボクはまだマスターと出逢って日も浅いですし…いくら先日契約を結べたと言え、親しいとは…」


 自分が渡せば喜ぶと豪語する朝月の言葉がどうにも腑に落ちず、南天は益々困惑した。南天自身は真澄に対して絶対の信頼を置いているが、真澄の方がどうか分からないというのが現在の南天の心境だった。聖剣の使い手と鞘人の契約を済ませたとはいえ、それは真澄がようやく自分を信じてくれたという始まりに過ぎない。信頼はあるかもしれないが、親しいとまでは言い難い現状が南天には不安の種だった。

 いつになく戸惑っている南天の態度に、朝月は本人の目の前で盛大な溜息を零した。


「お前な~親しくなかったら旦那があんな命懸けでお前を助ける訳ないだろ?お前はいなかったから知らないだろうけど、旦那、お前が詰め所からいなくなった後マジで落ち込んで大変だったんだからな。あんな抜け殻みたいな旦那を見るの皆初めてだったんだからな」


 きっと真澄は話していない事を朝月はこの際だからと南天に彼が家出をした後の特夷隊の状況、特に真澄の様子を事細かく伝えた。

 最初は疑っていた南天だったが、朝月の話を聞くうちに段々と申し訳ない気持ちになっていった。


「…マスターがそんな…」


「そんだけお前大事にされてんだぞ。だから、プレゼント贈呈役はお前がやってくれ」


 念を押すように言われて南天は気まずさと真澄や他の特夷隊の面々への申し訳なさに苛まれ、こくりと首を縦に振った。


「分かりました。ボクでいいなら…」


「そうこなくっちゃな。大丈夫、お前から渡されたら真澄の旦那きっと喜ぶから」


 ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、ようやく承諾してくれた南天に朝月は止めを加えた。


「作戦の決行は明日の深夜。旦那達巡回班が最初の巡回から戻ってきた時だ」


「了解です。その瞬間までマスターに勘付かれないよう精進します」


 大役を任された南天は朝月へ敬礼をして要請を受諾した。

 こうして、作戦に必要なピースは全て揃ったのである。




 生誕祭作戦決行当日はあっという間に訪れた。


「それじゃ、行ってくる」


 巡回班である真澄と隼人、拓、海静の四人を見送った大翔達は、早速執務室内の飾りつけを始めた。


「お待たせしました」


 夜半過ぎにも関わらず今回の作戦に賛同してくれた晴美が桜哉と鈴蘭と共にケーキと軽食、酒や飲み物を用意し、それを次々と執務室の中に設置されたテーブルの上に並べていく。普段からここでクリスマス会や忘年会などを開いているだけあり、パーティーの準備はお手の物だった。


「諸君、待たせたな」


 準備が一通り終わる頃、仕事を片づけた柏木が祝い酒のワインとシャンパンを持参して執務室へ現れる。その頃には真澄達巡回班から一度帰還するという連絡が入った。


「よし、ターゲットの帰還までおよそ30分。準備はいいか?」


「ええ、大丈夫です、よし、良い感じです」


 八卦盤についた通信機で状況の連絡を受けた朝月は仮眠室を覗き込んだ。そこでは鬼灯は何やら準備をしていた。彼の手には化粧道具が握られ、その向こうには小柄な影がちょこんと座っていた。


「鬼灯、これ本当に大丈夫なの?」


 鬼灯の前に座らされていた南天が不安げに訊ねてきた。それに鬼灯は胸を張って頷く。


「ええ、とても素敵ですよ。せっかくの祝いの席ならこれくらい決めていても問題ありません。普段のパーカーよりずっと相応しいですよ」


「そうかな……」


 にこりと自信満々に微笑んでいる鬼灯の言葉が未だに信じられず、南天は顔を伏せた。

 そんな南天の傍に近づいた朝月は、しげしげと南天を頭のてっぺんから爪先まで眺めて感嘆の声を零した。


「へえ、馬子にも衣装だな」


「元々の素材がいいですからね。わたくしとしてはもう少し着飾りたいのですが、あまり時間もかけられませんからね」


 真澄が巡回に出ている間のほんの二時間ほどで南天をここまで呼び、準備を整えるのはそれなりにぎちぎちのスケジュールだった。そんな中で鬼灯は朝月のオーダー通りに南天に化粧を施し、髪を整え、衣服を着せたのだ。


「…プレゼント、渡すだけなのにどうして」


「こういうのは格好も大切なのですよ。ほら、行きますよ」


 真澄達巡回班が帰って来るまでに南天のスタンバイを終える為、鬼灯は南天を座っていた椅子から立ち上がらせると、その手を引いて歩き出す。鬼灯に促されるまま南天は仮眠室から一階のパーティー会場である執務室へと向かった。




 大統領府内にある特夷隊の詰め所へ戻ってきた真澄は、建物に近づくなり違和感を覚えた。


「隼人、俺の気のせいならいいんだが、執務室の灯りが消えていないか?」


 執務室は来訪者が確認できるように玄関とエントランスホールを抜けて直ぐの場所に設けられている。その窓は玄関側から見える位置に配置されており、そこの灯りが消えているのは奇妙な光景だった。


 現在は鞘人という新たな仲間を得て人数が増えたのに加え、清白の通信機器や怪夷補足の計測器の改良が施されたお陰で通信係を設けている為、執務室の灯りは常に絶えない状態だった。

 それが、何故か今は外からでも分かるように真っ暗になっている。

 真澄からの問いかけを彼の後ろで聞いた隼人は、隣に並ぶ拓、海静と視線を交わして密かに頷きあった。


「本当だ。さっきまで通信係の桜哉と通信は出来ていた筈。拓、通信は?」


「今確認を…こちら巡回班、通信係、応答を…あれ?通信が」


「隊長、奇妙です。何かあったのかも」


「くそ、まさかオルデンのっ」


 八卦盤で通信を取る拓と異様な気配を察した海静の促しに真澄は、嫌な予感を覚えて血相を変えた。


「三人とも、今から乗り込むぞ」


 背後の部下三人へ指示を出し真澄は軍刀の鯉口に指をかけたまま隊の本拠地である詰め所へと突入を掛けた。

 エントランスを抜け、真っ直ぐに執務室へ続く扉を蹴飛ばして中に侵入した直後、一気に明かりが灯され、パンっ、パンっと発砲音が室内に木霊した。


「は…?」


「真澄さん、お誕生日おめでとうございます!!」


 はらはらと色とりどりの紙吹雪きが降り注ぐ中、執務室に集まった部下や知人達の盛大な声に真澄はその場で固まった。

 室内はさっきまでの真っ暗な様子が嘘のように煌々と明かりが灯され、いつの間にかセットされた長テーブルの上には大きなホールケーキと軽食、酒とグラスが並べられている。

 天井からは「九頭竜真澄生誕祭」と書かれた幕が降ろされ、紅白の垂れ幕が下がっている。その他にも室内はクリスマスの飾りつけにも負けないくらいに煌びやかに彩られていた。


「えっと…これは…」


「そんな入り口で突っ立てないで入って下さいよ、兄さん」


 真澄の後ろからついてきていた隼人が真澄に執務室の中へ入るよう促す。それに未だ困惑しながら真澄は肩越しに隼人達を振り返り、疑問をぶつけた。


「隼人、これは…」


「見りゃ分かるでしょ?兄さんの誕生日祝いですよ」


「遅くなっちゃいましたけど、皆で祝おうって、計画したんです」


 隼人と拓の答えに真澄は再び執務室の中を見渡す。

 そこには、自分の帰りを待ちわびつつ会場の準備をした者達が集まっていた。


「九頭竜君、主役が来ないと始まらないが?」


 痺れを切らした柏木が未だに戸惑っている真澄へ最後の一押しを加えると、真澄は隼人や拓、海静に促されるまま執務室の中へ足を踏み入れた。

 真澄が入室するなり、集まっていた桜哉達は左右に引いて道を開けた。まるで引き潮で出来た道を進むが如く真澄は見慣れた執務室とは少し空気の違う室内を促されるままに進み、やがて大きなホールケーキの置かれたテーブルの前までやってきた。


「それでは、本日の主役も登場した事ですし、これより九頭竜真澄生誕祭を始めさせて頂きます」


 真澄が所定の位置についたのを確認した朝月は、何かの書類を丸めてマイク代わりに持つと、司会進行を始めた。


「おいおい、いつもより大袈裟だな…一体どうなってんだ…」


「まあまあ、今日はいつもより盛大に祝おうって決めたんです。旦那も大人しく祝われて下さいよ」


 困惑する真澄に朝月は片目を瞑ってウィンクを披露すると、早速とばかりに会の進行を始めた。


「ではでは、これより本日の主役へプレゼントの贈呈を行いたいと思います」


 半ば強引な朝月の進行に真澄は1人たじろいだ。しかし、彼を除いた他の面々は既に段取りを聞いていたので朝月の司会進行を盛り上げるべく、大きな拍手を送った。

 朝月の声に応じるように、給湯室に隠れていた南天はゆっくりと姿を現した。


「マスター」


 今日は家にいる筈の人物の声にハッと真澄が声のした方を振り返ると、そこには包みを手にした南天が立っていた。


「あの…その、お誕生日おめでとうございます」


 やや緊張気味にそう言葉を紡いだ南天は、手に持たされていた包みをそっと真澄の前に差し出した。


「南天…お前、どうして」


「朝月さんが、マスターの誕生日を祝うからって…それで、これを代表して渡すようにと」


 両手に掲げた包みを南天はゆっくりと真澄に手渡す。渡された包みと南天を交互に見やり真澄は、一瞬大きく目を見張って思考を停止させた。

 特夷隊が発足してから、毎年部下達は小さいながらも自分の誕生日を祝ってくれていた。

 だが、今日のように大人数が集まる光景は初めてで、それだけでも驚くべきことなのだが、真澄が驚愕したのはそれだけではなかった。


 その理由は目の前で皆からだというプレゼントを渡してくれた南天である。

 今日の彼は普段の狩衣のようなパーカー姿とは異なり、誰かから借りたのだろう白のドレスコートに身を包んでいる。腰元に結ばれたフリルのリボンが少し可愛らしさを強調しているが、まるで騎士のようなその装いは見事に南天の美貌を包み込んでいた。

 元々美しいその容貌もほんのりと化粧が施され、髪は元々左側の一房を編み込んでいるが今夜は更に髪飾りを付け、長い襟足も白いリボンで結ばれていつもより小綺麗に纏められていた。

 ほんのりと色づいた唇がやけに印象的で真澄は、少しだけどきりと胸を震わせた。


「…南天、どうしてお前だけ着飾ってるんだ?」


「これは、その…プレゼントを渡す役だからと朝月さんや鬼灯が…」


 自分でも現在の格好に対して腑に落ちないところがある南天は、真澄に問われて経緯を話す。それを聞いた真澄は司会をしている朝月とその背後にいる鬼灯を一瞥した。


「はあ、まあいいか…誕生日を祝って貰えるのは素直に嬉しいからな…」


 周囲を囲んでいる仲間達を見遣り、真澄は肩を竦めて観念した様子で呟いた。


「職務中だが仕方ない。朝月、それからみんなもありがとうな。今夜はほどほどに楽しんでくれ」


 主役であり上司である真澄からの許可にその場の全員がほっと胸を撫で下ろした後、一斉に騒ぎ始めると、後はいつもの宴会と変わらない状況へ突入した。




 柏木が持ち込んだワインやシャンパンのお陰で宴会は酔っ払いの聖地と化し、だんだんと真澄の生誕祭を口実に呑んでは食べのどんちゃん騒ぎへと発展した。

 真澄も柏木に促されるまま酒を飲み、ケーキや軽食を食べて腹を満たした。


 これまでの日々、緊張と緊迫が続いていた事もあり久しぶりの賑やかな光景には真澄自身も癒され、隼人と拓の思惑は無事に成功を見せた。

 新しく参加した桔梗や竜胆達鞘人もこの機会に特夷隊の面々と交流を深めたようで、とても楽しげに宴会に加わっていた。


 そんな中、真澄はふと1人足りない事に気が付きふらりと会場を抜け出した。

 執務室の隣にある休憩室。そこから続くバルコニーの欄干に寄りかかり外を眺める白い人影の横へ、真澄はそっと近づいた。


「折角色々交流できる機会だってのに、もう少し輪に加わったらどうだ?」


「マスター」


 不意に現れた真澄に驚きつつ南天は彼が差し出してきたサンドイッチを受け取ると、再びバルコニーの外に広がる景色に視線を戻した。


「すみません…ああいう空間は苦手で…」


 貰ったサンドイッチにかぶりつき、南天は肩を落として真澄に告げる。予想通りの答えが返ってきたことに苦笑しながら真澄もまた持ってきたサンドイッチを頬張った。


「今日はありがとな。正直、この歳にもなると誕生日なんてって思うんだが、祝ってもらうのはやっぱり嬉しい」


「マスターに喜んでもらえたならそれでよかったです」


「皆にも息抜きをさせてやれてよかったよ。後は、お前がもう少し楽しんでくれたらいいんだが」


「ボクは、皆が楽しいならそれでいいです。眺めているだけで充分です。これでも結構楽しんでいますよ?」


 欄干に顔を埋め南天は隣から聞こえてくる仲間達の楽しげな笑い声や会話に耳を傾ける。賑やかで明るい空間は好きだが、自分がその場に加わる事に対して南天は遠慮がちというより自分には相応しくないと心の何処かで思っていた。

 だがらこそ、賑やかで華やかな会場をこっそりと抜け出してきたのだが、まさか本日の主役に見つかるとは思いもよらなかった。


「マスター、主役がいないのはまずいのでは?ボクの事は気にせず戻ってください」


「いや、少し酒に酔ったから夜風に当たりたいんだ。もう少しいさせてくれ」


 南天の促しをやんわりと断り、真澄は背中を欄干に寄りかからせてバルコニーの天井を見あげた。

 暫くの沈黙が二人の間を夜風と共に流れて行く。

 無言のまま互いの気配を感じ合った後、真澄は徐に唇を持ち上げた。


「なあ、南天。お前記憶がないから自分の誕生日なんかは…」


 先日打ち明けられた南天の秘密。それは未だに衝撃として真澄の心に刻まれていた。自分を殺戮人形と偽るのも、感情の殆どを排しているのも、全ては五年より前の記憶が失われている事による防衛本能だと知った時、真澄は今までの南天への態度を酷く後悔した。

 顔を見て謝りたくてもその機会は思いもよらない妨害を受けて失われたが、それでも無事に彼を自分の傍へ取り戻す事が出来た時の感情は、これまで生きて来た中で初めて味わうモノだった。


 真澄からの問いかけに南天は顔を上げて小さく頭を振る。


「すみません、生まれた日がいつか、ボクには分からなくて…」


 真澄の問いに答えられないことを南天は何故か悔しく思った。先日、桔梗と竜胆をこちらに呼んだことで自分に関する全ての情報開示が許された事でもう真澄に隠し事をしなくて済むと安堵したが、自分が応えられる私的な情報の少なさに、南天は何故か胸がざわつくのを覚えた。


「先日も話しましたが、ボクは自分が何処の誰で何者なのか本当に分からないんです。鬼灯やドクターもボクが何処から来たのかは知りません。気が付いたら陸軍の暗殺部隊に拾われていて、そこで訓練を受けていた…任務に失敗して処分される筈だったところをドクターに救われて今に至る。これが今のボクにある全ての記憶です…」


 夜空に広がる星々を眺め南天はあまりにも少ない自分という存在の証明に小さく溜息を零した。今までは左程重要だと思っていなかった自身の情報に物足りなさを感じる。

 真澄の質問に素直に答えられない事に歯痒さを感じていると、不意に隣にいる真澄が「あっ」と声を上げた。


「そうだ、誕生日が分からないならお前と俺達が出逢った日を誕生日の代わりにしよう。俺だけ祝福されるのはどうにも落ち着かない。次は俺がお前を祝う番だ」


 唐突な思い付きを聞かされ、南天は一瞬何を言われたのか分からずに真澄を見上げ、大きく目を見開いた。


「それは…」


「特夷隊は隊員の誕生日を祝うのが基本だ。お前達も特夷隊の一員なんだから祝って当然だろ。鬼灯達のも聞いておかないとな」


 ニヤリと不敵な笑みを零す真澄に南天は虚を突かれたかのように目を白黒させてから、さっと顔を逸らして俯いた。


「来年の6月。必ず祝おうな」


 大きく少しごつごつとした真澄の手が南天の柔らかな銀糸の髪の上に載せられる。ゆっくりと撫でられる心地よさに南天は最初こそ恥ずかしさを覚えたが、次第に目を細めて身を委ねた。

 頭部から伝わる優しい熱に南天はふと、来年の事を考えた。今、南天達はある目的の為に動いている。その目的が果たされたらその先はどうなるのだろう。


(来年か……)


 嬉しげに必ず祝おうと言ってくれた真澄の言葉が、妙に嬉しくて南天は少しだけ淡い夢を見る事にした。

 この先、どんな困難が待ち受けていようと、必ずそれを乗り越える。

 輝かしい未来を手にした時、この約束が果たされる事を少しだけ期待しようと南天は自身の胸に刻み込んだ。


 それは、真澄もまた同じであり、そう遠くない未来への希望を隣に寄り添う少年へ見出したのだった。












6月15日で『凍京怪夷事変』も二周年。ここまで書き続けてこられたのもひとえに覗いてくださる皆様のお陰です。この場を借りて御礼申し上げます。

まだまだ物語も中盤ですが、最後まで書き上げられるようこれからも精進して参りますので、よろしくお願いします。

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