第六十八話―導きの舞を貴方に



 電子音が鳴り響く通信端末の通話ボタンを、雪之丞はゆっくりと押す。


『……ド…ター…ドクター、聞こえますか?』


 ノイズが走った後、最初はかすれたような聞き取りずらい音から、やがて声が鮮明に聞こえてくる。

 何故この通信機だけが機能するのかは、いまだに分からないがこれが機能していたお陰でこれまで送り出した彼等と繋がる事が出来た。


「こちらドクター。うん、聞こえているよ、鬼灯」


『良かった。無事に繋がりましたね。早速ですが貴方をこちらに呼び寄せる日取りと場所が決まりました。日取りは、鞘人の時同様の次の満月の晩。召喚場所は、千駄木の根津神社です』


 鬼灯からの淡々と簡潔な説明に雪之丞は静かに耳を傾けながら、内心息を吐いた。


(根津神社…あそこなら丁度いいか)


 鞘人を降ろすのにはかなり霊脈の集まった場所が選ばれてきた。

 東京内にある霊脈は殆どが旧江戸城を中心に北東と南西に流れている。

 約300年前。徳川家康があの地に幕府となる都を開いた時、その地形には呪術的な意味が込められた。


 だからこそ江戸の街は60年前に世界を混乱に陥れた大災厄の引き金となった。

 渦を描くように広がる街と、南北に延びる霊脈は遠く日光の地まで伸びていた。

 日ノ本に怪夷が広がっていったのは、その霊脈に従った結果である。


 これが碁盤の目の帝都であったら、日ノ本の被害はもう少し少なかったかもしれない。

 そんな事情を持つ東京であっても、霊脈の力を利用するにはその後に同じ事を行えない可能性が秘められていた。それだけ、鞘人を向こうに送り出すのはエネルギーが必要だったのである。


『ドクター、まだ日にちがありますから、くれぐれも無茶はなさらないように』


「分かってる。取り合えず、色々片付けはしておくよ。分かっていると思うけど、何もかも消してしまうから、それだけは覚悟してね」


 寂しげに眉を垂らし雪之丞は鬼灯とその後ろで聞いているであろう我が子同然の者達に宣言した。


『構いません。証拠が残っては、元も子もありません。鞘だけ持ってこちらへお越しください』


「うん、ありがとう。皆も気を付けて」


 短い会話の後、通信を切る。さっきまで聞こえていた声がなくなった途端、部屋の中が再び寂しくなった。


「さて、やろうかな…」


 室内を見渡し、雪之丞は唇を噛みしめた。

 五年という短い時間だったが、この研究室には様々な思い出が詰まっていた。

 自身の子供達である竜胆や桔梗、自分が預かった鬼灯や清白。研究の目的で集めていた紅紫檀達。鞘人の研究が始まってから巡り合った鈴蘭と南天。

 実の子と同じくらい彼等との日々は愛しく、一人だけこちらに飛ばされて親友達の死を知った雪之丞にとって、彼等の存在はかけがえのない救いであり支えであった。

 戦渦の中で、それでも笑うあう事の出来た日常が、雪之丞をここまで導いてくれた。


(今度は、僕が報いる番だ)


 机や棚にある様々な研究資料を雪之丞は一斗缶の中で燃やし始めた。

 ここにある研究は全て破棄しなくてはならない。これがある事で、この戦況は更に泥沼化するだろう。


 既に一年ほど前から雪之丞は軍への研究報告に虚偽のデータを紛れ込ませていた。

 恐らく、ここにある資料やデータが失われれば、同じものは二度と作れない。

 これは、全てが終わった後の事を考えての事でもあった。


 もし、全てが丸く収まって、竜胆達がこちらに戻った時、少しでも平和に近づいているように。

 過去を変える事で、ここで出逢った彼等がどうなるか想像もつかないが、それでも竜胆達は過去を変える事に賛同してくれた。

 彼等にも、もしかしたら失わずに済んだ未来があったかもしれない。という願いがあったから。


 パチパチと火の粉を巻き上げる一斗缶とそこで赤赤と燃えていく紙束を雪之丞は無言のまま見つめ、淡々と作業に勤しんだ。




 柏木の提案で雪之丞を呼び寄せる場所が根津神社に決まった翌日から、真澄達と鞘人達は職務の合間を縫って準備を始めた。


「召喚の方法は我々鞘人を呼び寄せる時と恐らく変わらないのですが、縁ある者が引き寄せる役割を担った方が良いかと思うのです」


 黒板に、当日の配置や必要な物を書き連ねた鬼灯は、執務室に集まっている特夷隊の面々を見渡した。


「縁ある者が呼び寄せる?」


「ようは、神を招くのと同じですね。神楽を舞うとかお囃子を演奏するとか…」


 朝月の疑問に鬼灯は例えを出して答えた。

 次元の違う空間からこちらに対象を導くには、それへ捧げる何かが必要だと、鬼灯は前々から考えていた。

 丁度、鞘人が旧江戸城に今もあるであろう聖剣の本歌の位置に形代を置いたように。


「縁あるなら、やっぱり真澄さんがいいんじゃないか?」


 ちらりと隼人は真澄の方へ視線を向ける。だが、真澄は何故か渋い顔をした。


「…いや、俺は多分…無理だろうな…」


「どうしてですか?雪之丞兄さんの縁者なら真澄さん以外考えられない」


「付き合いも一番長いだろうし」


「何か理由があるんですか?」


 真澄を推薦してくる隼人と朝月に代わって海静がその理由を尋ねた。


「…俺は、そういう巫覡的な事をやった事がない。うちのお袋ならもしかしたら剣舞くらい舞えたかもしれないが…根っからの武人として育った俺には、剣舞はおろか楽器すら無理だ。盆踊り踊るのとは訳が違うんだぞ…それに」


「九頭竜隊長については、その膨大な霊力を動力源に使わせてもらうのでご心配なく。ね」


 真澄がいいかけた事柄を引き継ぐように桔梗は満面の笑みを浮かべながら断言した。


「あ、そうか真澄さんって確か霊力は強いのに、それを流すだけ流して自分では使えないんでしたっけ?」


「お袋譲りの体質だからな…」


「ああ、だから結界とか張れなかったんですね」


 昔聞いた事のある真澄の体質について思い出した拓は、ポンと手を鳴らす。

 それを聞いて鬼灯は真澄がこれまで一度も怪夷戦で結界を張る姿を目にしていなかったのを思い出して、合点した。


「あの…その役目、僕にやらせてくれないかな?」


 すっと、手が挙がった方を鬼灯達が見ると、真剣な表情で大翔が腕を伸ばしていた。


「僕は、祭事部の名家、宮陣家の者だ。神楽は幼い頃から教え込まれているよ」


「私も、大翔さんが適任だと思う」


「うん、僕もそう思ってた!」


 竜胆と桔梗の意見が一致している事に、鬼灯はやれやれと肩を竦めた。それから改めて大翔と向かい合う。


「よろしいんですか?」


「うん、だって、雪之丞さんは、僕の大切な婚約者だから」


 胸元に手を添え、瞼を伏せてから大翔は真っ直ぐに鬼灯達鞘人を見つめる。その決意に満ちた眼差しにその場の誰もが賛同した。


「では、当日導き手は大翔さんにお願いします」


「そうなると、当日まで霊力を高めたり舞の練習をしたり時間がいるな。大翔、お前には特別任務を与える。しっかり励んでくれ」


「はい!ありがとうございます」


「桜哉、少しサポートしてやってくれ。お前の方が俺よりその辺りは詳しいだろ?」


「分かりました」


 真澄からの要請に桜哉は快く引き受けた。大翔とはこれまで同期として共に支え合ってきた。同い年ということや、本当は同性であるという点でも大翔の補佐をしてきたし、九頭竜の血を受け継ぐ娘として、巫女としての教育も母や祖母から受けている。

 そんな桜哉だからこそ、出来る事は幾らでもあった。


「残りは通常通り怪夷討伐の巡回でいいのか?」


「ええ、呪符を拵えたりするのは合間を見て行います。後は、鞘人とその使い手には当日力を出せるよう体調を整えて頂ければ。特に、九頭竜隊長と大翔さんはまだ使い手になったばかりですから」


 真澄と南天、大翔と竜胆、桔梗を交互に見やって鬼灯は念を押す。

 儀式自体は鞘人と導き手である大翔が中心だが、鞘人の力を安定させるのに使い手が傍にいた方がいいのではと鬼灯は踏んでいた。


「大丈夫、マスターとボクなら、問題ないよ」


 それまで上官達の話を黙って聞いていた南天は、何処か自信ありげに発言した。

 真澄と契約を結んでから、調子がいい。以前は不完全な仮契約のせいで不安定だった力も最近では安定しているのを南天は感じていた。


「いいますね南天。貴方からそんな自信満々な言葉を久しぶりに聞きましたよ」


「事実だから。マスターがいればボクはどんな事でも出来るよ」


 ちらりと真澄の方を見遣り南天はドヤっと胸を張る。


「たく、頼りにしてるよ。相棒」


 自信満々で言われた真澄は、頬を掻きながら苦笑を浮かべた。その態度がまんざらでもない事を部下達は見逃さなかったが、敢えて触れる事はなかった。


(そんなに絆が深いなら、どうしてさっさと契約を結ばなかったのか…今更ですけど)


 南天と真澄の間にある見えない絆の糸に鬼灯は内心溜息を零した。無事に契約が済んだからいいものの、この場まで引きずっていたら自分は何かをしでかしていたかもしれない。

 本当に、上手く鞘に収まってよかったと鬼灯は胸を撫で下ろしていた。


「それでは、当日含めよろしくお願いします」


「ああ、総員気を引き締めて職務に当たるように」


 鬼灯達の願いと真澄の号令に特夷隊の面々は敬礼で応じた。



 十一月の満月の晩。


 日暮れと共に根津神社の神楽殿の周辺には篝火が焚かれていた。

 柏木の計らいで宮司に話を付けてもらった結果、根津神社は特夷隊と鞘人達の貸し切りになった。

 神楽殿が見える位置に陣取った柏木が宮司と酒を交わしながら、準備に奔走する特夷隊の面々を眺めていると、真澄が傍へ寄って来た。


「おお、どうだ準備は終わりそうか?」


「月が中天に来る頃までにはどうにかな」


 柏木の問いかけに答えた真澄は、差し出された盃を受け取り、それをぐっと煽った。


「いいのか?これから儀式に臨む奴が酒なんて」


「差し出しといた奴が言うな。禊だよ、禊」


 柏木の隣に腰を下ろし真澄は篝火の灯る神楽殿を見つめる。その奥にある拝殿は昔何度か雪之丞と三人で参った事のある場所だった。


「いよいよだな…どうだ、親友が帰ってくる瞬間に立ち会う気分は?」


「それを言ったらお前もだろ…そうだな、正直まだ実感が沸かない。無事に戻って来るかも補償がある訳ではないしな…」


 盃に注がれた酒の水面を覗き込み、真澄はそこに映った曇り顔の自分に溜息を零した。


「ああ、これが俄かには信じがたい実験のようなものだと私も思っているさ。だが、秋津川君らしいじゃないか。成功するか否か五分五分の実験に自らを被検体にするのは」


「違いない…根っからの研究馬鹿だしな」


 盃に注がれた酒を煽り、ぐっと口元を袖で拭ってから真澄は静かに腰を上げた。


「せいぜい高みの見物と洒落込んでおけよ。飲み過ぎてその瞬間見逃すなよ」


「愚問だな。秋津川君が無事に戻ってきたら、三人で飲むぞ」


 一升瓶を掲げて不敵に笑う柏木に手を振り、真澄は神楽殿の方へと戻っていった。




 根津神社の社務所内にあるお祓いなどで訪れる信者用の控室では、南天達鞘人と大翔、桜哉が巫覡の装束に身を包んでいた。

 浅葱色の袴に白い小袖に着替えながら南天は、ふと鏡に映る自分の姿に眉を顰めた。


「南天、どうかしまして?」


「あ…ううん」


 南天の表情が険しいのに気付いた鈴蘭は、案じるように声をかけた。背後からの声に南天は肩越しに鈴蘭を振り返って首を横に振った。


「緊張してます?」


「そうかも…」


 鈴蘭の気遣う問いかけに南天はぎこちなく返事をした。


(そうなのかな…うん…多分、きっとそう)


 袴を穿き、小袖に袖を通した途端、不意に胸の奥がざわついた。普段しない格好に違和感があるだけかと思ったが、何故かこの装束を纏った事があるような気が南天はしていた。

 だが、大事な儀式を前に不穏を残したくはない。

 南天は鈴蘭に気付かれないように彼女の憶測に合わせた。


 南天が胸のざわつきに困惑している間、鬼灯と清白、竜胆は黒い板状の通信機で雪之丞への連絡を行っていた。

 どういう訳かさっきから感度が悪く、ノイズの中に微かな音が聞こえるだけだった。


「もしかして、ドクター誤って通信機壊したりしてないよね?」


「あの人ならあり得る…」


「困りました。向こうの状態を知りたいのに…」


 何度かコールを鳴らすうち、ノイズが徐々に鮮明になっていく。次に聞こえてきたのは、何かが破裂する爆発音だった。


「ドクター!?」


『こ、こちら、ドクター。ごめんっちょっと火薬の量間違えた!あっつ!』


 ドン、ドーンと、激しい爆発音がノイズと共に響いてくる。背後の状況に鬼灯達は雪之丞の現状を理解した。


「やっぱり、なんかやらかしたね」


「火薬の量間違えたって…どれだけ大量に設置したんですか…それでも研究者なんですか?」


 清白の当然と言いたげな感想に鬼灯は額を押さえて肩を落とした。

 普段から数字と計算と向き合っている筈の科学者が爆発の為に必要な火薬の量を間違えたなど、前代未聞である。

 こうしている間にも、激しい音が通信機越しに聴こえていた。


『あ、この音聞きつけて憲兵が僕の事追いかけてきてるから、このまま通信繋いだままでいてね』


(バレたんか)


 珍しく走って逃げているのか、雪之丞の息は絶え絶えだった。更に、制止を求めるドスの効いた声が背後から聞こえているのに、鬼灯達は胸中で総突っ込みをした。


「あらあら、相変わらずですわね…ドクターは…」


「鈴蘭、巫女の支度は?」


「もう出来ましてよ」


 通信機の向こうから響いてくる騒がしい音に肩を竦めながら鈴蘭は支度を手伝っていた大翔の手を付き添いである桜哉と共に引いた。

 朱の袴に白の小袖は南天達の物変わらないが、絹で織られた千早と呼ばれる衣を羽織り、額には五色の紙幣が揺れる金の装飾を付け、白粉と紅で化粧を施したその姿は、普段の大翔とは異なる神々しさを纏っていた。


「大翔さん、もう始めましょう。ドクターも無事、目的地に向かっているようですから」


「目的地?」


「時空に通じる穴って呼ばれている場所。普段は実験に失敗して息絶えた兵士の亡骸を棄てる場所なんだけど、どうやらそこがこっちの霊脈に繋がっているらしいんだ」


「わたくしと南天がこちらに来る時に通った場所であり、紅紫檀さんや三好先生、南天の飼い猫だったくろたまも落とされた場所です」


「そこに雪之丞さんが飛び込むんだね」


 大翔の問いに鬼灯は頷き、袴の裾を翻して歩き出す。


「いきましょう。もうあまり時間がない」


 鞘人と神楽を舞う為の巫女は、控室を出て廊下を渡り、神楽殿へと向かった。




 背後で聞こえる爆発音と背中に吹き付ける熱だけなら良かったのだが、まさかこの音を聞きつけて追手がかかるとは思っていなかった雪之丞は胸元で揺れる通信機に懸命に応じながら、割れたアスファルトの上を走っていた。

 満月は中天に差し掛かろうとしている。通信機の向こうからは雅楽の音色が響き始めていた。


 鬼灯達と会話を交わしてから既に30分。そろそろ目的地だ。


「はあ、はあ、はあ、はあ」


 背中に大小様々な長さの鞘を背負ったまま、雪之丞は軍の施設内にある、ある場所の前で急停止した。


「魚住博士、そこまでです。大人しく投降してください。何故優秀な貴方がこのような暴挙を」


 追いかけてきた憲兵達は、普段研究所の警備を任されている馴染の者達ばかりだ。

 彼等は研究所が爆破された騒ぎに気付いて駆け付けてくれたが、その爆発の首謀者が雪之丞本人だと知るや、半信半疑で追いかけてきたのである。


「悪いけど、このまま研究を続けても戦況が好転するどころか、ますます泥沼化するのは目に見えてるからね、僕は、もっと違う方法でこの戦渦を終わらせるよ」


 大きく口を開けた大地を背にしながら雪之丞はゆっくりと後退り、にじり寄ってくる憲兵達から距離を離していく。


「いままでありがとう、じゃあね」


 馴染の憲兵達へ手を振って、雪之丞は背中から深い穴の中へとその身を投じた。





 鈴の音と神楽の笛と太鼓の音色に合わせ、神楽殿の中心で大翔は舞扇を手に、ゆっくりと足を運び始めた。

 ゆったりと、袖を揺らし、裾を捌き、蝶が舞うが如く大翔は祈りと願いを込めて扇を泳がせる。


 薄暗い夜の闇の中、月明かりと篝火に照らされながら、神楽殿の横に描いた陣に南天達は立っていた。

 その手には、彼等がその身に宿している聖剣が握られている。

 契約者である真澄達使い手もまた、鞘人を囲むように後ろに待機していた。


 導き手を引き受けた大翔の代わりは竜胆が務める事となり、鞘人の位置に桔梗、使い手の位置に竜胆がそれぞれついていた。

 相変わらず、鬼灯の首から下げられた黒い板状の通信機からは騒がしい音が響いている。


「それじゃ、始めるよ」


 大翔の舞が始まったのに少し遅れて桔梗は仲間達に詠唱の合図をした。

 これまで鞘人を招く為に行っていた詠唱が、今度は刀剣の一部である鞘を引き寄せる為に行われる。それを持っている雪之丞ごとこちらに呼ぶというのが、今回の方法だった。


 詠唱が始まると同時に、雪之丞は穴の中へと身を投じた。

 南天達鞘人の口にする詠唱と、大翔の舞、使い手達の霊力が陣の中へ注ぎ込まれていく。


 白銀の光が浮かび上がり、それは一条の帯となって天井へと昇っていく。

 これまで、鞘人を呼ぶ為に幾度となく見ていた光が、月へと届き、天と地を繋ぐ。

 バチンと、鬼灯の胸元で揺れていた通信機が火花を散らして弾けた。

 それに一瞬気を取られそうになったが、鬼灯本人を含めて鞘人達は詠唱を続けた。

 光りの帯が何かを掴み、やがて流れが濁流のように地面へと押し寄せてくる。

 舞を踊る大翔の動きも何かが乗り移ったかのような洗練さと神々しさが宿り、詠唱と雅楽の音が一体となる。


 見物をしていた柏木が光の中に人影を見た刹那、眩い輝きが周囲を昼間の如く染め上げた。

 どさっと、何かが落ちる音が鈍く響く。


「いたた…誰か受け止めてくれてもいいじゃないか…」


 光りが消え去り、元の夜の暗さが戻ってくると、鞘人達が囲む陣の中央には白髪の中年の男が尻餅をついていた。

 腰を擦り、眉根を寄せている白衣の人物を、その場に集まった誰もが凝視する。

 驚愕に彩られた好奇の目に男は周囲を見渡す。


「や、やあ…ただいま」


 弱弱しく手を上げ、彼はへらへらと笑いながら見知った者達を見渡した。

 沈黙の後、口々に彼を知る者達が、彼の名を呼ぶ。


「雪!お前」


「はは、戻ってきました…心配かけたね」


「まったくだ、その破天荒さをどうにかしてくれ、秋津川君」


「ごめんてば、というか、僕たけのせいじゃないんだけど…」


 真澄と地面に光が落ちた途端に跳んできた柏木、二人の親友が伸ばす手を雪之丞はそれぞれ握り返す。固く繋がれたその手には、間違いなく血が通い、三人は昔と変わらぬ笑みを浮かべた。


「通信機が壊れた時はヒヤリとしましたが、良かった。ドクター」


「ほんとだよ!肝冷やして詠唱とちりそうになったし」


「とちらなくてよかったよ、桔梗。よくお戻りで、ドクター」


 親友である男と我が子同然の者達が集まってくる。もみくちゃにされながら雪之丞は気の抜けた笑みを零した。


「さて、我が子達と親友諸君との再会は出来たから」


 真澄と柏木の手を借りて腰を上げた雪之丞は陣の傍にある神楽殿の方へと歩み寄った。

 欄干に身を乗り出し、こちらを見下ろしている今にも泣きそうな顔へ、雪之丞は愛おしさを纏った笑みを浮かべ、両手を伸ばす。


「ただいま、大翔…」


「雪之丞様…僕…」


 伸ばされた手を雪之丞はそっと握り返し、己の額に白い手を押し当てた。


「迎えに来たよ。僕の花嫁」


 はばかる事もなく雪之丞はずっと待たせてしまった乙女へ離れ離れになる前に交わした約束の言葉を告げる。

 確かに目の前にある温もりに大翔は笑顔のまま一滴の涙を流した。


 大地震があった晩夏のあの日から始まった雪之丞の苦労は、今ようやく実を結んだのだった。







**************************


刹那:次回の『凍京怪夷事変』は…


朔月:ついに東京へ戻ってきた親友に喜びを噛み締める真澄。束の間の休息が彼等にもたらすモノとは…


刹那:第六十九話「再会の盃」次回もよろしく頼むぜ

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