第六十七話ー悪夢のその先へ
ベッドに横たわり、雪之丞は茫然と灰色の天井を見上げていた。
あれから何時間過ぎたか分からない。
先程桔梗が食事が出来たと呼びに来た気がするが、それに生返事をしたところまでしか、はっきりとした記憶がない。
(まさか…そんな…)
それ程に、新聞に記された内容は雪之丞にとって衝撃的なものばかりだった。
まず、自分がいるのは27年も先の未来だということ。ここまでは、この拠点に来た時に対面したドクターと呼ばれる秋津川雪之丞の見た目から考えた仮説通りだ。
そこまでは、恐らく旧江戸城の大穴から聖剣の力によって自分は時空を超えてしまったのだと理解した。
だが、その後の内容は本当に信じたくないものばかりだった。
震災の後、復興に着手した柏木と陸軍中佐へ出世した真澄が、二年後の1929年2月26日に陸軍の若手将校達に暗殺されている。
彼等は政治を動かし、大陸へと進出して新たな国を興し、更に旧江戸城に封じてあった怪夷を利用して強化歩兵と呼ばれる人間兵器を造り出した。
そして、日ノ本は真っ二つに割れる内戦状態に陥った後、米国などの連合国との関係悪化で今や本土を戦場として怪夷化歩兵とそれに対抗する帝都防衛軍との戦乱は続いているらしい。
(僕は帝側に着いて怪夷化歩兵への対抗策の研究をする研究者って訳か…)
ここで未来の自分がどのような立場にあるのかを雪之丞は新聞の記事から入手していた。
真澄達が暗殺された後、雪之丞は帝都へ招かれ、帝から勅命で怪夷化歩兵の研究と対抗策の開発をする科学者としてかなり上の地位にいるらしかった。
(やっぱり…あの地震で旧江戸城の封印は解けたのか…)
ごろんと、ベッドの上に願えりを打ち雪之丞は机の上に置いてある布に包まれた刀剣達を見詰めた。
(三日月は結局見つけられなかったし…どうしよう…今更東京の旧江戸城を封印するって言ったて…この時代じゃもう母さん達も生きてないし…)
新聞の内容からは推測するしか出来ないが、恐らく怪夷討伐の英雄と呼ばれた雪之丞の母親達は故人になっているだろう。
そうでなければ、こんな事にはなっていないはずである。
何度目かの溜息を吐き、もう一本シガレットを吸おうとした時、トントンと、部屋の扉が叩かれた。
「秋津川です。今、よろしいですか?」
部屋の外からかかった声に雪之丞は「どうぞ」と応じた。
すっと、扉が開き、白衣姿の初老の男が入ってくる。
ベッドから起き上がり、縁に腰掛けた雪之丞は入って来た未来の自分を静かに見つめた。
「すみません、食堂へいらっしゃらなかったので。軽食ですがお持ちしました」
「あ…お気遣いありがとうございます…すみません、桔梗ちゃんが呼びに来てくれたのに…」
「いえいえ、あの子も特に気にはしていませんでしたから…少し、話をしてもよろしいでしょうか?」
ドクターの申し出に雪之丞は頷いた。雪之丞もこの初老の男と話したい事があった。
雪之丞の許可をもらい、机に備え付けられた椅子を引っ張ってくると、ベッドの縁に座る雪之丞の前で腰を下ろした。
「あの、貴方はあの有名な秋津川博士ですよね?実は僕やっと自分の事を思い出したのですが…僕は貴方に憧れて怪夷研究をしている学者なんです」
咄嗟に吐いた嘘だったが、ドクターは目を大きく見張ってから目を細めて破顔した。
「そうですか…まさか、こんな所で後継者に巡り合えるなんて…」
「後継者?」
ドクターの口から出た単語に雪之丞は訝しむ。その意味を考えている間にもドクターは話を始めた。
「僕は旧陸軍がクーデターを起こしてから二十年以上、国の為、帝の為、志半ばで散った親友達の為に怪夷の研究をしてきました…しかし、もう限界のようだ」
そう言った直後、ドクターは激しく咳き込んだ。咄嗟にその背中を擦った雪之丞は、ドクターの手に赤黒い唾液が吐き出されているのを見て、息を飲んだ。
「…最初は、本当に驚きでした…まさか、真澄と静郎が暗殺されるなんて…あの地震が陸軍や祭事部が仕組んだ怪夷復活の為の実験だったなんて…でも、真実だった。悪い夢であればと思いながら、国は戦渦に巻き込まれ…愛する妻すら殺されてしまった」
呼吸を整えながら、まるで今わの際の懺悔でもするかのようにドクターは淡々と話をする。
そこに出て来た内容に雪之丞は更に喉が詰まった。
(愛する妻って…まさか…)
「僕は…妻の為にも、散って逝った友の為にも、この戦渦を止めなくてはならない…貴方が持っているあれは、聖剣ではないですか?」
縋るように問い詰められ雪之丞はごくりと息を飲みこんだ。
腕を掴む初老の男の手は、歳の割りには節くれだち、弱り切っている。肌の艶や髪も白くなり、その身には死期が近い事を匂わせていた。
「どうして貴方があの聖剣を持っているのか…この際追及はしません。本歌は既に陸軍に焼かれてしまった。もしあれが行方知れずになって写しなら、まだ望みはある…どうか、僕に力を貸してくれませんか…」
悲痛な叫びに似た声に雪之丞は身を硬くしながら当惑した。
一体、どうやって力を貸せばいいのか。
戸惑っていると、再びドクターが咳き込んだ。
弱弱しく震える身体を前に雪之丞が悩んでいると、すっと、扉が開き二つの人影が入ってきた。
「わたくし達からもお願いします」
新たに部屋に入って来たのは、先程自分を助けてくれた竜胆と灰色の髪を総髪に結い上げた竜胆と同年代の青年。
「君達は…」
「わたくしは、かつて怪夷討伐の英雄と呼ばれた東雲雨の子孫にあたる者です。コードネームは鬼灯。異邦の方、どうかドクターの願いを聞き入れては貰えませんか?」
「貴方が力を貸してくれるなら、私達はなんでもします。どうか、その聖剣でこの国を救う術を」
竜胆と鬼灯という二人の若者の懇願に雪之丞は彼等とドクター、机の上の聖剣を見詰めた。
聖剣があっても怪夷や旧江戸城の封印を出来るかは分からない。その怪夷化歩兵とやらに対抗する策を講じられればいいが、それも今の段階では分からない。
それでも、死にかけの自分と若者達の願いを無下に出来る程雪之丞は薄情ではなかった。
「…分かりました。僕に何処まで出来るか分かりませんが、協力します」
胸のまで拳を握り、雪之丞は決意を固めて進言した。
それが、今思えば茨の道になるとは、露ほども思っていなかったが、この時から雪之丞の戦いは始まったのである。
それから、半年ほどして、未来の自分であるドクター事秋津川雪之丞はこの世を去った。
雪之丞は新たなドクターとして、彼の研究を引き継ぐ事となり、対怪夷化歩兵への対抗策を講じる研究を始めた。
ドクターが亡くなった後、雪之丞はあっさりと自分の正体を竜胆や桔梗達に明かした。
最初こそ驚いていたが、何故か思うところがあったのか、桔梗達は雪之丞の話を信じてくれた。
「つまり、ドクターはその聖剣の写しと共に過去の時代から飛ばされてきた、という訳ですね」
鬼灯の確認するような問いかけに雪之丞は大きく頷いた。
「その通り。僕はこの時代の人間ではない。震災の日、僕は真澄と一緒に旧江戸城へ行ったら、そこで大きな穴に落ちて気が付いたらここにいたんだ」
「あの…私が父から聞いた話では、父はその震災の日、確かに親友であった九頭竜中将と柏木大統領と共に会食をしたと言っていましたが、旧江戸城には行っていないんです」
竜胆の口から出た衝撃の事実に雪之丞は目を見張った。
自分は確かにあの日真澄と共に旧江戸城の様子を見に行った。それをこの時代の自分はしていないという。
「…ちょっと待って、僕が知っているのと違う」
「もしかして、それは歴史が違ったとういう事ではないですか?もし貴方の話が本当なら、貴方がいた時代ではまだ怪夷化歩兵などいないのでは…?」
鬼灯の憶測に雪之丞はパッと視界が開けたような気分になった。
「つまり…上手く行けばこの最悪の未来は回避できる?」
「まだ机上の空論ですが、貴方がその聖剣の写しを持っていた事で、少し変化があったのではないでしょうか?もし、本来の時代に戻れれば…」
「今の状況を止められるかもしれない?」
桔梗の疑問を含んだ問いかけに雪之丞は強く頷いた。
だが、まだ情報が足りない。真澄と柏木が暗殺されるまでの間に、何かがあったはずである。その何かを突き止める必要がある。
「よし、やれるだけの事はやってみよう…真澄達が暗殺されるのを止められれば状況は変わるかもしれない」
「その為には、貴方が本来の時代に戻る必要があるのでは?」
「それに、旧江戸城の封印を元に戻す必要もあるでしょう?その方法も見つけないと」
鬼灯と竜胆の意見にもっともだと感じながら雪之丞は内心で闘志を燃やした。
親友達の死は何としても回避しなくてはならないが、愛する妻・大翔まで奪われた自分の人生を雪之丞は認めたくはなかった。
それから雪之丞が着手したのは、過去の文献を漁り、状況を整理する事だった。
更に、ドクターと呼ばれていた未来の自分が聖剣についての研究もしていた事を彼の遺品から知った。
竜胆や紅紫檀、鬼灯達が外に出て行くのは、怪夷化歩兵や怪夷の生体を持ち帰り、対抗策への研究をするためだった。
ドクターから引き継いだ対抗策研究を行いながら、聖剣や過去の状況を探る日々は雪之丞にとってあっという間に過ぎた。
(陸軍が怪夷の研究をしていたのは、地震が起きた直後からだ…つまり、それまではまだ怪夷は封じられていた…でも、旧江戸城に変化があったなんて当時の記録にはない。消された可能性もあるけど…それにしては、真澄達の暗殺が起こるまで静かすぎる…)
自分が最後に見た光景がそのままなら、恐らく怪夷は東京の街に解き放たれた筈である。それすらなく、唐突に怪夷化歩兵が陸軍の手によって造られていたなら、その間旧江戸城は陸軍が密かに掌握していた事になる。
(六条少佐が存命なら話も聞けるけど…既に故人だし…少なくとも、今調べたところだと、僕はあの日聖剣を上野から持ち出していない。そこに相違があるなら、僕がいた過去も変わっている筈…)
ドクターが付けていた日記から、当日の様子が克明に浮かび上がり、自分の記憶との違う点を捜していくと、決定的な部分は聖剣の写しの所在だった。
地震後の混乱で行方不明になっている。それは恐らく自分のいた時代も変わらないだろう。だが、手元に聖剣があるなら何かしら打開策があるのでは、と雪之丞は踏んでいた。
「聖剣か…もしこれをどうにか出来たら、元の時代に戻れるし、ついでに最悪の未来も防げるんじゃないか…」
机の上に並べた四本の刀剣を見遣り雪之丞は眉を顰めた。
かつて、英雄が怪夷を滅する為に使った刀剣達は沈黙を守っている。
「ねえ、聖剣の核、神刀・刹那~君さ、僕の声が聞こえているなら、答えてよ」
かつて母が使っていた愛刀たる鎌に雪之丞は何げなく話しかける。写しには、聖剣の核と呼ばれる人格が宿っていた。
怪夷との最終決戦である欧羅巴戦線の後、後継者が契約する事の叶わなかった聖剣は、上野の博物館に寄贈され、眠りに就いた。
その前までは、猫やらハリネズミやらの姿をした核達が両親達の傍らについていた。
今、彼等はこの写しの中でどうなっているのだろう。持ち主の手を離れて久しい分、その核も眠っているのか。
「はあ、まあ、契約出来なかった僕が今更話しかけても無駄か」
欧羅巴戦線の後、引き継ぐはずだった聖剣は、雪之丞も真澄も選ばなかった。その理由は今も分からないが、もしあの時契約が出来ていれば今の状況は変わっていたのだろうか。
そんな事を考えていた時だった。
『……たく、誰だよ、オレの名前を着やすく呼ぶのは…』
呆れた溜息と共に、聞き覚えのある声が響いてくる。それは、幼い頃よく悪戯をされた黒猫の声。
ばっと顔を上げて鎌に視線を落とすと、淡く光り出したそれの上に一匹の黒猫が乗っていた。
「嘘…君、刹那?」
『だから、気安く呼ぶなって…って、お前雪那のぼんくら息子か…』
「ぼんくらは余計だよ…」
『雪那はどうした?あれから元気にやってんのか?』
上野に預けられ、持ち主の手を離れてから後の事を刹那は知らない。雪之丞は刹那に今の状況を事細かく説明した。
初め、驚いた様子だった刹那だったが、彼は静かに話を聞き、話が終わる頃に静かに口を開いた。
『……なるほど、それでお前は元の時代に戻る方法を捜している訳と…』
「何かない?いや、僕が聞くのも変な話だけどさ…」
縋るように問われ、黒猫は髭をぴくぴくと動かして暫く思案に耽る。ややあって刹那は静かに唇を開いた。
『…普通にオレ達を使うだけじゃ駄目だ…何かの術式でオレ達聖剣と使い手同士を結びつける必要がある。雪那や莉桜がやっていたより、もっと密接な奴だ』
「使い手同士を結び付ける…というと?」
『そうだな…例えば、オレ達核自身をその身に受け入れるとか?ほら、オレがお前のお袋の中に一次的にいた時みたいに?』
それは、雪之丞も話にしか聞いた事のない内容だった。
まだ東京が江戸と呼ばれ、怪夷が溢れていた頃。雪之丞の母親である雪那はその身体に自身の聖剣である刹那の核を宿していた。
その経緯は先の大災厄の要因となった事柄に起因するのだが、少なくとも江戸解放戦線の頃まで雪那と刹那は一つの身体に二つの人格を持つ二重人格として存在していたのである。
『あれは、宿した本人自身が聖剣に近い存在になれる。かなりリスクはあるし、オレの時もかなりギリギリな状況で雪那の中に入ったから、その術式さえ確立出来れば、希望はあるかもな…聖剣なら、多分あっちに戻れるぜ?ただし、本歌がまだ旧江戸城にあればの話だが』
「僕がここに飛ばされる前に、まだ聖剣は旧江戸城の地面に刺さってたよ。あの大穴が開いた状態で陸軍が聖剣を回収するとは考えにくい」
『じゃあ、行けるかもな。協力はするぜ』
ニヤリと不敵に笑う黒猫の言葉に、雪之丞は一縷の望みを確信した。
『まずは、聖剣を宿すに相応しい人物を集める事だな。それに、三日月の所在も探さないとなんないしな…』
「うん」
刹那の言葉に強く頷き、雪之丞はこれまで誰も行った事のない実験へ着手する決意を固めた。
その後は、聖剣の核を宿す存在を“鞘人”と呼称し、鞘人になれる人材を捜した。
しかし、人材を集められても術式の完成には至らず、その間に鞘人候補に選んだ紅紫檀や蓮華などが旧陸軍との戦闘で行方知れずとなった。
帝都防衛軍内にも雪之丞の動きに不信感を募らせる者が現れ、人材の確保が難しい状態となっていた。
そんな時、一条の光明が差したのは、ある野戦病院を訪れた時だった。
そこは、旧陸軍も防衛軍も関係なく負傷兵の集められた場所だった。
(ちゃんと仕事もしないと…上に目を付けられたら元も子もないな…)
ドクターから研究を引き継ぎ、鞘人を造り出す研究を始めてから、既に四年の歳月が経過していた。
早く鞘人の術式を完成させ、元いた時代に彼等を送り込まなくては真澄達の暗殺を防げない。
焦りや不安に苛まれ始めていた雪之丞は、その野戦病院で一人の少年に出逢った。
銀糸の髪に紅玉の瞳。少女とも少年ともつかない中性的な美貌のその美少年に出逢った瞬間、雪之丞は強く懐かしい気配と力を感じ取った。
(この子は…まさか…)
胸元にある何かが突き刺さったような傷跡を持つその少年を、雪之丞は研究の被検体という名目で引き取った。ここにいても彼はいずれ処分される予定だった。何故なら、その少年は防衛軍の中でも暗部である暗殺部隊に所属しており、大きな任務に失敗した後だったからだ。
その少年―南天を見つけた事で、雪之丞の鞘人研究は一気に駒を進める事となった。
(ほんと、偶然とは言え、南天が三日月を宿していたのには驚いた…あの子がいなかったら、多分術式は完成しなかった…)
これまでの五年の歳月を思い出しながら雪之丞はポケットからシガレットを取り出した。
火の付いたシガレットを咥え、一息吐くと、紫煙がゆらりと昇っていった。
南天との出逢いは奇跡だったが、その南天に関しては未だに謎な部分が多い。
何故聖剣を既に宿していたのか、一体どこから来たのか。そして、記憶がないのは何故なのか。
「向こうに行って、南天に変化があればいいけど…」
机に腕を載せ、その上に顎を載せて雪之丞はシガレットを吹かすと、ちらりと研究室の中を見渡した。
次に鬼灯達から連絡が来たらそれが合図だ。
その間にやれることをやっておかなくてはならない。
帝都防衛軍も既に旧陸軍と変わらない組織になりつつある。怪夷化歩兵より更に強力な兵士や兵器を造り出し、戦況は泥沼化している。
そんな中、聖剣の存在がばれれば雪之丞への追及が飛ぶのは目に見えていた。
「僕の研究は、さっさと灰にしてしまおう…その方がいい…」
この泥沼の戦況を招いたのは他でもない自分自身だ。償いはするつもりでいる。
だが、それはこの時代でではない。
身の内に仄暗い炎を燃やし出した時、首から下げていた板状の通信端末が電子音を奏でた。
それは、作戦の合図だった。
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三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…
刹那:待ち望んでいたその時をついに迎える真澄達。果たして、儀式は成功するのか…
三日月:第六十八話「導きの舞を貴方に」次回のどうぞよろしくお願いします。
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