第六十三話―陰陽アンバランス



 南天奪還作戦が無事に成功を収めてから数日が過ぎた。


 敵の手中に囚われていた間、手当はされていたものの南天の身体は劣悪に近い環境にいたせいで思いの外、弱っていた。

 真澄と使い手と鞘人の契約を済ませた直後、緊張の糸が切れたように南天は高熱を出して寝込んだ。

 三好の治療が医務室で施される中、南天の看病は鬼灯達から真澄の手に委ねられ、真澄は医務室に籠る事になった。


 その間の特夷隊の指揮は真澄から隊長職を代理で引き継いでいた海静が行い、その補佐に隼人と拓が付く事で収まっていた。

 先日の赤煉瓦倉庫への潜入作戦を経て、警視庁への協力がひと段落したとは言え、特夷隊は陸軍と彼等と共にあるオルデンの動向を探る事はそのまま継続となった。


「この書類、目を通してくださいね、隊長」


 真澄の代わりに隊長席に座って書類の整理をしていた海静は、唐突に差し出された新たな書類とそれをもってきた主の声に、思わず顔を上げた。


「あくまで俺は隊長代理なんですけど…赤羽副隊長」


「はは、悪い悪い。いや、随分様になってるなって思ってさ。このまま真澄兄さんが引退しても問題なさそうだ」


「何アホな事言ってるんですか…俺はまだ正式に特夷隊に戻った訳じゃないんですよ…」


 ニヤニヤと笑っている隼人に海静は頬を膨らませてぼやきを零した。

 そう、海静は現在も表面上は死亡扱いである。何かの折に柏木が実は息子は生きていましたと発表する予定でいるのだが、紅紫檀と身体を共有している事や、現在の政治部と軍部の間にある不穏な空気のせいで公表の目途は立っていなかった。


 南天の一件がなければ、恐らく海静はまだ補欠要員として真澄の経営する喫茶アンダルシアで給仕をしながら、特夷隊の巡回時や怪夷討伐のみ参加するという体制を取っている筈だった。


「俺はただ、隊長に恩を返したいだけです。…南天君の具合、どうなんですか?」


 隼人から差し出された書類を半ば奪うように引き取りながら、海静は今は誰も座っていない南天の机を見遣った。

 昼間のため、執務室は日勤勤務の数名しか出勤していないので閑散としている。だが、普段いる者がいない状況というのは少し物寂しさがあった。


「今朝やっと起き上がれるようになったらしい。そういや、さっき真澄兄さんがお粥を拵えてたな。食事も確か昨日くらいから摂れるようになったて聞いたぞ」


「そうですか…良かった。彼には早く元気になってもらわないと。じゃないと隊長、気が気じゃないだろうし…はあ、今度は離れないでほしいな」


 机に頬杖を付き海静はぺらぺらと報告書を捲る。その瞼裏には南天と隣り合う真澄の姿が浮かんでいた。

 海静が零した呟きを耳にし隼人はふと疑問を浮かべて、首を傾げた。


「そういやなんで真澄兄さんはあんなに南天に入れ込んでんだ?確かに二人の息はぴったりだけど」


 眉根を寄せて真剣に考え込んでいる隼人の様子を見上げ、海静は哀れみの視線を隼人へ向けた。


「…赤羽さんって、だから浮いた話が湧いてこないんですね…」


「は?それはどういう意味だよ」


「別になんでもないです。ほら、俺も忙しいんでもう下がってください」


 唐突に後輩から哀れまれ隼人は目くじらを立てたが、海静に手で払われて渋々その場から去っていく事にした。


(…はあ、俺も七海に会いたい…)


 今頃学校で勉学に勤しむ愛しい妹の姿を脳裏に浮かべ海静は、改めて追加された報告書に目を通し始めた。





 三好から治療終了を言い渡され、南天が医務室を退室した日の翌日。


 詰め所の執務室には特夷隊の面々と鞘人が一堂に会していた。

 今後の方針を決める為にもこれまで隠されてきた南天達の目的を聞く必要があると真澄は考えていた。


 その場が漸く設けられた事に特夷隊の誰もが安堵していた。と同時にこれから始まるであろう熾烈な戦いの日々を感じ取ってもいた。


 この場には最後の鞘人である竜胆と桔梗の兄妹と使い手となる大翔との契約を結ぶ予定も含まれていることから、本人の希望で大翔の姉である晴美も同席していた。

 大事な弟の大事な場面であるという名目だが、彼女がどうしてこの場に参加を表明したのか、真澄には分からなかった。


 いつもなら、民間人を関わらせる訳にはと拒否するのだが、祭事部の幹部の家の出身という札を掲げられ、大翔と桔梗、竜胆からもお願いをされたので、真澄は渋々ながら晴美の参加を了承した。ただし、ここでのことは他言無用と条件をつけて。


「それでは、僭越ながらわたくしから話を進めさせて頂きますね」


 脚を組んで王様のように椅子に座る桔梗の横に立ち、人の良さそうな笑みを浮かべて鬼灯は黒板と自分達の前に座る特夷隊の面々を見渡した。


「鬼灯、それ僕が直接話すよ」


 唐突に上がった声に視線を落した鬼灯は、桔梗が椅子から腰を上げたのに目を円くした。


「桔梗、え?ちょっと」


「えっと、改めて。僕は桔梗。鬼灯や南天達鞘人を纏める部隊の指揮官をしている者です。今日皆さんに集まってもらったのは、他でもない、僕等の目的を伝える為です」


 鬼灯の驚きを半ば無視して桔梗は一歩前に出た。

 背筋を伸ばし、堂々と前面に立ちながら桔梗は胸を張って真澄達特夷隊へ名乗りとこの場の目的を告げた。


「桔梗、ここはわたくしが」


 桔梗の肩を掴んで一先ず座らせようとする鬼灯を竜胆が素早く止める。


「ここは桔梗に任せて。大丈夫だ、この間のような事にはならないから」


 竜胆に耳打ちされ鬼灯は何かを言いかけたが、直ぐに口を噤むと竜胆に促されるままに座席に腰を落ち着けた。

 竜胆と鬼灯が席に着いた事を確認し桔梗は話を再開した。


「驚かせる気はないんだけど、これはここ以外では公言しないで欲しい。僕等鞘人はこの身に宿る聖剣の力を借り、貴方達が今生きている時代から27年先の未来からやってきた」


 桔梗の口から出た事柄に、真澄を初め特夷隊の間でざわめきが起こった。既に鞘人と契約を結んでいる桜哉や拓は自身の契約者である鈴蘭と清白を凝視し、朝月も動揺を隠しきれない様子で鬼灯を見遣った。


「未来から…それは本当なのか?」


 一人動揺を自身の内に押し込みながら真澄は冷静な声音で桔梗へ確認するように問いかける。

 それに桔梗は深く頷いて話を続けた。


「僕等がこの身に宿している聖剣は、旧江戸城の怪夷封印に使用された本歌ではなく、上野の博物館に保管されていた写し。核を宿したかつて英雄達が世界の怪夷を討伐するのに使用した物。そして、それがもたらされたのはある人物が27年後の日ノ本に飛ばされたからなんだ」


「ちょっと、まってくれ、じゃあお前達が宿している聖剣ってのは、例の震災の時に行方知れずになった写しその物なのか⁉」


 朝月の疑問に桔梗のみならず鬼灯と竜胆も頷いた。


「その通り。そして、僕等が聖剣を宿してこの時代にやって来た理由は、未来を変える為」


「未来を変える?それはどういう意味なんですか?」


 鈴蘭を茫然と見詰めながら桜哉は困惑しながら疑問を投げかけた。目の前にいる自分と変わらない者達が、最近流行りのSF小説の登場人物にも引けを取らない事情を抱えている事が信じられなかった。


「僕等が生きている日ノ本には、この間まで貴方達が追っていた怪夷化された強化歩兵が跋扈し、他国と戦争をしながら大地を蹂躙する戦禍に見舞われた時代になっているんだ。その歴史の分岐点が今貴方達が生きている時代。そう結論付けた僕等はその最悪の未来を防ぐためにここにいる」


 真っ直ぐに使命感すら感じさせる真剣な表情で桔梗は自分達の目的を語る。


「補足しますと、さる人物の予測から、聖剣が行方知れずになった事で未来が変化したとされているんです。我々もこの話を聞いた時は正直驚きました。しかし、この時代にわたくし達の未来を戦禍へと巻き込む要因を作った出来事と黒幕達がいた事は事実。その計画を阻止し、旧江戸城に封じられていた怪夷を再び地の国へ押し戻す事が我々鞘人に与えられた使命です」


「旧江戸城の怪夷が解き放たれた事で、日ノ本が平和ではなくなった。その解釈でいいか?」


 桔梗と鬼灯の話を簡単にまとめて隼人は自分の見解と相違がないかを確かめる。それに鬼灯はその通りだというように頷いた。


「信じる信じないは勝手だけど、オルデンと陸軍が今行っている実験を止めないと、貴方達の未来も危うくなる。詳しくは話せないけど、僕等はここにいる貴方達が27年後どうなっているかを知っているからね」


「最悪の未来になる前に、オルデン達を止めなくてはならない。それに、特夷隊の使命は怪夷の討伐。協力してほしい」


 桔梗と鬼灯に続き、竜胆も特夷隊の面々に向かって頭を下げた。

 途方もない話に誰もが困惑する中、真澄は一人眉を顰めて自身が知りえる世界の情勢を思い出した。


「…世界大戦の火種、それが燻っているのは確かだ。ドイツ帝国がうちの陸軍に接触してきたのも、何か算段があっての事だろうし、怪夷との戦いが終って十年。今やその討伐方法も失われつつある。呪術は科学に取って代わられ、それを扱える者も年々少なくなっている。そんな中で再び怪夷が、今度は兵器として投入される。化け物とやり合うのは骨が折れるだろうな」


 冷静にそうなった場合の未来を予測して、真澄は自らの意見を桔梗達に聞かせる。

 真澄の意見に桔梗や鬼灯は深く頷いた。


「その通り。流石はかの欧羅巴戦線を戦った英雄だ」


「俺は英雄じゃない…今この状況のきっかけを作ったのが俺自身かもしれないと思ったら、決着をつける必要があると思っただけだ」


「隊長?それ、どういう…」


 真澄が口にした言葉に、隼人を含め特夷隊の視線が自分達の隊長へ集まる。

 部下達の困惑の視線を受けながら真澄は、脳裏に柏木から聞かされたメルクリウスノートの一件を思い出していた。


「旧江戸城の綻びを完全に消し去る事で贖罪が叶うなら、俺はお前達に協力しよう。そのために南天と契約も結んだ」


「貴方が協力してくれるなら心強い。それなら、僕等からも貴方に報いないとね。九頭竜隊長、お伝えする事があります」


 背筋を伸ばし真澄と真っ直ぐに向かい合い桔梗は、真剣な表情で唇を持ち上げた。


「聖剣と共に行方不明になった秋津川雪之丞は生きています。僕と竜胆の大翔さんとの契約が済んだら、我々がドクターと呼ぶ人物、秋津川博士をこちらに呼び寄せます」


 ニヤリと、何処かで見た事のある自信に満ちた笑みを浮かべる桔梗。

 事前に南天から雪之丞の事は聞かされていたためもたらされていたので真澄は内心胸を高鳴らせたが、今は特夷隊の隊長としての面子を崩すことなく、密かに拳を見えない所で握り締めた。それは、雪之丞生存の話が確信に変わった瞬間だった。


「真澄さん、雪兄さん帰って来るって!生きてたって!」


 真澄の代わりに驚きの声を上げたのは、雪之丞を知る身内達だった。隼人と朝月は思わぬ吉報に喜びを露わにし、桜哉もホッと胸を撫で下ろしている。拓も真澄が内心歓喜しているのを感じ取っているのか、いつも以上にニコニコしていた。


「良かったすね、捜し人が見つかって」


「ああ、だが、それなりにリスクもあるんだろう?」


 ぬか喜びに釘を刺すようで申し訳なく思いながら真澄は改めて桔梗達を見遣った。未来から彼等は来たという。それがどうい絡繰りかは分からないが、相応のリスクを孕んでいるのは容易に理解できた。


 ましてや、南天や鬼灯などの聖剣を宿した特殊な事情を持つ鞘人はならともかく、雪之丞は何もないただの人間である。

 呪術を行う事に代償はつきもので、真澄もそれを覚悟した上で桔梗達に問いかけた。


「流石は、怪夷と渡り合って来ただけはあるね。うん、僕等鞘人とは違って、成功するかは五分五分ってところかな。なにせ、前例がないからね」


「向こうに行けたなら、帰って来られる可能性がある。という予測の範囲内です。それでも、我々にも貴方にもドクターは必要でしょう?九頭竜隊長」


「…マスター…」


 鬼灯の問いかけに真澄はチラリと傍に座っている南天に視線を落とす。南天もまた自分を不安げに見上げていた。

 そんな南天の頭を優しく撫でてから真澄は桔梗達の方へ顔を上げる。


「秋津川雪之丞はこの日ノ本に必要だ。力を貸してくれ」


 真っ直ぐに桔梗と見つめ合い真澄は力強く協力を要請する。

 それに桔梗は力強く頷いて了承した。


「じゃあ、早速だけど大翔さんとの契約を済ませちゃおうか」


 ぴょんと、身軽に前へ飛び出した桔梗は軽い足取りで大翔の前へ歩み寄り、騎士がするように大翔へ右手を差し出した。

 その手を大翔が取ろうとした時、不意に朝月が質問を投げかけてきた。


「なあ、一ついいか?初めてお前が大翔と会った時に、お母さんって呟いてたけど、あれ、なんか意味あったのか?」


 思わぬ質問に鬼灯と真澄の鋭い視線が朝月に集中した。


「朝月」


「え?なんで真澄の旦那怒ってんの?俺またなんか変な事言った?」


「主様…貴方のその記憶力と勘の鋭さ、少し別の所に使って貰えませんか?」


「え?鬼灯までなんで…?」


 真澄と鬼灯の二人に睨まれ朝月は自分が口にした失態に困惑した。真澄と鬼灯では怒りの内容が異なっていたが、それを朝月は知る由もない。


 突如として湧いた話題に桔梗と竜胆はどうしたものかと困惑し、当の大翔は視線を彷徨わせて言葉を探した。


「…この際だから話しちゃいなさいよ、大翔」


 気まずい空気が漂い始めていたのを断ち切ったのは、それまで静観していた晴美の声だった。

 椅子に足を組んで座り、腕組をして晴美は自身の弟とこの場で失言をした朝月や反応を示した真澄達を冷静に据えていた。


「姉さん…」


「その鞘人さん達もあんたの状況を知ってた方がこの先何かと助かるでしょ。それに、秋津川さんが戻ってくるなら、そろそろ隠しても仕方ないでしょ」


 姉に諭され大翔は深く溜息を吐いてから、チラリと同期である桜哉と事情を知っていて朝月の発言を叱責してくれた真澄を見遣った。

 二人の心配そうな視線を受けつつ、大翔は意を決して自ら語り出した。


「この場を借りて、皆さんにお伝えしないといけない事があります。僕は…宮陣晴美、宮陣春樹の弟と名乗っていましたが、僕は自分では男だと思っているのですが、身体は女なんです」


「大翔…?」


 唐突なカミングアウトに事情を知らない朝月や隼人、海静達は目を見張った。

 大翔は小柄だが身長は女にしては高く、桜哉と比べても女だとは見た目だけでは判断できない容姿をしていた。特夷隊の制服を着ていれば、それなりに朝月や拓と並んでも見劣りしない。

 だからこそ、大翔の性別については今まで誰も疑問に思っていなかったのだが。


「宮陣家には長男長女より以下の兄弟姉妹は男女をあべこべにして育てるべしって可笑しな風習があるのよ。それで、私の後に生まれた大翔は男として育てられたの。通常女子は子供を産める年齢になる頃にはその風習から解かれるんだけど、大翔は生まれつき自分を男だと思ってずっと育ってきたから、身体の成長と心の在り方がバラバラなの」


「そういえば、海外では心と身体の性別が一致しないという症例もあります。雌雄一体の両性具有ではないんですよね?」


 精神科学に精通した拓の問いかけに大翔と晴美は深く頷いた。


「大翔が女…マジかよ、俺…全然気づかなかった…旦那達は知ってたのか?」


 自分が招いた失態と思わぬ告白に混乱している朝月は、救いを求めるように真澄に尋ねた。

 それに真澄は未だ眉間に皺を寄せながら頷いた。


「そうだ。大翔が特夷隊に入隊する事になった時に、事情は聞いていた。同期である桜哉にも万が一の時にフォローできるように伝えていた。身体は女性同士だから桜哉なら対応できると思っていたからな」


「はい、大翔さんの事情については私だけ教えられていました。任務に支障はなかったですし、大翔さんも公言していなかったので、今まで黙っていましたが…」


 思わぬ飛び火を食らい桜哉も大翔の事情を説明する。


「まあ、別に性別云々はこの際関係ないけど、雪之丞さんが戻ってくるならそうもいかなくなるのよ、だって、あの人は大翔の許嫁なんだもん」


 膝に頬杖を付き、やれやれと肩を竦める晴美の口から出た一言に、その場の誰もが凍り付いた。

 暫しの沈黙の後、真澄と当の本人を除いた特夷隊の面々は吃驚の声を張り上げた。


「大翔の許嫁⁉雪之丞の旦那が!嘘だろっあり得ねー」


「真澄さん同様、結婚しないのかと思ってた…」


「僕も、てっきり雪之丞さんは…あ、でもそうなると南天君が…」


 真澄同様に雪之丞と親交のあった朝月、隼人、拓の三人は互いに肩を寄せ合いひそひそと話しながら真澄や南天をちらちらと盗み見た。

 その視線に真澄は憮然と眉根を寄せ、古株三人へ離れるよう命令を下した。


「えっと、僕の事情は一先ず置いといて。桔梗さんと竜胆さん、契約、結ぶんですよね?」


 身内から盛大な暴露をされた大翔は、頬を赤く染めて身を縮こませていたが、気を取り直すように桔梗と竜胆へ声を掛けた。

 事の発端は二人との契約である。

 大翔が契約に乗り気な事に安堵した桔梗と竜胆は、改めて大翔の前に進み出た。


「僕等はちょっと特殊なんだ。驚かないでね」


 後ろの方では大翔の性別と雪之丞との婚約の事でぎゃんぎゃん騒ぐ声が聴こえてくる。それを無視して桔梗と竜胆は大翔の前に立って契約を行う準備を始めた。

 大翔の目の前で、二人は互いの手を合わせると、深く呼吸を整えた。


 すると、桔梗の姿が白銀の光に包まれたかと思うと、光は竜胆の胸元へと吸い込まれて言った。桔梗の姿が消えた事に一瞬驚いた大翔だったが、二人の面影が重なって見えた事に桔梗が竜胆の中に存在していると確信し、自身の気持ちを落ち着けた。


 突然竜胆の中に桔梗が光となって吸い込まれていったのを目撃し、大翔と雪之丞の件で騒いでいた面々はぴたりと、口を閉じて始まった儀式の準備に釘付けになる。

 ようやく場が整った事を確認して竜胆とその中に入った桔梗は真っ直ぐに大翔を見つめた。


「「それでは、始めます。我が身は剣、我が身は鞘。この身が宿すは聖なる刃。今ここに使い手への祝福と忠誠を…汝、宮陣大翔を我等が主と定めん」」


 二重に重なる声音が、契約の言祝ぎを紡ぎ出す。淡い白銀の光が竜胆の胸元から溢れ出し、それは深い反りを思った巨大な刃へと変化する。西洋にて、死者の魂を狩る死神が携えているとされる大鎌。白銀の三日月に沿った刃が手の上へと降ろされると竜胆は静かに柄を握った。


「それじゃ大翔、指を出して」


 竜胆の口から桔梗の声が聴こえてくる。それに驚きながらも大翔はこれまで先輩達が通ってきた手順と同じように、反りの深い刃に指を這わせた。

 筋が走り、鮮血が指先から滴っていく。その血を竜胆は大翔の手を引き寄せて舐めとった。


「今度は、僕等の番」


 桔梗がそう言って、竜胆はその言葉に従うようにして自身の手首に軽く鎌の刃を押し当てた。

 ツウっと流れた鮮血を竜胆は大翔へと差し出す。


「「さあ、我らの血を」」


 差し出された手首に滲む血を、大翔は迷うことなく唇を寄せて飲み込む。直後、身体を熱が駆け巡り、視界に見た事のない光景が広がった。


(あ…)


 話に聞いていた契約時に契約者が見る幻影。

 大翔の脳裏を駆け巡ったのは、彼の人に良く似た女性の若かりし頃の姿と、その肩に乗る一匹の黒猫。そして、赤い髪の少年と、今はこの場にいない想い人。

 見慣れない戦場と懐かしい光景の後に、二人の幼子が一瞬移り込む。そこで幻影は消え去り、大翔は現実に引き戻された。


「大翔さん、大丈夫ですか?」


 気遣わし気に顔を覗き込む竜胆に大翔は深呼吸をして大丈夫だと告げた。


「これで、全員揃いましたね」


 大翔と桔梗達の契約が済んだ所で鬼灯はようやく事が動き出した事に安堵した。


(さて、ここからが正面場だ。我々の考えが正しいか、それとも未来はあのままか…)


 チラリと、いまだ大翔の件で仲間と盛り上がっている朝月を一瞥してから、鬼灯は真澄と南天を見つめた。

 その視線に気づき真澄は鬼灯の意味深な視線に眉を顰めた。






**************************


三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


弦月:これは、過去の物語。一人の乙女とある男との運命の出逢い…一途な乙女が何故特夷隊を目指したのか…!


三日月:第六十四話「貴方の面影を追いかけて」次回もよろしくお願いします。




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