第六十一 話―結縁


 朦朧とする意識の中、何処か懐かしい光景を見た気がした。

 それは、自身の記憶が失われる前か後か。


 はっきりとはしないが、それでも温かく優しい温もりを、今も身体が覚えていた。

 どうして、その人を選んだのか。


 答えは内側にある筈なのに、引き出す事は叶わない。

 夢の中で揺蕩っていた意識は、光を求めて浮上する。


 もう一度あの人に会うために、話をする為に。





 ぼんやりと焦点の合わない紅玉の瞳が、天井と顔を覗き込んで来る仲間達を映す。


「南天…」


 今にも泣きだしそうな声で清白は南天の名前を呼んで、その手をぎゅっと握った。


「…すず…しろ…?」


「良かった、目が覚めたね」


 ぼんやりとした視界の先に、見慣れた顔が並んでいる事に、南天は少し驚いた。更に横から聞こえて来た思わぬ人物の声音に、南天はハッと意識を覚醒させ、声の方に顔を向けた。


「桔梗に竜胆…どうして?」


「ヤッホー南天、ついに僕等が来たよ」


「話せば長くなるが、まあこちらに無事来られたという事だよ。南天」


 軽い調子の桔梗とそれを補足する落ち着いた竜胆の様子に、南天は目を大きく見開いた。


「ねえ南天、単刀直入に聞くけど、君はどうしたい?まだ九頭竜隊長との契約を望む?」


 ずいっと、清白を押しのけて顔を覗かせて、桔梗は起きたばかりの南天に問いかけた。


「あ…それは…」


「今その事で議論をしていた所です」


「君がどうしたいかが一番だって、私達は思っているよ。まあ、一部は少し不服かもしれにあけどね…」


 鬼灯と竜胆の落ち着いた補足に、南天は自分を囲む五人の仲間を交互に見つめた。

 それぞれの表情から自分の事を心配している気持ちが伝わってくる。

 自分より年上の彼等は、いつだって自分の事を気にかけてくれる存在だった。


「…ボクは…マスターと話をしたいです…マスターの気持ちをちゃんと聞いていないし…命令とは言え、ずっと黙っていたから…マスターが不審に思うのも無理ないかなと…」


 掠れて震える声で、南天はしっかりと自身の考えを口にした。真澄が自分に不信感を抱いていたのは事実だ。彼が知りたいことを自分はちゃんと話せていない。それが命令の一端であるとは言え、真澄とはきちんと対話をするべきだったと、今になって思っていた。


「ごめん、命令をだしていたのは、僕だね。それが却って相手に不信感を抱かせてしまった。うーん、隊長って難しいね!」


 胸の前で腕を組み、桔梗は上向いて嘆いた。時に情報の開示は慎重になるべきだが、今回はその慎重さが裏目に出てしまった。


「あのね南天、君に伝えなきゃいけない事があるんだ」


 改まった桔梗の言葉に南天は静かに耳を傾ける。その視線の先にいたのは、さっきまで楽観的な態度を取っていた人物とは想像しがたい、真面目な隊長だった。


「現時点を持って、我々に課した全ての緘口令を解除する。南天、君の身に宿した聖剣に関する情報も全て公表を許可する。今まで苦労をかけたね」


 隊長然とした桔梗の口から出た命令に、南天は大きく目を見開いた。


「桔梗…それって…」


「三好先生のメディカルチェックが済んだら、話をしたらいいよ。九頭竜隊長と」


 ニコリと微笑む桔梗の言葉に、南天は目頭が熱くなるのを覚えた。





 謎の敵、オルデンから南天を救出した後、南天は特夷隊の詰め所内にある医務室へ運ばれた。引き離されるように真澄は南天を三好や鬼灯達に預けた後、かれこれ丸一日、面会謝絶が続いている。


(…自業自得といえばそうだな…)


 三好や鬼灯から南天がまだ目覚めていないと聞かされ、正直な所気が気でなかった。

 気が付くと、南天の事を考えていた。怪我の具合はそんなに悪いのか。何故目が覚めないのか。


 面会謝絶の理由は、薄々分かってはいたが、南天が目覚めていない以上、本人の意思ではない。その事が真澄は納得いっていなかった。と同時に当然かと諦めてもいた。


 矛盾した気持ちが交錯し、仕事が手に付かない。

 執務机で書類作成をしながら、真澄は何度目かの溜息を吐いた。


 新たに来た桔梗と竜胆。この二人についても色々と聞きたい事が山とあるというのに。それすら現状出来ていない。


 背中を丸め、どんよりと肩を落とした真澄の様子を、部下達は腫れ物を触るように遠巻きに眺めていた。


 先日南天が失踪したばかりの時と状況は似ていたが、それよりも重たい空気が執務室の中を包み込んでいた。


 すっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干して喉を潤した時、執務室の扉が叩かれ、鬼灯が入ってきた。


「鬼灯」


 部屋に入ってきた鬼灯に、特夷隊の面々の視線が集まる。彼等にいつも通りに微笑みかけてから、鬼灯は執務卓に腰かけた真澄に歩み寄った。


「九頭竜隊長、今よろしいですか?」


「どうした?」


「南天が目を覚ましました。それで、今三好先生からメディカルチェックを受けています」


 鬼灯から告げられた内容に、真澄は握っていた万年筆を紙に押し付けた。強い力がかかってせいでインクがジワリと滲み、報告書の白い紙に広がっていく。


「そ、そうか…」


「それで、もしお時間があるなら…南天と会ってくれませんか?」


 明らかに動揺している真澄に、鬼灯は更に言葉を投げかけた。


「は?」


 予想だにしなかった提案に真澄は勢いよく顔を上げた。後になって後悔するくらい、その時の真澄は間抜けな顔をしていた。


「会ってくれませんか、とお願いするのもおかしな話ですね。面会謝絶をして貴方に会わせないようにしていたのは、こちらなのに…ええ、でもそれは南天の精神状態の確認が取れていなかったからと言い訳をさせてください」


「いや…当然だ、あの状況を招いたのには俺にも非がある…お前達が南天の事を大切にしているのも理解できる。その上で俺に接触させたくなかったというのも」


 南天の救出が成功した後、南天から引き離された事に最初は納得がいかなかったが、冷静に考えて彼等の判断は間違っていなかったと感じた。

 だからこそ、医務室で治療を受ける南天の様子は聞きつつ、強引に会おうとは思わなかったのだから。


「我々の隊長がまず話をしたいと。それから、貴方の気持ち次第ではどうか南天と対話を。わたくしとしては、貴方達には仲直りをして欲しいのですが、どうでしょう?」


 個人的な願いも込めて鬼灯は真澄に提案を持ちかけた。仲間の前で辛辣な意見を口にした鬼灯だったが、本心では南天の契約者は真澄以外いないと思っていた。

 それは、誰よりも長く二人の様子を傍で観察していたからこその鬼灯なりの情だった。


 暫く沈黙を守った後、真澄は握っていた万年筆をそっと机に置いた。


「…俺からも頼む。南天に会わせてくれ」


 真っ直ぐに鬼灯を見つめ、真澄は決意に満ちた表情で応じた。



 南天が三好のメディカルチェックを終えた後、真澄は医務室を訪れた。

 南天が治療を受けている静養室の前には桔梗と竜胆の新しい鞘人が待っていた。


「すみません、九頭竜隊長。色々処理でお忙しいのに」


「いや、もうあらかた片付けてきた。俺も君達と話をしたかったからな」


 丁寧な口調で話しかけてきた竜胆に、真澄は会釈をした。


「九頭竜隊長、貴方は南天の事どう思ってる?」


 ぐっと、背伸びをして顔覗き込んできた桔梗に、真澄はぎょっと目を剥いてから少しだけ顔を逸らした。


「僕は、これでもこの鞘人を集めた部隊の隊長だから、部下の不利益になる事は嫌なんだ。南天がこれ以上傷つくなら、僕も色々考えないといけない」


 二十歳に満たない未成年ながら一小隊の隊長を務める桔梗という少女は、曇りのない紫水晶の瞳で真澄を見つめた。

 純真無垢。そんな単語がしっくりくる瞳に見据えられ、真澄は胸に痛みを感じた。


「ねえ、貴方は僕の大事な部下を大事にしてくれる?」


 直球な問いかけは今の真澄には正面から重いストレートパンチをくらったのと同じくらい強力だった。


「確かに俺は、アイツの事を遠ざけていた。それが今回の事の要因だという自覚もある。だけど、俺は南天を大切に思っている。本当ならいなくなった時に俺が見つけ出したかった。俺にとってもアイツは特別なんだ」


「それは、秋津川雪之丞あきつがわゆきのじょうと同じくらいに?」


 突如として出た人物の名前に、真澄は思わず瞠目した。何故、今その名前が出て来るのかと。

 なんでと呟こうとしたのを遮り、桔梗は無邪気に質問を続ける。


「秋津川雪之丞と南天、どちらかしか救えないとしたら、貴方はどうするの?」


 純粋ながら、今目の前で紡がれる問いかけは、真澄にとってあまりに残酷だった。

 雪之丞は幼馴染で親友で、今も行方不明になったその所在を探し続けている。真澄の人生において雪之丞の存在はなくてはならないものだった。家族以上に彼の事を大切に思っている。


 南天に関しては、あの雨の夜に出逢った時から、自分をマスターと呼び、献身的に仕えるその態度や行動は、どうしてそうまでして自分を慕うのか、不思議でならなかった。

 理由を聞いても答えてくれない事には不信感はあったが、南天がどんな時も自分を裏切らないと何故か確信すらあった。それほど南天の存在は大きなものだった。


 怪夷との戦闘は命がけだ。無傷で済まない事の方が多いのに、いつしか南天に怪我などして欲しくないと思うようになった。気が付くと、不思議と目が離せなくなっていた。


「俺はこれでも貪欲なんだ。どっちも助ける。俺の命に代えても」


 考える間も無く、真澄は桔梗の質問に答えていた。ストレートに殴られた仕返しにかなりのジャブをかました。


「ふふ、あはは!流石、話に聞いてたけど、貴方って凄く真っ直ぐだね」


 真澄から返ってきた答えに腹を抱えて笑った後、桔梗はニヤニヤしながら真澄を見上げた。


「合格。流石は英雄の息子だね。あー面白かった」


「なんだよ、からかったのか?」


「違う、違う。予想通りの人物でよかったって事。さあ、どうぞ」


 憮然としている真澄に首を横に振ってから、桔梗はピョンっと扉の前から横にズレた。

 竜胆と桔梗。二人に歓迎される形で真澄は静養室の扉を開き、中に入った。




 入口から少し奥に入ったベッドで、南天は上体を起こして待っていた。

 点滴に繋がれた病み上がりの身体。病衣の隙間から巻かれた包帯が覗いている。目覚めたばかりで顔色もまだ良くない。白磁のような肌や白銀の髪からは艶が失われ、自分を見つめて来る紅玉の双眸は、疲労感と今にも泣きだしそうな悲壮感が滲んでいた。


「マスター…」


 最初に口を開いたのは南天だった。常と変わらない、自分を慕う呼びかけ。

 お前をそんな身も心もボロボロにしたのは俺なのにと、真澄は南天に呼ばれて一瞬足が止まった。

 だが、次に南天の口から出た言葉に、真澄は息を飲んだ。


「よかった…会ってくれないかと、思ってたから…」


 それまで動かなかった足が嘘のように、真澄は大股でベッドに近づき、南天の傍に詰め寄った。


「どうしてそうなるんだっ逆だろうっ俺は、てっきりお前がもう会ってくれないかと…」


 仮にも病室で声を荒立てた事を後悔しながら、真澄は弱弱しく傍に置いてあった椅子に腰かけた。


「マスター…」


「悪い、病み上がりなのに…驚かせたて」


「いえ…あの、ボクが会いたくないって…誰かに言われたんですか?」


 がくりと肩を落とす真澄の顔を恐る恐る南天は覗き込み、声を掛けた。


「いや…そうじゃない…俺が勝手に思ってただけだ。だってお前、いなくなっただろう?」


 事の発端になった出来事を思い出して、真澄は横にある南天の顔を見る。視線が近くで交わり、互いに目を細めた。


「すみません…それに関しては、確かにあの時はマスターから離れたかった…事実です」


「ほら、やっぱり」


「すみません…あの時は、どうしたらいいのか分からなくて…ボクは、自分が分からなくなってしまったんです…でも、マスターの事を見てたら、落ち込んでいたから…ちゃんと話さないとって思っていて…そしたら、例の事があったから…」


 真澄とちょっとした喧嘩をして、特夷隊の詰め所を飛び出してから、南天はずっと真澄の事を見守っていた。

 夜間の巡回の時も、姿こそ見せなかったが、その姿を陰から見ていた。


 そろそろ話をしなくてはと思い始めた所で、例のオルデンによる怪夷の投入があった。あれは本当にイレギュラーで、まさか自分が攫われる事になるとは南天自身予想していなかった。

 もう会えないかもしれないと思っていたが、こうして特夷隊の詰め所に戻る事が出来、真澄が目の前にいる事に、南天は安堵していた。


「マスター、ボク、貴方に話さなきゃいけない事があるんです…聞いてくれますか?」


「ああ…」


 改めて南天と向き合った真澄は、南天の背中を支えるように寄り添いながら、彼の話に耳を傾けた。


「マスターは、どうして俺を慕うんだって、言いましたよね。ボクにとって、貴方は絶対に護りたい相手なんです」


「その理由がいまだに分からない…俺とお前に縁は無いだろう?」


「マスターは、ボクの恩人であるドクターの大切な人だから。そのドクターというのは、貴方が探している秋津川雪之丞です」


 南天の口から出た思わぬ人物の名に、真澄は思わず腰を浮かせたが、自分を律して南天の話を静かに聞くことに徹した。


「ボクには、五年前により前の記憶がなくて、自分の本当の名前もどこの誰かも分かりません。記憶を失って彷徨っていた所を軍に拾われて、暗殺部隊の兵器として訓練を受けました。その時は番号で呼ばれていて、自分は殺戮人形だとそう教えられて、戦況を優位に進める為に裏で沢山の人を殺しました」


 淡々と語られる南天の過去。それに真澄は絶句すると同時に、南天のこれまでの言動の数々を思い出した。


『自分は殺戮人形です』


(そうか…そういう事だったのか…)


 拓と清白から南天が自身を人形と偽るのは、一種の防衛本能によるものだと聞かされていたが、環境的要因もあった事に、自然と腑に落ちた。


「暗殺者として軍で使われていたボクは、ある任務で失態を犯し、大怪我を負いました。本来なら処分される所だったのですが、そんなボクを拾ってくれたのが、ドクターでした。ドクターは、対怪夷化歩兵の研究をしながら、鞘人の研究をしていて、新しい強化歩兵実験という名目で数人の兵士を集めている最中でした。ボクもその一人で、この南天という名前も本来はコードネームなんですが…初めてちゃんとした名前で呼ばれて、初めてヒトしてドクターや鬼灯達はボクを扱ってくれました。そんな恩人であるドクターがずっと気にかけていたのが、貴方の事だった。ボクが聖剣を宿している事を知った時、ドクターからお願いされたんです。真澄を護って欲しいって…」


 真っ直ぐに、南天は真澄の翠の双眸を見つめると、目を細めた。


「それで、俺の事をそんなに慕ってくれていたのか…」


「ボクが何者か、ドクターが誰かというのは緘口令が敷かれていて今まで話す事が出来なかったんです。貴方に不信感を与える結果になってしまって、すみませんでした」


 深く頭を下げる南天の肩を、真澄は咄嗟に掴んで首を横に振った。


「違う、お前が悪い訳じゃない…俺が、もっとお前に信頼をおくべきだった…謝らなきゃならないのは、俺の方だ…ごめん」


 ゆっくり顔を上げて南天は、困ったように眉を垂らすと、再び話を続けた。


「マスター、ボクが宿す聖剣は、神刀しんとう・三日月。貴方の母君が使用していた聖剣です…」


 次に南天の口から出た単語に、真澄はそうかと内心で納得した。

 初め、鞘人という存在を聞いた時は、南天の中にあるのは雪之丞の母親が所有していた神刀・刹那だと思っていた。


 だが、よくよく考えれば南天からは懐かしい気配もしていた。それが、一番自分が遠ざけていた存在だとは思わなかったが。


「ボクも聞いていいですか?どうしてマスターは鞘人との契約を拒んでいたんですか?」


 唐突だが、予期していた問いに真澄は、深い溜息を吐いて姿勢を正した。


「今にして思えば…ただの嫉妬だよ。俺にとって聖剣ってのは、憧れでありながら、母親を取られたような気にさせる存在だった。かといって、いつか俺が受け継ぐものだと頭の片隅にあって、いざそれと契約をする時に、俺は、三日月に拒まれた…その事をこの十年、ずっと引きずっていた。そんな時にお前達が現れて、今更って感じだった。英雄の息子なんて言われても英雄にはなれない。そんな子供みたいな反発心が俺にはあったんだ…情けないだろ?」


 自虐的に笑う真澄に南天は首を横に振って否定した。


「いえ…マスターも傷ついていたのに変わりはないかと…」


「お前、人形だって言い張る割に、人の感情の機微に目ざといよな。まあ、聖剣の核とやらが当時は可愛いいハリネズミの姿してて、母親の肩にいつもぴったりくっついてたら、子供ながらに嫉妬するだろ。初めての子供で愛されるべきは俺なのにって。菫達妹や弟が生まれてからは少しそれも抑えられたけどさ…」


 そもそも、三日月と母の付き合いは自分が生まれるより前から続いている関係だ。そこには真澄には分からない彼女達だけの信頼や関係性があり、自分への愛情とは別物だったのだ。

 それを自覚する頃には、真澄は大人になっていた。


「だから、聖剣に対して俺はあまりいい思い出がなかった。雪之丞の所在が分からない中で五年が過ぎて、海静や春樹という部下も失って、ようやく特夷隊も再出発って時にお前達が来たからさ」


 気持ちの整理を付ける暇もなく、目まぐるしく日々は過ぎていく。そんな時に訳も分からない契約の話を持ちかけられて、戸惑い、混乱した。

 だが、南天が話してくれた事、自分の胸の中にあった蟠りを話した事で真澄はようやく前に進む決心がついた。


「南天…俺からいうのは、変な話だが、俺は…」


「それは、ボクからですマスター」


 真澄の口を右手で塞ぐように押さえて、南天は眉根を寄せた。

 真澄を黙らせた後、真正面に南天は真澄を見据えて姿勢を正した。


「九頭竜真澄少佐、どうか今一度ボクと契約を。ボクは南天、怪夷殺しの聖剣、神刀・三日月を宿せし鞘人です」


 病み上がりだという事を感じさせない、真っ直ぐで力強い雰囲気を纏い、南天は真澄に進言する。


 初めからこう出来ていたら、お互いの中に蟠りなど生まなかっただろう。

 真澄も南天も、お互いを大切に思う気持ちは同じだった。

 言葉の少なさが誤解を呼び、すれ違いに発展した。

 お互いが抱えたものを晒し合った二人の間には、強い絆が結ばれていた。


「その契約、謹んでお受けする。俺の中にある九頭竜の血を、お前が欲してくれるなら、幾らでもやるよ」


 答えは是。


 真澄の応えを受けた南天は、自身の胸元に両手を添えて目を閉じた。南天の胸元には、いつできたのか分からない古い刀傷がある。その中心が淡く光出し、肌を突き抜けるようにして一振りの太刀の刀身が姿を現した。

 反りの深いそれは、宵闇の中に浮かぶ三日月の如く輝き、南天の両手の上へ下ろされた。


 真澄にとって最も見慣れた一振りの太刀。それは、間違いなく母・九頭竜莉桜の愛刀であった神刀・三日月そのものだった。


「マスターの血はもう既に飲んでいるので…」


 そう言って南天は目を閉じて上唇を持ち上げた。


「我が身は剣、我が身は鞘。この身が宿すは聖なる刃。今ここに使い手への祝福と忠誠を…汝九頭竜真澄を我が主と定めん」


 これまで同じ鞘人達が唱えて来たものと同じ呪文を南天は滑らかに唱え、迷う事無く、中子を握り刀身で自身の手首を切りつけた。


「おい、南天っ」


 南天の左手首に深い裂傷が走り、血が溢れ出す。短刀などと違い、かなり深く切ったのか南天が横たわる寝台の白いシーツに赤い染みが広がって行く。


「マスター、ボクの血を…」


 痛みに耐えるように南天は真澄の前に左手首を差し出した。

 血が溢れた白い手首を真澄は咄嗟に掴むと、溢れ出る血を堰き止めるように唇で覆い隠した。

 一滴も零さないとでも言うように、真澄は南天の血管から溢れる血を吸い上げた。


「ま、マスター!?」


 強く自分の肌に吸い付く真澄の行動に、南天は珍しく戸惑いの表情を浮かべた。本来、鞘人側からの血の提供は使い手との繋がりを形成するための儀式的な物。これまでの鬼灯や鈴蘭にしても、朝月や桜哉達に飲ませたのは僅かな量だ。それを真澄は南天の手首から零れる血を全て飲み干すような勢いで唇を這わせていた。


「あ、あの、そんなに飲まなくていいですっ」


 珍しく声を張り上げた南天を、真澄はチラッと見遣って怪訝に眉を顰めた。

 唇を放し、シーツを手早く裂いて、南天の手首に包帯代わりに巻き付けた。


「お前な、幾ら契約に必要だからって斬り過ぎだ。自殺する気か?」


 きゅっと、強く結び目を結んで南天の左手を解放した真澄は、肩を竦めて苦言を呈した。

 処置の施された左腕を引き寄せて南天は、しゅんと肩を落として真澄を見上げた。


「すみません…」


「お前が傷つくのは正直辛い。戦闘中なら仕方ないが、平時に傷つくのは見過ごせない…頼むから、これ以上傷を増やさないでくれよ…」


 前髪を掻き揚げ、視線を外して真澄は懇願した。

 思わぬ願いに南天は、キョトンとしてから、小さく頷いた。


「はい、マスター」


 淡く微笑む南天の頭を真澄は優しく撫でると、細い肩を抱き締めた。

 九頭竜真澄と南天。神刀・三日月を宿した鞘人は、ようやく使い手を定める事となった。




**********************



弦月:さあさあ次回の『凍京怪夷事変』は…!


三日月:ようやく使い手と鞘人の契約を結んだ真澄と南天。一方、契約をする為の前段階で共に生活をする事になった大翔と竜胆・桔梗兄妹だったが…


弦月:第六十二話「宮陣家の食卓」次回も乞うご期待!!





次回は3月7日火曜日に東京小話を掲載予定です。

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