年末番外編ー羽ばたく大鷲の背に願いを込めて

※注

このお話は、時系列が少し本編より先に進んでおります。

第六章のネタバレはありませんが、表現の中に多少濁しつつ匂わせがありますので、ご注意ください。






 十一月に入り、立冬を迎えてしばらくした頃。

 南天の調子もようやく戻り、真澄はようやく心の落ち着ける日々を迎えていた。


 大統領府での護衛任務を終えた真澄と南天は、珍しく定時で帰路に着いていた。

 今日の巡回は副隊長である隼人を筆頭に部下達に全て託してきた。


 この半月で戦力の増強や怪夷発見の機器の改良などにより、以前より怪夷の捜索及び討伐は楽になった。

 怪夷の脅威は日増しに強くなっているが、特夷隊も負けていない。

 それだけ信頼のおける部下と戦力に恵まれた事で、真澄もこうして穏やかな時間を持つことが出来るようになった。


(まあ…一部はアイツらが気を遣ってくれたお陰か)


 隣を歩く南天を横目に見やり、真澄は肩を竦めた。

 九月の終わり。あの台風の日。ボタンの掛け違えの如きいざこざにより詰め所を出て行った南天。

 それから様々な経緯と手段の末、南天は傷つきながらも無事に自分の元に戻ってきてくれた。


 南天がいなくなり、離れ離れになった事でいかに自分がこの美少年に固執していたのかを、真澄は改めて実感させられた。


 彼が戻ってきて暫く、その所在が気になってしかなく、拓や三好、天童などの医療に精通している者からは心配され、隼人や朝月、鬼灯などからは同情された。他の部下達からも各々気にかけられ、今にして思えばなんと情けない姿を見せた事かと、己の恥ずかしさに辟易した。


 だが、自分の心がそんなにも搔き乱される程に気が付けば南天はなくてはならない存在になっていた事に、真澄自身驚いていた。

 自覚してしまえば、妙に恥ずかしいがそれでも隣にいてくれると安心するのも事実だった。


 すっかり日の落ちた道を歩いていると、街灯の照らされた掲示板にあるポスターを見つけて真澄はふと目を留めた。


「…そうか、もうとりの市の季節か…今年は三の酉まであるのか」


 不意に歩みを止めた真澄に倣って立ち止まり、南天は真澄と彼が見ている掲示板を見上げた。


「マスター酉の市、とはなんですか?」


「ああ、浅草の鷲神社おおとりじんじゃなどで行われる商売繁盛を願うお祭りだよ。毎年十一月の酉の日。日付が変わる時刻から終日祭りが催され、商売人が商売繁盛を願って熊手を買いに来るのが恒例行事なんだ。由来は分からないが三の酉まである年は火事が多いとされている」


「へえ…」


「ちょうど今日みたいだな。家から近いから散歩がてら行ってみるか?お前、縁日とか初めてだろ?」


 唐突な誘いに南天はキョトンと目を丸くしてから、もう一度掲示板のポスターを眺めた。


「行きたいです。お祭りは初めてなので」


「よし、じゃあ着替えたら繰り出すぞ。ついでに今日の夕飯は外で済ませよう」


「はい」


 真澄の提案に素直に頷いた南天は、おもむろに真澄の腕を掴んで引っ張ると、足早に家の方へ向かって歩き出した。


「そんな焦らなくて大丈夫だぞ」


 いつになく浮かれている南天の様子に、真澄は苦笑を滲ませた。南天の歩調の速さから、彼がお祭りに行くのを楽しみにしているのが伝わってくる。

 年相応の反応を示してくれている事に、心なしか真澄も嬉しくなった。

 手を引かれるまま真澄は南天と共に足早に家路に着いた後、特夷隊の制服から普段着である着物に着替えて再び外出した。



 奥浅草、千束せんそく竜泉りゅうせんと呼ばれる町名のその場所に、酉の市の開催場所である鷲神社おおとりじんじゃ長國寺ちょうこくじの周辺は商売繁盛を掻っ込むとされる縁起物の熊手の屋台を筆頭に、様々な縁日の屋台が軒を連ねている。


 東京中から集まった商人や商売人は勿論の事、一般の市民もこの年末の風物詩を楽しもうと辺りは人の熱気と賑わいに華やいでいた。


「わあ」


 煌びやかに飾られた自身の顔よりも大きな熊手に南天はキラキラと目を輝かせた。


「境内に入ると人が増えるからはぐれるなよ」


「はい、マスター」


 続々と集まってくる人の群れの中、真澄は南天の腕を掴んで引き寄せると、自分の横にぴったりと付けた。南天は平均的な身長だが、180センチを超える長身の真澄からすれば頭一つ半も背が低い。それでいて華奢な上、まだまだ病み上がりに近い状態である。人ごみに揉まれてしまわないよう真澄は南天を自分の前を歩く位置に移動させ、後ろから護るような位置に着いた。


「このまま流れに乗ってお参りを済ませよう」


「神さまにご挨拶ですね」


「ああ。後、お願い事も忘れずにな」


 自宅から酉の市に向かう道中で真澄は南天に、寺社への参拝の仕方を教えた。神社と寺では参拝の仕方が違う事。縁日に参加する際はまずその縁日の主催であるご祭神に挨拶を兼ねて参拝する事。その際に、願い事を言ってもいい事など。基本的な事を伝え、後は自分を見て真似するように伝えていた。


 初めて聞く知識だったのか、南天は真剣に真澄の話に耳を傾けていたが、直ぐにそれらを飲み込んだ様子で、「分かりました」と頷いていた。


 境内の参道に出来た拝殿へ向かう列に並んでいると、左右から熊手を取り扱う屋台の商人達の客を呼び込む声や、熊手を購入した者へ縁起を担いで行われる三三七拍子の掛け声が響いてきて、酉の市を盛り上げていた。


 更に進むと、拝殿の横にある神楽殿で鷲神社のご祭神へ捧げられる神楽が演じられていた。天狗のような面を付けた踊り子が、太鼓や笛の音に合わせて拍子を踏んでいる。その様は熊手の煌びやかな輝きと、威勢のいい商人達の声音と相まって幻想的な空間を創り出していた。


 まるで、この世ではない幽世に招き入れられたような光景に、南天も真澄もすっかり見入ってしまった。


 人の列はゆっくりと進み、やがて真澄と南天は鷲神社の拝殿の前へとやって来た。

 祭壇を望む拝殿の前で鈴を鳴らし、一礼に拍手一礼の作法を持って祭神へ挨拶をする。


 真澄から渡されていた賽銭を賽銭箱に投げ、南天は胸の前で手を合わせて真澄に教えられた通り、胸の中で願い事を唱えた。


 目を閉じて祈っていると、不意に背後が大きく動いたのに気付き、南天ははっと顔を上げた。

 あっと、声を上げる間もなく、真澄が人ごみの中に流されて行くのが見えた。


「マスター」


 参拝を終えた人々が一斉に動いた途端、真澄と南天はその波に飲まれ、それぞれ左右に流された。


「南天っ」


 南天より先に参拝を済ませていた真澄は、拝殿の前から立ち去る人々の動きに流されるまま拝殿の横へと押し出された。目の前にいたはずの南天の姿は人込みにまぎれて見えなくなっていた。


(しまった。はぐれた)


 拝殿の横、お守りやお札などの授け所となっている社務所側に押し出された真澄は、咄嗟に人ごみの中へ飛び込もうとするが、拝殿への参拝を済ませて人と、これから参拝する人との波に板挟みになり、戻る事を断念した。


(くそ…遠回りするか…けど、アイツ土地勘ないよな…)


 拝殿の人ごみから外れた場所で真澄は、どう行動すべきか思案した。

 酉の市の間は境内に熊手の屋台が立ち並び、土地勘がある者でも、ひしめき合うように連なる屋台のせいでがらりと様子の変わった道を遠回りするのは至難の業だった。

 ましてや、はぐれた人を捜しながらだと、相手が動いた場合見つけるのは困難に近い。


(…どうする…)


 不意に、真澄の脳裏に嫌な感情が浮かんだ。このまま南天が見つからなかったたらと、奇妙な不安に苛まれた。

 行き交う人の波を見つめ、不安を抱きながら考え込んでいると、唐突に真澄は腕を掴まれた。


「マスター」


 聞きなれた声と呼び方にハッと視線を落とすと、自身の腕を掴んでいる南天の姿があった。


「ボクはここにいます」


 真澄の腕を浮かんだまま南天は、ほっと安堵の溜息を零す。

 自分の腕を掴んでいる南天の姿に真澄もまた深く胸を撫で下ろした。


「すみません。流れに流されて…」


「いや、無事で良かった。というか、お前よく抜けられたな」


 真澄の問いに、南天は少し気まずげに視線を逸らす。地面に目線を落しながら南天は小声で真澄の問いに答えた。


「ちょっとだけ…屋台の屋根を飛び越えました…数人に見られたかもしれませんが、祭りの余興と思われてるかなと…」


 周囲を見渡しながらそういう南天に、真澄は不安を拭いうように力なく肩を落として苦笑した。


「まったく…今度ははぐれるなよ」


「はい」


 差し出された真澄の手を、南天はぎゅっと握り返す。今度は決してはぐれないように身を寄せ合いながら真澄と南天は境内の外に広がっている食べ物や土産物を売る屋台の並ぶ通りへと繰り出した。



 境内の外に出ると、寺社の塀が連なる裏道に沢山の屋台が並んでいた。

 こちらは熊手を売る屋台ではなく、食べ物や土産物を売る屋台が多かった。


 参拝を終えた人々が、各々屋台で食べ物を買って美味しそうに頬張っている。

 談笑を交わす楽し気な様子と、四方八方から漂ってくる香ばしい匂いに、南天は自身の腹部を押さえる。


「何か食べたい物あるか?」


 自分も空腹を感じていた真澄は、懐から財布を取り出しながら南天に問いかけた。

 キョロキョロと辺りを見渡す。すると、香ばしい醤油や味噌の香りがしてきて、南天はぐうっと腹の虫を鳴かせた。


「えっと…あれがいいです」


 匂いと空腹に釣られて南天が指を差したのは、串に刺して焼かれた団子の屋台だった。


「確かに、上手そうな匂いがするな」


 腹部を押さえている南天を見て微笑み、真澄は早速とばかりに屋台へと歩み寄った。

 店の店主から味噌味と醤油味の焼き団子を購入し、2人並んでそれを頬張る。


 そこから、真澄も南天も食欲が止まらならなくなった。屋外という普段とは異なる食事の場と、周りから漂ってくる香ばしい匂い。提灯の明かりに照らされて空間の幽玄さと人々の活気に南天はすっかり魅了されていつになくはしゃいでした。


 真澄も久しぶりの穏やかな時間と、南天の楽しそうな様子についつい頬の筋肉と財布の紐が緩んだ。


「わあ」


 一際人だかりができていたのは、飴で様々な生き物を作り出す飴細工の屋台だった。

 職人が鋏一本を駆使して巧みに飴を練っては切込みを入れて動物を形作っていく。

 江戸の頃から受け継がれる伝統工芸の華麗な手捌きには南天だけでなく真澄も心を奪われた。

 南天に珍しく強請られたのもあり、並んだ末に一つ作ってもらった。


「おお」


 手の中にある作り立ての龍の飴細工を眺めて南天は珍しく目を輝かせていた。


「どうして龍にしたんだ?金魚とか兎とか、可愛いのもあっただろ?」


 隣を歩きながら真澄は、飴細工に見入っている南天にふと問いかけた。


「…マスターに似てたから」


 ちらりと、視線を上にあげて南天はぽつりと答えるとまた飴細工に視線を戻す。

 南天の答えが一瞬分からなかったが、その意味を考えて内心頷いた。


(もしかして、九頭竜ってことか…?)


 真澄の苗字は九頭竜。その龍にちなんで選んだのかもしれない。

 そんな答えを導きだした途端、真澄は何故か頬が緩むのを覚えた。咄嗟に引き締めるが、油断するとまただらしなく緩んでしまいそうになる。

 口元を手で隠して真澄は僅かに南天から目を逸らす。


 屋台が並ぶ道を歩いていると、やがて浅草寺の裏の方へと差し掛かった。

 屋台も次第に少なくなり、既に人の波もまばらになりつつある。


「そろそろ帰ろうか」


「そうですね。お腹もいっぱいになりました」


 南天の肩に手を添えて真澄は声を掛ける。それに南天は深く頷いた。


「冷えて来たし甘酒でも飲むか?」


 屋台が途切れる間際、甘酒の屋台を見つけて真澄は提案した。

 甘酒という言葉に南天はキョトンと目を見張る。


「あまざけ?」


 どうやら初めて耳にする物だったらしく、南天は興味津々と甘酒と暖簾がかかった屋台を見つめた。


「酒っていっても、米麹なんかを発酵させて作った飲み物だよ。体が温まるぞ」


「そうなんですね。飲んでみたいです」


 真澄の着物の袖を引き南天は自身の意志を真澄に伝える。

 それに応じるように真澄は屋台で甘酒を二杯購入した。


「ほら、熱いから気を付けろよ」


 寒空の下、湯飲みの中から立ち昇る湯気を見つめ南天は、真澄の忠告を聞いてゆっくりと湯飲みの縁に口を付けた。

 とろりとした甘い中に仄かな酸味のある飲み物が口の中に流れ込む。

 最初こそ熱かったが、飲んでいるうちにその熱さにも慣れた。初めて口にする甘酒は喉を通り、胃に到達すると、まるで芯から身体を温めてくれるような気持になった。


「どうだ?」


「美味しいです。身体がポカポカします」


 両手で湯飲みを持ちながら、少しずつ南天は甘酒を飲む。その隣で真澄も甘酒を楽しんだ。


「そいうや、お前は神社で何をお願いしたんだ」


 甘酒をふうふうと冷ましながら飲みつつ、ふと真澄は気になっていたことを南天へ訊ねた。


 それは、鷲神社の祭神へどんな願いをしたのかというもの。

 真澄からの問いに南天は甘酒の入った湯飲みから目線を外して真澄を見上げた。


 暫く何事か考えていたようだが、南天は少しだけ口元を緩めた後、「秘密です」とだけ答えた。

 真澄も、南天のそれに倣うように自分が何を願ったかは敢えて話さなかった。


 湯飲み一杯分の甘酒を飲み干す頃、南天は頬を赤く染めてうとうと舟を漕ぎだしていた。


「南天?大丈夫か?」


「へ…?あ…だいじょう、ぶ…です…」


 前後に身体を揺らしている南天に、真澄はまさかとその背中を支えた。

 普段の南天では見せない頬の緩み切った表情に真澄は内心溜息を吐く。


(もしかして、酔ったか…?)


 さっき買った甘酒には酒粕が入っていたのかもしれない。仄かに酒の香りがしたのを思い出しながら真澄は眠そうに瞼を上下させている南天を抱え上げた。


「マス…ター…」


「そのまま寝ちまえ。ちゃんと連れて帰ってやるから」


 南天が大事そうに持っていた飴細工を預かり、南天をおぶった真澄は、そのまま家の方角へと歩き出した。


 真澄の大きな背中に全身を預け、安心したのか南天は誘われるまま眠りに落ちた。

 人気がなくなる路地を歩く頃には、真澄の背中に穏やかな寝息が聞こえていた。

 自分の肩に寄りかかる南天の寝顔を横目に、真澄は苦笑を滲ませる。

 背中にこの温もりがある事は、もしかしたら奇跡かもしれない。


 南天が来てから真澄の周りは大きく変化した。生活だけでなく心の在り方も。

 背中から伝わる鼓動を感じながら真澄は、先程自分が南天にした問いを思い出した。


 神社の祭神に何を願ったのか。

 互いに口にすることはなかったが、真澄が願ったのは家族や友人、特夷隊の面々の安泰と安寧。怪夷討伐の目的を無事に果たせるようにという戦勝祈願。それから。


(出来る事なら、俺はずっとお前に傍にいて欲しい)


 背中に背負った少年との日々を真澄は願わずにはいられなかった。

 いつ終わるとも知れない今の生活が、これから少しでも長く続くように。


 神の使いである大鷲がこの願いを抱いて空高く舞い上がり、叶えてくれることを祈りながら真澄は年の瀬が迫る東京の街を家に向かって歩いた。








******************



今年も『凍京怪夷事変』をお読みくださり誠にありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

後日こちらは第六章の一番後ろへ編集させて頂きます。


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