第五十八話―一か八かの大博打




 宗像の許可を得て、トラックの荷改めが始められる。

 警視庁の捜査員を装った拓と隼人、海静と朝月は先頭車両から順番にトラックの荷台を確かめた。


 最初の三台程には研究者の為の机や椅子。資料を収納する棚などが載せられていた。

 三台のトラックを過ぎると、四台目のトラックに挟まれるように一台の車が止まっていた。

 そこに乗っていたのは、異教の僧服を纏う男と恐らくこの隊の総指揮官である軍人。それから隼人と拓にとっては忘れられない男だった。


「隼人…」


「ああ、間違いない…」


 車の中をチラリと覗き込んでから隼人と拓は小声で会話を交わした。


「警視庁の検問、ご苦労だな。出来れば早急に終わらせてくれ」


「申し訳ありません。暫しご協力を」


 車内から宗像は車の前を通り過ぎようとしていた海静へ小言を放つ。まさか話しかけられるとは思っていなかった海静は、僅かに息を詰めながらも平静を装い応答した。


 拓を先頭に四人はヘルメスと宗像が乗る車の前を通り過ぎていく。


 次の二台、四台目と五台目には研究で使用する最新鋭の器材が載せられ、まさしく引っ越しといった体を要していた。


 器材は拓も隼人も見たことがないものばかりだったが、恐らく海外から輸入された最新鋭のものだという事は分かった。


 一体何に使うのかは分からないまま、四人は四台目のトラックを過ぎる。

 そして、五台目と六台目のトラックに挟まれた車に、目的の人物を見つけた。


「赤羽さん、いた」


 大柄の男と異教の尼僧服を纏う女との間に挟まれて座る小柄な人物を見つけ、海静は隼人に告げた。

 この車の車内だけ、後部座席が見せないように布が下ろされている。

 車内の様子をはっきりとは伺えなかったが、目的の車を見つけて隼人は朝月に指示を出した。


 隼人からの指示を受け取り、朝月は次のトラックの物陰に隠れる位置で無線機を取り出した。


「こちら甲班。対象を発見しました。五台目と六台目の間の車両です」


 短く告げた報告に僅かなノイズを伴なって返答が返る。

 それを聞き届けて朝月は素早く無線機をコートの中へ仕舞い込んだ。

 密かに報告を済ませた朝月は隼人達と共に更に六台目、七台目の改めに加わる。


 六台目のトラックには大量の資料や薬品を納めた木箱が積まれており、そこに数人の研究者達が乗り込んでいた。


「ここも特に怪しい物はなさそうですね…」


 荷改めをしながら四人は更に先の車両へ向かう。

 七台目のトラックには、この引っ越しの為に駆り出されたであろう下士官達が乗っていた。

 彼等からも特に不審な点は見当たらない。


 そして、八台目のトラックへ差し掛かった所で、拓は一瞬歩みを止めた。


「どうした?」


「……皆、気を付けて…これは」


 八台目、九台目、十台目のトラックは他のトラックに比べて一回り大きな物が用いられていた。荷台には頑丈な鉄の箱が載せられ、鎖が幾重にも巻かれている。

 そこから漏れて来る禍々しい気配に拓が息を飲んだ直後、胸ポケットに潜ませていた八卦盤が警告を鳴らした。


 直後、ガタガタと八台目のトラックが大きく横に揺れ、鉄製の箱に巻き付いていた鎖がジャラリと音を立てて外れる。


「まさか……」


 日頃の経験から隼人達は反射的に隠し持っていた武器を取り出す。と、ガタガタと大きく音を立てて鉄製の箱が震えた後、内側から箱は四方へ壁を吹き飛ばした。


 吹き飛んだ鉄製の板が地面に突き刺さる。

 その衝撃もさることながら、隼人達の目の前には二足歩行で歩く黒い皮膚をした異形が立ち塞がっていた。


「…これは怪夷なのか…」


『海静、気を付けろ、こいつ等は自然発生した連中と比べ物にならんぞ』


 二足歩行で立っているが、頭部は牛や山羊といった形状をした異形。異国の神話に出て来た半人半獣のようなそれを前に驚く海静の中にいる紅紫檀が警鐘を鳴らした。


「くそ、やっぱり切り札はありってか」


「仕方ない。南天君の救出は真澄さん達に任せて、僕等はこっちを片付けよう」


「だな、こんな化け物を民家がある所に行かせでもしたら大事だ…朝月、結界張れ」


「了解っす」


 隼人の指示に扇と札を取り出した朝月が怪夷封じの結界を張るべく、詠唱を始める。それを皮切りに拓と海静は前方へ、隼人は朝月を護りながら前衛を援護する後衛の体制を取った。


 三体の怪夷が禍々しい赤い瞳を光らせ、咆哮を迸らせて隼人達に襲い掛かった。


 海静は牛の頭をした怪夷を、拓は山羊の頭をした怪夷と交戦にはいる。更に、羊の頭をした怪夷は隼人が牽制を図った。


(いくらこっちの方が人数が多いとはいえ、結界を張るのに徹する朝月は強化するくらいしか出来ない。拓と海静だけじゃどうやっても二体が限界か)


 敵が護身用に怪夷を温存していたとは想定に入っていなかった。

 だが、ここで怪夷を食い止めねば、南天の奪還作戦は成功しない上、周辺にある民家や民衆に被害が及ぶ。


 二丁の拳銃を構え、迫りくる羊頭の怪夷に隼人は銃弾を撃ち込み、背後の朝月との位置を意識しながら怪夷との距離を詰め始めた。


 隼人の憂いは拓も海静も感じ取っていた。

 本来なら二人で一体の怪夷を相手にする方が効率はいい。だが、人数の関係で今回はそれぞれが一体に対応していた。


『海静、俺に代われ。その方が効率がいいだろ』


(それじゃ駄目だ、こんな場所でお前の存在を知られる訳にはいかない。それに、俺は今特夷隊の臨時隊長だ)


 軍刀を握り、振り下ろされる怪夷の拳を刀身で受け止めながら海静は胸中で語りかけてくる紅紫檀へ己の意思を告げる。

 それは、特夷隊へ戻る事を赦された元副隊長の意地だった。


『たく、血気盛んだなあ。じゃあ、少し力を貸してやる。俺に波長合わせとけ。こんな成り損ない、さっさと片付けるぞ』


 ニヤリと、内側でほくそ笑む紅紫檀に海静も不敵な笑みで返した。


 数度、怪夷の拳を受け止めてから一旦怪夷との距離を置いた海静は、呼吸を整えて意識を内側へ集中する。

 自身の中にある霊力と内側で息づく魂の波長が静かに混ざり合っていく。

 やがて、それは全身を血液と共に巡り、腕を解して握る軍刀へ流れた。


 海静が握る軍刀が白銀の光を帯びる。と同時に海静は地面を蹴って大きく跳躍すると、牛頭の怪夷の頭上を飛び越えた。


「はあああ!」


 柄頭に手を添え、切っ先を下に向けた状態で海静は牛頭の怪夷の上に落下し、勢いのまま刃を怪夷の頭部へ突き刺した。


 どす黒い体液が飛び散り、甲高い音と共に頭の内側にある核が砕け散る。

 バランスを崩した牛頭の怪夷が左右に大きく揺れながら巨体を地面に投げ出したのと同じタイミングで、海静は地面に着地した。


「はあっ」


 軍刀に付いた怪夷の体液を振り払って拭い、海静は周囲の様子に視線を向ける。

 そこでは拓が山羊頭の怪夷と交戦し、隼人が朝月を背後にしながら羊頭の怪夷を牽制していた。

 状況を把握した海静は、拓が交戦している方へと走る。


「月代さん!」


 山羊頭の怪夷の腕を槍の柄で受け止めていた拓の援護に入る形で海静は、山羊頭の怪夷の脇腹に一閃を浴びせた。


 突然の攻撃に怯んだ怪夷は拓から距離を取るように後退する。その期に乗じて海静は拓の横に並んで軍刀を構えた。


「海静君」


「こいつは自分が引き受けます。月代さんは赤羽さんのとこへ。いくら赤羽さんの射撃の腕が熟練でも、朝月君護ってじゃ分が悪い」


 後方から聞こえる銃弾の音を肩越しに振り返り海静は冷静に拓へ指示を出す。


「でも、君一人じゃ」


「自分なら大丈夫です。自分の中には紅紫檀がついてます」


 既に一体の怪夷を倒した海静の疲労を心配し拓は声を濁らせる。だが、目の前の若者に疲労の色はなく、むしろ覇気に満ち溢れていた。

 逞しく自信に溢れた海静の表情に拓は、口端を釣り上げて頷いた。


「分かった。でも無茶はしないでね」


「はい」


 拓とハイタッチを交わした海静は、再び体制を立て直し向かって来る怪夷を迎え撃つ。

 山羊頭の怪夷を海静に任せた拓は、今度は隼人が牽制する羊頭の怪夷の背後へと躍り出て、槍を後ろから突き刺した。


「隼人!援護を頼むよ!」


 布陣が変わった事に気づいた隼人は、怪夷の背後から聞こえてきた声にニヤリと不敵な笑みを浮かべた。


「任せろ、相棒」


 弾倉を交換し、隼人は再び銃口を怪夷へと向ける。

 前方から銃弾が飛び交い、後方からは槍による突きと薙ぎの攻撃が繰り出され、羊頭の怪夷は前後にその身を振り回して動揺を見せた。


 行けると、二人が思った瞬間、羊頭の怪夷は隼人の銃弾の射線から逃れるように大きく跳躍した。


「しまったっ」


 隼人と朝月の頭上を飛び越えた羊頭の怪夷が七台目のトラックへ飛び乗り、更にその先へと駆けていく。


「まずい、追うぞ」


 トラックの荷台を足場に移動する怪夷の向かう先には、南天奪還作戦を実行中の真澄達がいる。

 隼人と拓は朝月をその場に残し、羊頭の怪夷を追いかけて駆け出そうとした矢先、二人の前に海静が飛ばされてきた。


「うわっ」


「海静君!」


 咄嗟に拓は跳ばされてきた海静を受け止め、二人揃って地面に倒れ込む。


「拓!海静!」


 地面を滑って止まった拓と海静の傍へ駆け寄ろうとした隼人の前に、山羊頭の怪夷が立ち塞がる。


「は、行かせねえてか、いいぜ、相手してやる!」


 山羊頭の怪夷と一対一の状況へもつれ込むなり、隼人は覚悟を決めてニヤリと笑った。

 二丁拳銃の先端に短剣を装着し、隼人はそれを構えて山羊頭の怪夷へと向かった駈け出した。






 朝月の報告を受けた真澄は、大翔と桜哉を伴ない暗闇の中目標の車両へ近づいていく。

 五台目と六台目に挟まれた車両へ近づいた直後、大翔が胸ポケットに入れていた八卦盤もまた拓の物と同様に警告を鳴らしだした。


「怪夷…⁉」


 一体何処に怪夷がいるのか頭を巡らせた大翔は、自分達がいる位置から更に後方の車両の方が騒がしくなったのに気づいて息を飲んだ。


「宮陣、六条、このまま一気に行くぞ」


 八卦盤が警告を鳴らした事に僅かに動揺を見せた大翔へ真澄は指示を出す。その声に平静を取り戻した大翔は桜哉と共に真澄に続いた。


 桜哉の手から走り様に火のついた筒状の物が投げられる。それが地面に落ちた瞬間、爆八音と共にモクモクと黒煙が立ち上り、周囲の視界を奪い去った。


 五台目と六台目のトラックと共に煙幕に南天が載せられた車が包まれる。


「敵襲ですっ」


 煙幕の中で運転手役の士官が後部座席に乗っていたユピテルとアプロディーテへ警告を言い放つ。


「ちょっと、何よこの煙、臭いんだけどっ」


「ゲリラか…アプロディーテ、先に行くぞ」


 ゲホゲホと車内へ入ってきた煙に噎せ込むアフロディーテにユピテルは淡々と告げると、隣に座っていた南天を強引に引き寄せた。


「ッ⁉」


 目隠しをされて状況が分からない中、突然強い力で引き寄せられ南天は思わず声を零す。だが、その口は咄嗟に塞がれ、次の瞬間には布で拵えられた猿轡を噛まされて声を封じられた。

 唯一の情報源は周囲の音だけとなった状態で南天は、耳を澄ませて現状を探る。


(この臭いは…煙幕か何かを使ったのか…)


 鼻腔に入ってくる薬草を燻したような臭い疑問を抱いた南天は、身体がふわりと宙に浮く感覚に襲われた。


「っ!?」


 手足を拘束され、目隠しをされた状態で自分の状況が殆ど分からない中、南天はユピテルによって軽々と抱え上げられ、硬く広い彼の肩に担がれた。

 ユピテルに担がれたまま身体が上下に振動する。車を降りた事が分かった途端、周囲からは蜂の巣を突いたような混乱の声が聴こえてきた。


「ゴホっ、ゴホっ、もうっこれ一体どうなっているの?」


「恐らく敵の襲撃だろうな…それも目的は…」


 咳き込みながら車を降りて来たアプロディーテにユピテルは冷静に答えると、黒煙の中から閃いた剣戟を腰に差していた剣を片手で抜きざまに受け止める。

 遮られた視界の中、金属のぶつかり合う鋭い音と共に、僅かに詰めたような吐息が零れた。


「やはり来たな……」


 受け止められると思っていなかったのか、煙の中、交わった刃越しに動揺は伝わる。

 南天を担いだまま、ユピテルは襲撃者の刃を押し返し、片腕を振り上げると、そのまま一気に振り下ろした。


「ッ!?」


 後方に下がる襲撃者の目の前に重力を纏った剣が下ろされ、地面が穿たれる。

 土と砕かれた石片が巻き上げられ、辺りに散っていく。


「こそこそしていないで、堂々と奪い返しに来るがいい」


 ブンと、空を切ってユピテルは黒煙の中に隠れた襲撃者へ声を張り上げる。

 その声に煙幕を振り払いながら軍刀を手にした人影が現れた。



 煙幕に紛れトラックに近づいた真澄、桜哉、大翔は車から降りて来た大男とその肩に担がれた南天を直ぐに見つけていた。


「隊長、私が先陣を切ります、敵が怯んだ隙に宮陣さんと一緒に南天君を」


 軍刀を抜き放ちながら桜哉は一気に大男との間合いを詰めた。

 だが、煙幕の漂う視界の奪われた中、桜哉の一撃は大男が抜き放った剣によって受け止められた。


「隊長…相手は相当の手練れのようですね…」


「ああ、幾ら六条が剣の腕に長けているとはいえ、分が悪そうだ」


 状況の把握と敵の出方を見ていた真澄は、桜哉の身を隠しての渾身の一撃を受け止めた相手の様子に眉を顰めた。


「宮陣、援護を頼む」


「はい」


 腰に差した軍刀の鍔に指を掛け、真澄はゆっくりと軍刀を引き抜く。前方では押し戻されて下がった桜哉の目前で、土煙と共に大地が抉られるのが見えた。


「六条、下がれ」


 真澄の下知が飛び、桜哉はそのまま後方に跳んで大男の前から身を引いた。

 それと入れ替わるように真澄は軍刀を下ろしたまま数歩前へと歩み出た。


 風に流れて薄くなり始めた煙幕の中から、真澄は大男と対峙するべく姿を現した。


「ほう、どうやら腰抜けではないようだな」


 真っ直ぐにユピテルは姿を現した真澄と向かい合う。

 口許を布で隠し、目だけを出した状態で真澄は目の前に立ち塞がる大男を見据えてから、視線だけを動かしてその肩に担がれた南天を見遣った。


(南天……)


 ユピテルに担がれた人物は下肢側をユピテルの正面に垂らし、上肢は背中側にあって顔までは伺えないが、その背格好から南天本人だという事は直ぐに分かった。

 無言のまま奥歯を食いしばり、真澄は軍刀を正眼に構えると、真っ直ぐにユピテルと向かい合った。


 対するユピテルは南天を担いだままの左側を後方へ下げ、剣を握った右側を前方へせり出す姿勢で真澄と向かい合った。

 じりッと、刃を向け合いながら相手が動く方向とは反対の方向へ真澄とユピテルは足をずらす。


 一糸乱れぬ呼吸の中、強い風が黒煙を吹き飛ばすように吹き荒れる。

 その直後、鬱蒼と繁る日枝神社の鎮守の森から白銀の柱が立ち上り、辺りを照らし出した。


「ッ!?」


 突然の閃光に僅かにユピテルが息を乱した瞬間、真澄は左右に跳ぶようにして地面を蹴って踏み込んだ。


「はああ!」


 下段から振り上げられた軍刀の刀身が、ユピテルの構えた剣を払いのける。その勢いと剣圧にユピテルは僅かに足を縺れさせて後方へ退いた。

 その隙を逃さず真澄は更にやや上段から切っ先を突き出した。


「くっ」


 ユピテルの鍛えられた二の腕を軍刀の切っ先が掠めていく。皮膚を掠めた刃が赤い筋をユピテルに刻みつける。

 後方へ抜けた真澄は、そのまま右足を軸に反転し、横薙ぎに再び軍刀を振り下ろす。だが、それをユピテルは剣の表面で素早く受け止め、振り払った。


 地面を滑って真澄は後方へと飛ばされる。そこに詰め寄る形でユピテルは剣を頭上から振り下ろした。



 白銀の柱が天に昇った瞬間、南天はユピテルに担がれたままの状態で日枝神社の方角へ視線を向けた。


(始まった…)


 白銀の柱が天へ昇った直後、南天の中に宿る聖剣の核が熱を帯びる。その熱を感じて意識を集中しようとした南天は、遮られた視界の中で身体が上下左右に激しく動き出した事に息を飲んだ。


(えっちょ、まっ)


 猿轡で口を塞がれているせいでくぐもった声しか上げる事が出来ない。

 耳の近くで金属のぶつかり合う音が響いている。恐らく、ユピテルが誰かと戦っている事だけは分かった。


(一体…誰が…)


 この騒ぎは自分を奪還する為のものだという事は南天も理解していた。だが、作戦の全てを知らない南天は、自分が置かれている状況がどうなっているのか分からなかった。

 ユピテルが戦っている相手は、一体誰なのか。

 それを知ろうと南天は聴覚と嗅覚を最大限に研ぎ澄ました。


 耳の近くで聞こえる剣戟。息遣いと足の捌き。風に乗って微かに香る匂いに南天は殆ど本能でその人物が誰かを嗅ぎ取った。


(マスター!)


 近くにいる人物に胸がざわつくのを覚え、それまで大人しく担がれていただけだった南天は腹筋に力を入れて頭を上げた。

 バタバタと、それまで大人しかった南天が拘束されたまま四肢や胴体を動かした事にユピテルは唇を噛み締めた。


「じっとしていろっ怪我をしても知らんぞ」


 ユピテルの恫喝が南天の鼓膜を震わせる。だが、南天は真澄を援護するようにユピテルの肩の上で最大限の可動範囲で手足と胴体を動かした。

 丁度、丘に上がった魚が飛び跳ねるような動きにユピテルは担いでいた南天を抑え込もうと左腕に力を込める。


 相手の動きが鈍った瞬間を見逃さず、真澄はそのまま一気にユピテルに体当たりをする要領で踏み込んだ。


「くそっ」


 真澄に体当たりでバランスを崩したユピテルは担いでいた南天を左腕から取りこぼした。

 二メートル近いユピテルの肩から滑り落ちるようにして地面へ落下した南天は、肩を打ち付けて地面へと転がった。


「南天!」


 真澄の絶叫に近い呼び声に南天は全身に走った痛みに顔を歪めながらも身体を起こし、匍匐前進の要領で地面を這って南天はその場から動き出した。


 移動の最中、目を隠していた布を取り払う。開けた視界の中、肩越しに後ろを振り返ると、ユピテルの前に立ち塞がる見慣れた人物の背中が目に入った。


 逃げようとする南天を咄嗟に捕えようと腕を伸ばすユピテルの前に真澄は素早く立ち塞がり、軍刀の切っ先をユピテルへと向けて牽制した。


「俺の部下は返してもらう」


 180センチと長身の自身より頭一つ半も背が高く大柄なユピテルを真澄は怯む事無く見据えた。

 背後で這っている南天の姿を確認して真澄は再びユピテルに向かって踏み込んだ。


 少しでも南天がこの場から距離を取れるように、時間を稼がねばならない。

 南天がユピテルの手から離れた光景を共に乙班になった桜哉と大翔が見ていた筈だ。

 南天の救助は二人に託し、真澄は自らが殿に徹する事を決め込んだ。


 先程まで片手で振るっていた剣を、ユピテルは両手で握る。彼の背丈に合わせた長い剣は両手で握られた瞬間、異様な圧を放って真澄の前に立ち塞がった。

 大柄な体躯を活かした剣風が圧を伴なって真澄に振りつける。

 迫る剣風を軍靴を踏みしめて耐えると、真澄は振り下ろされた刃を上段で受け止めた。



「桜哉ちゃん、南天君を」


「うん」


 真澄が体当たりをしたことで敵の手を逃れた南天を救出するべく、桜哉と大翔は薄れ出した黒煙と夜闇に紛れて南天の下へ走る。


 繁みへ逃れようと這う南天に追いつく直前、二人の前に金髪の異教の尼僧服を纏う女が立ち塞がった。


「困るのよ。あの子を返しちゃったら私達のリーダーが悲しむの」


「新手」


 目の前に突如立ち塞がった女の手には円形の刃が握られている。朝月の報告にあった車に同乗していたもう一人だという事を、二人は直ぐに理解した。


「大翔君、ここは私が」


 軍刀を抜き放ち桜哉は新たに現れた女の前に歩み出た。


「あら、お嬢ちゃんが相手してくれるの?」


「お嬢ちゃんと侮った事、後悔してもらいます」


 下段に軍刀を構えたまま、桜哉は一気にアプロディーテの間合いに踏み込む。

 下段から突き上げるようにして閃いた刃を、アプロディーテは胸を逸らせてひらりと躱す。

 躱し際、身体を海老ぞりのように曲げて跳んだアプロディーテは、長い尼僧服の裾から足を繰り出して桜哉の軍刀を蹴りつけた。


「ッ!?」


 思いもよらぬ攻撃と衝撃に押されて桜哉は後方へと下がる。

 その間に地面に手をついて宙を回ったアプロディーテは、身体をバネの要領で飛び跳ねると、桜哉との間合いを詰めた。


 ひらりと、両手に持った円状の刃が交互に桜哉の軍刀とぶつかり合う。左右から繰り出されるその攻撃は、アプロディーテの軽快な動きと相まって、まるで踊っているかの様だった。


 予想外の動きをする攻撃に桜哉は反撃の機会を伺いながら、いつしか防戦一方になっていく。


「さっきの勢いは何処へ行ったの?」


 縦横無尽に繰り出される円状の刃の攻撃と挑発に桜哉は唇を噛み締め、握る柄に力を込めた。

 アプロディーテの繰り出す刃の軌道を追い、呼吸を整えて桜哉は刃を左右にずらして相手の動きに合わせ始めた。



「なんだ…!」


 五号車と六号車の間で起こった爆発音と立ち昇った煙幕に先頭で荷改めの様子を伺っていたソルは、珍しく動揺を見せた。


「敵襲!敵襲!」


 伝令役の士官の声が何度も響く。その声に護衛としてついている士官達が騒ぎの起こっている五号車と六号車のトラック付近へ駆けていく。


「ルーナ…っ」


 黒煙の立ち上る位置が、ユピテルとアプロディーテに任せている付近だと察した瞬間、ソルは咄嗟に駈け出そうと身を翻す。

 だが、その行動は傍にいた鮫島によって止められた。


「っ…放せっ」


「ソル殿、指揮を。動揺しては敵の思う壺だ」


 鮫島の腕を振り払おうとしたソルは、自分よりずっと年上の将校の言葉にぎりりと奥歯を噛み締めた。

 今回の作戦の指揮は全て自分に任されている。今後、好きに動くためにもここは己の力を示さなくてはならない。


「…急ぎ司教様と宗像中佐の安否の確認をしろ、襲撃者は殺しても構わん。直ぐに排除しろ」


 胸に付けた無線越しにソルは護衛に付いている士官達へ指示を出す。優先すべきは要人であるヘルメスとオルデンを援助してくれている陸軍の将校だ。彼等を護る事がこの場合の最大目的だという事を、ソルは理解していた。


 私情を押し殺し指揮者としての立場で指示を出したソルは、唐突に暗い夜空に立ち昇った白銀の柱に気づき、日枝神社の方へ視線を向けた。


「なんだ、あの光は…」


 自分と同じく驚く鮫島少佐の横で、ソルは胸の奥が不意に熱くなるのを感じ、眉を顰めた。





 南天がいない中、仲間を呼び寄せる為の召喚の儀式を行っている鬼灯は、不意に眉を顰めた。


「まずい…力が少し弱い。これでは二人呼ぶのは厳しいかもしれません…」


「ちょっと、それじゃ意味がありませんわよ」


 詠唱を終えて尚陣を組んだまま鈴蘭は鬼灯が口にした不穏な言葉に抗議した。

 特夷隊だけに南天の奪還を任せ、その裏でこんな博打のような儀式を行っている。それは、失敗を許されない状況でもあった。


(やはり、南天本人がいない中では無理なのか…)


 陣の中央から天へ上る白銀の柱を前に鬼灯は唇を噛み締める。

 この日枝神社の霊脈を失えば、次は何処を使って儀式を行うか。そんな事を考え始めた矢先、鬼灯が着物の帯に差していた板状の通信機から声が響いた。


『鬼灯、一人しか通れないなら、一人になって行くよ』


 それまで通信に出ていた人物とは異なる少年のような少女のようなアルト声に、鬼灯はハッと息を飲んだ。


「まさか、それは」


 鬼灯の驚きの声が響いた直後、それまで天へと流れていた力の奔流が地上へ向けて流れを変える。

 それまでとは比べ物にならない力強い流れに鬼灯達は思わず目を閉じた。


 目映い白銀の閃光が夜を昼の如く染め上げる。

 光が弾ける様にして納まると、陣の中心には人影が立っていた。


「…まさか、本当に…」


 驚愕する鬼灯達に、陣の中心に立った人物は自身に満ちた笑みで頷いた。





******************




刹那:次回の『凍京怪夷事変』は…


暁月:特夷隊総出で行われる南天奪還作戦。果たして、作戦の行方は


刹那:第五十九話「奪還作戦の果てに」次回もよろしく頼むな



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