第五十一話―赤銅色の慰め




 夕暮れ時。纏めた資料を手に隼人は大統領執務室を訪れていた。

 先日から調査を行っていた囚人失踪事件。陸軍が行っていると思われる怪夷を使った人体実験の真相を掴む為、潜入捜査を実行する事が決まった旨を、隼人は柏木と真澄に報告へ来ていた。


「…という訳で、警視庁から依頼を受けている陸軍における囚人失踪事件の目的は、囚人を何らかの方法で怪夷化させ、兵器として使用する為の実験だと判明しました」


 これまでの調査報告書を提示しながら、隼人は上司である真澄と柏木に報告をした。


「ほう…陸軍が囚人を使って怪夷の研究をしているのか…なんとも興味深い話だな。しかも、それを兵器にしようとしているとは」


 報告書を片手に持ち、柏木は不敵な笑みを浮かべた。

 60年前に怪夷が出現して以降、それを手懐けたという話も、人工的に怪夷を造り出したという話も前例がなかった。


 これまで怪夷の研究は行われてきているが、あくまでそれは怪夷を討伐する術を確立するためのものと、怪夷がもたらす黒結病の治療をするための人道的な側面が強かった。


 それが、怪夷が完全に討伐されたに等しい現代において、兵器として人間を怪夷化しようとしている。


「怪夷の制御に関しては、これまで何度か試みられてきたが、意思の疎通ができない連中を飼いならすのは困難だと結論が出ていた筈だ。それが、今になって怪夷を使った実験か…陸軍は何を考えているんだろうな。なあ、九頭竜君」


 隣に立つ特夷隊の隊長であり自身の親友でもある男に柏木は話を振る。

 いつもなら真澄なりの考えが返ってくるところだが、どういう訳か今回は何も返答がない。

 それに違和感を覚えた柏木は、真澄の脇腹を肘で軽く小突いた。


「おい、何か言ったらどうだ?」


「…ああ、悪い…そうだな…その実験に関与しているのが鮫島少佐達ってのは…確かに気になるな…」


 資料を手に真澄は何処か上の空で柏木の問いに応じた。

 いつもの真澄らしくない様子に柏木は怪訝に眉を顰めた。


「赤羽君、九頭竜君は何処か具合でも悪いのか?」


 視線を目の前に立つ部隊の副隊長に向けて柏木は眉根を寄せた。

 上官の質問に答えるべきか隼人は内心困惑した。


「…えっと、隊長も何かと心労が溜まっているのではないですか…?そういう閣下こそ、お心当たりは?」


 逆に質問を返す事で隼人は難を逃れた。真澄が南天の事で寝る間も惜しんで上の空なのは、特夷隊の誰もが周知だ。それを親友である柏木に知らせていいものか、隼人は判断がつかなかった。


「心当たりか…あり過ぎて分からんな。まあ、九頭竜君が使い物にならないなら、暫く小隊の指揮は副隊長である君が執りなさい。これの事は私がどうにかしよう」


 真澄の事を親指で示して柏木は指示を下した。

 隼人としても、自分より付き合いの長く、信頼のおける相手である柏木に任せておけば大丈夫な気がして、柏木の命令に敬礼で応えた。


「それでは、怪夷討伐の傍ら、陸軍の動きを探るべく、行動を取らせて頂きます」


「うむ、吉報を期待する」


 背筋を伸ばして敬礼をして、隼人は真澄と柏木に一礼すると、大統領執務室から出て行った。


「…一体、何があった?」


 隼人が完全に退室した後、柏木は顔を上げて横に立つ真澄を見遣った。

 隼人がいた時の大統領としての仮面を剥がし、柏木は友人としての素顔に声を掛けた。

 普段の不遜で無理難題を押し付けてくる柏木からは想像もできない気遣わしげな様子に、真澄は緩慢に首を柏木の方へ動かした。


「…何でもない…」


 短く答えてから、今度は柏木から顔を逸らす。

 明らかに覇気のない真澄に、柏木は内心溜息をついてから執務机から立ち上がった。


「私にも話せない事か?」


「……」


 身長の変わらない柏木は、真澄と視線を合わせるように顔を覗き込む。

 柏木の顔の近さに不快感を覚えて真澄は唇を引き結んだ。


「君がそんな調子でどうする。赤羽君や月代君、特夷隊を引っ張っていくのは君だ。それでも欧羅巴戦線で大隊長の地位についていた男か?」


 柏木の問いかけに真澄は、ピクリと反応し一瞬だけ大きく目を見開いた。だが、直ぐに無気力に戻る。


「私が先日言ったメルクリウスノートの一件が原因か?それなら、別に私は君を責めた訳じゃないぞ。もし、本当にあれがいまだこの世にあるなら、もう一度破棄すればいい。どこの連中が持っているかくらい調べてやる。大体、あれが今存在していて、メルクリウス本人が既に故人である時点で、あっても使い物にならんだろう?」


「…それは、分からないだろう…もしかしたら怪夷の制御の方法が書かれているかもしれない…それこそ、今隼人達が追っている囚人の怪夷化実験がそれを元に行っている可能性だって…」


 柏木の問いに答えながら、真澄は自身の発言にハッと口元を覆った。


「もし君のその推測が正しいなら、そんな呆けた顔をしていていい時じゃないな。他に原因があるなら、愚痴くらい聞いてやるぞ」


 ニヤニヤと、普段の人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべて柏木は親友の顔を覗き込む。


「柏木、そのノートの話の出所をもう少し詳しく調べてくれ。俺も出来る範囲で心当たりを当たってみる」


「ああ、任されよう。私も君に情報を伝えた手前、気になっていた所だったからね」


 真澄の目に生気が戻って来たのを見止め、柏木は強く頷いた。


「所で、本当に私にその件で責められたと思って上の空だったのか?」


 話が纏まった途端、再び落とされた爆弾に真澄は気まずげに柏木の問いから逃れるように顔を逸らした。


「ふむ…」


 じっと、自分から顔を逸らす真澄の横顔を、柏木はじっと下から見上げる。

 自分が問いに答えるのを待っているであろう柏木に、真澄はますます気まずさを感じた。


「閣下、そろそろ自分は巡回の準備がありますので…」


 大統領の部下らしい振る舞いで真澄は、その場から逃げようと踵を返す。

 だが、一歩踏み出すより早く、柏木にその腕を強く掴まれた。


「待ちたまえ」


 ニヤリと不敵に嗤う柏木から逃げたくて、真澄は腕を振り払おうとする。だが、思ったより強い力で腕を掴まれて振り払う事は叶わなかった。

 片手で真澄を封じ込めたまま、柏木は手元に設置された電話で何処かへ連絡を入れた。


「私だ。ああ、今日の会食はキャンセルしてくれ。それから、今から以降、有事があるまでは私は休息に入る。ああ、すまないな、調節を頼む。それと、紅茶と何かつまみを運んでくれたまえ」


 彼の口調から、電話の先にいるのは柏木の秘書だろうと予想した所で、真澄は柏木が何をしようとしているのかを理解した。

 次に、柏木は別の場所に連絡を入れる。


「ああ、私だ。九頭竜隊長と少し大事な話がある。今日の巡回は赤羽君と月代君で指揮を取ってくれ。海静も駆り出して構わん。ああ、任せなさい。他の事はよろしく頼むよ」


 受話器を置き、柏木は黙って自分の様子を伺っている真澄に視線を戻し、ニヤリと口端を釣り上げた。

 今連絡したのは、恐らく特夷隊の詰め所。珍しく直通回線が使われて誰が出たのか分からないが驚いた事だろ。そこまでは想像できた。


「君の部下達は優秀だな。隊長の最近の様子によく気づいていたよ。彼等から聞いてもいいが、君の面子やプライドが許さないだろう?」


 不敵に嗤う幼馴染に真澄は逃げられないと、この状況を受け入れた。

 真澄が逃げる事を諦めたと解釈した柏木は、一端掴んでいた腕を開放した。


「それでいい」


 何処か楽しそうにしている柏木が執務机の引き出しから何かを出そうとしているのを、真澄は静かに見つめた。

 引き出しの中から出て来たのは、ブランデーのボトル。


「さて、何が君の心を乱しているのか、私に聞かせてくれないか?この間の海静と七海の件の借りを返すのにいい機会だ」


「…たく、ほんとお前は…」


 ガシガシと後頭部を掻き毟り、真澄は盛大に溜息を吐いた。

 この悪友で親友な幼馴染は、どうして勘が鋭いのか。


 執務机の横にある応接ようのソファへ移りながら、その途中に戸棚からグラスを取り出して柏木は真澄を手招いた。

 誘いに応じて真澄もソファへと身を移すと、斜めになる位置にそれぞれ腰を下ろした。


 暫くして、柏木の秘書が主人に言われた通りにティーセットと軽食を台車に載せて執務室へ入って来た。


「ご苦労。調整が済んだら今日は下がっていい」


 柏木の労いの言葉に一礼し、秘書は台車を置いてそのまま静かに退室していった。

 台車に載せられているティーポットから手際よく紅茶をカップに注ぎ、真澄と自分の前にあるテーブルにそれを並べる。普段、多くの民や部下から傅かれ、自宅に帰っても主として世話を焼かれる男にしては丁寧で滑らかな所作で柏木は夜の茶会の用意をしていく。


 いつの間にか、何もなかったテーブルにはスコーンやカナッペなどの軽食とつまみ、紅茶とブランデーのボトル、更にワインとグラスが並んでいた。


 どかりとソファに腰を下ろし、柏木はグラスに注いだブランデーに角砂糖を落とし、それに火を点けて紅茶のカップの中に落とした。

 ティーロイヤルと呼ばれるそれを柏木は真澄の前に差し出す。


「たまにはじっくり話を聞こうじゃないか」


 自身も紅茶の入ったカップを手に取り、一口飲み干してから柏木は笑みを浮かべて真澄を見遣った。


「…別に、大したことは…」


「ほほう、何年の付き合いだと思っているんだ?そう言えば、ここ数日あの銀髪の少年の姿が見えないが?」


 紅茶のカップに口を付けかけていた真澄は、柏木の口から出た言葉に、思わず口に含んだ紅茶を吹き出しかけた。

 ゲホゲホと咳き込む真澄の様子に、柏木はにたりと悦に浸る。


「やはりそれか」


「お前な!今のは反則だぞっ」


 激しく咳き込んだ後真澄は口元を手の甲で拭いながら柏木を睨み付けた。

 酒が入った今、目の前にいるのは上司でもこの国の最高指導者でもなく、ただの悪友で親友な幼馴染だ。

 普段の軍人としての公人ではなく、古き友人としての態度で真澄は柏木に悪態をついた。


「何があったと聞くのは無粋だが…君、秋津川君がいなくなった時より酷い顔をしているぞ」


 チーズの載せられたクラッカーを口に運びながら柏木はしげしげと真澄の顔を眺めた。ここ数日、寝る間も惜しんで南天の捜索に出ていたせいで、顔色はあまりよくない。目の下にはクマが出来、頬には疲労がたまっている。目も充血しているとあっては、隠しようもなかった。


「……お前には隠せないな…」


「何年付き合っていると思っている?いい加減、素直になれ」


 含み笑いを零して紅茶を飲む柏木の横顔を見つめた後、真澄は紅茶の水面を見下ろしてぽつり、ぽつりとここ数日の事を柏木に話して聞かせた。

 真澄が話している間、柏木は茶かす事も、話を遮る事もせずに静かに真澄の話に耳を傾けた。

 やがて、真澄が話し終わると、カップに入っていた紅茶を飲み干して頷いた。


「なるほど、本人に聞いてみなければ分からないが、君は自分の発言に後悔している訳か」


「当たり前だ。まさか、南天の自称人形発言が、自分の精神安定の為だったなんて、想像もしなかったよ」


 数日前、自身の発言に絶望に顔を歪め、嵐の中に消えていった南天の姿が、今も真澄の瞼の裏に張り付いていた。


「雪の時とはわけが違う。それに、あの時は震災の後で他にやることもあった上、どっかの誰かさんに無理難題押し付けられたからな」


 ちらりと斜め隣に座る男の横顔を見据えて真澄はスコーンを頬張った。


「無理難題とは心外な。今の仕事は君が適任だと思ったから命を下したまでの事だろう。まあ、確かに少々強引だったのはこの際認めよう」


 今更な発言にげんなりとしつつ、真澄は柏木を睨み付けた。


「君がそんな調子では部下達が困るだろう」


「それは…」


 ぐさりと突き刺さる指摘に真澄は唇を噛みしめた。隠しているつもりだが、恐らく隼人や拓、部下達には現状を気づかれているのは否めない。

 彼等の上官として、一部隊の隊長として部下達の指針になるのが真澄の役割だ。そんな自分が彼等に気を遣われていてはいざという時に動けない。


「今の話からすると、南天は当分戻ってこないんじゃないか?心配なのは分かるが、本人が戻って来るなら戻ってくるだろう。彼等にはやるべきことがあるようだからな」


「確かに…他にも仲間を呼ばなければならないとは言っていたな」


「それなら、自分から戻って来るんじゃないか?鬼灯達も手を打っていない訳でもなさそうだしな。ここは、帰りを待つのもいいと思うぞ。帰ってきたら、きちんと話をすればいい」


 柏木の説得に真澄は俯き黙り込んだ。


「…なんで、俺の事をあんなに護ろうとするんだろうな…そこが分からない…俺は、そんな立派な人間じゃないのに」


「さてな、私からしたら君は大事な親友だ。心を許せる数少ない人物なのは間違いない。案外、君は昔南天と会っていたりするんじゃないか。向こうも記憶がないんだろう」


「どうだろうな。あんな美少年、一度見たら忘れなさそうだけど…」


「人の記憶なんて時にあっさり忘れてしまうものさ。向こうは何か思うところがあるかもしれないぞ」


 いつの間にか、ティーロイヤルからブランデーをただ紅茶に注ぐだけのものを飲み干し、柏木は更にワインボトルの栓を抜いた。


「俺達にそんな繋がりがあるなら、南天が俺を護るように頼まれた相手も関りがあるってのかよ」


「それはそのうち分かるんだろう。なら、その間にやるべきことをやる事だ。陸軍が行っている実験。もし君が破棄しそびれたメルクリオスノートが関係しているなら、君自身の目で確かめてみてはどうかね」


 ワイングラスに開けたてのワインを注ぎ、柏木はそれを真澄の前に差し出した。


「俺達の血の故郷、スペイン産の赤だ。結局、自分のやり残したことは自分にしか解決できない。私の抱える案件を君が肩代わりできないように。悔いがあるなら、それを払拭できるのは己自身だけだ」


 柏木から渡されたグラスに注がれた紅玉の液体を見つめ、真澄はグラスを受け取った。


「己自身だけか…」


 柏木の言葉を反芻し、グラスの中で揺れるワインを真澄は一気に飲み干した。

 酸味の中に、ほんのりと苦みのあるワインは、一瞬喉の奥を熱く焦がしてから、静かに体の中へと熱を回していく。


「私は、南天は戻ってくると思うよ。彼は私が見ても君の事を誰より大事にしている。君に言われた事がショックでも、ちゃんと巣に帰ってくるだろうさ」


「…そうだといいな…」


 ワインを飲み干した途端、急激に回ってきた酔いに、真澄はだんだんと重くなってきた瞼を持ち上げようと、瞬きを繰り返した。

 比較的酒の強い真澄にしては珍しくうとうとしている様子に気付きながら、柏木は更に真澄のグラスにワインを注ぐ。


「ちょっとした反抗期と思ってやれ。うちの七海も海静も反抗期は凄かったぞ」


「反抗期…か…そうだな…確かに…」


 注がれるままにワインを飲み干し、真澄は柏木の話に相槌をうちながら、いつしか、がくりと首を落とした。

 力を失くした手からグラスが滑り落ちる。幸いにも高さがそれほど高くなかったのと、床が絨毯で覆われていた為、グラスは割れることなく転がった。

 すう、すうと、寝息を立て始めた親友の姿に柏木は苦笑を滲ませると、ほぼ身長の変わらない男の腕を自身の肩に回して立ち上がらせた。


(やれやれ…相変わらず頑固というか)


 真澄を支えたまま柏木は自身の執務室の横に備えられた仮眠室へ酔いつぶれた真澄を運ぶと、ベッドの上に半ば放り出すようにして横たわらせた。


「人の事は言えないが、君ももう少し周りに弱い所を見せるべきだな。真澄」


 数日の徹夜が響いたのか、酒の効力ですっかり深い眠りについた親友を見下ろし、柏木はやれやれと肩を竦めた。


 周りの事は良く観ているくせに、自分の事となると無頓着になるこの幼馴染を柏木は彼なりに心配していた。


 雪之丞が行方不明になった時も、真澄が自暴自棄にならないように、自分を責めてしまわないようにする意味も込めて、柏木は今の特夷隊を発足する時期を早めた。

 旧江戸城の怪夷の封印が解けて怪夷の脅威から東京を護る為に必要ではあったが、震災の一か月後に隊を稼働させる必要はなかったのだ。発足を速めた本来の理由はひとえに真澄の心を護る為でもあった。


(ま、言わないがな)


 柏木の思惑通り、真澄は雪之丞の行方を気にかけながらも、己に与えられた仕事に奔走し、平静を保てていた。

 それが、柏木にしてやれる真澄への最上の心配りだったから。

 たとえ本人に言わずとも、時を経て真澄の心を救った事を柏木は改めて確信したのだった。


「無事に帰ってくるといいな」


 寝息を立てる幼馴染の顔を見つめて柏木は、ベッドサイドに腰を下ろす。

 窓から覗く空には、ようやく顔を出した月が上りだし、ぼんやりと輝いている。

 あと数日もすれば新月となる月を柏木はしばらく真澄の寝息を聞きながら、見つめていた。




 秋の弱い日差しが暗い室内に差し込む。

 僅かに身じろいだ真澄の肩を、柏木は少し強めに揺らした。


「おい、いつまで私のベッドで寝ているつもりだ?」


 苦笑交じりの問いかけに真澄は、がばっと勢いよく上体を起こした。キョロキョロと辺りを見渡すと、そこが特夷隊の詰め所の仮眠室でも、自宅の寝室でもない事が直ぐに分かった。


「…俺は…」


「全く、健康管理も出来ないようじゃ部下に示しがつかんだろう」


 横から聞こえてきた声に振り返ると、スーツのジャケットを脱いたワイシャツとスラックスという軽装の柏木が、ベッドサイドに座っていた。


「柏木…なんでここに…」


 疑問を持った所で真澄は前日の己の失態を思い出した。途端、顔面を手で隠して悶絶する。


「思い出したか、馬鹿者」


「~~~~~っ」


 羞恥心に項垂れる真澄の背中を強く叩き、柏木はベッドから降りるよう真澄を促した。


「ほら、朝食にするぞ。それが済んだら自分の職場に戻れ。君の部下達が君を心配しているだろうからな」


「…分かった…」


 小さく頷き真澄は促されるままベッドを降りた。すると、その目の前にバスタオルが投げられた。


「まずはシャワーでも浴びてスッキリして来い。それから一緒に朝食を取ろう」


「ああ…」


 バスタオルを握り締め、ポカンと真澄は柏木を見つめてから、照れ笑いを滲ませた。


「ありがとな…静郎」


 幼馴染の素直な態度に一瞬面食らったが、柏木は目を閉じて苦笑すると、肩を竦めて再び真澄を真っ直ぐに捉えた。


「さっさと行ってこい」


 再度促され真澄はタオルを手に大統領執務室の仮眠室に備え付けられたシャワー室へ消える。

 その背中を柏木は嬉しそうに見つめた。




 柏木との朝食を終えて真澄は自身の職場である特夷隊の詰め所へと戻る。

 その表情は昨日までの思いつめたものから、憑き物が取れたようにスッキリとしていた。


「おはよう」


 扉を開けると、宿直組と日勤組、大統領の護衛組がそれぞれ集まっていた。


「おはようございます。隊長、なんだかスッキリした顔してますね」


 資料を手に拓と朝月と共に相談をしていた隼人は、上司の出勤をその場を代表して出迎えた。


「悪い、お前達には心配をかけたな」


「いえ、大統領閣下には感謝しないといけませんね」


「アイツの事はいいよ。借りを返してもらっただけだから。それより隼人、昨日言っていた潜入捜査の件だが」


「今丁度その話をしていた所です。日取りをどうするか」


「その作戦、俺にも協力させてもらえないか?」


 唐突な真澄の発言に、隼人だけでなく拓と朝月も驚いた。


「隊長?突然どうしたんですか…」


「すまん、色々話さないとならないんだが、その囚人失踪と怪夷化実験の要因は、もしかしたら俺にもあるかもしれなくてな。この目で確かめたいんだ」


 思いもよらない真澄の告白に、隼人達は顔を見合わせる。

 一瞬どうしたらいいのか戸惑っていると、まるでその空気を打ち破るような声が割って入って来た。


「いいではないですか。九頭竜隊長は潜入に関しては経験があるでしょうから」


 遅れてやってきた鬼灯の意見に、隼人達三人は互いに顔を見合わせた。


「わたくしも、九頭竜隊長が協力してくださるのは心強いと思っていますよ」


「まさか、お前が賛同してくれるとは思わなかったな…」


 会話に入って来るなり自分を擁護に回った鬼灯を真澄は訝しんで見つめる。

 疑うような視線にほくそ笑みながら鬼灯は袖口で口元を隠した。


「確かに、隊長なら敵の潜伏先に潜入するのはお手の物かもしれない。隼人、僕が行くよりずっと行動がしやすいと思う」


「そうだな…けど、隊長、特夷隊の指揮はどうする?」


「それに関しては海静に任せようと思う。六条と宮陣、鈴蘭と清白がいればこちらはどうにかなると俺は考えている」


「それでしたら、隼人、隊長にも協力してもらいましょう」


「隊長が来てくれるなら俺も心強いです」


 拓に背中を押されて隼人は決心をして深く頷くと、改めて真澄と向かい合った。


「横浜の倉庫街だったか、俺も俺の情報網を使って周辺の情報や船舶の出入りなんかの情報を集めておくよ、作戦の立案と指揮は隼人、お前に任せる」


「分かりました。よろしくお願いします」


 朝の陽ざしが差し込む執務室の中で、真澄と隼人は互いを湛えるように敬礼を交わし合う。

 昨日まで思い悩んでいた真澄の表情はスッキリと晴れ、隼人達が尊敬し憧れる隊長としての顔を取り戻していた。

 僅かな心残りを抱えつつ、過去に残してしまったかもしれない後悔の払拭を誓いながら、真澄と特夷隊の新たな日々が始まった。





**********************



三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


朔月:隼人達と共に潜入作戦へ加わる事を決めた真澄。だが、巡回先で奇妙な出来事に遭遇し…


三日月:第五十二話「すれ違う影」次回もよろしくお願いします。


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