第四十六話ー囚人失踪事件の行方




 清白による方位盤と八卦盤の怪良品の試験運用が行われた翌日。

 昼も過ぎる頃に特夷隊の詰め所へ警視庁から隼人の下後輩である市村が訪ねて来た。


「遅くなってすみません。近頃事件が立て続けに起きていて」


 資料の詰まったカバンを抱えたダブルのスーツ姿の市村を、隼人は出迎えた。


「近頃は軍都も物騒になったからな…怪夷が増えてるのもそのせいかもしれないぞ」


 執務室に併設された応接ソファに市村を案内し隼人は、来客の向かいに腰かけた。


「怪夷の発生が増えているんですか?」


 ソファの前にあるテーブルに資料を出しながら市村は、隼人が出した世間話に耳を傾けた。


「あ~まあ…あまり大声じゃ言えないけどな…」


 自分の発言を少し後悔しながら隼人は、咳払いをして小声で言い直す。

 警視庁の面々は柏木大統領支持派の革新派とはいえ、怪夷の復活を知っているのは一部の人間のみだ。

 市村は以前から怪夷に関わる事件や案件に携わっているせいか、つい口が軽くなってしまうが、本来なら特夷隊とそれに関わる者以外に怪夷の事を話すのはタブーだった。


「ご心配なく、口外はしませんので」


 言葉を濁す先輩の気まずげな表情に、市村は苦笑しつつ首を横に振った。


「どちらにせよ、少し怪夷の情報は頂きたいです。なにせ、今回の事件になにかしら関わっている気がしますので」


「分かった。出来る範囲で情報開示はするよ」


 市村の話はあながち間違いではなかった。

 夏の初めに関わった吉原での怪夷による襲撃事件。七海の夢遊病の一件から海静と海静の身体を借りていたという紅紫檀の件。それらには今まで隼人が話に聞いていたのとは違う怪夷の在り方の情報が含まれていた。

 それらが何故か今回の案件に繋がっているような予感が隼人の中にはあった。


(陸軍が関わっている時点で碌な事じゃないのは確かだけどな…)


 大統領による政治を快く思っていない保守派の筆頭である陸軍。

 彼等の奇怪な行動は、大統領の直属の私設部隊としての顔を持つ特夷隊にとっても見過ごせない事柄の一つだった。


「遅くなりました」


 隼人が市村と現状について情報交換をしていると、執務室へ鬼灯を伴なった朝月が入ってきた。昨夜の当直組で、さっきまで仮眠室で休息を取っていた朝月は、乱れた制服を直しながら隼人と市村の前に現れた。


「おう、大丈夫か?」


「はい。すみません、市村さんでしたよね?ご無沙汰しています」


「こんにちは。この間の吉原の一件ではお世話になりました。東雲さんですよね」


 ニコニコと、人懐っこい笑顔を浮かべて市村はソファに前に立った朝月に握手を求めた。

 それに応じて朝月も市村の手を握り返す。


「陸軍が何やら奇妙な動きをしているって話ですよね?」


「はい。東雲さんが陸軍について探りを入れていると赤羽先輩から伺ったので、是非お話を伺いたいと思いまして」


 互いに会釈をしあった後、市村は元の位置に、朝月は隼人の隣に腰を下ろした。


 今日の市村の訪問は、先日市村が隼人と拓、真澄達特夷隊を頼って持ってきた囚人失踪事件の進捗報告と同時に、別件で真澄から陸軍の探りを任されている朝月と鬼灯が集めた情報の中から、有力なモノがあればと思っての情報収集活動の一環だった。


 朝月としても、隼人から囚人失踪事件を聞いていた事もあり、鬼灯との協議の結果、情報交換に応じてのこの場だった。


「俺も陸軍時代の同期に協力を頼んで陸軍の動向を探っていますが、確かに陸軍が不穏な動きをしているのは事実です」


 テーブルの上に朝月は自身が纏めた資料を差し出し、市村と隼人の前に見えるように示した。


「自分が調べているのは、陸軍が行っているある実験についてです。そこで、医療技術の発達したドイツ帝国との備品のやり取りや、士官達の交流などの報告書や視察に関しての資料を遡ってみているのですが、ここ数年、正規品に紛れて用途不明の医療機器や薬品が輸入された形跡が見つかっています」


 グラフや数値をまとめた物を指さして朝月は淡々と、自分が調べて判明した事を開示していく。


 資料を捲りながら、時折朝月は自身の背後にいる鬼灯を意識した。

 その様子を朝月の後ろに立って鬼灯は静かに見守っていた。

 朝月が今回の捜査協力に提供している資料には、幾つか省いている情報がある。それを何かの拍子に朝月が話してしまわないかと危惧しての同席だった。


 朝月の情報開示が終わった後、今度は市村が改めて今回の事件の概要を説明した。

 陸軍の施設建設の為に駆り出された囚人達。その殆どが死亡となって監獄へ戻ってこない。

 死亡とされていた囚人がある時一部黒化した状態で発見された。

 並べられた事実を前に朝月と鬼灯は顔を見合わせた。


「東雲さんはどう思われますか?今回の囚人失踪と陸軍の不穏な動き。無残な姿で見つかった囚人の黒化現象…これは、陸軍が怪夷に関わる何かを行っているのでは、と思えなくないですか?あくまでこれは僕の推測ですが」


 淡々としているが、異様に熱の籠った市村の推測に、朝月と鬼灯はほぼ同時に眉を顰めた。


(鬼灯…もしかしてだけど、これって、紅紫檀と三好が言ってたあれか?)

(陸軍による怪夷化実験…なるほど、最初の被検体は囚人でしたか…)


 目だけで鬼灯と会話を交わし、朝月は再び市村の方へ向かい合った。


「状況は分かりました。この囚人の案件が怪夷と関りがあり、かつ陸軍が関わっている事なら俺が探っているうちに何か分かるかもしれません。近いうちに、陸軍施設へ潜入を試みる予定ですので、その時に少し探りを入れてみます」


 膝の上で手を組み、僅かに背中を丸めながら朝月は真剣な表情で市村に語り掛ける。

 その頼もしい表情に市村が頷いたのとは対照的に、隼人は怪訝に眉を顰めた。


「朝月、お前潜入とか大丈夫なのか?」


「同期に先導を依頼していますから、問題ないっす。なんなら、赤羽さんも来ますか?」


「俺も?」


 唐突な誘いに隼人は、思わず目を見張った。潜入捜査は少人数で行うのがセオリーだ。それに誘ってくるのは、一体どういう心境なのか隼人は一瞬理解に苦しんだ。

 だが、隼人の思いとは裏腹に朝月は隼人を誘う。若者らしい純真な目が、「大丈夫」と訴えてくるのに、何故か眩暈を覚えた。


「…鬼灯、俺も行っていいものか?」


「潜入を赤羽さんと主様限定にすれば問題ないでしょう。わたくしは外で指示を出す、という役割で」


 本来、自分が潜入に回る筈だったポジションを鬼灯は隼人に譲ると言ってきた。ここまでされては流石の隼人も首を縦に振らない訳にはいかなかった。


「…分かった。俺が行く。市村、現状はこんな感じだ。まだ捜査の検証をするには材料は足りない。俺と朝月で探りを入れるからもう少し待ってくれ」


「分かりました。東雲さん、鬼灯さん、ご協力よろしくお願いします」


 深々と市村は隼人達に腰を折って頭を垂れる。

 囚人失踪事件の捜査は、警視庁の枠組みを超え、特夷隊並びに陸軍諜報部への協力と規模を拡大していった。





 早い夕暮れを迎える十月初旬。

 特夷隊の巡回は一番長く行なわれる季節を迎えていた。

 いつものように休み以外の当直組、日勤組、大統領護衛組が詰め所内の執務室へ集まって来た。


 今日から勤務の順番が変わっているので、昨日とは違う面々が顔を出している。

 いつものようにグリーフィングが行われ、今夜からの巡回組は真澄、南天、朝月、鬼灯、隼人の五人。拓と清白は新たに設けた通信班という役割で、詰め所に残り後方から支援する事になっていた。


「今のところ、怪夷の出現は、確認されていません…瘴気の集まりが、市ヶ谷の方面に観測されていますので、一先ずこの辺りの巡回をお願いします」


 この数日で詰め所の隅、今までは簡易的な通信機器が置かれただけの場所が様々な計器や機器の置かれた物々しい背景になっている場所で、清白は真澄達に方位盤が示す表示を説明した。


「先日、大物を倒していますし…しばらく怪夷の出現はない、かも…本当なら、発生があってから駆け付けられるスタンスの方が、効率はいいんですが…」


「まあ、今までもいざという時を考えて巡回は行っていたからな。パトロールだと思って少し回ってくる。怪夷発生を感知した時は指示を頼む」


 清白の発生してから出動するという流れは、確かに体力の温存や正確性が増して効率はいい。だが、小さな怪夷の発生も感知できるようになった今なら、逆に弱いうちに怪夷の討伐が出来る方が負担が少なくなると、真澄は考えていた。

 夜の巡回は体力作りの訓練と思って望めば問題ない、というのが妥当な理由だった。

 真澄の要請に大きく頷き、清白は巡回に出る五人に微調整を加えた八卦盤を手渡した。


「簡単な通信機能を追加しておきました。ご武運を」


「皆、気を付けて」


 清白と拓に見送られ、真澄達五人は市ヶ谷方面に向けて巡回を開始した。




「そう言や、この辺りだったな」


 広大な敷地の残る市ヶ谷の辺りを歩きながら、真澄は徐に呟いた。


「市村君が持ってきた案件の囚人達が建築に駆り出されている陸軍施設の建設地は」


 真澄の唐突な話に隼人と朝月、鬼灯はふと辺りを見渡した。

 陸軍士官学校や陸軍省の訓練施設などが点在するこの市ヶ谷付近は、いわば陸軍のお膝元である。

 広大な訓練場や研究施設を有する一帯は、幾つも高い塀に囲まれ、一般人が覗けない構造になっている。

 軍都・東京と言われる一部を担うまさに軍事施設の密集地を横目に、真澄達は夜の道を進んでいた。


「八卦盤の様子は…やっぱりなんの反応もないですね」


「怪夷の発生がないという事でしょう。清白も今夜は怪夷の発生はないかもと言っていましたし…九頭竜隊長、どうしましょう?もう少しこの辺りを巡回しますか?」


 朝月が掌に載せた八卦盤を覗き込んでから、鬼灯は真澄に指示を仰ぐ。

 詰め所を出て、市ヶ谷に辿り着いてからそろそろ一時間が経つ。

 もし怪夷と遭遇があるなら、そろそろと予想していたが、通信班の清白達からも連絡はなく、八卦盤も反応が見られない。


「そうだな…あまりこの辺りをうろつくのも、陸軍の連中に見られたら余計ないちゃもんを付けられそうだしな…」


 周囲に点在する施設の数々を見渡し、真澄は肩を竦めて言葉を濁した。


「よし、この辺で一度詰め所へ戻ろう。今夜はこのまま怪夷発生の警報が鳴るまで待機を…」


「マスター」


 真澄が部下達に指示を出そうとした矢先、繁みに覆われた場所から、ガサガサと音が響いた。


 一番最初に気配に気づいた南天は、咄嗟に真澄を護るように立ち塞がり、素早く得物であるコンバットナイフを抜いて逆手に構えた。

 警戒心を剥き出しにする南天に倣うように、隼人や朝月、鬼灯もまた各々武器を構えて警戒をする。

 ただ一人、冷静に真澄は暗がりの中にある繁みに目を凝らした。


 ガサガサと小刻みに低木の葉が揺れ、大きくしなったかと思うと、突如繁みの中から人影が現れた。

 その場の全員に緊張が走った刹那、現れた人影の口から救援を求める声が上がった。


「た、助けてくれっ!」


 繁みの中から現れたのは、ボロボロの作業服を身に纏った中年の男だった。真澄達を見つけるや否や、彼等が武器を構えて警戒しているのにも関わらず、顔を歪めて足早に駆け寄って来た。


「なんだ…」


「…主様、赤羽さん、あの男…」


 突然の事に朝月や隼人が困惑していると、ふと鬼灯は自分達の方へ走ってくる人物の顔に見覚えがあると、呟いた。


「は?どこで?」


「恐らくですが、あの男は先日市村さんから頂いた資料に乗っていた囚人の1人ではないかと…」


 目を細め、駆け寄ってくる男を注視しながら鬼灯は声量を落として朝月と隼人に告げた。


「まさか…」


 困惑している隼人に鬼灯は間違いないと首を振る。

 未だ信じられないという顔をしていると、恐怖に顔を歪めて助けを求めてきた男が真澄達の前で止まった。


「た、助けて…くれ…このままじゃ…殺されちまう…っ」


「おい、一体何があった?」


 地面に座り込んだ中年の男の前に真澄は膝をついて目線を合わせると、ガタガタと恐怖に震えている男の肩を擦った。


「脅えていますね…」


「隊長、一先ずここはこの男を連れて詰め所に戻りましょう。もしかしたら、例の事件の囚人かもしれない」


「分かった。おい、ここから移動するが歩けるか?」


 隼人の提案に頷き真澄は、男の顔を覗き込みながら静かに問いかけた。

 真澄の落ち着いた問いかけに応じ、男は小さく頷いてゆっくりと立ち上がった。

 纏っている作業服はぼろぼろだが、彼自身に負傷は見られない。ここまで走ってきたという事は、恐らく歩行には問題がないだろう。

 恐怖と寒さに震える男に真澄は制服の上着を脱いで肩に掛けてやると、その背中を擦って促した。


「南天、この人を追ってくるような気配は感じられないか?もしかしたら追われている可能性があるかもしれない」


 男の動向を伺っていた南天は、真澄からの声掛けにこくりと頷くと特に指示を聞くまでもなく颯爽と、男がやって来た繁みの向こうに飛び込んで行った。


「南天なら大丈夫だ。先に詰め所に向かって歩こう」


 偵察に行かせた南天をそのままに、真澄は残りの部下達へそう告げ、男を促して歩き出した。

 隼人を先頭に、男を支えた真澄、その後ろに朝月と鬼灯が付いて歩く。


 陸軍の施設群を抜けた頃、偵察に行っていた南天が戻って来て、真澄の横に並んだ。


「マスター、特に追ってはないようです」


「そうか、ご苦労だったな」


 南天から真澄への報告が聞こえたのか、男の口からほっと安堵の息が零れた。

 そのまま南天は真澄と共に男を挟む位置について詰め所への帰路を急いだ。




 詰め所では、真澄達から一時帰還の一報を受けた清白と拓が、方位盤を見つめていた。


「今夜は久しぶりに静かな夜かもしれないね」


 戻ってくる真澄達の為に入れるコーヒーの用意しながら、拓は方位盤と見つめ合っている清白に微笑んだ。

 特夷隊の仕事は怪夷の討伐だが、怪夷の討伐がない日もある。

 静かな夜があるというのは悪い事ではないと拓は思っていた。

 多少の緊張感はありつつも、夜を穏やかに過ごせるのは思いのほか貴重な時間だったからだ。


「怪夷が、出ないに越したことはないですから…皆さんが戻ってきたら、武器のメンテナンスでもしようかな…」


 ピクリとも動かない方位盤や計器達を眺めて清白は、気の抜けた様子ぼんやりと呟く。

 少し眠そうに目を擦る清白に、毛布でも持って来ようかと拓が踵を返した時だった。


 ビビビイイイイイと、けたたましい警報が詰め所内に鳴り響く。


 びくりと肩を震わせ、すっかり微睡から覚めた清白は、驚いた様子で警報を鳴らし始めた方位盤に視線を向けた。


「嘘…なんで、こんないきなり…」


 咄嗟に清白は巡回に出ている真澄達を追跡しているレーダーに視線を向ける。

 いつの間にか増えている点の数。見知らぬ第三者に清白は頬を強張らせた後、外していたヘッドフォンマイクに咄嗟に呼びかけた。




 特夷隊の詰め所で警報音が鳴り響くより少し前。

 青山墓地の付近に差し掛かった所で、不意に南天は歩みを止めた。


「南天?どうしました?」


 歩みを止めた事で後方を歩いていた鬼灯と朝月が隣に並ぶ。その時、南天は彼にしては珍しく切迫した声を荒らげた。


「マスター!その人から離れて!」


 南天の悲痛な叫びとほぼ同時に、各々がポケットに入れていた八卦盤がけたたましくを鳴り響いた。


 それは、怪夷の発生を知らせる警告音。


 穏やかな夜の静寂を切り裂くその異様な人工音と南天の警告に真澄が困惑していると、彼の横で震えていた男が、更にガタガタと震え出した。

 ぶるぶると全身を震わせる男に手を伸ばした真澄を、南天は強引に腕を引いて男から引き離した。


「南天っ」


 突然の南天の行動に驚いた真澄は、更に目前で起こった出来事に瞠目した。


「ああ…うう…うわあ…があああああああああ!!!!」


 全身を抱き込むようにして丸くなり、地面に蹲った男は、苦痛に呻いた直後、喉の奥から獣の如き咆哮を迸らせた。

 ぐちゃぐちゃと背中を中心に男の皮膚が音を立てて波打つ。


「なんだよ…これ…」


 離れた位置で男の変化を見据えていた隼人と朝月は真澄同様に驚愕し、息を飲んだ。

 その横で、鬼灯は南天同様に冷静に男の変化を見つめた。その双眸には憐れみと諦めの感情が滲んでいる。


「こうなっては、手遅れです…南天」


 溜息交じりに零した呟きの後、鬼灯は真澄の傍で武器を構えている南天に視線を向けた。


「了解」


 鬼灯からの呼びかけに南天は愛用のナイフと鉤爪を構え、一歩を踏み出す。

 その背中へ真澄は咄嗟に呼びかけた。


「南天、あれは一体なんだ?あの人はどうなって」


「マスター…あの人は放っておけば怪夷に転化します。今のうちに送ってあげるのが、せめてもの救いです」


「は…?怪夷に転化…?」


 耳慣れない単語に真澄は更に困惑した。怪夷の事なら今まで嫌という程聞いてきたが、ヒトが怪夷に変化するのは、死んだ後だ。今目の前でどす黒い靄に包まれていく男は、まだ生きている。


「待て、南天っ一体何が起こっているんだ⁉説明しろっ」


「南天、手遅れになります!いきなさい」


 真澄の命令に被せるように鬼灯が声を張り上げる。


 武器を構えて南天は、真澄の声ではなく鬼灯の命令に従って地面を蹴った。

 一瞬の閃光が、苦しみ藻搔く男の横を薙ぐ。直後、首と思われる場所から黒く変色した血を噴き出し、ゆっくりと地面へと崩れて行った。


 俯せに倒れて絶命した男から、ゆっくりと黒い靄が取り払われていく。地面に屈んだ南天は、無言で男の身体を仰向けにひっくり返すと、苦悶の表情を浮かべたまま絶命した男の額に更にナイフを突き刺した。


 皮膚と頭蓋骨の間にあった硬い結晶が乾いた音を立ててひび割れる。それを確認して南天はゆっくりと立ち上がった。


「討伐成功。これで、この人が怪夷になる事はありません」


 得物を逆手に持ったまま、南天は暗闇の中で真澄達を振り返り、淡々と報告をする。

 その冷静な様子は彼の美貌と相まって、いっそ冷ややかな印象を真澄や朝月、隼人に植え付けた。

 南天が普段隠している暗部を見たような気がして、三人は本能的に後ずさった。


「お見事です。ご苦労様でした」


 唯一、常と変わらない様子で鬼灯は戦果を挙げた南天を労った。その様子は、今の状況に慣れているような態度だった。


「九頭竜隊長、この怪夷になりかけた遺体を詰め所に運びましょう。三好先生なら詳しく調べてくれるでしょう。陸軍の施設の方から逃げて来たという事は、例の失踪事件に関係があるかもしれませんよ」


 南天の傍で絶命した男に歩み寄り、膝を屈めて男の状態を覗き込んでから、鬼灯は不敵な笑みを浮かべて朝月と隼人を見つめた。

 何かを見透かすような鬼灯の視線に朝月と隼人は顔を見合わせてから、男の遺体を運ぶ為に鬼灯と南天の傍に駆け寄った。


『九頭竜隊長っ怪夷の出現を感知し』


 朝月と隼人が男の遺体を抱えるのを茫然と見つめていた真澄の通信機に清白から通信が入る。それを受け取り、真澄は一息ついてから声を発した。


「討伐は完了した、予定通り詰め所に戻る。月代に三好先生を待機させておくよう伝えてくれ」


『え?もう討伐したって…どういう…』


 通信機の向こうで困惑する清白に何も告げず、真澄は通信を切った。

 目の前で起こった事を脳裏で反芻し、真澄は顔色一つ変えずに男の首を掻き切った南天を無言で見据えた。







**********************


朔月:さて、次回の『凍京怪夷事変』は…


暁月:巡回中、失踪した囚人の怪夷化に遭遇した真澄達。鬼灯や南天達は何かを知っているようだが…


朔月:第四十七話「波紋」次回もよろしく頼むよ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る