第四十五話―技術者の矜持


 日が暮れ、特夷隊の本領発揮の場である夜が来る。


 月代に事前に話をした清白は、夜間巡回のグリーフィングの場でこの四日間の成果を披露する事になった。

 いつものように黒板の前に居並んだ特夷隊の隊員達を前に、清白は緊張した面持ちでぎゅっと拳を握った。


「今日の巡回は六条、宮陣、鈴蘭、赤羽、月代の五名。残りはそれぞれ休息を取りながら各自待機だ。それと、今日は月代から話があるそうだから全員よく聞きように。月代、いいか?」


「はい。巡回前にお時間を取ってもらってありがとうございます。実は、僕からというより、彼から皆に伝えたい事があるそうで。清白君、お願い出来る?」


 月代に促され、黒板の隅で待機していた清白は、ガラガラと台車を押しながら黒板の前へ進み出た。

 パーカーの裾をぎゅっと握り、頬を強張らせて清白は自分を見つめる特夷隊の面々と向かい合う。


「あ、え…と…実は、皆さんが使っている方位盤と八卦盤を改良しました。以前は怪夷が放つ微弱な瘴気を頼りにその濃度から場所の特定をしていたと聞いていたので…今回はその精度を上げて、もっと確実に怪夷の発生を特定できるようにしました…」


 台車に掛った布を清白は思いっきり引っ張った。バサアアと翻った布の下から現れたのは、見慣れた球体の天球儀や渾天儀こんてんぎに似た機具。半透明のガラスが嵌められた内部には方角を表す十二支の表示と大小の針がある。見た所以前と変わった様子は見受けられなかった。


「まだテストをしていないので、今後調整が必要にはなりますが、この改良版は方位盤が感知した怪夷の方角を八卦盤にも共有し、八卦盤自体が方位盤に近い働きもします。更に、方位盤が怪夷の発生を感知すると、その奥にある通信機器に連絡がいくようになっています」


 淡々とだが、そこそこ早口で清白は改良した機器の説明をする。


「怪夷の発生が分かるようになったのか」


 身を乗り出して方位盤を覗き込んだのは隼人だった。

 突然の質問に驚きながら、清白は強く頷くと更に説明を続けた。


「前のは怪夷が出現してある程度経っていないと探知出来なかったようなので。今回は怪夷が発生する前の瘴気の流れから出現を察知できます。更に、怪夷のランクも分かるようにしました」


「怪夷のランクが分かるんですか!?凄い」


「今までは遭遇してみないと怪夷のランクも分からなかったから、事前に予測出来ているのは有難いね」


 説明を聞き、桜哉と大翔は顔を見合わせて喜んだ。

 これまでの巡回では、怪夷との遭遇はほぼ運任せな部分があった。

 怪夷が出現するかは未知数な部分が多く、小さな怪夷の発生状況からランクC以上の怪夷の出現を予測するのが、歴代の怪夷の捜索方法だった。


 真澄達の親世代、逢坂で怪夷討伐が行われていた時も、小型の怪夷の出現情報をもとに出現場所を把握するという原始的な捜索方法が主流だった。

 逢坂時代から欧羅巴戦線を経て、怪夷の出現には月の満ちかけも関連している事が判明しており、それも一つの捜索目安となっている。


 真澄が特夷隊の隊長になった頃、ある人物が密かに造っていたのが、今特夷隊が巡回の目安に使用している方位盤と八卦盤だった。

 逢坂時代より怪夷の捜索制度は上がったが、やはり怪夷の強さや大きさなどはその場任せだった事もあり、今回の改良は本当にそうなら画期的な事だ。


「それで、今夜はそのテストを兼ねた巡回を行って頂きたいのですが…」


 一通り説明を終えた清白は、深呼吸をしてから真澄の方を見た。

 腕を組んで静かに話を聞いていた真澄は、清白からの申し出に少し驚いた顔で視線をそちらに向けた。


「そうだな。分かった。性能の試験をするなら今夜は俺も最初の巡回に同行しよう」


「通信の精度の確認もしたいので、それもお願いできますか?僕はここで状況を把握しますので」


 背筋を伸ばし、真澄に意見をする清白。これまでおろおろとしていた少年からは想像も出来ない様子に、誰もが驚いた。


「なにニヤついてんだよ」

「そんな風に見える?」


 清白の様子をまるで我が子を見守るように見つめる拓を、隼人は肘で小突いた。

 自分でも自覚があるのか拓は笑いながら隼人の指摘に答えた。


「凄いなって、思ってさ。最初はあんなにびくびく不安げだったのに、今の清白君は凄く輝いているから」

「全くだな」


 拓の感想に賛同して隼人は、真澄となにやら打ち合わせを始めた清白を誇らしげに見つめた。

 やがて、話が纏まったのか今度は真澄が黒板の前、清白の横に立った。


「少し人員変更を掛ける。月代、通信班としてここに残ってくれ。代わりに俺が巡回に出る」

「僕がですか?」


 突然の指名に拓は目を円くしたが、次の真澄からの指示で大きく頷いた。


「清白のサポートをしてやれ。その方が彼も落ち着いて出来るだろう」

「分かりました。そういう事でしたら」


 拓の了解を受け真澄は再び清白と向かい合う。


「清白、通信及び連絡は任せたぞ」

「はい。性能テスト、よろしくお願いします」


 真っ直ぐに真澄を見上げて清白は軍人らしく敬礼を送る。その表情は彼がここに来て初めて見せる凛々しい姿だった。


「南天、お前は清白に付いていてやれ。その方が心強いだろう」


 昼間、真澄と大統領護衛に任務に就いていた南天は、本来であれば今夜はこのまま業務は終了である。

 だが、バディである真澄が巡回に出るとなれば南天もついて行くのが恒例だったが、それを進言する前に真澄は南天に命令を与えた。


「あ…はい」


 思わぬ先手に南天はついて行くと言おうとしていた姿勢のまま、深く頷いた。

 しゅんと肩を落とす南天の様子に、ある者は同情しある者は苦笑を浮かべた。

 南天も、清白の為と言われれば強く主張出来なかったのか、珍しく素直に真澄の命令を受諾した。


「さて、それではこれより行動を開始する。各自準備を済ませて30分後に玄関に集合するように」


 真澄の号令を聞き、各々が巡回の為に動き出した。




 通信機の調節をしながら清白は方位盤の指針と手元に置いた八卦盤に視線を落とす。

 手元に置かれた板状の機械にタイプライターのキーボードが付いたものを弾く姿は、音のない音楽を奏でる演奏家のようだ。

 板状の磨かれた鏡面の中には、幾つものグラフや数字が浮かび、刻一刻とそれらが変化している。

 青白く光る鏡面を見つめながら、清白は後ろで様子を見守っている南天を振り返った。


「南天…お願い、手、握って…」


 名前を呼ばれ、少し弱気な様子で声を掛けて来た清白に、南天はこくりと頷いて傍に寄ると、差し出された手を握り返した。

 南天の手を握り締め、深く清白は息を吸い込む。瞼を降ろし、数回深呼吸を繰り返して瞼を持ち上げた。


「ありがとう。もう大丈夫」


 南天の手を放し、清白は再び前を向く。その表情はさっきまで不安げだったものが、自信に満ち溢れ、冷静なものへ変わっていた。


 清白の変化に、傍で見守っていた拓は、清白と南天のやり取りに既視感を覚えた。


(清白君って…もしかして…)


 胸中で憶測を立てていると、それまでおろおろと話していた清白の声音が、淡々とした口調で話し出した。


「それでは、これより性能テストを兼ねた巡回を開始します」


 ヘッドホンに黒い小さなマイクが付いた物を装着した清白は、マイクに呼びかけた。その向こうは真澄が携帯している無線機に繋がっている。


『了解した』


「まだ怪夷発生は探知していませんが、方位盤の針が南の方を示しています。手始めに今回は大統領府から西側に向かってください。怪夷の発生があれば警告音が鳴ります。こちらでも位置を伝達しますので、その際は急行してください」


 淡々とだが、的確な通信に真澄や通信を聞いていた隼人達が頷く。

 真澄は清白との通信を一度切って、南の方角へと歩き出した。


 真澄との通信を終えた清白は、通信機器の頭上に掲げられた緑色の円と点が表示された版を見上げる。

 点滅の数は五つ。それが真下側を目指して移動していくのを確認してから、背後に設置された方位盤を振り返った。


「今のところ…怪夷の発生はなしか…瘴気もまだ微弱だし…」


 通信機器の前にある作業スペースで清白はノートサイズの黒い板状の機械を取り出し、更にそこに移る物に視線を落とす。

 真剣な清白の横顔を拓と南天が見つめていると、執務室へ鬼灯が入ってきた。


「鬼灯…」

「随分楽しそうなことをしていますね。清白が生き生きしていてとてもいいことです」


 着物の袖口で口元を隠しながら朗らかに微笑んだ鬼灯は、通信機器と方位盤を注視している清白の様子を覗き込む。


「清白君も凄いけど、君達が持っている技術力は僕等が知らないものばかりだ…一体、君達はどこから派遣されているんだい?」


 清白の横に座り、その雄姿を見守りながら不意に拓は鬼灯に質問を投げかけた。

 方位盤や八卦盤も、拓達にとっては最新式の機器であり、通信機なども海外から取り寄せた高度な物を使用している。

 だが、清白が使っているノートサイズの板状の物や、新たに設置された機材を拓は今まで見た事がなかった。


 怪夷の発生が無く、かつて大災厄が起こった際にとある実験に参加していなかった米国へ渡った事のある拓は、向こうでもここまで高度なものは見た事がない。


「あの緑色のグラフみたいな物は、恐らく潜水艦や軍艦に搭載されたレーダーだっていうのは分かるけど」


 鬼灯の目を真っ直ぐに見つめて拓は世間話をする調子で問いかける。

 それに鬼灯は、眉を顰めて少し警戒した様子で、口元に微笑を浮かべた。


「月代さんは、警視庁の出身だと伺っていましたが、軍部の装備に知識がおありなのですね」


「米国に留学していた時にね、少し…君達は、もしかしてそちらからの派遣なのかな?米国は日ノ本には元々協力的だし。あの国の科学力は世界随一だから」


「…それにお答えするには、時期尚早です。いずれは我々の素性も詳しく明かしますが、今はまだ、本当の事をお伝えするわけにはいきません」


 鬼灯は拓から僅かに視線を逸らして横眼だけで、笑みを浮かべた。


(気付かれたかな…)


 鬼灯が意図的に視線を逸らしたのに拓は内心肩を竦めた。

 上手く行けば鬼灯の話や感情の揺れ方でどこから彼等が来ているか突き止められると思ったのだが、鬼灯は何かに気付いてしまったらしい。


(感情の共感だけだとやっぱり明確な情報は得られないか…犯罪者の心理とは違うしね…)


 嫣然と微笑み鬼灯に、にこにこと朗らかな笑みを返して拓は内心お手上げとばかりに手を挙げた。


 ビビビイイイイイ!!


 言外で拓と鬼灯による心理戦が繰り広げられる最中、突如として方位盤と通信機が警報を鳴らした。

 咄嗟に清白は方位盤に視線を向ける。すると、十二支で方角の記された半球の上で、南の方角を針が真っ直ぐに示していた。更に、針の中心にはランクBという文字が表示される。

 マイクの通信を繋いだ清白は、すぐさま真澄達へと通信を繋いだ。


「こちら清白。応答願います。巳の方角、目黒方面に怪夷発生の一報あり。至急向かってください。八卦盤に位置の転送は出来ていますか?」


 清白の呼びかけに、ノイズを挟んで真澄の応じる声がヘッドホン越しに響く。


『こちら九頭竜。確認した。この八卦盤が示している方角に向かえばいいんだな?なんか黄色く光っているが、これはなんだ?』


「怪夷のランクを下位から、青・緑・黄・赤で示しています。黄色はランクB相当。討伐には充分留意してください。方位盤の上ではランクDの怪夷の出現も予測されています」


 自身の手元にある八卦盤も同時に確認しながら清白は真澄達に的確な情報を伝える。


「数はそれほど多くないと思われますが、もし応援が必要な場合は南天と鬼灯を向かわせます」


『了解した。通信は繋いだまま現場に急行する』


 清白と一連のやり取りを終えた真澄は、無線機はそのままで部下達に指示を出すと、八卦盤が示す方角へ向かう。

 その様子を無線越しに聞きながら、清白は手元の黒い板に取り付けたタイプライターのキーボードに似たもので何かを打ち込んでいく。


「予測が出て隊長達が急行するまでの時間は…おおよそ30分。怪夷が発生してから現場に急行するのでは、少しタイムラグが生じるか…車でもあれば別だけど…」


 ぶつぶつとキーボードを打ちながら何かを呟く清白を、拓、南天、鬼灯は静かに見守った。

 通信機器の頭上に設置されたレーダーは点滅を繰り返しながら、西へ向かって細かく動いていた。



 清白のサポートを得て、真澄達は改良された八卦盤が示す方角へと駆けていく。

 怪夷討伐の巡回で、目的地までこれ程疾走するのは、応援で呼ばれた時くらいだ。


 指針が指し示す目的地を目指しながら、真澄は内心思考を巡らせた。

 これまで、僅かな情報を頼りに行っていた巡回が、正確な場所の特定が出来れば、その分闇雲に夜の東京を歩き回る必要もなくなる。


 移動手段だけどうにか出来れば、詰め所や自宅などで怪夷の出現を待てばいい。

 複数発生の場合でも、ランクや数が把握出来ていれば、その分派遣する人員を的確に指示できる。


 怪夷が出現してから60年近く、清白が齎したシステムは、今後の真澄達の業務を画期的に変化させるのに充分な要素を含んでいた。


「本当に、これで怪夷の発生を補足出来るんでしょうか?」


 現場に急行しながら、桜哉は半信半疑に真澄に問いかけた。


「もしそうなら、これはなかなか画期的な事だ。俺達の業務も少しは楽になるぞ」

「そうなったら、色々対策もとれますね。怪夷の強さも徐々に変化していますし」


 大翔の指摘に、真澄は深く頷いた。

 五年前に怪夷の封印が解けた時から今日。怪夷の強さは全盛期のそれに近くなっている。

 この先、怪夷の脅威が増す事を考えれば、清白が改良した八卦盤や方位盤、それに付随する機器は大いに役立つだろう。


「そうするためにも、今回のテストはしっかり成功させないとな」


 真澄の言葉に、桜哉達はこくりと強く頷いた。



 大統領府から南下して暫く、かつて将軍家の鷹狩の名所とされ、目黒不動尊の鎮座する土地へと辿り着いた真澄達は、そこで直ぐに蠢く黒い革袋の影と遭遇した。


「八卦盤の方角通りだな。まさかこんな正確だとは思わなかったぜ」


 無数に蠢くランクDの先に、長い耳と丸い体躯の巨大な兎の姿をした怪夷が禍々しい赤い双眸を光らせている。

 八卦盤の針が一点を示しながら小刻みに震え、文字盤に埋め込まれた菱形の石が、黄色く点滅していた。


「これが、発生した怪夷か…」


 暗闇の中で蠢く怪夷達を見据え、真澄は軍刀を引き抜いた。


「赤羽、宮陣は結界を展開、その後後方より援護。六条、鈴蘭は俺に続け」


「「了解!!」」


 真澄の命令に、隼人達は異口同音で応じると、各々行動を開始した。

 隼人と大翔の2人は、左右に別れて後方に下がり、それぞれ呪符を出して呪文を唱え始める。

 2人の詠唱が呼応し、一筋の線を結んでいく。それは天へと光の筋を伸ばし、真澄達と怪夷を囲む鳥籠のような結界を造り出した。


 結界が張られた瞬間、生まれたばかりのランクDの小さな怪夷達は一瞬にして蒸発し、灰となって霧散していく。

 残った怪夷達も、何事かと右往左往している所へ、桜哉と鈴蘭が切り込んだ。

 桜哉の軍刀と、鈴蘭の大剣が有象無象と蠢くランクDの怪夷達を切り裂いていく。


 やがて、開かれた道を真澄は一気に駆け抜けると、中央に鎮座している兎の怪夷へ飛び掛かった。


「はっ」


 横薙ぎの一閃が、兎の丸い脚を切り裂く。どす黒い血飛沫が夜闇の中に噴き出す。


 キイイイイイイイイイイ


 脚を着られ、兎の怪夷は地団太を踏むように前脚を踏み鳴らすと、その勢いのまま真澄を蹴り飛ばす。


「くっ」


 蹴り飛ばされる寸前で後ろに跳んで回避した真澄を援護する形で、桜哉は軍刀を振り翳して兎の怪夷へと斬り掛かる。


「桜哉ちゃん!例のあれをっ」


 後方でランクDの一掃を行っていた鈴蘭は、兎の怪夷へ斬り掛かっている桜哉へ声を上げた。


「分かった」


 鈴蘭の促しに、桜哉は軍服のポケットから小さな青い小瓶を取り出すと、コルク栓を抜いて中身を口に含んだ。

 直後、桜哉の体温と血流が上がり、体内に内包された霊力が研ぎ澄まされていく。

 やがて、霊力が軍刀を包み込み、鈍色に光っていた刀身は白銀の光をその刀身に宿して煌めいた。

 その輝きは、かつて真澄の両親達が使用していた聖剣・神刀シリーズと同じものだった。


「行きます」


 ぐっと正眼に構えた軍刀を手に、桜哉は大地を蹴って飛び上がると、兎の怪夷の額の前で軍刀を振り下ろした。

 兎の顔が真っ二つに引き裂かれ、その中央にあった核が乾いた音を立てて割れる。

 ずうんんと、鈍い音を立てて地面に倒れた兎の怪夷は、核と一部を残して塵となって消滅した。


「討伐、完了しました」


 軍刀を拭って鞘に戻しながら、桜哉は真澄達を振り返って敬礼する。


「よくやった」


 桜哉の敬礼に敬礼を返し、真澄はホッと息を吐いて無線機に声を掛けた。


「こちら九頭竜。目標の撃破を完了した」


『こちら清白。了解しました。こちらでも目標の消滅を確認。周辺及びその他地域に怪夷の出現や予兆はありません。一度詰め所への帰還を推奨します』


「了解した。また怪夷の出現があるようなら指示をくれ。一度詰め所へ戻る」


 清白との通信を終え、真澄は結界を解いて戻ってきた隼人と大翔を確認し、怪夷の残骸を回収している桜哉と鈴蘭を呼び寄せた。


「これより、一路詰め所へ帰還する。皆、ご苦労だったな。まだ怪夷の出現も考えられるので、気を引き締めて帰るぞ」


 真澄の指示に四人は敬礼と共に応答した。




「清白君、お疲れ様」


 真澄との通信を終え、ヘッドホンを外しながら深く息を吐いている清白に、拓はそっと淹れたての紅茶を差し出した。


「あ、ありがとうございます…」


 椅子に座ったまま半分身体を後ろに回して清白は、紅茶の注がれたカップを受け取った。

 カップの縁に口を付ける清白は、通信前のような破棄はなく、最初に出逢った時のような少し不安げな表情の少年に戻っていた。


「後は…怪夷の出現をモニタリングして…」


 紅茶を半分まで飲み、再び通信機の前に向かった清白は、板状の機器と方位盤、通信機に取り付けたレーダーに目を戻す。


「どうやら、上手くいったようですね」


 通信機器のある場所の後方、自分達の執務机の椅子に座りながら清白の様子を見守っていた鬼灯は、同じく清白の様子を見守っていた南天に小声で話しかけた。


「これで、清白が有能だと証明出来ました。隊長達も重宝してくれるでしょう」


 嬉々としている鬼灯とは対照的に南天は、左腕を強く握り締めて複雑な思いで友人の後姿を見つめた。


 そうこうしていると、最初の巡回を終えた真澄達が詰め所へと帰還した。


「戻ったぞ」

「お帰りなさい」


 拓の出迎えに、真澄や隼人、巡回に出ていた面々が笑みを零す。

 外套を脱ぎながらそれぞれがソファや自身の執務机に座ると、真澄は清白の傍へと歩み寄った。


「清白、的確な通信と指示だった。お陰でランクBとはいえ、早急に駆逐する事が出来た」


「まだまだ、改良の余地はあるかと…思います…暫く、試験運用を、お願いしてもいいですか?」


 椅子から立ち上がり、俯き加減で清白は真澄に進言する。今回はしっかり作動したが、今後不具合が起きないとは限らない。そう清白は真澄に説明した。


「怪夷の出現を…もっと発生以前に察知できれば…もっと、巡回が楽になります…僕は、機械に関しては、妥協したくない…ので。これは、僕の技術者としての矜持です」


 胸の前で指を何度も握りながら、それでも清白は一心に真澄に自分の考えを伝える。

 それを静かに聞いていた真澄は、清白が話終るのと同時に、強く頷いた。


「正直驚いた。ここまで正確な怪夷の探知が出来るとは思いもしなかったからな。欧羅巴戦線より前にこれがあれば戦況も変わっていただろう。何処の技術力かは、まだ話せないんだろう?」


 見透かされたような真澄の一言に、清白は一瞬びくりと肩を震わせる。視線を彷徨わせていると、真澄の大きな手が清白の肩に乗せられた。


「お前達に色々制約があるのは理解している。だが、俺達の味方である事も同時に分かっている。この技術力はこれからの怪夷討伐には必要だと俺も思っている。もしお前達が力を貸してくれるなら、俺もそれなりの条件には応じるつもりだ」


「九頭竜隊長…?」


「今後も頼む。必要な部品や機材は上に用意してもらう。正直俺は機械の事は分からないからな。通信兵がいるっていうのは、何かと重宝するんだよ」


 それまでの隊長としての表情から、いつもの気さくな仲間思いの男の顔に戻った真澄は、清白を励ますように頭を大きく撫でた。


「あの…それじゃ、僕にも契約する許可をください…!」


 拳を握り締め、精一杯に真澄を見上げて清白は勢いのままに願い出た。


「決めたのか」


 少し低めの声音で訊ねた真澄に、清白は強く頷きくと、くるりと踵を返した。

 その先には、帰ってきた仲間達にお茶を出している拓がいる。

 真っ直ぐな清白の視線を受けて拓は、ニコリと微笑んだ。

 直角に腕と手を振って、緊張気味の歩を進め、拓の傍に来た清白は真っ直ぐに彼を見上げた。


「僕と、契約してください、マスター」


「清白君が僕でいいなら、応じるよ。でも、マスターはちょっと…拓でいいよ」


「じゃあ、拓さん…よろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げる清白に拓は朗らかに微笑んで、「こちらこそ」と返した。

 真澄達が見守る目の前で、拓と清白は向かい合うと、清白は胸元に手を添えて、大きく深呼吸をした。

 瞼を閉じ、意識を集中させる。すると、白銀の光が清白の胸元に集まり、それは一本の剣の姿へと変化した。


「これが僕が宿す聖剣、神刀しんとう朔月さくつき…」


 現れた剣を両手で持ち、清白は拓の前にそれを捧げるように差し出した。


「これで指を切ればいいんね?」

「はい、拓さんの血を貰った後に僕の血を貴方に差し上げます…そしたら、契約は完了です」


 清白の説明を聞き、拓は差し出された剣の片方の刃に、自身の指の腹を押し付けた。

 皮膚を破る感触の後、鮮血が滲みだす。それを清白は剣の刃に気を払いながら拓の指に滲んだ血を飲み干した。


「我が身は剣、我が身は鞘。この身が宿すは聖なる刃。今ここに使い手への祝福と忠誠を…汝・月代拓を我が主と定めん…」


 詠唱を行い、清白は自身の指の腹を剣の側面に逸らせた。拓と同じように鮮血が滲み、それを清白は拓へと差し出した。

 慈しむように清白の手を取った拓は、清白の白い指から滲む鮮血を飲み干す。


 直後、拓の中を熱い激流のような感覚が駆け抜けた。

 実際に見た事はないが、かつての怪夷が蠢いていた戦場の風景と一羽の凛々しい鷹の姿が浮かび、その傍らに見知った男が立っている。真澄に良く似たその風貌の男が剣を携え弓を引く姿が泡沫のように消えると、今度は光の中に幼い二人の少年が見えた。


(…!?…)


 流れ込んだ幻想の中、見知らぬその人影に拓は何故か胸を締め付けられる感覚に囚われた。


「…ッ」


 ハッと我に返ると、心配そうに清白を始め仲間達が此方を見つめていた。額に滲んだ汗を拭い、浅くなった呼吸を整える。


「拓、大丈夫か?」


 傍に寄って来た隼人と真澄に、拓は緩慢に首を振って応じた。


「…ちょっと眩暈がしただけです。真澄さん…確か、神刀・朔月は貴方のお父様が元の所有者ですよね?」


 唐突な問いかけに、真澄は「そうだ」と頷いた。


「…清白君の力が流れ込んだ時、真澄さんのお父様のかつての姿を見ました…後は、なんだろう…会った事があるようなないような子供達に…」


 胸元を握り締め、拓は痛みを堪えるような顔で今しがた目にした光景を思い出す。あの最後に見た少年達は何者だったのか。


「聖剣との契約の時には幻影のようなものを見るんだな…そういえば、桜哉と鈴蘭との契約の時もそんなだったし、朝月もそんな事を言っていたな…」


「聖剣がこれまで見て来た光景を映しているとかじゃないんですか?」


 隼人の推測に真澄と拓は、なるほどと相槌を打つが、拓は何処か腑に落ちない様子だった。

 三人が聖剣の契約について議論を交わしているのを、見つめながら、鬼灯は袖口で口元を隠しながらほくそ笑んだ。


「これで、三振り目。これなら竜胆達を呼ぶ算段が付きそうですね」

「……」


 状況の進展に鬼灯が喜ぶ一方、鬼灯の隣で清白の契約を見守っていた南天は、袖の中で隠した拳をぎゅっと握り締めると、チラッと真澄を見遣って、その場から逃げるように人知れず執務室を出て行った。


「南天……?」


 執務室を出て行く南天の後姿を、清白はキョトンと目を円くして見つめた。










***************************



三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


朔月:警視庁から特夷隊に持ち込まれた囚人失踪事件の捜査に乗り出す隼人達。その先に待っている深窓とは…


三日月:第四十六話「囚人失踪事件の行方」次回も、どうぞよろしく。




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