第四十四話話―君の為に出来る事


 鈴虫の音色が庭先から響いてくる真夜中。

 身を横たえていた布団から上体を起こし、清白は隣に眠る幼子を見つめた。

 拓の提案で月代家で世話になる事になり、夕方この家に来てから、清白は拓と綾香の一人息だという純弥の相手をする事になった。

 最初は初対面の相手に目を円くしていた純弥は、直ぐに清白に懐いた。


「……」


 夕食を終え、入浴を済ませてからも純弥と遊んだ結果、いつの間にか二人揃って眠ってしまったらしく、今に至っている。

 すやすやと寝息を立てる幼子の顔を覗き込み、清白はそっとその薄い茶色の髪に触れた。


 無垢な寝顔の純弥にきゅっと胸が締め付けられる。ぎゅっと目を閉じて清白は純弥に背中を向けて再び布団に寝転んだ。

 掛布を頭ですっぽりと被り、唇を引き結ぶ。自身の肩を抱き締めて清白はきつく目を閉じて身体を丸めた。




 翌日。拓は清白を伴なって特夷隊の詰め所に出勤した。

 執務室には、宿直だった大翔と海静、桜哉と鈴蘭の四人と、大統領の護衛任務組の真澄と南天、拓と同じく日勤勤務の隼人がいた。朝月と鬼灯は今日は公休である。


「おはようございます」


 拓と共に執務室に入った清白は、真澄と本日の大統領の予定を確認している南天を見つけるなり、一目散に駆け寄り、その腕にしがみ付いた。


「清白、おはよう」

「…おはよう、南天…」


 ぎゅっと抱き着いてきた清白に南天は、いつもと変わらずに声を掛けた。

 南天から声を掛けられ、チラリとその顔を見上げてから清白は南天の腕に顔を埋めた。


「拓、おはよう。昨日は急だったのに大丈夫だったか?」


 清白を自宅で預かる事を拓の妻である綾香に話した真澄は、昨夜の事を改めて拓へ訊ねた。


「はい、妻も喜んでいました。息子なんて、清白君に懐いちゃって、出勤する時に大泣きで大変でした」


「そうか、奥方とご子息が受け入れてくれたなら何よりだ…」


 南天の腕にしがみ付いている清白を見遣り、真澄と拓は苦笑した。


「今日は日勤勤務か」


「はい。隼人と例の事件について調べてみようかと思っています。後で朝月君達と情報共有もと思って」


「そうか、そっちは頼む。俺も夕方には戻るから」

「はい」


 真澄が大統領護衛で離れる間、指揮を取るのは隼人と拓の仕事だ。それを確認し合い、拓は清白の肩に優しく触れた。


「清白君、南天君と隊長はこれから護衛任務だから、そろそろ離れてあげて?」


 拓の優しい促しに清白は、名残惜し気に南天から腕を離す。


「南天…、大丈夫?」


 唐突な問いかけに、南天は一瞬大きく目を見張る。だが、こくりと頷いて清白を見つめた。


「ボクは、大丈夫」

「無理しちゃ駄目だよ、絶対…」


 ぎゅっと、南天の手を握り清白は切迫した表情で忠告をした。

 思わぬ過度な心配に驚きながらも、南天は二回、頭を振って清白の忠告を聞き入れた。


「南天、そろそろ行くぞ」

「はい、マスター」


 懐から愛用の懐中時計を取り出し時間を確認した真澄は、南天を促して特夷隊の執務室を出て行く。

 真澄に付き従って執務室を出て行った南天の背中を見つめてから、清白は深い溜息を吐いた。


「相変わらず、南天と仲がいいですわね、清白」


 宿直任務を終え、仮眠室から帰ってきた鈴蘭に声を掛けあられ、清白は豪奢な金髪の女を振り返った。


「鈴蘭…」

「貴方の目から見て、南天はどう映ります?私には分からない機微も、貴方なら分かるでしょう?」


 唐突な問いに清白は鈴蘭から視線を外し、淡々と自分の意見を口にした。


「…南天の心、ざわざわしてる。前は、規則正しく打ち寄せる浜辺みたいだったのに、今は時化が近づいているみたいにさざ波が立ってて荒れてる…あんなにブレブレな南天初めて見た…」


「さざ波…なるほど、なかなか上手い表現ですわね」


「ねえ、南天はどうしてあんなに感情が乱れているの?昔の南天はそんな事なかったのに」


 縋り付くような問い掛けに鈴蘭は胸を押し上げるように腕を組んで、頬に手を添えた。


「九頭竜隊長との契約が上手くいっていないのは、その要因でしょうが、近頃は他に要因があるような気もしますわ。戦闘の腕も鈍っているようですし…」


「あの南天が戦闘に支障が出てるの…?」


 確認するような問い掛けに鈴蘭は頷く。それを聞いた途端、清白の顔はみるみるうちに青ざめた。


「…僕がなんとかしなきゃ…」


 ぐっと、拳を強く握り清白は頬を引き締めた。


「南天に不調が続くと、色々困りますわ。貴方も出来る事で協力して頂戴ね」


 清白の肩をポンと叩き、鈴蘭はふらっとその場を去っていく。

 彼女の契約者である桜哉の傍に戻っていく鈴蘭を見つめ清白は内心考え込んだ。


(僕に出来る事…)


 執務室の中を見渡した清白は、部屋の中央付近に置かれた球体の装置を見つけ、その傍に歩み寄った。

 陰陽道や天文学者が使用するような渾点儀こんてんぎや天球儀に似ているが、ガラスの半球で覆われた中には、東西南北と十二支の刻印が刻まれ、針のようなものが小刻みに震えている。


 耳を澄ませると、球体の内側から歯車のカチカチという規則正しい音が聞こえてくることから、それが何かの機械である事を清白は瞬時に見抜いた。だが、何に使う物かはピンとこない。

 じっと興味深げにそれを眺めていると、横に人影が近づいた。


「それは、方位盤という機械だよ」


 唐突に聞こえた声に、びくりと肩を震わせて清白は横を振り返る。その視線の先にいたのは、左目に眼帯を付けた、端正な顔立ちの少年だった。歳は自分や南天と変わらないだろう少年に突然声を掛けられて清白はしばし硬直した。


「あ、ごめんね。驚かせて…あまりにも興味深そうに眺めていたから…」


 他人との関りが不得手だと聞いていた分、突然声を掛けて驚かせた事に謝罪し、大翔は眉尻を垂らした。


「えっと、僕は宮陣大翔。僕で良かったらこの機械について教えようか?」


「……宮陣……」


 思わぬ申し出に清白はキョロキョロ辺りを見渡す。さっき南天は真澄と共に執務室を出て行った。拓も自分の仕事に取り掛かっていてなんだか忙しそうだ。


「あ……」


 ぎゅっと胸元を抑え、僅かに声を上擦らせてから、じっと大翔の顔を見上げた。

 何かを探るような、僅かに警戒心を孕んだ視線を大翔は静かに受け止める。

 暫くその双眸を見つめてから、清白は少し俯き気味に頷いた。


「お願いします…これについて教えてください…」


 消えてしまいそうな声でそう呟いた清白に、大翔は破顔して強く頷いた。


「これはね、怪夷の出現を報せる装置なんだよ」


「怪夷を?」


「そう、怪夷が出す微弱な瘴気を感じ取って、どの方角に怪夷が出現するかを予測するんだ。まあ、正確性は高くないけど、大まかな居場所を特定するのに一躍買っている僕等特夷隊にとって欠かせない装置なんだよ」


「これで怪夷の場所が特定出来るの?」


「そう、それで、もっと正確性を出すのに僕等が現地に行って、この八卦盤で更に制度を高めるんだ。まあ、昔は半分勘で怪夷の出現を特定していたらしいから、大分助かっているよ」


 大翔の説明と彼の手にある八角形の方位磁針に似た機具を見つめ、清白は眉根を寄せた。


「…それ、僕ならもっと正確なのに改良できる」


「え?」


 唐突な発言に、大翔は思わず驚きの声を上げる。


「その八卦盤、貸してもらえませんか?あと、この方位盤も」


 それまで初対面の相手に近づくのに抵抗を示していた清白が、人が変わったように大翔に詰め寄り、目を輝かせている。その様子に大翔は一瞬戸惑ったものの、思わず口端を釣り上げた。


「君、面白いね。ちょっと待ってて…月代さん、方位盤の予備ってありましたっけ?」


 清白をその場に残し、大翔は海静や桜哉達と引継ぎをしている月代の傍へと駆け寄った。

 ぽつりと方位盤の傍に残された清白は、大翔の背中を見つめながら、ぽつりと内心で呟いた。


(…そっくりだ…)




 大翔からの進言は副隊長である隼人に伝わり、そこから真澄へと伝わって短い話し合いが行われた。

 真澄と話しを終えて戻ってきた隼人は、不安げに待っていた清白にニヤリと笑いかけた。


「隊長から許可が下りた。空いている部屋を作業部屋に活用していいってよ」


「良かったね、清白君」


「方位盤も使ってないのがあるからそれならバラシていい。八卦盤も予備があるから、それをやるってさ」


「ありがとうございます…僕、頑張ります」


 思わぬ好待遇に驚きながら、清白は興奮で頬を高揚させながら話を付けてくれた隼人に礼を述べた。

 隼人から部屋の場所と鍵を受け取り、早速とばかりに清白は小走りで執務室を出て行く。

 ここに来て、初めて活き活きとした年相応の姿に隼人と拓は微笑んだ。


「アイツ、ちゃんと笑えるんだな」


「良かった。ずっと怯えたようにしていたから、どうしようかって思っていたんだ…」


 清白を預かる事を決めてから拓はずっと清白の心の動きを感じ取っていた。その動きは、大きな獣に怯える小動物のようにいつも震え、南天の傍にいる時だけ少し安定した。


「…あの子、もしかして昔怖い思いをしているのかもしれない…虐待とかではないけど、いつも僕等の動きや動作を注視している…」


 心は読めても過去までは分からない。清白が常に不安げな表情をしている理由を考えていると、非番だというのに朝月と共に出て来た鬼灯が近づいてきた。


「清白は、幼い頃に両親を失っています。育ててくれた唯一の兄は、戦争で帰らぬ人となりました」


「鬼灯君…」


「月代さんが預かってくれて良かった。あの子は少々引き籠もりで警戒心が強いので…私も心を開いてもらうまで時間を有しましたから」


 弟を見守る兄のように穏やかな表情の鬼灯の話に、拓は納得した。


「少し難ありですが、技術者としての腕は保証します。わたくし達がこれまで通信を行えたのはあの子のお陰ですから。きっと、特夷隊のお役にも立てますよ」


 更に仲間の有能さを売り込んで鬼灯は拓と隼人の前から一度離れて行く。


「ふむ…なるほどね。これは、僕の専門も腕の見せ所だね」


 鬼灯から得た清白の情報に拓は、いつになく目を輝かせた。いつになくやる気な相棒の様子に隼人は苦笑をすると、拓の肩を叩いた。


「そう思うなら予備の方位盤運ぶの手伝え。物置から出すの大変なんだよ」


「あ、そうだね。行こう」


 隼人に促され、清白の為に拓は予備の方位盤が仕舞われている物置へと向かった。




 空き部屋を作業部屋として宛がって貰い、清白はまず早速作業部屋の環境を整えた。

 机と椅子を入口から一番遠い場所に置き、私物として持ってきた工具や機器、ノートサイズの板状のものを机の上にセットしていく。


(よし…後は電源の確保か…)


 明り取りようの窓の下の壁に穴を空け、外から蒸気エネルギーを引き込む為の管を通す。

 その先に取り付けたのは、歯車の回転で電気を起こす発電機。正方形の箱型のそれには様々な端子が付けられ、その端子からは何本も細い管は伸びていた。


(部品は自分で作るか代替品を使うしかないか…まあ、だから構造は分かるし)


 無我夢中で作業部屋の設置を整え、日が暮れる頃。清白に与えられた部屋は軍の通信室のような管と機械に溢れた空間と化していた。

 そこから清白は、隼人と拓から預かった方位盤と八卦盤の分解に掛かり、その構造を図面に落としていく。


(これ、怪夷の核を感知部品にしているのか…なるほど、それなら…)


 部品の一つ一つに番号を振り、図面に落とし込んだ後、清白は新たな図面を書き起こす。

 夜は拓と共に月代邸に帰り、朝出勤してからは作業部屋に引き籠もった。

 最初に部屋を与えられてから四日後。清白は怪夷探索に欠かせない方位盤と八卦盤の改良品を作り上げた。



「……」


 四日間空き部屋に籠っていた清白が執務室で作業をしているのを見つけ、大統領の護衛任務から戻っていた南天は徐に足を止めた。

 執務室の隅にある通信機器が設置された場所。その床に座り込み、清白は配線を弄っていた。

 その真剣で熱心な様子に南天は思わず目を見張る。

 茫然と様子を伺っていると、南天の気配に気づいた清白が肩越しに後ろを振り返った。


「南天、お帰り」

「ただいま…何してるの?」


 清白と会話をするために南天は清白の傍へと歩み寄る。近づいてきた南天と向かい合うように、清白も身体を半分ほど南天の方へ向けた。


「通信設備のアップグレード。方位盤と八卦盤と連動するように整備してた…本当は、あんまり最新技術をこの時代に活用するのはいけないんだけど…でも、怪夷絡みの技術に関しては容認されているし…」


 部品を弄りながら清白南天に話を続ける。静かに話を聞いてくれる南天は口下手な清白にとって話しやすい存在だった。


「これで、少しでも僕等が役に立つって事を、九頭竜隊長に証明したい。そしたら、南天の事ももっと認めて貰えると思うんだ…鬼灯はあんなだし、僕が技術屋として使えるって事を見せる。これから来る竜胆さんや桔梗の為にも」


 いつになく真剣な顔で熱弁する清白を、南天はじっと見つめた後、その傍に座り込み清白の肩に顎を載せた。


「わっ、南天…?」


 思わぬ近い距離に入ってきた南天に清白は肩を揺らして、自身の傍にある端正な美貌を凝視した。

 長い睫毛が隠す紅玉の瞳には、憂いの色が滲み、アンニュイな南天の表情はその容貌と相まって思わず見入ってしまう程だ。友人であり見慣れている筈の清白ですら、南天の美貌が近くにあると、思わずどきりとしてしまう。

 元々他人との距離感に敏感な清白にとっては更に過敏になる状況だった。


「清白は凄いね…」


 清白の肩に寄り掛かりながらぽつりと、南天は言葉を紡ぐ。

 その一言に清白は首を横に振ってから「そんな事ないよ…」とぼそりと呟いた。


「僕は戦闘は苦手だし…でも、聖剣に選ばれたからには、しっかり成し遂げたいんだ…ドクターの思いは勿論だけど、今度は僕が大切な人達を護りたいから」


 ぎゅっと、手の中に握ったスパナを握り締め、清白は唇を引き結ぶ。

 その決意に満ちた表情を目にし、南天は不意に考え始めた。


(鬼灯や清白にはちゃんと目的があるのに…ボクは…)


 作業を続ける清白に寄り添ったまま、南天はぼんやりと天井を見上げた。

 自分がこの場にいるのは、恩人であるドクターの願いを叶える為だ。それは今も変わらないし、自身にとってきちんとした目標だと思っている。


 だが、鬼灯や清白にはそれとは別の信念がある事は前々から気づいていた。

 この怪夷が蔓延る東京に対して、強い思いが彼等にはある。

 だが、自分にはそんな情熱や強い思いはない。


(…ボクは空っぽだから…だからマスターもボクを認めてくれないのかな…)


 自分が出来る事でこれまでも真澄や特夷隊に貢献してきたと思う反面、この所の不調で真澄達に心配をかけている。

 何故、力が出せないのか理由が分からない分、南天は自分の中に生まれた焦りに戸惑っていた。


(ボクが何者か分かったら…マスターも認めてくれるかな…)


 瞼を閉じ、傍にある清白の温もりに身を委ねて南天は膝を抱え込んだ。


(…南天…)


 自分に寄り掛かったままの南天をそのままにして作業を続ける清白は、不意に感じた南天の感情に思わず唇を引き結んだ。

 二人だけしかいない執務室の片隅で、友人同士はお互いの隙間を埋めるように静かに寄り添った。




**********************



刹那:次回の『凍京怪夷事変』は…


三日月:真澄達に認めてもらう為、清白が改良した機器の試運転が実行される中、南天は友人のやる気に焦りを感じて…


刹那:第四十五話「技術屋の矜持」次もよろしく頼むぜ

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