第三十九話―深淵の向こうを覗く者ー中編


 僕の贖罪の話をするは、あの時の戻らなくてはならない。

 一生を掛けたって償えるか分からないこの血塗られた罪は、今でも僕の奥底にこびりついて離れない。

 自分の異能ちからを過信していたと言われればそれまでだけど。

 暗く深い湖の底を覗き込んだあの時、気づくべきだった。








 藤川と湯崎の取り調べは、一日ずつ交互に行われた。

 徐々に事件の真相が見え始めた所で、ある時を境に藤川の態度が変化する。


「お、俺はあの人に唆されたんだ…自分から解剖をしたいなんて言ってないっ」


 取り乱しているのは変わらないが、聴取を始めた頃は自身も湯崎の共犯者だという事を認めていた藤川だったが、今はまるで自分の方が被害者だというような発言が増えていた。


「まあ、犯人の供述が二転、三転する事がままあるが…なんか、変だよな」

「そうだね…まるで、夢から覚めたみたいな顔だった。自分が解剖した女性達の事も忘れているし…」


 警視庁の庁舎内にある食堂で食事を取りながら隼人と拓は事件の見解について意見を交わした。


「まあ、証拠もあるしあの二人が黒なのは間違いない。逮捕は確実だから、問題はないんだけどな…」


 スプーンに乗せたカレーを口に突っ込み隼人は肩を竦める。


「…いまだに湯崎の動機が見えてこないのが奇妙だけど…」


 眉を顰めて拓は自身の中にある引っ掛かりを探ろうと思考を巡らせる。だが、湯崎の心に何度かリンクしてもまるで鏡面のような湖の如く、初日のように心が激しく揺れる事はなかった。


(逃げ切れないと諦めたのか…潔いというには、少し違うような…)


 顎に手を当てて深く考え込む拓を隼人は、カレーを食べながら静かに見守った。


「ま、動機はそのうち分かるだろ。逮捕状も今日には発行されるだろうから、その時に備えとこうぜ」

「うん、そうだね、そろそろ戻ろう」


 食べ終えた食器を持って拓と隼人が立ち上がり、事件の真相を掴む為に現場へと戻っていく。


 2人が追っていた湯崎、藤川両名が起こしたとされる婦女猟奇殺人事件、内輪内で東京の切り裂きジャックと呼ばれた事件に関する事情聴取は、8月の末で幕を下ろす事ととなる。


 それは、後に関東大震災と呼ばれる烈震が東京を含めた南関東を襲ったからだ。










 壊滅した東京の街では、今だ白い煙が空に立ち昇っている。

 後に関東大震災と呼ばれる事になる烈震から三日後。


 ある一人の男が家族を探して夜の街を彷徨い歩いていた。

 下町を襲った劫火がようやく収まり、崩れた建物で東京の街は変わり果てた姿となっていた。

 秋口とは言え、夜の空気は冷えて肌寒さすら感じる中、ふと男が瓦礫の陰になった暗がりを覗き込むと、人影が見えた。


「おい、そこでなにしてる?怪我してんのか?」


 瓦礫の隅で蹲る人影が気になり、男が声を掛けると、暗闇の中から銀色のモノが閃き、男が伸ばしていた手を掠めた。

 一瞬の痛みと熱さに男が手を引っ込めると、手の甲には刃物が掠めたような傷と血が滲みだしていた。


「ひッ」


 思わず後退った男を突き飛ばし、人影は瓦礫の向こうへと走り去っていく。

 訳が分からず走り去った人影を茫然と見詰めてから、男は先程まで人影が蹲っていた瓦礫の陰を覗き込んだ。


「う、うわああああっ」


 人影がいたであろう場所にあったのは、黒く染まった地面に横たわる一人の女。その腹部は鋭利な刃物で切り裂かれ、腸が引き摺りだされた無残な姿が晒されていた。






 震災発生から一週間が過ぎたころ。救助の手はあらかた必要がなくなり、今は家を失ったり怪我をしたりした被災者への救済へと公的な動きは移っていた。


 この頃、被害を受けた東京では略奪や暴行などの事件が横行し、しまいには異国からの移民が井戸に毒物を混入したという噂が立ち、多くの罪のない人達がいわれのない差別を受けた。


 市民が自ら立ち上げた自警団などもあり、市内の秩序は日々シーソーゲームのようなありさまだった。


 瓦礫の撤去と自警団の過度な暴行への取り締まりに駆り出されていた隼人は、この頃昔馴染みでもある柏木から、行方不明になった秋津川雪之丞の捜索を依頼されていた。

 業務の合間に聞き込みを行っているが、これと言って情報は得られなかった。


 捜査の途中で陸軍から救援に駆けつけた朝月と出くわしたので、人手は多い方がいいかと馴染みのよしみで真澄が雪之丞を探している旨を話した。


 雪之丞が行方不明になった状況を話せる人物は、かつてこの江戸で起こった怪夷との壮絶な戦いに関わった親を持つ者だけだったからというのもあった。柏木からも雪之丞がまさか保管されていた聖剣ごといなくなったとは公には出来ず、そんな事をすれば政治的にも軍事的にも政府事態に亀裂を生む事は想像に難くない。


 ましてや、怪夷の脅威からいち早く抜け出し、世界に大頭する日ノ本を誇りに思っている一般人が知れば、この東京の街は混乱に陥るだろう。

 事情を隠して人を探すのはなかなか骨の折れる作業だった。


(旧江戸城の封印が解けたとか、普通は人に話せないよな…それに巻き込まれて行方不明になったという事は雪之丞兄さんが見つかるとは思えないし…)


 崩れずに残った煉瓦の壁に寄り掛かり、ポケットから煙草を取り出して隼人はそれを口に咥えて火を付けた。


(また怪夷と渡り合う日が来んのかね…)


 紫煙が昇っていく空を見上げ、隼人はかつてこの国で実際にあった日常を思い起こしながら、溜息と共に煙を吐き出した。


「あ、赤羽先輩、ここに居たんですね」


 休憩をしていた隼人の下に駆け寄って来たのは、後輩である市村だった。


「どうだそっちは、見回り終わったか?」

「先輩、直ぐに戻ってください。ちょっと厄介な事件が発生しました」

「厄介な事件?」


 市村が耳打ちしてきた内容に、隼人は眉を顰めると、市村と共に警視庁庁舎へと急行した。






 庁舎の敷地に戻ると、各捜査課ごとに割り当てられたテントの中に隼人と市村は中に入った。

 そこでは、医療支援に当たっていた拓も戻っており、他の同僚達と共に指示を待っていた。


「隼人」

「拓、厄介な事件ってなんだよ…例の移民に対する暴行関連か?」


 相棒の隣に並ぶなり隼人は小声で状況を問いかける。


「僕もまだこれから概要を聞く所だよ…」


 首を横に振り拓は隼人の問いに答えた。その顔が妙に疲れているのに隼人は内心疑問を感じた。


「悪いな皆、色々大変な時に」


 遅れてテントに入ってきた課長が隼人達を見渡すと、早速とばかりに話を始めた。


「銀座を中心に婦女への猟奇殺人事件が起きた。犯人は始め先日赤羽達が逮捕した藤川と湯崎の仕業かと思われたが、その藤川はこの震災で死亡、湯崎は知っての通り小菅で拘留中のため外には出ていない。安否に関しては不明だがな」

「つまり、その事件を模倣した犯人の仕業って事ですか?」


 隼人の問いに課長は眉根を寄せた。


「真相は不明だ。例の自警団の暴行の件もある…こんな混乱の中だ、犯罪者なんてごまんと出て来るだろうさ。ただ…ただの猟奇殺人にしては目的が掴めない。よって、俺達が捜査をする」


 部下達を見渡し、課長は指示を出した。だが、その顔には渋く複雑な表情が浮かんでいた。


「隼人…課長、何か煮え切らないって感じだね」

「ああ…湯崎の名前を出して来たって事は、何か関りがあんのかもしれねえ」


 上司の号令でテントの外に出て行く同僚達を横目にして、隼人と拓は課長の傍に駆け寄った。


「課長、その事件の内容をもっと詳しく教えてください」

「やっぱり、お前達はなんか引っ掛かった」

「どうして、湯崎達の名前を?何か関りがあるんですか?」


 声のトーンを落とした問いかけに課長は苦い顔をしながら、2人と距離を詰めた。


「いいか、一番事件に関わっているお前達だけに言うぞ。猟奇殺人の現場で、若い男を目撃したって証言がある。湯崎は人心掌握に長けてたっていうからな、他にも犯罪者へ加担していた可能性もある…特に月代は奴と何度も話をしているんだ、注意しとけよ」


 課長の忠告を隼人はその時、あまり深く聞いていなかった。この混乱に応じた模倣犯くらい出て来るだろうと思っていたからだ。


 だが、その忠告の意味を後々痛いほど思い知る事になった。






 その日の夜。隼人は市村と共に夜の見回りと、警戒の為に後輩の市村と共に瓦礫に埋もれた東京の街へと繰り出した。


「先輩、俺でよかったんですか?」


 隣を歩く市村の問いかけに、隼人は視線だけを寄越して頷いた。

 いつもなら隼人の隣にいるのは相棒である拓だ。

 だが、今夜は珍しくその拓の姿はなかった。


「アイツ、救護班の手伝いで色々疲れてるだろ。だから休める時に休ませないとな」


 肉体労働の先輩も変わらないのでは、と言いかけて市村は咄嗟に口を噤んだ。

 隼人が気にしているのは、何も肉体的な疲労だけではない。

 拓は、人の感情に共感して他人の心を読む事が出来る異能者だ。未曾有の災害の直後で様々な感情を受け取り、拓の精神は本人が思っているよりすり減っている筈だと、隼人は見抜いていたのだ。


「先輩って、月代先輩の事よく見てますよね」

「当たり前だろ。何年コンビ組んでると思ってんだよ。アイツの体調位分かる。昼間だって、呼び出された時顔色悪かったしな。たく、救護してる奴の顔色が悪いってどんだけだよ」


 ズボンのポケットに手を突っ込み隼人は肩を竦めた。


「いいっすよね。俺もそういう相方憧れるなあ」

「呑気な事言ってないで真面目に辺り見張れ」


 両手を組み、うっとりと目を惚けている後輩に活を入れ隼人は、辛うじて残った煉瓦造りの建物の角を曲がる。

 直後、甲高い悲鳴が夜の闇の中に響き渡った。


「悲鳴!?」

「市村、行くぞっ」


 驚く市村を促し、隼人は悲鳴が聞こえて来た方向へと一目散に駈け出した。

 瓦礫を飛び越え、残った建物の陰に駆けつけた途端、物陰から颯爽と人影が飛び出してくる。


「待ちやがれ!!」


 暗闇の中に向かって駆けていく人影が怪しいと本能で感じ取った隼人は、市村をその場に残して人影を追いかけた。

 街灯の灯りが消えた暗い変わり果てた街を、隼人は必死に駆け抜けて行く。

 だが、神田川の辺りで忽然とその姿は消え失せていた。


「はあ、はあ…くそっ見失った…」


 肩で荒い呼吸を繰り返し、怪しい人物を取り逃がした自分自身に隼人は憤り、強く膝を叩いた。

 真っ暗な闇の中、既に人影の気配すら感じられず、隼人は苛立ちを鎮めながら市村の下へと舞い戻った。


「先輩!」

「悪い…怪しい奴を見失った」


 悲鳴が聞こえた現場に戻ると、瓦礫にしゃがみ込んでいた市村が顔を出した。

 後輩の顔を見るなり隼人は市村に自身の失態を伝えたが、市村の表情はまるでその話が耳に入っていないかのような深刻さを秘めていた。


「市村?」


 目を眇め、市村がしゃがみ込んでいた瓦礫の物陰を隼人も覗き込む。

 そこで隼人は咄嗟に口元を抑えて後退った。

 夜の闇の中、地面に広がった黒い染み。その中心に横たわる白い影と淡いピンク色の物体。

 隼人の視線の先に映ったのは、腹部を切り裂かれ内臓を引きずり出された若い女の遺体。


「先輩…これって…」

「まさか…例の連続猟奇殺人の被害者…じゃあ、さっきの奴は…!」


 再び走り出そうとする隼人を、市村は咄嗟に腕を掴んで引き留めた。


「先輩、今は応援を呼ぶ方が先です、闇雲に追いかけたって、見つかる訳ないと思います…」

「…そう、だな…」


 掴まれた腕をやんわりと外し、隼人は頬を引き締めて瓦礫の中に横たわる女の遺体を覗き込む。


「内臓を無理矢理鋭利な刃物で抉られた感じだな…この間まで追っていた湯崎と藤川の事件の時はもっと丁寧だった…これはまるで、衝動に駆られたようなそんな印象だな…」


 臆することなく隼人は被害者の身体に触れる。襲われて息絶えてからまだそれほど時間が経っていないのか、被害者の身体はまだ温かい。

 震災の後で荒廃した街の中で行われた犯行に計画性などなかっただろう。


「物取りの犯行でしょうか?」

「いや、この被害者はどう見ても被災してたまたまこの辺りを通りかかっただけだろう。着物は煤で汚れているし、荷物らしいものもほとんどない。強姦の線も考えたが、衣服が乱れていない所を見ると、性犯罪者でもなさそうだ」

「地面の出血量を考えると、ここで襲われた感じですね…」

「市村、本部に戻って応援呼んできてくれ。俺は現場の保持しとくから」

「分かりました」


 先輩からの指示に敬礼で応え、市村は暗闇の中を駆けていく。

 その背中を見送ってから隼人は再び被害者を覗き込む。

 被害者の女の指には抵抗したのか、傷があり、爪が剝れていた。

 何かを掴んだように握られた手に思わず触れた瞬間、女の手の中から金色の何かがころりと転がった。


(なんだ…)


 引き寄せられるように隼人は地面に転がった金色の物を拾い上げた。

 手の中にあったのはワイシャツの飾りボタン。


(これは…)


 掌の上で鈍く光るそれを隼人は咄嗟に上着の内ポケットに押し込んだ。






 翌日の昼前に隼人は捜査本部のテントの中で目を覚ました。

 市村が応援を呼び、同僚達が現場の状況を記録するのを手伝ってから隼人は明け方になってこのテントの隅で仮眠を取った。

 被害者の遺体に関しては同僚に任せたのでその後の事はまだ知らない。

 堅くなった身体を起こして関節を回していると、傍に足音が近づいてきた。


「おはよう隼人」

「おお、拓か。はよ」


 腕を伸ばして欠伸をする隼人の横にしゃがみ込んだ拓は、いつもと変わらない様子で相棒の顔を覗き込んだ。


「例の連続猟奇殺人、また起きたんだって?」

「ああ、たまたま通りかかったらな…犯人を逃がしちまった」


 悔し気に舌打ちし隼人は後頭部を掻き毟ると、ワイシャツの胸ポケットから煙草とマッチを取り出した。

 煙草を口に咥え、マッチを擦って火を付けると、ゆっくりと煙を吸い込んだ。


「隼人…」

「お前はどうなんだ?少し休めたか?」


 寝起きの一服を嗜む相方を見つめていた拓は、何かを言いたげに上唇を浮かせたが、思わぬ問いかけに一瞬口を閉じた。


「あ、うん。お陰様で少し休めたよ…ありがとう。横になったら直ぐ気絶したみたいで、気づいたら朝だったよ」

「そうか、確かに昨日よりかは顔色いいな」


 紫煙を吐き出しながら隼人は安堵の表情で拓を見つめた。そこで、不意に相方の胸元に視線が落ちた。


「拓?お前、胸んとこのボタン取れてるぞ?」

「え?あ…本当だ…」


 隼人からの指摘に、拓は自身の胸元に視線を落とす。隼人の指摘の通り、ワイシャツの第二ボタンが千切れていた。


「いつ取れたんだろう…昨日治療の手伝いした時かな…」


 自身の胸元を覗き込み拓は首を傾げた。ボタンの無いワイシャツの隙間からは何かに引っ掻かれたような赤い筋が滲んでいる。


「昨日は結構重症患者さんの治療手伝ってたから…暴れた人もいたし」


 不思議そうに自身の胸元を覗き込む拓を隼人は静かに見つめる。


「昨日は汚れた上着を脱ぐだけで着替えも忘れて眠ってたから…」

「まあ、この状況で着替えって言ってもな…」


 半分まで吸った煙草を手で揉み消し隼人はゆっくりと腰を上げた。


「さて、今日も頑張るか」


 肩を回しながら気合を入れている隼人の傍に拓も立ち上がり、並ぶ。


「拓は今日も治療の手伝いか?」

「うん、患者さんの心のケアが中心だけど」

「あんま無理すんなよ。夜は見回り付き合え」

「分かった」


 横に並んで言葉を交わし、隼人と拓はハイタッチをすると、それぞれの現場へと戻っていく。


 拓がテントから出て行くのを見送ってから、隼人は脱いでいた上着を羽織、その内ポケットに入れていた物を取り出した。

 昨夜、例の現場で被害者が握り締めていた飾りボタン。


(被害者が犯人に抵抗したなら、その爪痕が犯人の肌に残っている筈だ…このボタンの位置からして、胸の辺りか…)


 自身の推測に隼人はふと先程の相方とのやり取りを思い出す。

 千切れたワイシャツのボタン。胸元に走った赤い筋。


(いや、まさかな…ただの偶然だろ…)


 不意に脳裏に過った黒い靄を隼人は首を振って揉み消すと、自身も現場に向かう為テントを出ようと足を向けた。


「赤羽、ちょっといいか」


 丁度テントに入ってきた課長に呼び止められ、隼人は背筋を正して応答した。


「課長?なんでしょうか」

「こんな時になんだがな、お前にちょっとした話が来ている。警視庁殿からだ」

「親父から?」


 上司が差しだしてきた一通の手紙を受け取り、隼人は眉を顰めた。


「直ぐにとは言わんが、早めに返事が欲しいと言われた。よく読んで決めろという話しだ」

「分かりました」


 受け取った手紙を懐に入れて隼人は一礼をして、テントの外へと出た。








 夕暮れが迫り、作業を終えた隼人は仮眠を取る為に寝転んでいた。

 天井を見上げる隼人の手には、昼間に上司から渡された手紙が握られている。


(こんな時にまさかこんな内容の手紙が来るとは…)


 隼人の父であり、警視庁の長官である赤羽志狼から届いた手紙書かれた内容は、大統領柏木静郎が新たに新設する私設部隊への推薦を伝えるものだった。

 先日、陸軍の九頭竜真澄から旧江戸城の怪夷の封じが解けた事をは聞いていたが、まさかそれに伴って出現するであろう怪夷に対処する為の部隊へ自分が推挙されるとは思いもしなかった。


(親父と違って俺は怪夷とは直接渡り合ってないぞ…真澄兄さん達もどうして俺を…)


 手紙の文面を眺めながら隼人は小さく息を吐いた。父親である赤羽志狼は真澄の両親達と共にかつて怪夷と渡り合っていた元執行人。隼人が生まれた頃、怪夷はこの日ノ本からはとうに駆逐され、その姿を見る事は殆どなくなっていた。が、父の教えで隼人は怪夷との戦い方、必要な術式を習っていた。


(親父の思惑も絡んでいるんならさて…どうするかな…)


 この推薦を受けるという事は、警視庁を退職する必要がある。だが、震災の混乱の中で起きている猟奇殺人事件を解決せずにここを去るのは、警察として東京を護ってきた自負のある隼人にとって後ろめたさがあった。


(それに…)


 身体を横に向け、今度は昨日の殺人現場で拾ったボタンを取り出して、目を眇めた。


「隼人、隣失礼するよ」


 不意に声を掛けられて隼人は肩越しに背後を振り返る。そこには横に寝転ぼうとしている拓の姿があった。

 隼人と同じく深夜の見回りの為に仮眠を取りに来た拓は、自分に背中を向けて寝転ぶ隼人に声を掛けた。


「寝ちゃってる…?おやすみ」


 返事がない隼人が既に寝たものと解釈した拓は、そのまま自身も毛布を被って目を閉じた。

 背中越しに伝わる相方の熱と鼓動。規則正しい息遣いを感じながら隼人はボタンと手紙を懐に仕舞い、自身も静かに目を閉じた。








 深夜。街の明かりが殆ど落とされた頃。隼人はハッと目を覚まして跳び起きた。


(ヤベっ今何時だ?)


 慌ててポケットから出した懐中時計を見遣ると、時計の針は深夜零時を指そうとしていた。


「拓、ヤバい寝過ごし…拓?」


 横を振り向くと、夕方確かに隣で眠った筈の拓の姿は既になかった。


「アイツ…まさか」


 勢いを付けて立ち上がり、隼人はテントを飛び出した。秋の虫の合唱が聴こえる夜の街は、シンと寝静まり、灯りもなく、闇に包まれている。

 ランプを手に隼人は警視庁の敷地内を走り回る。だが、拓の姿は何処にもなく、隼人は門を出て敷地の外へと駈け出した。


(俺が起きないからって一人で見回りでたのかよ!)


 長い付き合いの拓の事をそれなりに理解していた隼人は、きっと拓が起きない自分を起こすのは悪いと思い、一人で見回りに出かけたと推測した。


(俺達は一心同体だってのに…勝手な事しやがって)


 相方への悪態をつきながら、隼人は瓦礫に埋もれた街へ駆け出す。と、大通りを少し進んだ所、丁度堀の脇にある繁みに隼人は見慣れた背中を見つけた。


「おい、拓!お前俺をよくもおいて」


 おいて行ったな!そう抗議の声を上げようとした刹那、隼人の眼前で白銀の閃光が閃いた。





***************************


三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


刹那:隼人が拓に追いついた先で目にする衝撃の真実。果たして二人の過去の結末は…


三日月:第四十話「深淵の向こうを覗く者ー後編」次回もよろしくね。

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