第五章

第三十八話ー深淵の向こうを覗く者ー前編

 遥か昔から、人の中には他者とは異なる不思議の力を有する者が存在する。

 それは、時に神がもたらした恵と据え、神秘的なものとして崇め奉られ、時に畏怖の存在として恐れられ、その異質さから忌み嫌われてきた。


 怪夷という、特異な存在との戦いの中で戦乱と科学の発展により忘れ去られていた呪術の技を日常的に使うようになった今世ですら、異能と呼ばれる特殊な力を持つ者達は、ひっそりと己の能力にその人生を左右されていた。


 ある者はそれを生かして人々を導き、ある者はそれを隠して暮らしている。

 特夷隊の隊員である月代拓も、そんな異能の持ち主だった。




 五年前。

 梅雨が明け、本格的な夏が始まろうとしていた季節。

 横浜の港に一隻の船が着岸した。

 米国からの定期船からは、観光客や仕事で海を渡り、ようやく故郷に帰ってきた者、逆に仕事で日ノ本へやってきた者など、様々な事情を抱えて人々がテロップを降りていく。


 港には、そんな彼等を出迎える人々が賑わい、そこに集まった人々を目当てに露店が拓かれて、ちょっとしたお祭りのようになっていた。


 色とりどりの紙吹雪が舞う中、ブラウンのスーツに身を包んだ男が一人、下船していく他の客と同じくテロップを降りていく。

 日ノ本に帰って来るのは一年振りだ。

 母国の地を踏みしめ、月代拓は手にしたトランクを持ち直し、人込みの中を歩いていく。


「おーい拓、こっちこっち」


 船を降りてきた客とそれを出迎える者達でごった返した港を少し歩くと、桟橋の向こうに見慣れた姿を見つけ、拓は大きく手を振り返した。


「隼人」

「良かった、到着時間間違えたのかと思ったぜ」


 桟橋を抜けた先に留めた車に寄り掛かっていた親友の傍へ、拓は足早に駆け寄った。


「ごめん、船の接岸に時間がかかったらしくて…待たせたかな?」


 事前に今日到着の船で帰る事は伝えていたが、思いの他下船までに時間がかかった。

 迎えに来てくれた親友へ拓はすまなそうに顔を曇らせる。だが、隼人はなんでもないと言うように首を横に振った。


「いや、俺は別になんとも思ってないぞ。それなら、こっちに言ってやってくれ」

「ちょっと隼人君?それじゃ私が待ちくたびれてごねてるみたいじゃないの」


 ニヤリと笑いながら隼人は車の後部座席に視線をやる。すると、扉が静かに開くと共に甲高い声が響いた。


綾香あやか

「拓君、お帰りなさい。ごめん、気になってついてきちゃった」


 車を降りて来たのは、向日葵色のワンピースに身を包んだ、華やかな容姿の女だった。


「君まで来てくれるなんて思わなかったよ。元気そうだね」

「ふふ、私を置いて二人だけで感動の再会なんて水臭いじゃない」


 車を降りてきた女は、ニコニコと笑いながら拓の前で背伸びをした。

 微かに香る化粧品の香りに拓は優しく微笑み、彼女の頬にキスをした。


「相変わらずお熱い事で。ほら、感動の再会はいいからさっさと東京に戻るぞ」


 いつの間にか、拓のトランクは隼人によって車の荷台に積まれ、当の隼人は車の運転席に乗り込んでいる。


「うん、行こうか綾香」


 綾香と呼んだ彼女手を取り、2人揃って拓は後部座席に乗り込んだ。

 隼人が運転する車は横浜から東京に向かって、ようやく舗装がされ始めた道を走っていく。

 遠ざかっていく港を後ろに、拓は自身の婚約者である東海林綾香と他愛のない会話を交わす。


「米国はどうだった?やっぱり、最先端って感じ?」

「どうかな…まあ、経済は確かに進んでいるし、色々文化面でも流石って思ったけど…大分雑多な感じだったよ」


 苦笑を浮かべて拓は自分が見て来た景色を思い出す。


「色んな民族がいて、色んな考えが充満していて…到着してから一週間は煩すぎて寝込んだ…」


 灰色の景色に極彩色の絵の具をぶちまけたような明滅する景色を懐かしみながら拓は深く息を吐く。


「共感覚って大変ね。人の感情が勝手に流れ込んでくるとか想像できないけど」

「僕のこれは…まあ一種の異能だし…制御が出来ない訳じゃないけど。初めての土地だったから疲れも出ていたのかも。でも、色々な感情に触れられて色々勉強になったよ」

「例の心理学はどうだったんだ?その為の留学だっただろ?」


 ハンドルを握りながら、バックミラー越しに隼人は拓に尋ねた。


「うん、そっちは問題ないよ。少なくとも、役に立つレベルには鍛えてきたつもりだ」

「それでこそ、所長がお前を行かせた甲斐があったってもんだな」


 アクセルを踏み、速度を上げた車は、一路東京を目指す。

 一年振りの再会を果たした幼馴染達は、拓の土産話を車内で楽しく聞くのだった。






 翌日、警視庁へ出勤した拓は、隼人と共に早速ある事件の捜査へ呼ばれた。


「東京の切り裂きジャック…?」


 デスクの上に広げられた写真や報告書などの資料を見つめ、拓は目を眇めた。


「はい。三か月前から若い女性が夜道で無残に惨殺されるという連続殺人事件が起きています。その調査に今回月代さんの学んできた心理学を応用できないかと、所長からの提案です」


 資料を持ってきた市村銀之助は、資料を手に状況を把握している拓と隼人を交互に見遣る。


「今回は私と先輩達とで犯人の洗い出しをするのが目的です」

「この事件、被害者は九人。全て20代から30代の女性…夜道を歩いていた所を路地裏で襲われているとあるけど、どうして切り裂きジャック?」


 資料に纏められた被害者の特徴を見つめていた拓は、市村に質問を投げかけた。


「…被害者が全員女性というのは、連続殺人事件じゃ珍しくないんですが…その手口が、十九世紀、ロンドンを騒がせた切り裂きジャックに似ているという所から、この事件はこう呼ばれています」


 そういいながら市村が出して来たのは、事件現場を映した写真と、解剖の結果だった。

 そこに記録されていたのは、腹部や胸部を鋭利な刃物で抉り取られた無残な乙女達の姿。


「っ…」


 あまりの強烈な惨状に、拓は写真を覗き込むなり眉根を寄せた。写真から伝わってくる無念や憎悪。様々な負の感情から逃れるように、拓は自身の右耳の耳朶を抓った。


「酷いね…これは…」

「切り取られた臓器は未だ見つかっていません。解剖の結果では、臓器が切り取られたのは被害者が生きているうちだという事で…」


 資料に書かれてはいるが、市村の口から聞かされる事件の概要は、とても人の起こしたものとは思えない残忍は犯行だった。


「分かった。少し一人にしてもらえる?犯人像を探ってみるから」

「拓、大丈夫か?まだ帰ってきたばかりだし、無理するなよ」


 デスクに広げた資料を集めて纏めている拓を気遣い、隼人は声を掛ける。


「大丈夫。少ししたら現場にも行ってみたいから、隼人準備しておいてくれる?」

「…分かった」


 いつもと変わらない穏やかな表情で言われて、隼人は渋々ながら頷いた。

 そんな相棒に微笑みかけて拓は資料を抱えて一人執務室を出て行く。

 その背中を見送りながら、隼人は煙草を咥えて火を付けた。




 簡素な椅子とテーブルが置かれただけの、取り調べ室のような狭い部屋に入った拓は、ぱたりと扉を閉めるなり、ネクタイを緩めた。

 簡素な椅子に腰を下ろし、資料を広げた拓は眼鏡をかけて意識を集中する。


(まずは…犯行の手口から…)


 資料に記された犯人の犯行の手口から拓は犯人の人物像を探り出した。

 写真を見る限り被害者の腹部は、鋭利な刃物で切り裂かれていたが、事件現場に血はあまり飛び散っていない。

 ただ、被害者の周りにだけ血だまりが出来ている。


(…切り取られた臓器は、心臓、肺、膵臓、脾臓、肝臓、胆嚢…それから子宮が二人分…最後の被害者は脳を取られている…位置が正確に切り裂かれているということは、犯人は人体の構造に精通している人物か…)


 ただナイフで刺して臓器を抉り取っただけなら、傷口はもっと損傷が激しい筈だ。それが、解剖の結果では、まるでメスか何か特殊な刃物で綺麗に切り取ったように臓器が繰り抜かれている。

 最初の犯人像は肉を臓器ごとに切る芸当が出来る屠殺を生業とする者達かと見解が示されていたが、拓は犯行が行われた場所を見直してその考えを否定した。


 確かに、昔から家畜の解体を行う者達は差別の対象にされてきたが、それだけで彼等を犯人と決めつけるのは、先進国として恥ずべき考えだ。

 更に、犯行の範囲が日本橋から室町の辺りと狭く、東京の中心地である地域に屠殺場はない。

 そこから、そういった職業の者達の犯行の線は拓の頭から外された。


(…犯人は人体に精通している人物。かつ、正確にそれを把握している…可能性があるとすれば医者か医大生…あるいは、学者…)


 資料から読み取れる犯人像を拓は様々な角度から解析していく。

 そこで、写真の中、現場の隅に奇妙な記号を見つけて拓は首を傾げた。


(なんだこの記号…そういえば、何処かで見たような…)


 白黒の写真では判別できないが、何かの文字のようなそれに拓は目を凝らした。


(…これ以上は資料だけじゃ無理か)


 溜息を吐いて拓は資料を纏めて席を立つ。そのまま彼は眼鏡を外して部屋を後にした。






 一番最近の現場は、日本橋の古い路地裏だった。川沿いの少し薄暗いその場所には、捜査も終わった後で綺麗になっていた。

 だが、拓はそこに足を踏み入れた瞬間、異様な怨念のようなものを感じ取り、僅かに顔を顰めた。


「拓、大丈夫か?」

「うん、何とかね…少し一人にしてもらえる?」


 心配そうに顔を覗き込んで来る隼人にそう言って、拓はゆっくりと現場を歩き始めた。

 そこに渦巻いているのは、被害者の女性と思われる少女の無念の感情。だが、どういう訳か犯人の感情は一ミリも湧き上がって来なかった。

 本来であれば犯人のものである憎悪や興奮などの強い感情も読み取れる筈なのだが、どういう訳かそれらしきものが感じられない。


(まるで、淡々と作業をこなした…そんな感じだな…)


 犯人が人体へ対する異常な性癖の持ち主か、あるいは女性に対する恨みのある者かと予想を立てていた拓は、そこにあった筈の感情がない事に違和感を覚えた。

 暫く現場を歩いて、拓は繁みに隠された石積みの傍に屈みこんだ。

 雑草をどけると、そこには他の現場の検証写真に写り込んでいた記号が刻まれていた。

『井』という漢字を重ねた格子のようなそれを見つけるなり、拓は肩越しに振り返った。


「隼人、ちょっと」


 拓に手招きされて隼人は足早に拓の傍に駆け寄った。


「どうした?なんか見つけたのか?」

「隼人、この記号、見覚えない?他の現場の検証写真にも何カ所移り込んでいたんだけど…」


 そう言って拓は持ってきていた他の現場の写真を隼人に見せ、繁みの隠れて刻まれた記号を指差した。


「ん?あれ、これって…」


 拓の横にしゃがみ込んで隼人はまじまじとその記号を覗き込んだ。


「…昔どっかで…」


 顎を摩りながら隼人は自身の記憶を辿る。


「…多分、何かの術式で使うものだった筈…ちょっと待ってろ、知り合いの祭事部関係者に聞いてやる」

「祭事部に術式…分かった。頼んだよ」

 隼人が口にした単語に拓は一瞬大きく目を見張ってから、こくりと強く頷いた。

「なんか、気づいた顔だな」

「確証はまだ隼人の情報次第かな…でも、少し犯人像が見えて来た」


 ゆっくりと立ち上がり、拓は夕暮れが迫った東京の空を見上げた。



 一週間後。

 拓と隼人の姿は警視庁の取調室にいた。

 格子戸の嵌められた隣室から隼人は取調室の中にいる人物に眉を顰めた。


「本当にアイツが容疑者なのか…」


 眉唾な表情で聴取対象者を見据える隼人に、拓は神妙な面持ちで頷いた。


「僕の推測が当たっていればだけど」

「けどアイツ、先に捕まえた医学生の時と違って、随分素直に同行に応じていたしな…」


 取調室で聴取が始まるのを静かに待っているのは、長身痩躯の若い男。糸のような細い目が印象的で、常に笑っているようなその容貌は、少し不気味だった。


 事件が動いたのは、拓と隼人が被害者の発見された現場を訪れた二日後の事。

 拓の要請を受けて親交のある祭事部の知り合いに隼人が例の記号の件を聞くと、それはドーマンという呪術を行う時に使われる印だという事が判明した。


 そこから、その現場で術式が使われていたのではないかという仮説が持ち上がる。

 一方拓は、現場に残った思念や発見時の状況から被害者が殺害されたのは別の場所ではないかと推測を立てた。


 女性とはいえ、人間一人を別の場所から移動させるのはなかなか大変だ。

 そこで、犯人は発見現場の近くに住んでいるのではないかと、拓は当たりを付けた。


 それから丸一日現場の周囲を捜索していると、道に荷車の轍の跡を見つけた。

 最後の被害者が発見されたのは拓が事件に関わる一週間前。

 人通りの多い日本橋界隈では靴の跡や轍の跡は直ぐに消えてしまうのだが、荷台がやっと通れそうな日陰の道に残っていたおかげか、それは奇蹟的に消えずに済んでいた。

 現場からも少し離れた位置にあった事で、当時の捜査員も見逃していたようだ。


 荷台を引いて通るのにはギリギリな路地。そこで拓はその近所に住む住人にここ一週間の様子を調査すると、夜も明けきらない早朝に、誰かが荷台を引いていく姿を見たという証言が取れた。


 そこから轍が残っている範囲を捜索し、拓はある一軒の診療所に辿り着いた。


「最初に同行をしてもらった医学生―藤川英二ふじかわえいじは、僕等がいったら相当動揺していたよね。家の裏から大量の血痕が見つかったし…道具も」

「そうだな。あれだけ慌てふためいてたら自分は犯人ですって、公言しているようなもんだよな…」


 三日前に行った事情聴取を思い出し、隼人は肩を竦める。

 被害者の臓器を取り出して殺害した犯人は、意外にもあっさりと捕まった。

 犯行を行っていたのは、東京大学に通う医学生で、夏休みの少し前から犯行に及んでいたようだ。

 ただし、藤川の証言は更に新たな事態へと発展する。


『自分は、ただ解剖を頼まれただけだ!被検体が生きていたなんて知らなかったんだ』


「自分が殺したという意識がなかったから、憎悪や興奮などの感情が読み取れなかったのかってその時気づいたよ」

「それで突き詰めてみたら、被害者を連れて来た奴は別にいた。そいつが被害者を藤川の所に運んだ時、被害者はまるで死んだみたいに冷たかったというから、妙な話だよな」

「でも、宮陣みやじさんの話だと、そういった術式もあるにはあるんでしょう?」

「らしい。一種のトランス状態に近いらしいが…なかなか高度な技で使える者も限られているとか…」


 隼人が件の記号の正体を突き止めるのに助言を求めた祭事部の知り合いの話によると、人を仮死状態にする術もあるようだ。

 そして、最初に事情を聴いた藤川の話から、実行犯である彼の他にそれを実行に導いた共犯、黒幕とでもいうべき人物が浮上した。


 それが、隣室にいる男だった。


「アイツの家は祭事部の中でも保守派に属する家系だ。色々嫌な噂も聞くから慎重にいけよ」


 聴取の時間が来たことを壁に掛けられた時計で確認した隼人は、拓を送り出すようにその肩を叩いた。

 今回は拓が一人で事情聴取に応じる事になっていた。隼人はこの隣室から様子を伺う手筈だ。


「分かっているよ。それじゃ、行って来る」


 隼人とハイタッチを交わして拓は隣室を出ると、隣の取調室へ向かった。




「初めまして、今回の聴取を担当する月代拓です。湯崎廉太郎ゆざきれんたろうさんですね」


 聴取室に入室した拓は、記録係の刑事と視線で挨拶を交わしてから、聴取対象である男の前の席に腰を下ろした。


 白磁のように滑らかな肌に、細い目、口元は口角が僅かに上がり、釣り目がちの目元を相まってうっすら笑みを浮かべているようだ。

 彼の背後に設けられた明り取りようの窓から差し込む陽光が逆光になり、男の不気味さを更に助長している。


「ええ、そうです。貴方が私の話を聞きたい刑事さんですか?」


 朗らかな声音で湯崎は拓へ問いかける。

 真っ直ぐに自分を見つめてくる湯崎の問いに頷き、拓はジャケットの懐から数枚の写真を取り出した。

 一枚目は、先日逮捕した医学生の胸部から上の写真。二枚目は事件現場に残されていたドーマンを映したモノ。三枚目から先は現場の写真や被害者のもの。


「湯崎さん、突然ですがこの紙にこの写真に写っている記号と同じものを書いて貰えますか?」


 すっと、二枚目の写真の横に拓はペンと白紙の紙を置いて湯崎に差し出した。

 それに素直に応じて湯崎は言われた通りに目の前で記号を書き始めた。

 その様子を拓は静かに見つめる。


(やはり…)


「これでいいですか?」


 記号を書いた紙を湯崎はペンと共に拓の前に差し出した。


「ありがとうございます。この記号、貴方なら何かお分かりですね?ご実家が祭事部だと伺っています」


 すっと、紙に書かれた記号を見せつけるように拓は湯崎の目の前に晒すと、真っ直ぐに相手の目を見つめた。


「…ドーマン、結界を張ったり、術式を使用するのに用意する物です。なんだ、私の素性はもう調査済みでしたか…」


 肩を竦め、あっさりと拓の質問に答えた。


「確かに私は祭事部の家の出身です。しかし、それだけで私が何か事件に関わっているというのはどうかと思いますよ」


「貴方がこの医学生―藤川英二の両親が経営する診療所に出入りしていたのは調べがついています。彼と会っているのも大学の構内で目撃されています。貴方は普段は大学で民俗学を教えている講師だそうですね」


「ええ、しがない助教授です」


「医学生である藤川と貴方が面識があるのは、少々奇妙な話です。ですが、貴方の専門を調べて納得がいきました。…貴方のご実家は、昔蟲毒や人柱を軸にした術式を扱う一族ですね」


「人体を呪術の媒体に使うのは昔から、世界各地に存在します。マヤ文明やエジプトでもそうでしょう?私は、何故人は人体を使って神秘を実行しようとしたのか、そのルーツを研究しているにすぎません」


 やれやれと首を緩慢に振る湯崎を拓は静かに見つめたまま、質問を続ける。


「何故、藤川と貴方が繋がったのでしょう、医学と民俗学では随分畑違いですが」


「彼が人体に対して興味が強かったというだけです。過去の医学には呪術的な意味合いの強いモノが多い。薬や治療は魔法使いの得意分野でしたからね。錬金術もそうでしょう?それこそ、人を呪うのには人体の急所を知っている方が有利です」


 淡々とだが、講義をするような愉悦に浸るその話方から拓は、湯崎の言葉の中で強調される単語を探り当てる。


(…錬金術という単語に、異様な執着がある…なるほど)


 湯崎の性格は、助教授という研究者らしい探求心の強さというより、他者より優位な位置にいる事に喜びを感じる一面がある事に気づいた拓は、別の質問をしてみる事にした。


「先程、人を呪うには人体の急所を知っている方が有利と仰っていましたが、この女性達は、身体のある部分を切り抜かれて殺害されています。ある方は心臓を、ある方は脾臓を…これは、何か意味があるのでしょうか?」


 生徒が先生に質問をするように、拓は何も知らないという顔で湯崎に質問を投げかけた。


「勿論ありますよ。中国ではそれぞれの臓器にはそれぞれ対応した五行があり、欧羅巴では惑星と人体が結びついています」


「へえ、そうなんですね。僕は術式はそこまで詳しくないので」


(惑星…そこに事件の真相がありそうだな…)


 穏やかに笑いながら拓は膝の上に乗せていた手をゆっくりと握り込んだ。


(そろそろか…)


 湯崎が色々話出した所で拓は、ゆっくりと自分の中で意識を二つに分裂させた。それは、丁度自分という存在を第三者として俯瞰してみるような、そんな感覚に近い。

 自分から切り離したもう一つの意識で拓は湯崎の心にリンクした。



「彼女達の臓器は呪術に使われていた。それを取り出すには技術がいる、藤川にそれを実行させたのは貴方ですよね?藤川は解剖の練習が出来るからと貴方の提案に乗った。被害者が生きているとは知らずに」


 湯崎の心に共感を掛けたのと同時に拓は確信に迫った。心の乱れが感じ取れれば後は相手が自供するよう、話を持っていけばよかったから。


「そうだとして、私が犯行を幇助した証拠はあるんですか?」


 僅かにざわめき出した湯崎の心を感じ取った拓は、更に一枚の写真を取り出した。

 血痕が染みついた紙の切れ端。その原型が細長いものだった事、紙の性質からこれが札を作成する時に使用されるものだという事は、隼人の祭事部の知り合いから聞いていた。

 同時に、切れ端に僅かに残った文字のような物が呪符に書かれた文言だという事も調べがついていた。


「藤川の家の血痕が溜まった付近から、札の切れ端が見つかりました。これは、一部の家系でのみ使用されるもの。その筆頭に貴方の実家が入っていました」


 射抜くような強い口調で拓は真っ直ぐに湯崎を見据えた。

 一瞬、湯崎の目が大きく揺れる。リンクした心も拓が断言した途端、ざわざわとさざ波を立てた。


「…貴方の事件発生の前後の行動も調査済みです。被害者を運んだ荷車は大学の研究室の倉庫から発見されました。被害者のものを思われる皮膚片も見つかっています。ここまで証拠が積みあがっていて、まだ口を閉ざしますか?」


 拓の問いかけに、湯崎の心は大きく揺れ動いた。それは、彼が公言せずとも己の罪を認めた確証だった。


「ふふ…面白い、そこまで分かっているんですね…」


 不意に、肩を揺らして笑いだした湯崎は俯いていた顔を上げた。その顔に薄ら笑いを浮かべて拓を見つめた。


「そうだとして、貴方は私をどうしますか?殺人を犯したのはあの医学生の彼です。彼を唆したとしても、私は直接手は下していない。せいぜい女性の拉致監禁くらいでしょうか?」


「それを決めるのはこれからです。貴方からはまだ動機を聞いていない。じっくりこれからも取り調べをさせてもらいます」


「それは楽しみだ。貴方とはもっと話したいと思っているので」


 自身の罪が暴かれたというのに何処か楽しげな湯崎に拓は背筋が寒くなるのを覚えた。


(なんだ…まるで、この状況を楽しんでいるような。さっきまで極度の緊張と興奮で心がざわついていたのに…)


 顔を上げた直後、湯崎の態度が一変した事に拓は違和感を覚えた。

 もっと深く彼の心を知ろうと共感を強めた所で、拓はぎゅっと拳を握り締めた。


「……」


 唐突に沈黙が訪れる。

 さっきまで質問していた拓が急に黙った事に、部屋で記録を取っていた刑事だけでなく、隣室で様子を伺っていた隼人と市村も違和感に気づいた。


「拓…?」


 心配そうに隼人が取調室を覗き込むと、再び拓が相手に対して話を始めた。

 そこで、今日の聴取はここまでと告げたのが分かった。


 ゆっくりと立ち上がった拓の様子に隼人はホッと息をついた。


 以前、犯人の心に深く入り過ぎて拓がその場で倒れた事があった。それが今回はなかった事を隼人は内心で安堵した。


(今夜はゆっくり休ませてやるか)


 相手の心に潜り込むのがかなりの負担になる事を以前拓本人から聞いていた隼人は、取調室を出て行拓の姿を追って、隣室から廊下に出た。


 だから、二人はこの時気づいていなかったのだ、湯崎が不敵に嗤ったのを。


 それに隼人が気づいていれば、あんな事はもっと早く止められていたかもしれない。



***************************



朔月:さて、次回の『凍京怪夷事変』は…


三日月:猟奇殺人事件の真相を追う隼人と拓。その最中か、あの烈震が軍都・東京を襲い…


朔月:第三十九話「深淵の向こうを覗く者ー中編」ご期待ください。




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