第三十六話ー小夜時雨の邂逅

 鵺の怪夷の沈黙を確認した真澄は、包帯を巻き直してからゆっくりと七海の傍へと歩み寄る。


 近づいてくる真澄を迎えるように七海は、身体を真澄の方へと向けた。


『いいのか?逃げなくて』

(七海を預けるのが最優先だ…それに、そろそろ潮時だろうから)


 内なる声の問いかけに彼はそう答えると、自分の方へ向かってくる懐かしい人物と向かい合う。


「…海静…なのか?」


 少し戸惑いながら、真澄は目の前にいる少女に問いかけた。正確には少女の姿をした彼に。


「…そうです。お久しぶりです。九頭竜隊長…」


 それまで強張っていた頬を緩め、七海の身体を借りた海静は力の抜けた笑みを零した。

 七海の姿をしているが、目の前の人物はまさしく海静だった。


「隊長、今まで戻れずすみませんでした。ですが、これからは俺が七海を護ります。その為に戻ってきました」


 軍人らしく背筋を伸ばし、海静は胸の前で拳を握る。

 そんな決意に満ちた発言に、海静の中に住まう内なる声が溜息を零した。


『おいおい海静、護るのは勝手だが、ずっとこの身体を借りておくつもりか?そろそろ解放してやれ。結構負担がかかるんだぞ』

「は?先に言ってくれ」


 内なる声の指摘に海静は驚くと、慌てて目を閉じた。

 突然独り言を話出した海静の様子を伺っていると、真澄の前で七海の身体から黒銀の靄が抜けていった。

 靄が抜けた瞬間、七海の身体が左側に揺らぐ。咄嗟に腕を伸ばして受け止めた七海の左腕の肘から先がない事に気付いた真澄は、すぐさま天童を呼んだ。

 真澄に呼ばれて駆け付けた天童は、七海の左腕に目を向けて眉間に皺を刻んだ。


「怪夷に喰われたのか…血は止まっていますが、血清と痛み止めを打って、止血帯を巻きましょう。いつまた出血するか分かりませんから」

「すみません、お願いします」


 七海を天童に預けた真澄は黒銀の靄が集まる場所に視線を向けた。

 靄はゆっくりと揺らめき、人型のシルエットとなり、実体をなしていく。

 そこに現れたのは、親友によく似た精悍な顔つきの青年。

 一年前、雨の中で怪夷に連れ去られた頃のままの姿で、海静は真澄の傍に立っていた。

 だが、当の海静は真澄との再会に浸るより前に、自身の腕や身体を見て驚愕した。


「あれ、狼の姿じゃない…」

『ああ、それな、多分あのお嬢ちゃんに取り憑いたから、お前本来の姿を思い出したんだよ』


 内なる声の説明に海静は眉を細め「そんなものか…」と呟いた。

 一人ぶつぶつ呟いている海静を不思議に思いつつ、真澄は海静の傍に歩み寄った。


「何はともかく、よく戻ってきたな海静」


 居なくなった頃と変わらず、温かな表情で自分を迎えてくれる真澄に、海静は少し照れ臭くなって視線を逸らした。


「色々話を聞きたいところだが、七海ちゃんの治療もしないとならない。一先ず、俺達と一緒に詰め所に来てくれるか?」


 誘うように差し出された真澄の手を見つめ、海静は静かに頷く。


「よし、隊員各位!これより詰め所へ戻る!怪夷の残骸の回収を忘れるな」


 隊長の号令に、鵺の怪夷の残骸を拾っていた隼人達は手を振って応じた。





 七海発見の一報と彼女が負傷した事、そして、海静の事はすぐさま柏木にもたらされた。

 特夷隊の詰め所で真澄達の帰りを待っていた柏木は、外から話声が聞こえてくると、普段の冷静な彼の姿とは程遠い様子で、詰め所の外へ飛び出した。

 いつの間にか、夜空からは小雨が降り始めていた。


「七海!」


 真澄に背負われ、左腕にきつく包帯を巻かれた傷だらけの娘の姿に、柏木は頬を強張らせた。


「大統領、直ぐに治療に取り掛かりますので」


 真澄の背中に背負われた七海に縋ろうとする柏木に横からそう告げると、天童は担架を引いて外に出て来た三好と視線を交わした。


「頼んだぞ…」


 天童と三好、二人の医者に愛娘を託し柏木は詰め所の奥にある医務室に運ばれていく七海を見送る。


「柏木…すまない、俺がいながら…」


 茫然と担架で運ばれていく七海を見送った柏木に、真澄は言葉を濁らせながらも声を掛けた。

 護ると約束したにも関わらず怪我を負わせてしまった事に真澄は、彼なりに自責の念を抱いていた。


「…いや、あの子が無事で戻ったならそれでいい…九頭竜隊長、此度の怪夷討伐の報告を頼む。…色々話したいこともあるのだろう?」


 力の抜けた声音で、それでもこの部隊の総指揮官という威厳を保ったまま、柏木は部下である真澄に指示を出す。


「了解しました」


 上司の指示に真澄は敬礼をして応じると、部下達にそれぞれ指示を出した。


「隼人、他の連中を連れて詰め所で待機だ。報告書の作成と休憩を」

「了解しました」

「…お前は俺と来い、海静」


 一人後ろの方に立っていた海静は真澄に言われて、戸惑いながらも頷いた。

 ぞろぞろと隼人に続いて特夷隊の面々が戻っていく。

 残された海静は真澄の後ろで、自分を静かに見据えてくる柏木を見つめた。

 互いに何かを言おうと、上唇を持ち上げる。だが、言葉は出てこず柏木は真澄と海静を手招いた。


「中で話そう」


 柏木に促され真澄は、立ち止まっている海静の肩を励ますように叩くと、共に詰め所の中へと入った。



 人払いをした後、柏木は普段真澄が使っている執務用の机に腰を下ろし、目の前に立つ親友と息子を見つめた。

 しとしとと、窓に打ちつける小夜時雨が、沈黙を完全な沈黙にはせずに穏やかな空気を纏っていた。


「…本当に海静なんだな?」


 深く息を吐きだした後、彼は淡々とした声で訊ねた。


「はい。お久しぶりです。父上」


 少し緊張した面持ちで、海静もまた淡々とした口調で応じた。

 父子の再会だというのに、どこかぎこちない空気に真澄はやれやれと肩を竦めた。


「一年前、巡回中に失踪してからお前は何処にいた?何故戻ってこなかった?」


 机の上で手を組み、柏木は一息に質問を投げかけた。

 予想はしていたが、容赦のない問いかけに海静は言葉に詰まった。


「それは…」


 言い淀み、俯き気味に顔を下に向けた海静に、まるで助け舟を出すかのように内側から声が響く。


『海静、代われ。俺が説明してやるよ』


 どうやってと、疑問を抱きかけた直後、海静の意識がふっと遠のいていく。

 それは、海静と向き合っていた柏木と二人の事を見守るように横にいた真澄の目の前で、驚くべき出来事が起きた。

 意識を失ったように見えた海静の姿が、漆黒の夜空に星屑を散らしたような黒銀の靄に包まれたかと思った後、靄の中から短い赤毛の髪を逆立てたガタイのいい男が現れた。


「お初にお目にかかります。日ノ本共和国大統領閣下、並びに特夷隊隊長九頭竜少佐」


 礼儀正しく腰を折り、右手を前に出して一礼した赤毛の男は、ゆっくりと背筋を正して驚いている真澄と柏木を交互に見やった。


「貴様は何者だ?」


 警戒の色を浮かべる柏木に赤毛の男は野性的な笑みを口元に浮かべて、名乗りを上げた。


「俺の名は紅紫檀べにしたん。海静とはちょっと縁があって身体を共有していた者だ」


 胸元に手を当て、赤毛の男―紅紫檀は自身と海静の関係を説明した。

 男が名乗った名前に、真澄は奇妙な既視感を感じた。植物の名前を名乗る人物をこれまで数人見てきている。


「身体を共有?どういうことだ?」

「今説明するよ。あんた等は逢坂時代の怪夷戦の事は知ってんだろ?俺は、かつて江戸解放戦線の折りにランクSって呼ばれてた人型怪夷に近い存在だ。まあ、ちょっとばかし成り立ちが違うけどな」

「ランクSと?じゃあ、お前は怪夷なのか?」


 柏木の横で軍刀の柄に手を掛けながら、真澄は紅紫檀を見据えて問いかける。

 真澄の問いかけに紅紫檀は複雑な顔をして肩を竦めた。


「ああ。まあ怪夷と言っちまえばそれまでなんだが…俺はどちらかと言えば、あの銀髪のちび助とか花魁みたいな着物の兄ちゃんとか、金髪の姉ちゃんとかの方が近い」

「南天達と?」


 紅紫檀の口から出た人物達の話に、真澄と柏木は顔を見合わせる。


「アイツらが何処まで自分達の事を話しているか知らねえから、そこは省くけどよ、俺はある理由で怪夷にさせられた存在だ。一括りにしたら怪夷なんだが」


 言葉尻を濁し、歯切れの悪い説明をする紅紫檀に柏木は目を眇めた。


「ややこしいな。結論から言って、ランクSに近い存在でいいんだな?」

「まあ、そう言う事にしといてくれ」

「お前が海静を連れ去った例の怪夷か?」

「そうだ。俺にはちょっと理由があってどうしても誰かに取り憑く必要があってな。そしたら、丁度お誂え向きに瀕死のこの兄ちゃんを見つけてさ。取引をした末に、一体化したって訳だ。ああ、今の姿を取れるようになったのは、あのお嬢ちゃんに海静が取り憑いたからなんだがな…」


 笑みを浮かべながら説明をする紅紫檀の話を真澄と柏木は静かに聞く。

 姿が変わる得体のしれない彼の話は直ぐには理解しがたかったが、真澄は彼が七海に取り憑き、更に離れている瞬間を見ている。

 それにもし、海静を乗っ取るつもりなら今まで共存をしていなかっただろう。

 判断材料は乏しいながら真澄と柏木は紅紫檀の話を信じる事にした。


「そうだ、心配しているだろうから言っておくが、海静は生きてるぞ。俺が生かした。瀕死の状態だったから俺の中で治療して、ようやく最近は自由に行動できるようになったんだ」

「そうか…つまり、お前は海静の命の恩人という訳だな」

「そう思ってもらえたら嬉しい。俺は別にヒトに危害を加えたい訳じゃない。むしろ、その逆だ」

「どういうことだ?」

「俺は、海静の身体を借りてある連中を捜してたんだ。九頭竜隊長達がこの間吉原で相手にした怪夷がいただろう?アイツの仲間さ」


 腕を組み紅紫檀は真澄の疑問に応えた。

 彼が探しているという怪夷の話を聞き、真澄はある事に行き当たって内心息を飲んだ。


「俺はアンタらに協力する。海静もこの隊に戻してやるよ。その方が都合がいいからな」


 まるで取引を持ち掛けるような口調で話す紅紫檀に、柏木は目を細めて身を乗り出すようにしながら問いかけた。


「貴様の目的はなんだ?私達に協力するのは何か利益があっての事か?」

「利益ねえ…そりゃ、報酬があった方がやる気が出るが…単に恩返しだよ。ある人の考えに賛同したから俺はこんな回りくどい事をしてまでアンタ等に協力を持ち掛けてんだ」

「そのある人というのは…一体誰の事だ?」

「それは、まだ秘密だな。けど、裏切りはしないぜ。俺はアンタ等が欲しい情報も持ってるしな。このまま取り込んだ方がそっちにとっては有利だぜ。海静もそれを願ってる」


 息子の名前が出た途端、柏木は拳を握り締めた。一言、二言言いかけて、代わりに溜息を零した。


「…息子を助けてくれた事は感謝する。貴様が我々の敵でない事も理解した…」


 背筋を伸ばし、特夷隊の総指揮官であり、大統領としての公人の顔で柏木は目の前の男を見据えた。


「紅紫檀と言ったか、息子と話がしたい。代わってくれないか?」


 話題を切り替えるように切り出された柏木の要求に紅紫檀は、にやりと口元に笑みを浮かべた。


「いいぜ。俺の話はここまでだからな」


 素直に応じると、紅紫檀は目を閉じて自身の意識と内側に沈んでいる海静の意識とを入れ替える。

 柏木と真澄の前では、靄が紅紫檀の身体を包み、それが晴れると、再び二人の前には軍服姿の青年が立っていた。


「父上…」

「海静、今の話は間違いないんだな?」


 紅紫檀の話した内容を確認するように柏木は息子の目を見据える。

 それに海静は深く頷いた。


「彼の言葉に嘘偽りはありません。私も、彼の目的に賛同して動いていました」

「そうか、ならいい」


 ふうと、深く柏木は息を吐くと、今度は剣の取れた双眸で息子たる青年を見つめた。


「九頭竜君、少し海静と二人にしてくれないか」

 ぽつりと、呟くように言われて真澄は思わず口元に笑みを浮かべた。

「分かった」

「終わったら呼ぶから廊下ででも待機しててくれ」


 吐息と共に出された指示に真澄は敬礼で応え、入り口の方へと踵を返す。外に出ていく前に、真澄は海静の肩を軽く叩いて励ました。

 肩越しに真澄を振り返ってから、彼が部屋を出ていくのを見送って、海静は改めて父親たる男と向かい合った。


「父上…」


 少し不安げな子供のような目で海静は柏木を見つめる。

 さっきまでは真澄がいて、紅紫檀がフォローしてくれたお陰で話が出来たが、今は父と二人。一体何を話したらいいのか分からず、海静は言葉に詰まった。

 話したい事が沢山あった筈だが、今はそれが出てこない。


「あの…」

 言葉に詰まっていると、柏木の方から話しかけてきた。

「海静…お前はこれからどうしたい?」


 僅かに目を逸らして柏木は唐突に問いかけた。

 思わぬ問いかけに海静は困惑した。


「分かっていると思うが、お前は既に殉職扱いになっている。まったく、先日一周忌をやったばかりだというのに…帰ってくるならもっと早く帰って来い」


 溜息を零し柏木は椅子に深く身を沈める。脱力した父親の様子に海静は更に困惑した。


「申し訳ありま」

「生きているならそう言え。どれだけ心配したと思っているんだ」


 項垂れ、声を震わせて謝罪を口に仕掛けた海静は、父たる存在の口から出た言葉に思わず顔を上げた。

 視線の先では、顔を逸らして口元を隠している柏木の姿があった。


「本当に…これ以上私を弱くしてくれるな…」


 自嘲を滲ませた柏木の目元に、僅かに浮かんだものを海静は見逃さなかった。

 婿養子として柏木家に入り、若い頃から陰謀渦巻く政界を渡り歩いてきた鉄仮面の父が初めて見せる弱い姿に、海静は瞠目した。


「父上…」

「海静、お前はこれからどうしたい?」

 深く息を吐きだして柏木は再び同じ問いを投げかけた。

「私は、これからも父上の傍で、七海や国を護りたいです。己が歪な存在だという事も承知の上で、お願いします。もう一度私を特夷隊の一員にしてください」


 気が付くと、自分が言いたかった言葉が口をついて出ていた。

 胸を張り、真っ直ぐに自分の思いを伝える海静に柏木は普段と変わらぬ不敵な笑みで頷いた。


「それでこそ、私の息子だな。強かに、使えるものは使っていけ」

「はい。柏木の男児たるもの、肝に銘じます」


 父と同じく、ニヤリと含みのある笑みを浮かべて海静は胸元で拳を握る。

 がたんと、音を立てて柏木は椅子から腰を上げる。

 ゆっくりと息子の傍に歩み寄った彼は、その肩を正面から抱き寄せた。


「海静、これからも私の下でこの国の為に誠心誠意尽くせ……よく戻ってきたな」


 公人としての顔から、不意に覗かせた父親としての柏木の表情に、海静は感極まって息を詰めた。


「はい…っ」

 唇を噛みしめ、海静は父親の温もりを感じて強く頷いた。




 柏木と海静を二人きりにするために廊下に出た真澄は、向かい側の壁に寄りかかった。

 海静が戻って来たことや、紅紫檀という怪夷らしき人物と身体を共有している事は驚きだが、どちらも特夷隊に協力的な時点で問題はないだろう。


(南天達の事も知っているみたいだったし…敵ではないだろうな…)


 2人の存在には少し疑問が残るが、戦力面や今後の事を考えれば特夷隊で保護する事にはなるだろう。


(それに…七海ちゃんの事もどうにかしないとな)


 現在、三好と天童による治療を受けているが、左腕の肘から先が怪夷に喰われて失われている。

 それをどうにかするのは、正直厳しいだろう。

 柏木の判断次第だが、七海も今後は特夷隊で対応する必要がありそうだと真澄は考えていた。


(…柏木もやっと父親らしい顔が出来てよかった…)


 部屋の中から微かに漏れ聞こえてくる会話に真澄は内心胸を撫で下ろした。

 海静が失踪してからずっと、柏木が海静の事に関して虚勢を張っていたのは気付いていた。

 元々素直ではない上に、弱みを他人に見せない男である柏木を真澄はずっと心配していた。

 自分がついていながら殉職させてしまった後悔も相まって、真澄にとっても海静の帰還は喜ばしい事だった。

 この先どうなっていくかは分からないが、海静や七海の事については自分が責任を持とう。


 そう胸中で誓った時、廊下の向こうから足音が聞こえてきた。


「九頭竜隊長、大統領閣下はおられますか?」


 走ってきたのは天童だった。その表情は急いでいるのか、何処か切羽詰まっている。


「中にいます。今海静と話していて…」

「七海ちゃんの件で付き添いをお願いしたいのです。声を掛ける許可を頂けますか?」


 天童の口から出た言葉に、真澄は深く頷く。


「分かりました。もう話も終わっているようだし、どうぞ」

「ありがとうございます。それと九頭竜隊長、貴方も落ち着いたら三好先生の所に行ってください。腕の件、良く診てもらってほしいので」

「了解です」


 天童の指摘に頷き真澄は寄りかかっていた壁から身体を離した。




 コンコンと、扉がノックされる。

「お取込み中失礼します。柏木大統領閣下、七海嬢を東雲総合病院へ移送します。付き添いをお願いできないでしょうか?」

 それは、天童の声だった。


「分かった。今行く。九頭竜君入ってくれ」


 柏木に呼ばれ、真澄は扉を開けて入室する。

 そこには、すっかり憑き物が落ちたように晴れやかな表情の柏木と海静の姿があった。


「すまないが、七海に付き添って私はここを離れる。海静とこの紅紫檀は君に預けよう。怪夷討伐に使えるなら遠慮なく使ってくれ」

「柏木…いいのか?」

「だたし、海静は一度死んだ人間だ。公に特夷隊に迎える訳にはいかないからな。どうにか上手く処理してくれ」


 真澄に柏木は淡々と指示を出した。彼の言葉の意図を理解して真澄は敬礼をして応えた。


「話は以上だ。後の事は任せた」

「ああ」

 真澄と海静の横を柏木は静かに通り過ぎていく。

 天童と共に部屋を出ていく柏木を見送って真澄は再び海静と向き合った。


「任せるって言われてもな…さて、どうしたもんか…」


 柏木が出ていき、残された真澄は困ったと言って顔で後頭部を掻いた。

 海静を見遣り真澄は思考を巡らせる。

 巡回や怪夷討伐での戦力としては海静も紅紫檀も期待できる。だが、問題は日中や私生活の面だ。

 海静は現状殉職扱いになっていて、少なくとも直ぐには通常の生活には戻れないだろう。


「海静、お前日中は活動できるのか?怪夷は昼間は活動できないだろう?」

「それなら、問題ありません。直射日光の下でなければ活動は可能ですから」


 海静の答えを聞き、真澄は再び考え込む。

 そこでふと、いつかの晴美の言葉を思い出した。


(不本意だが…晴美ちゃんにも多少責任はとってもらうか)


 今回の件に僅かだが絡んでいる晴美の事を思い出し、真澄は内心溜息を吐くと、決意を固めて海静と向き合った。


「柏木海静、並びに紅紫檀、君達に今後の処遇を申し渡す」


 特夷隊の隊長としての改まった口調で話す真澄に、海静は背筋を伸ばして指示を待つ。

 だが、真澄の口から告げられた処遇に、海静と彼の中で話を聞いていた紅紫檀は少しだけ複雑な顔をしつつ、素直に受け入れる事にした。




 真澄から、今日は仮眠室で休むよう言われ、海静はそのまま執務室を後にした。

 一年前前まで当たり前のようにいた特夷隊の詰め所は、何も変わっておらず、時が止まった自分には救いのように感じた。

 今後の処遇も決まった所でほっとしていると、不意に内側に引っ込んでいた紅紫檀が話しかけて来た。


『なあ、海静』

(どうした?)


 あの雨の日、命を救われてからずっと共にある声に海静は当たり前のように返事をする。


『悪い、少しだけ身体貸してくれ。どうしても会いたい奴がいるんだ』

(珍しいな。お前に知り合いがいるとは思わなかったよ。そう言えば、隊長達が連れていたあの見慣れない新人達、お前の知り合いなのか?)


 海静に聞かれた紅紫檀は肩を竦めた。


『ああ、一応知ってる』

(そうか…積話もあるだろうし。俺はこのまま休むから、身体は好きにしていいよ。変な事はするなよ?)

『わかってるよ』


 一年も共存をして、海静は紅紫檀の目的も知っていた。

 身体を共有するこの存在を海静は信頼していた。

 皮肉交じりの会話を交わし、海静は紅紫檀に意識を預けるように目を閉じた。

 二人の意識が入れ替わる瞬間、海静はそのまま夢の中へ落ちていく。

 身体の主導権を預かった紅紫檀は、廊下の真ん中で深呼吸をする。

 小雨の打ち付ける窓に映るのは、怪夷と化す前の自分の容姿。


「…海静とあのお嬢ちゃんには感謝しないとなあ」


 怪夷として堕ちた自分が、再び本来の姿を取り戻せたのは恐らく奇跡のようなものだろう。

 黒銀の狼の姿ではなく、人間であった頃の姿で紅紫檀は、薄暗い廊下を歩き始めた。





 ********************


 弦月:さあて、さて、次回の『凍京怪夷事変』は…!


 暁月:海静と共に新たに仲間に加わった紅紫檀。彼の目的は鬼灯と朝月が調べているある内容に関係している事が分かり…


 弦月:第三十七話『星は巡りて、風来たる』次回もよろしくね!



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