第三十一話―男達の山の手会議
朝。身支度を済ませた真澄と南天は揃って家を出た。
今日からしばらく大統領の護衛任務で、勤務は基本日中になる。
鬼灯や鈴蘭と言った新隊員の加入で、特夷隊の人数も大分潤った。
七海の事件がひと段落してから一週間が経過して、今では夜間の巡回任務でも他のメンバーを呼ぶ事をしなくても事足りるようになった。
特夷隊が発足してもうすぐ五年。最初にこの隊を立ち上げた時では考えられなかった事である。
「マスター、方角が違います」
道を歩きながら南天は、普段大統領府に向かう道とは少し方角がずれている事に気付き、隣を歩く真澄を見上げた。
「ああ、昨日言っただろ。今日は大統領府にはいかずに、柏木邸で直接アイツを迎えに行くって」
隣を歩く南天をちらりと見遣り、真澄は肩を竦めた。
「そうでした。今日は大統領府とは別の所へ出かけるんでした…」
昨日真澄から聞かされた今日の予定を思い出し、南天は一人納得すると、また黙って前を向いた。
いつもは何気なく他愛のない会話をするが、今はそれもなく南天は静かに自分の横をついて歩いている。
このところ南天と会話がすれ違う。鈴蘭と桜哉の契約の一件から、南天との間に真澄は溝を感じていた。
別に意識をしている訳ではないが、彼等の正体がかつて自分の両親が使っていた聖剣、そこに宿っていた核を宿したトリッキーな存在だと知った途端、近寄り難くなった。
(まあ…これは俺の幼少期の思い出に色々あるんだけどな…)
胸中で呟いて真澄は思わず空を仰いだ。雲一つない晴天の夏空は、今日も暑くなることを告げている。
自分が生まれる前から母は聖剣を手に怪夷討伐に明け暮れていた。
彼女が持っていた聖剣には、核と呼ばれる魂のようなものが宿っていて、それは普段動物の姿で使い手の傍らに寄り添っていた。
そのうち、九頭竜莉桜の傍らにいた、一匹のハリネズミ。三日月と呼ばれていたそれに真澄は複雑な感情を抱いていた。
母親を取られているような。一種の嫉妬のような感情。
思春期を迎えてからはくだらないと思えるようになっていたが、それでも幼かった自分にが母との時間を取られた気がして、聖剣に対していい思い出はあまりない。
(まだ親父の傍にいた鷹の方が相性良かったよな…)
父である九頭竜悠生も同じ聖剣使いとして一羽の鷹を傍に連れていた。あっちの方がよく狩りに行ったり、世話をしたりと親しみを持っていた。
鬼灯や鈴蘭が宿している他の二振りも、なんとなく面識はあるので、二人を見ていてその性格に懐かしさを感じた。
(コイツが何を宿しているか、まだ教えてくれないんだよな…)
鈴蘭が仲間に加わった後、真澄は鈴蘭と鬼灯から幾つか話を聞いた。
これから仲間を更に呼ぶのに、霊脈が集中した場所の特定が必要だという事。仲間は三人いるという事。
残りの仲間が揃えば、怪夷討伐は更に優位になるという話まで。
それは怪夷討伐の手立てが少ない今、真澄にとっても願ってもない状況だった。
日に日に怪夷のレベルは、かつて自分の親達が対峙していた頃へと近くなっている。
それどころか、真澄が欧羅巴で相対した頃の怪夷より強くなっているのは否めなかった。
今後の戦況を考えて、鬼灯達の話に乗らない手はないと、隼人や拓、柏木とも協議をした結果、彼等に協力をすることに決まった。
但し、鬼灯達をこちらに送り込んでいる“ドクター”という人物が誰なのかまではまだ明かせないとの事だった。
協力者である事は間違いないが、正体が分からない点が真澄はずっと引っかかっていた。
そして、南天自身がどの聖剣を宿しているのかを、真澄は聞き出せずにいた。
鬼灯達の話では、聖剣の核と鞘人の性格が一致するわけではないとの事で、南天の中のソレを推測するのは難しかった。
(俺が契約すればいいんだろうが…)
真澄としても、現状を踏まえて南天との契約を考えていない訳ではない。だが、幼少期のモヤモヤがその一歩を思いとどまらせている。
それと、もう一つ原因があった。
(桜哉と鈴蘭の契約が終わったら、直ぐに俺の所にくるかと思ってたんだけどな…)
鬼灯と朝月が契約をした後の一件以来、南天は契約に関して一切口にだしてこないのだ。
もっと積極的にしつこく迫ってくるかと思いきや、当の南天がまるで契約の事など諦めたかのように話題を振ってこない。
(一体どうしたんだ…最初はあんなに頑なにこだわってたのに…)
時々視線を感じるが、口には出さない為真澄もどうしたものかと困惑していた。
自分が壁を作っているのか、それとも南天が距離を取っているのか。
その境界が真澄には上手くくみ取れずにいた。
結局、最初の一言、二言の会話の後に真澄と南天は柏木邸へと辿り着いた。
「時間通りだな」
柏木邸に着くと、応接室で身支度を済ませた柏木が待っていた。
「直ぐ出発だ」
会話もそこそこに柏木は真澄と南天を伴って、玄関へ出るとそそくさと車に乗り込んだ。
「まだ間に合うだろ。約束は11時だ」
車に乗り込み懐中時計に目をやった真澄は、現在の時間を確認して柏木に進言する。
「私程でないとはいえ、先方も多忙だからな。待たせるわけにもいかん。今日の予定もギリギリで組んでもらっているからな」
柏木と真澄の会話を聞きながら南天は窓の外に目を向けた。
朝の賑わいに満ちた軍都・東京を車はガタガタと進んでいく。
真澄達が今日会おうとしている人物は、どうやらかなり多忙な人物だという事だけは予想できた。
それと同時に、二人がその人物に会うのを楽しみにしているのだという事も、なんとなく伝わってきた。
(誰に会うんだろう…)
流れていく街並みを眺めながら南天は内心、ぽつりと呟いた。
東京駅で汽車に乗り込み、三人がやって来たのは、貿易の港。横浜。
真夏の陽射しが、じりじりと照り付ける中。三人を乗せた車がやって来たのは、山の手にあるホテルだった。
ホテルのエントランスを抜け、日本庭園を眺められる廊下を抜けた先の一室の扉を、柏木は静かに開いた。
「公務の忙しい最中にすまなかったね」
「それはこっちの台詞だ」
部屋に入るなり出迎えてくれたのは、夏用の白い詰襟の軍服に身を包んだ一人の将校。
「義兄さんも元気そうで良かった。先日は妻と娘の事で世話を掛けてすまなかった」
「いや、そこれは問題ないさ。六条大佐も変わらなにようだでなによりだよ」
精悍な顔を僅かに緩めて、柏木の後ろに控えた義理の兄に笑い掛け、六条直哉は来訪者である三人を快く部屋に招きいれた。
短く会話を交わした後、六条に勧められたソファ席に柏木は静かに腰を下ろし、真澄はその隣に腰掛けた。今日の訪問は二人でとの招待であったので、護衛ではあるが真澄も座席についた。
南天は一人入り口の付近に立つと、護衛として三人の様子を静かに見守る位置に着いた。
「今日来てもらったのは他でもない、この所の世界情勢について幾つか気になる点がありまして」
顔を突き合わせ、六条は早速とばかりに話題を切り出した。
「先の怪夷討伐戦線後、荒廃していた欧羅巴の状況は回復した。激戦地だったフランスやドイツ、東欧羅巴に関してもようやく国家の体制が整ったといった所でしょう。それはいいのですが…国力回復と共にドイツが軍事力の強化に力を入れているようです」
六条の淡々とだが落ち着いた声音の報告を柏木は静かに耳を傾ける。
「本来なら、は敵国ではない。国防という部分での軍事力強化はこの日ノ本でも行っているから、なんら問題はないが…それでは済まない状況なのかね?」
「フランス、ロシアへの侵攻を目論んでいるという黒い噂があります。かの国は先の大災厄の要因である、あのメルクリウスを輩出した国です。野心がないとは言い切れません」
「だが、あの男の遺産は九頭竜君達が先の討伐戦線の時に破棄した筈だろう?」
「ああ、それに関しては確かに処分したし、奴の研究所も完全に破壊した。…残党が残っている可能性は低い」
柏木に話を振られて真澄は神妙な面持ちで頷く。当時の情景を思い出して真澄は下唇を噛みしめた。
「イギリスやステイツは静観をしているが、世界大戦の火種が燻っているのは事実です」
「我が国の陸軍内でも、中国への進出を考える思想が蔓延し始めているようだしな…もう少しステイツやイギリスと連携を取っておこう」
「国内の反乱分子に関してはお任せします。私は海外の情勢に目を配りますので。何かあれば私の方から外交に出ます」
「そちらは頼んだよ。まったく、六条君、君そろそろ海軍を辞めて外務省に入らないか?海軍大臣の席を用意してもいいぞ」
深いため息の後にされた柏木からの打診に、六条は困ったように笑う。
「お話は有難いが、私は海が好きなのです。
「相変わらずだな…九頭竜君も、怪夷の案件がなかったたら今頃は陸軍内で大佐だったのに…」
「それは仕方ないだろ。そもそも退役させたのは何処の誰だよ」
胸の前で腕を組んでソファに沈み込む柏木を、真澄は困惑して見据えた。
「ふふ、しかし怪夷の状況も日に日に思わしくないようですな…」
柏木と真澄の仲の良い様子に微笑んでから、六条は顔を曇らせて話題を切り出す。
「ああ。まだ東京の中で納め切れているが、この先どうなるか…」
「そろそろ江戸城の穴を塞ぐ手立てを考えねばなりませんね。御方様達からは何かないのですか?」
六条の問いに真澄は視線を逸らして頬を掻いた。
五年前に旧江戸城の封印が大地震の影響で解けた後、真澄は一応封印を施した本人達に状況を伝えてはいた。
だが、聖剣が江戸城の中に残っている以上、聖剣を回収しない事にはどうにもできないらしい。
「怪夷討伐戦線でも使ってた写しは、雪…雪之丞と一緒に行方知れずだし。お袋達も討伐戦線からこっち、殆ど隠居状態だしな…今更以前のような封印を施せるかどうかって話はしてたよ」
「そうなると…聖剣に代わる別な方法を考えねばなりませんな…」
「まったく、秋津川君も運がない…」
「秋津川君が戻ってきてくれれば状況は変わるでしょうが…消息に関する情報は掴めていないのでしょう?」
六条の問いかけに真澄は唇を引き結んで頷いた。雪之丞の事はあれからずっと探しているが、手掛かりは一向に掴めていない。
生死すら分からない状況は今も続いていた。
(方法がないわけではなさそうだが…)
聖剣の有無が怪夷討伐の要になるのは、既に知れた事実だ。
写しも本歌もない中で、一つだけ真澄は怪夷討伐の方法に辿り着いていた。
ちらりと、ドアの前で警護に立っている南天に視線が行く。
七海の件がひと段落した後、鬼灯から告げられた言葉。
『怪夷を完全に封じる方法が確かに存在します。しかし、それには我々の残りの仲間を呼び寄せる必要があります。今はまだ、柏木大統領にも、他の誰にも他言しませんよう』
南天達の中に宿っているという聖剣の核。
聖剣と同等の存在である南天達、鞘人と呼ばれる者達。
だが、その存在を明かすのを真澄は鬼灯から止められた。理由としては全員をこちらへ呼べるか確証はないためだというが、果たして真実なのか。
(信憑性のない話を柏木達に伝えるのもな…)
期待を裏切るような真似はしたくないと、真澄は鬼灯の言葉通り彼等の正体を胸に仕舞う事にした。
「秋津川君の消息についてはもう少し捜索を強化しよう。写しの行方についてもはっきりした方がいいだろうしな。まあ、なければないで別の方法を探ればいい。この日ノ本にはそれなりに方法が眠っていそうだからな」
腕を組んで柏木は不敵な笑みを零す。その自信はどこから来るのかと真澄と六条は顔を見合わせて苦笑した。
「そうだ、柏木大統領、これを」
不意に思い出した様子で六条は軍服のポケットから一通の封筒を取り出した。白を基調にした縁に赤と青い線の入ったそれを、柏木は静かに受け取った。
「先日、スペインに寄ったので」
「ほう、誰からのかは想像がついた…あっちは健在か?」
「お元気そうでしたよ。たまには手紙を出してあげればよいのでは?」
封筒の封を開けながら柏木は、六条の提案に苦笑する。
「そっちが顔を出せと言いたいな。まあ、元気ならいい…」
ガサガサと乱暴に便箋を開いた柏木は、スペイン語で記された手紙の文面に視線を落とす。
「柏木、お前仮にも実父だろう…?」
「その点に関しては九頭竜君に言われたくないな。私は既に柏木の人間だ。今更実家など関係ない。柏木家の婿養子になった時点でな」
ちらりと真澄を一瞥してから柏木は記された文章を読み込むと、何処か嬉しそうに笑った。
読み終えた手紙を封筒に戻し、柏木は懐にそれを仕舞うと顔を上げて六条を見た。
「すまなかったな。個人的な使いをさせた」
「いや、私も伯爵殿に用事があったので、その片手間に頼まれただけですから」
「レオンの小父さんはまだ外交官を?」
真澄の問いかけに柏木と六条は目線だけを交わす。
「伯爵は、今は貿易会社の経営に下がっているよ。確か一昨年の話だったかな」
「レオナルド・レオンハート・リベラベート。我が実父にしてスペインの元外交官であり、この日ノ本に怪夷との決戦をけしかけた男…というのは遠い話だな。今は政界からはすっかり足を洗ったと風の噂に聞いた」
窓の外、山の向こうに微かに見える海原に目を細め、柏木はその先に続く世界に思いを馳せる。
公言されていないが、柏木静郎は純粋な日ノ本の民ではない。国籍こそこの国だが、彼はスパニッシュと日ノ本のハーフである。
真澄とは異なり、彼は日ノ本で生まれ、紆余曲折を経て、彼の妻の実家である柏木家の養子から婿として現在の姓に落ち着いた。
そこにはなかなか複雑な話があるのを真澄も知っていたが、当人が公言しない時点で話題にする事は殆どない。
実父と実母たる柏木の両親についても真澄は良く知っていたし、2人はそれぞれ自身の両親の親友でもあるので、未だに交流もある。
だが、柏木自身が産みの親達の話や自身の過去を語らない姿勢なので、真澄も学生時代の事を覗いて、その事には一切触れてこなかった分、この場でその話題が上るのは少し意外だったのである。
(まあ…過去に囚われている俺より潔いいのが柏木なんだがな…)
親友たる男の清々しい程にしがらみを切り捨てていく姿勢を真澄は眩しく感じていた。自分が進むべき道を自ら切り開いていく柏木の姿を、真澄は誇りに思っている。本人には決して話さないが。
「それで、レオンの小父さんはなんて?」
手紙を流し読みした柏木に真澄は、世間話をするように内容を問いかけた。
「ただの世間話と現状報告だ。太陽の国も英国が息を吹き返してからはなかなか大変らしい…」
肩を竦めてそっけなく返ってきた答えに真澄は、「そうか…」と相槌を打った。
「さて、折角三人集まったんだ。六条君、まだ時間はあるだろう?」
「ああ、今日の来客は閣下達だけだ」
話題を変えるように切り出した柏木は、真澄に目配せをする。それに溜息交じりに応じて真澄は、柏木が持ってきた荷物の中から一本のウィスキーの瓶を取り出した。
「たく、結局飲みたいだけだろう…」
「堅い事をいうな、お前も色々話はしたいだろう?」
呆れながらも真澄は部屋に備え付けられたグラスを出して、手際良くウィスキーをグラスに注ぐ。
「お前もこっちに来い。そんな所で突っ立てられたら酒がまずくなる」
真澄達が話をしている間、ずっと入口の傍に立っていた南天は、唐突に柏木から声を掛けられ大きく目を見張った。
「あの…しかし」
「仕事はもう終わりだ。ホテルを出るまでは護衛しなくていいぞ」
柏木の思いもよらない指示に南天は困惑しながら、真澄を見る。
どうしたらいいのかと訴えてくる南天に真澄は、傍に寄るよう手招きをした。
「マスター、僕は何をすればいいですか?」
「取り合えず、そこに座ってろ。柏木も六条君も無理強いはしないだろうから」
「分かりました」
頷き、一先ず南天は真澄がグラスに注いだウィスキーを柏木と六条の前へと運んでいく。
「君が噂の南天君かな?」
六条の前にグラスを置いた途端、唐突に聞かれて南天は思わず顔を上げて、訝しんだ。
「先日は菫が世話になったね」
唐突な六条からの礼に南天は意味が分からず小首を傾げた。彼の疑問に助け船を出したのは真澄だった。
「六条大佐は菫の旦那様。俺の義理の弟だ」
「君の事は菫から聞いていたんだ。あの菫が絶賛する程の美少年に私も是非会ってみたくてね。まさか、こんな機会で会えるとは光栄だ」
柔和な笑みを浮かべて六条は南天に手を差し出した。つられて手を差し出すと、六条は南天の手を握り返し、優しく両手で包み込んだ。
「なるほど、菫が心配するのも頷けたな」
ふふと声を出して笑い六条は南天の手を離すと、意味深な台詞を呟いた。
「また菫は変な事言ったのか…?」
「いや、大したことじゃないんだが…義兄さんの名誉の為に公言するのはやめておこう」
グラスを手に取り、琥珀色の液体と共に六条は肩を揺らした。
「アイツが何を心配しているか、何となくわかったぞ」
六条が言葉を濁した内容を察した柏木は、ニヤリと不敵な笑みを零し膝を打つ。
「おい、一体俺の何を心配してるって?」
自分用のグラスにウィスキーを注いで席に戻った真澄は、意味深な笑みを浮かべた友人達へと詰め寄った。
(…マスターなんだか楽しそう…)
三人のやり取りを眺めて、一人残された南天はぼんやりと真澄達の様子を眺めた。
*******************
次回予告
弦月:さてさて、次回の『凍京怪夷事変』は
三日月:怪夷の事に興味を持った七海は、ある仮設を証明するため、夜の東京の街へ繰り出す事に…乙女の危険な夜散歩が始まる…!
弦月:第三十二話「夜は短し歩けよ乙女」次回もよろしくお頼み申します!
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