第二十九話ーベールの向こう側へ

 二体の怪夷討伐を終え、七海を送ってくるという真澄と桜哉以外の面々は、真っ直ぐに大統領府の詰め所へと戻った。

 負傷した拓は大翔と朝月が医務室へ連れて行き、隼人今日の討伐の状況を報告するための書類作成に取り掛かった。


 そして、独断で動いていた南天と鬼灯は彼等が新たに呼んで来た仲間、鈴蘭を交えて仮眠室に集まっていた。


「それで、現状何処まで進んでいますの?」


 仮眠室に設置された簡素なパイプベッドに腰を下ろし、鈴蘭は豊かな金髪を指にクルクルと巻き付けながら、目の前に立つ鬼灯と壁際に控えた南天へ質問を投げかけた。


「例の陸軍の件を捜査中です。まだ確信は得られていませんが」

「温くやってますわね…私はてっきり既に首尾を掴んでいるものかと思ってましたわ」

「すみません。色々資料が足りないもので…なにせ、時期は分かっていても、正確な場所や陸軍の動きまでは混乱の中で失われていますからね」

 鬼灯からの応えに鈴蘭は足を組み、その上に肘をついて眉を顰めた。


「こちらでも調べてみましたけど、実験が行われていた場所の特定には至りませんでしたわ。ですが、幾つか候補は見つかりましたので、後で地図にピックアップしておきますわね」

「助かります」

「それから、これはドクターからの伝言ですわ。私の召喚成功を持って、作戦フェイズをフェイズ1からフェイズ2へ移行。これより、我々の身分を明かす事が許可されました。本当でしたら陸軍の例の件の尻尾を掴んでいて欲しかったのですが…七海嬢の案件に関してはこちらでは想定外。よって、黙認致します。と我らが隊長からの伝言です」


 鬼灯が持っている黒い板と同じものをちらつかせ、鈴蘭は自身の仲間である二人に告げる。

 彼女の言葉の意味を解して鬼灯と南天は静かに頷いた。


「それから南天、貴方まだ九頭竜隊長と契約出来ていないというのは本当ですの?清白が心配していましたわよ」


 壁際に控えて鈴蘭と鬼灯の話を聞いていた南天は、思わぬ指摘を受けて顔を逸らした。


「それは…その…」

「貴方と九頭竜隊長の契約が私達の作戦にどれ程重要な案件か分かっていますわね?最初に彼との契約に名乗りを上げた以上、任務を遂行して頂かなくては今後に支障をきたしますわよ」


 スプリングを軋ませてベッドから立ち上がり、鈴蘭は金糸の巻き毛を揺らして南天の傍に詰め寄る。ヒールを履いて南天より幾らか背の高い鈴蘭は、自身から顔を逸らしている南天を険しい顔で見下ろした。


「努力はしている…」

「私達の中に宿る聖剣の力を真に引き出す為にも、使い手との契約は必須項目。その中で九頭竜真澄との契約は最も重要な事。それが今だになされていないとなると、少々考えものですわよ」


 鈴蘭に詰め寄られ南天は頬を強張らせて左腕を掴み、唇を引き結んだ。

 痛みを堪えるような年少者の表情を見兼ねて鬼灯は鈴蘭と南天の間に割って入るように歩み寄った。


「まあまあ鈴蘭、南天はこれでも頑張ってますよ。九頭竜真澄という人物を甘く見過ぎていました。英雄・九頭竜莉桜女史の子息なら我々に協力的だろうという見方は甘間違いでした。彼はなかなか用心深い人物の様です」


 鈴蘭の肩を叩き鬼灯は彼女を南天から引き離すと、自身が見て来た真澄の人柄を説明した。

 それを黙って聞いた後、鈴蘭は肩を竦めて溜息を吐いた。


「ドクターが言っていた事と違いますわ」

「それだけこの五年の間に彼の考え方が変わったという事でしょう。ドクターが説明してくれれば一発でしょうが…」

 鬼灯の説明に難しい顔をしながらも鈴蘭は納得し、再び南天の方を振り返った。


「南天、状況は分かりました。引き続き九頭竜隊長と契約が出来るよう尽力して下さい」

「はい」

「それに、今回の情報開示で少し態度が軟化するかもしれません。話の場を早急に設けてもらえるよう、九頭竜隊長にお願いしてみましょう」


 パンと、掌を打って話題を逸らしてその場を納めた鬼灯は、鈴蘭に手招きをした。

 仮眠室の扉を開きながら鬼灯は今後の話をしながら、鈴蘭を伴ってその場を出て行く。

 二人の背中が扉の向こうに見えなくなった後、深く溜息を吐きながら滑り落ちるように床に座り込んだ。


「…分かってるよ…分かってるんだ…」

 膝を抱え、背中を丸めて蹲ると、南天は膝に額を擦り付けた。


 



 詰め所に戻った真澄が最初にしたのは、南天と鬼灯への呼び出しだった。

 執務机の前に立たした二人を真澄は険しい顔で見上げた。


「お前達、作戦中に一体何処に行っていた?」

「仲間を呼びに行っていました」


 真澄の質問に南天と鬼灯は異口同音で答えた。


「その仲間ってのは、あの鈴蘭とかいう女性の事か?」


 執務室内で桜哉や大翔達と交流をしている金髪の女を示して、真澄は確認するように二人へと尋ねた。


「ええ、そうです。鈴蘭は我々と同じ隊の仲間です。きっと、九頭竜隊長のお役に立てますよ」


 胸元に手を添えて微笑む鬼灯といつもの無表情に近い顔でいる南天を交互に見比べてから、真澄は深く溜息をついた。


「彼女の有能さは先刻の戦いで見せてもらった。だがな、作戦中に無断でいなくなるのは頂けないな。理由がどうであれ、きちんと説明をしろ。その行動に意味があるなら、俺は咎めはしない」

「その件については申し訳なく思っています。ですが、昨晩でなければならなかったのです。今後、このような事がないよう努めますので」

「本当にそう思っているんだな?」


 ぎろりと睨み付けてくる真澄に鬼灯と南天は顔を見合わせて頷き合ってから、二人揃って頭を下げて謝罪した。


「…はあ、分かった。七海嬢の件もようやく目途が付いたし、お前達の行動も有益の方が大きいからな…今回は厳重注意で見逃してやる」

「ありがとうございます」

「だからって、今後はきちんと報告するように!仲間に迷惑かけるなよ。これでもお前達の力は頼りにしてんだからな」

「心得ました」

「よし。もう下がっていいぞ」

「九頭竜隊長、一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか」

「なんだ?」


 唐突に切り出された言葉に真澄が眉を顰めていると、鬼灯が耳元に口元を寄せて来た。

 囁くような声音で告げられた内容に、真澄は一瞬目を見張る。

 話を終えて姿勢を戻る鬼灯を目で追って真澄は真顔で彼を見据えた。


「分かった、その件に関してはこの後のミーティングで場を設けよう。それでいいな?」

「はい、よろしくお願いします」


 ニコリと微笑んだ鬼灯は話が纏まった所で南天を促し、二人して敬礼をすると、回れ右をして真澄の執務机の前から去っていった。

 説教を終え真澄は額を押さえてやれやれと溜息を零しす。


「お疲れ様です」


 南天と鬼灯への説教が終わるのを見計らったように、真澄の机にコーヒーの入ったカップが置かれる。

 横を見上げると、同じくカップを持った隼人が立っていた。

 礼を言ってカップを受け取り、真澄はカップの縁に口を付けてコーヒーを一口の飲み干す。徹夜明けの身体に注がれたカフェインはほっと緊張をほぐしてくれた。


「また賑やかなのが増えましたね…」

「そうだな。まあ、人数がいればそれなりに個々の負担も減るからそれは問題ないんだが…」


 苦笑を浮かべて真澄は南天達を見つめる。一体どこから来たのかは分からないが、自分達に協力してくれている。

 未だに怪しさは抜けないが、怪夷討伐を行う上で戦力の向上に一役買っているのも事実だった。


「…正式に採用だな」

「そうなると思いました。なんだかんだ、兄さんは甘い」

「いうなよ。自覚してんだから…」


 肩を竦める弟分の指摘に真澄は、視線を逸すようにコーヒーを飲み干した。


「例の狼の怪夷の件だが…」


 不意に声のトーンを落とした真澄に隼人は周囲を見渡してから、真澄の傍に身を寄せた。


「…拓の読み通り、あれは一年前海静を連れ去った怪夷と同一で間違いないだろう。それと、七海ちゃんの夢遊病もあの怪夷が原因だという確証も得られた…が、気になる事もある」

「どうして俺等に加勢していたのか…海静を連れ去った怪夷と同一なら、何故あの時海静を連れ去ったのか疑問が残りますね」


 自身と同じ意見を持つ隼人に真澄は深く頷く。


「隼人、一年前の海静が連れ去られた時の報告書をもう一度漁ってみてくれるか?あの時の状況がどうだったか、確認したい」

「了解しました。そこは拓と一緒に確認しておきます」

「頼んだぞ」


 真澄から下った指令に隼人は強く頷くと、医務室にいる拓の様子を見て来ると下がっていった。




 その日の昼、真澄は今後の体制の話をするという事でミーティングを開いた。


「皆、二週間お疲れ様。無事に囮作戦は成功した。七海嬢の案件はこれで終了すると思ってくれていい。今後は通常業務に戻るぞ」


 真澄から発せられた指令に、桜哉は手を挙げて質問する。


「隊長、七海嬢の案件が解決という事は、夢遊病の件は…」

「それについてだが、数日様子を見る事になるが、恐らく今回の一件でそれもなくなると踏んでいる」

「夢遊病の原因が例の狼の怪夷と関連があったのは事実だ。昨夜、七海嬢が狼の怪夷と遭遇した事でそれが解消される可能性が高いという話だ」

「よく分からないんですが…」

「昔から、原因であるものと遭遇するというのが一種のトリガーみたいなものだ。ようは狐狸に化かされていた、唆されていたのと同じ感覚だな」


 補足するような隼人の説明に桜哉は半信半疑ながらも自らを納得させつつ、腑に落ちないとい顔をする。


「ようは、夢から覚めたという事ですわ。七海嬢はあの狼に呼ばれていた。その呼ばれた相手と接触した事で、現実に戻ってきた。そういう解釈でよろしくて?」


 桜哉の横に座りミーティングに参加している鈴蘭が徐に意見する。


「そうだ。その考えで問題ない」

「夢から覚めた…なるほど」


 作戦終了後、直接七海を家まで送って来た桜哉は、七海の表情が晴れやかだったのを思い出し、鈴蘭の説明と照らし合わせて一人頷いた。


「今後の業務に関しては以上だ。それから、一人話したい奴がいるというので聞いてくれ。鬼灯」


 一番後ろの座席に腰掛けていた鬼灯に真澄は目配せをする。

 それに応じて鬼灯は緩やかに席を立つと、しなやかな動きで前へと出た。


「九頭竜隊長、この度は機会を頂戴し恐縮です」

「前置きはいいからさっさと話せ」


 恭しく一礼する鬼灯にその場を譲り、真澄は黒板の横に置いた椅子に腰掛けた。

 真澄と入れ替わる形で前に立った鬼灯は、一つ咳払いをしてから話を始めた。


「今日、この場を設けて頂いたのは、我々が何者かを皆さんにお伝えする為です」


 鬼灯の口からでた言葉に、朝月以外の特夷隊の面々は顔を見合わせ、後ろに座る南天や桜哉の隣にいる鈴蘭を見遣った。

 これまで、どれだけ訊ねても一切話してこなかった情報をついに開示するという。

 どうして今頃になってという疑問の声が聞こえた所で、鬼灯は一気に切り出した。


「皆さんが我々に不信感を抱いていたのは承知の上です。ですが、我々はある軍の一員。仲間であっても時が来るまで情報の開示許可が下りませんでした。新たな仲間である鈴蘭が無事にこちらに到着した事で、ようやく情報開示の許可が下りました。そろそろ頃合いです。わたくし達が何者か、ここにきちんとお話しましょう」


 にこりと微笑んだ後、鬼灯はいつになく真剣な表情で上唇を持ち上げた。


「わたくし達は、ドクターと我々が呼ぶある科学者の命を受け、怪夷討伐と九頭竜真澄隊長を護るために派遣された存在。そして、45年前。日ノ本から怪夷を退ける鍵となった、英雄達が使用していた聖剣と呼ばれた意識を持った刀剣。その聖剣の魂とでもいうべき核を宿した鞘人さやびという存在です」

「聖剣の核だと?」


 驚いたように腰を上げた隼人は、思わず真澄を見た。彼の母親で英雄と呼ばれた九頭竜莉桜を筆頭に、彼女の下に集った四人の若者が怪夷討伐に使用していたという聖剣の話は、怪夷討伐に関わった者なら大抵は知っている。

 だが、その聖剣の本歌ほんかは旧江戸城で怪夷の封印に使用され、世界での怪夷討伐の為に打たれたという写しは五年前の震災の時に秋津川雪之丞あきつがわゆきのじょうと共に行方知れずになっている。

 真澄の話では、行方知れずになった写しには聖剣の意識の部分である核が宿っていたという。

 その聖剣に宿っている筈の核を宿した人間が現れるなど、予想外の出来事だった。


「驚くのは無理もありません…しかし、わたくし達が自らを鞘人と表現した通り、聖剣の刃はこの身自身であり、それを納めた存在であるという事です」

「聖剣に関しては俺も御方おかた様達から写しの本物を見せてもらったから知っているが、あれは今だに行方知れずだ。どうして、お前達がその核を宿してる?聖剣の行方はこの五年掴めてないんだぞ」


 拳を握り締め、座席から立ち上がって隼人は鬼灯に喰ってかかるように質問をぶつけた。

 それは、特夷隊が出来る前に何があったのかを知る隊員達全員が抱く疑問だった。


「それについては、まだ明かせません。その代わり、わたくしが、この身に何の聖剣を宿しているかはお教えします。今はそれで納めて頂けますか?」


 譲歩をしてきた鬼灯に隼人は眉を寄せて考えこんでから、隣に座る拓を見た。どう思うという隼人の視線を受け、拓は無言で頷く。声のない会話を拓と交わした後、隼人は自席に腰を下ろした。


 それを答えと受け取った鬼灯は、自身の胸元に手を当てると、深く呼吸を整えた。

 目を閉じ、数度深呼吸を繰り返すと、彼の胸元が淡く光り、その手元に一振りの短刀が現れた。短刀を隊員全員に見えるように鬼灯は胸の前に翳す。短くも鋭利な白銀の刃が現代の怪夷の討伐者達を映し出す。その刀身の輝きは息を飲む程に神々しかった。


「これが、わたくしが宿す聖剣。神刀しんとう弦月つるつき。かつての所有者は英雄、東雲雨しののめしぐれ。我が主の御岳父様ですね」


 にこりと鬼灯は自分から顔を逸らしている朝月に笑い掛けた。


「朝月君…知ってたんだね」

「大方、鬼灯に口止めされてたんだろ。分かりやすい…」


 朝月の態度から既にこの情報を知っていたらしいと踏んだ隼人と拓は、顔を見合わせて溜息を吐いた。


「それじゃ、南天君や鈴蘭さんにも聖剣が宿っているってことですよね?2人はどの聖剣を?僕は聖剣自体を見た事がなくて…確か聖剣は五本あった筈ですよね?」

「鞘人がどの聖剣と契約をしているかは、本人にしか情報開示の権限がありません。わたくしも南天と鈴蘭がどの聖剣を宿しているか、知らないのです」


 大翔の問いかけに鬼灯は困った顔で答えた。


「私は答えてもいいですわよ。但し条件がありますわ」


 組んでいた脚を組み替え、胸元で腕を組んだ姿勢で鈴蘭は挑発的な視線を真澄に投げかける。


「鞘人が宿した聖剣の真の力を発揮するのには使い手との契約が必要。この隊の中から契約者を選んでいいという条件でなら、その要求に応じますわ」


 南天との契約を拒んでいる自分への挑戦だと悟った真澄は、鈴蘭の要求に額を押さえながらも応じる事にした。


「その契約者をこの場で選ぶなら、その条件を飲もう。こちらもお前達の情報は多い方がいいからな」

「ふふ、そう来なくては」


 にこりと金糸の髪を揺らして微笑んだ鈴蘭は、おもむろに腰を上げた特夷隊の面々が座る席を回る。その動きと視線は、品定めをするかのように慎重だ。

 その結果、彼女の中で候補が2人に絞られる。

 大翔と桜哉の前に立った鈴蘭は、交互に二人を見比べた。


「…本当は縁者が良いのですけど…やはりここはあの子が適任ですわね。そうなると…やっぱり」


 大翔に向けていた視線が桜哉に向く。と、鈴蘭はゆっくりと桜哉の前に膝をつき、宝塚の男役の如く恭しく腰を折って桜哉の手を取った。

 キョトンと桜哉が目を丸くしていると、その手の甲に鈴蘭はそっと口づけた。


「っ!!?」


 突然の事に、桜哉は勿論、その場の全員が驚いて目を見張る。


「我が名は鈴蘭。この身に聖剣、神刀しんとう暁月あかつきを宿す鞘人なり。九頭竜の血を引く姫よ、汝を我が主と定めます、どうぞ私と契約を」

「へ…あ…はい」


 鈴蘭の勢いに押される形で桜哉はこくりと頷く。と、ちらりと真澄の方を振り向いた。


「…その契約、この場で行うのは可能か?」

 ゆっくりと立ち上がる鈴蘭の背中に真澄は感情を押し殺した声音で訊ねる。

「ええ、今すぐ行ってよろしいなら」


 淡く微笑み鈴蘭は早速とばかりに桜哉の手を引いて椅子を並べた場所から開けた場所へと移動した。


「桜哉、本当にいいのか?」


 確認するような真澄の問いに桜哉は深く首を縦に振る。さっきは鈴蘭の思いがけない行動に圧倒されたが、彼女が何を求めているのかは理解していた。


「私も英雄の血を引く者です。怪夷討伐の役に立てるなら、その要請に応じます」


 はっきりと自らの意志を桜哉が示した事で、真澄は揺らいでいた気持ちに決心を付けた。


 本人の意志を確認したところで、鈴蘭は桜哉と向かい合った。

 胸元に手を当て、深呼吸をすると先程の鬼灯同様に淡い光が灯った後、鈴蘭の前に一振りの打刀うちがたなが現れる。

 抜き身であるその打刀を持ち、鈴蘭は桜哉に手を出すよう促した。


「少し痛むけど、我慢してね」


 差し出された桜哉の綺麗な指に鈴蘭は打刀の刃の部分を押し当てる。ジワリと血の滲んだ桜哉の指を鈴蘭は迷う事なく口に咥えた。

 艶やかな唇と温かな口腔に絡めとられ桜哉はどきりと胸を高鳴らせた。


「さあ、次は貴方の番ね」


 桜哉の指を解放した鈴蘭は刀身を自身に向けて目を閉じた。


「我が身は剣、我が身は鞘。この身が宿すは聖なる刃。嗚呼、今ここに使い手への祝福と忠誠を…汝・六条桜哉を我が主と定めん」


 以前、鬼灯が朝月との契約の際に口にしたものと同じ呪文を唱え、鈴蘭は自身の前に立てた刀身を握り締めた。掌から滴り落ちる血を彼女は桜哉の前に差し出した。


「さあ、この血を飲んで契約は終了ですわ」


 血の滲んだ掌に桜哉は恐る恐る顔を近づけると、滲み出る血に口を付けた。

 ゴクリと、鈴蘭の内から溢れた蜜を飲み干した刹那、桜哉の脳裏に見知らぬ風景が横切った。

 燃え上がる戦場と押し寄せる黒い怪夷の群れ。それを見据え打刀を構えた屈強な体躯の男。その傍らにいる一羽の飛べない鳥ペンギンと目が合う。

 全身を熱い血潮が駆け巡り、呼吸が浅くなる。ジワリと滲んだ汗が床に落ちた時、桜哉は見知らぬ戦場から現実に引き戻された。


「これで、契約は終了ですわ。どうぞよろしくお願いしますね。桜哉嬢」


 いつの間にか打刀を仕舞った鈴蘭が二コリと微笑む。

 先程自分の中に流れ込んで来た光景にいまだ目を白黒させながら桜哉はこくりと頷いた。


「南天が契約に固執していた理由はこれか…」


 桜哉と鈴蘭の契約を間近で見ていた隼人達は、南天がずっと真澄に対して契約と連呼していた理由をようやく理解した。

 無事に契約を済んだことを見届けた真澄は、ちらりと南天を見遣った後、何かを堪えるように顔を逸らした。

 真澄の視線に気づいた南天は、咄嗟にそちらを向いたが、真澄が視線を逸らしているのを目にした途端、唇を引き結んで俯いた。

 鈴蘭と桜哉が契約を結んだ事で真澄は、自身の中に更なる壁を作る事となった。




******************



刹那:次回の『凍京怪夷事変』は…


朔月:夢遊病から解放された七海は、夏の夜のあの日から怪夷の事が気になっていた。そこで彼女は女学校の図書室やある人物の話から怪夷の事を調べる事に…


刹那:第三十話『柏木七海の自由研究」よろしくな

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