番外編ー凍京猫日和



※注 

この物語は、本編の何処かのある一日のお話です。

スーパー猫の日にちなんだ番外編ですので、気楽にお楽しみください。




 むくりと身体を起こすと、視界がいように低くなっていた。

 キョトンと天井を見上げ、シーツに沈みこむ手元に視線を向ける。


『……』


 その視線の先に映ったのは白い毛並みに覆われた丸みのある手。いや、前脚といった方が正しいだろう。

 引っ繰り返し掌側を見遣ると、薄いピンクの肉球がついていた。


(あれ…なんで…)


 疑問を抱きながら南天は自分の姿を見ようと首を左右に動かした。柔らかくなった関節はまるで軟体動物のように全身をくまなく見る事が出来た。どこもかしこも真っ白なふわふわとした毛に覆われている。


 だが、どう頑張っても全身を見る事は叶わない。全身を見るには鏡か何かに自分の姿を映さなくてはならないようだ。

 お尻からはしなやかで長い尻尾が生え、前脚で顔に触ると、三本の針金よりは柔らかい髭が左右に生えていた。

 更には当然ながら頭に薄い三角形の何かが乗っている。恐らくこれは…。


 自分が一体どんな姿でいるのかを見たくて、南天は恐る恐る寝ていたベッドから降りる為にベッドの縁に顔を覗かせた。

 いつもなら何でもないベッドの高さが普段の二倍くらいに感じる。

 異様に遠い床を見下ろし南天は一瞬躊躇った。

 普段、怪夷との戦闘であんなに身軽に跳びまわっているのに、どういう訳か今は幾分かの怖さを感じた。


 ここから飛び降りて無事に着地出来るか不安がある。

 ごくりと、思わず唾を飲み込む。一か八かやるしかない。

 そう覚悟を決めて、南天はベッドの上から床へと勢いよく飛び出した。

 重力に従って落下する身体。前脚がとんと床に付いて無意識に屈伸をして衝撃を減らす。更に後ろ足を付け、尻尾を床に降ろして全体のバランスを取った。


 トン、トンと数歩前に出て着地は無事に成功した。

 思っていた以上に身体は自分の物として動くようだ。


 ゆらゆらと揺れる尻尾にじゃれつきたくなる衝動に駆られるが、それを理性でぐっと堪えた南天は、前脚と後脚を器用に動かして、寝室の隅に置かれた姿見の前にやって来た。


 普段は自分の身長と同じくらいのそれだが、床に近い目線で見ると、大きくなったように感じた。これが倒れてきたら絶対に潰される。

 そんな事を考えながら、南天は姿見にかけられた布を前脚で器用にはぎ取った。


 ばさりと、布が床に落ちてくる。咄嗟に横にずれて回避したが、重たげな音を立てて落ちた布を南天は茫然と見詰めた。

 布が落ちた衝撃で舞い上がって埃に咳き込んでから、南天は眼前に現れた鏡面を恐る恐る覗き込んだ。


「にゃっ!?」


 思わず零れた驚きの声が、予想通りの鳴き声で更に吃驚する。

 鏡面の向こう、眼前にいたのは真っ白な毛並みに紅玉の瞳をした一匹の猫。


「にゃ…にゃ…」

(な、なんで…)

 プルプルと身を震わせ驚愕に慄いて南天は数歩後ろに後退る。

(ボク…どうしてこうなってるの…!?)


 普段感情に乏しい南天が、珍しく分かりやすい表情で驚いた。挙げた悲鳴は当然のことながら猫の鳴き声だった。





 低くなった視線で自室を見渡してから猫になった南天は静かに廊下へ出た。

 喫茶アンダルシアの上と裏にある住居は、しんと静まり返っている。


 廊下の床板の上を南天はとことこと歩いて隣にある真澄の自室へ向かう。そっと中を覗くが普段かけてある制服がなかった。どうやら真澄は先に大統領府へ出勤したようだ。


 主のいない部屋の中を見つめ、南天は滑り込むように部屋の中に入ると、ぴょんと身軽にベッドに飛び乗った。

 先程より身体が慣れてきたのか、思いのほかスムーズに飛び乗れた。


 スプリングの弾力とシーツに小さな足が沈む。きちんと整えられたベッドには真澄の匂いが色濃く残っている。枕元に近寄り、鼻先を擦り付ける形で南天は枕に顔を埋めた。


(マスター…)


 真澄のベッドに身を鎮め、南天はぼんやりと意識を手放す前、昨夜の事を思い出した。



 それは、巡回で怪夷と遭遇し、対象を撃破した後の事。

 かなりの苦戦を強いられた真澄達。戦闘中に南天は真澄を庇って怪我をした。

 その事でちょっとした諍いになったのである。

 討伐を終え、日勤であった真澄と南天は自宅へと戻ってきた。


「お前な、なんであんな無茶したんだ?一歩間違えれば大怪我だったぞ」

「ボクは人形です。これくらいの傷、問題ありません。それより、マスターに何かある方が問題です」


 二人の意見は真っ向からぶつかり合った。それというのも、南天が真澄を庇う前に真澄自身も怪我を負っていたからだ。


「あの状況で護らなければマスターは更に深手を負っていました。貴方に死なれては困ります」


「お前が強いのは分かってる。けど、あれは無謀だった。俺は一人で回避できたよ」


 困惑している真澄と譲らない南天。向かい合ったまま二人は珍しく言い合いに拍車をかけた。


「俺を護ってくれたのには感謝してる。だが、俺もお前が傷つくのは困る。いくら人形でもメンテナンスは必要だろう」


 大人の対応で自身が折れる形で真澄は南天の怪我の治療をする為ににじり寄った。自宅に帰って来たのも、特夷隊の詰め所で南天が三好や天童の手当てを拒否したからだった。


 南天の腕には怪夷との戦闘で負った傷口から、未だに血が滲んでいる。包帯は巻いているがまだ出血が止まっていないのか、赤い染みが出来ていた。


「南天…こっちにおいで。怪我の手当てをしよう?」

「怪我の手当ては自分で出来ます。それより、マスターの手当ての方が先です」

 獲物を狙う猫のような双眸で南天は真澄が怪我をした太腿を見据えた。


「俺よりお前の手当ての方が先だ。俺は打ち身だけだから後で湿布張ってくれ」


 互いに治療用のキットを持ち、距離を取る二人。

 真澄自身の怪我は、怪夷の攻撃で腰を殴打した事による打撲で、特に骨にヒビが入ったりもしていない。だが、やはり動くと少し痛い。



「南天、そんなに頑なになるなよ…別にちょっと消毒液や薬が染みるくらいで我慢できる痛みだって」


「ボクは人形ですから、手当は不要です。マスターの打ち身の方が」


「だから、湿布はれば平気だっての!」


「ボクもこのままで問題ありません。包帯の交換は自分で行います。マスターの手が汚れます」


「だから、どうしてそうなるんだよっそんなにしみるのが嫌なのか?」


「……痛みには慣れてます…」


 僅かな間を持って南天は真澄から視線を逸らした。普段怪我をしない南天も治療に伴う痛みには苦手のようだ。

 子供か、と内心思いながら真澄は手負いの獣に近づくようにゆっくりと距離を詰めた。


「ほら、南天、いい子だから」


「ほ、ほっといて下さい!」


 迫ってきた真澄を南天はほぼ反射的に手を振り上げて抵抗した。

 がりっと、真澄の頬に手が当たり、南天はそのまま逃げるように自室へと駆け込んだ。


「おいっ待ちなさい!」


 慌てて真澄は南天を追いかけたが、自室には鍵が掛けられ南天は籠城を決め込んだ。


「そんなに嫌なら自分でやるんだぞ。そのままにしておくなよ」


 溜息を吐き、真澄は治療キットを部屋の前に置くと、部屋の前から去っていく。

 その足音と気配を潜り込んだベッドの中で感じたまま南天は目を閉じた。




 そのまま眠ってしまった。までは覚えている。

 だが、どうして猫になったのか、原因は不明だった。


 ちらりと南天は昨夜怪我をした左腕を見た。包帯を巻いていた筈の腕に包帯はなく、怪我をしたのかと疑問を感じる程に痛みはおろか傷自体もなかった。


 目の前の事実に困惑しつつ、南天はむくりと身体を起こすと、窓の外を見上げた。

 時刻は既に昼を過ぎでいる。

 自分が出勤してこない事に真澄達が疑問を抱きだす時間だ。


(詰め所に行かなきゃ…)


 トンと、南天は再びベッドから床に降り立つと、そのまま廊下に出て外へと飛び出していく。

 その白く小さな背中を、黒く丸い影が見守っていた。





 南天が目を覚まし、猫になっているのに気づく前。真澄は詰め所へと出勤した。

 いつになく疲れた様子の真澄と彼の顔に付いた赤い筋を前に、部下達は色めきだった。


「隊長…その頬の引っかき傷どうしたんですか?」


「まさか、ついに恋人が?」


「違う」


「あれか、風俗にでも行って」


「違う。そんな金で女性を買うような真似するか…猫に引っ掛かれたんだよ」


「その猫って、もしや隠語では?」


「まさか、その猫って…」


「お前達は何を期待しているんだ?」


 部下達の代わる代わるの質問攻めに真澄はげんなりと肩を落とし、執務用の椅子に倒れるように腰を下ろした。


「昨日、南天の手当てをしようとしたら、アイツ傷が染みるのが嫌で俺の顔引っ掻いて逃げたんだよ。今朝部屋覗いたらもういなかった。誰か南天来たの見てないか?」


 執務室にいる部下達を真澄は見渡す。だが、皆一様に首を横に振った。


「南天君はまだ来てないですよ」

 当直担当だった大翔が証言する。


「俺も、見てないです。なあ、鬼灯」


「ええ、わたくしも今日はまだ南天とは会っていません。傷を負っていた事ですし…もし来ているなら医務室では?」


「医務室で大人しく治療受けてたら、隊長から逃げないだろ…」


「それもそうですね…南天君、何処か行ってしまったでしょうか?」


「ちゃんと手当自分でしていたらいいけど、心配だね…化膿とかしてないといいけど」


 南天の心配をする部下達を眺めながら真澄は一先ず通常業務に付く事にした。

 どうせ遅れて出勤してくるだろう。そんな考えが浮かんでいた。


「ほら、上がる奴はさっさと上がって休めよ」


「はーい」


 南天と真澄の話題で盛り上がる部下達にそう言って、真澄は上がってきた報告書に目を通した。





 昼過ぎの東京は、人々の往来が激しく、通りは砂埃が巻き上がっていた。

 人込みの波の中を縫うように南天は小さな身体で必死に特夷隊の詰め所がある大統領府を目指す。


 普段通いなれた道も、目線と身体の大きさが違うだけで随分と違って見えた。

 行き交う人々は大きく、今にも踏みつけられそうだ。建物も普段の三倍、いや、五倍に見えて眩暈を起こしそうになる。

 加えて、巻き上がる土煙が視界を遮って、思いのほか前に進めなかった。


(裏道に行こう…)


 大通りを避け、南天は裏道にはいる。そのまま塀を登って屋根の上に出た。

 びゅっと吹き付ける風に身体が持っていかれそうになる。高いビルの経ち始めた東京だが、未だに木造の瓦屋根が残り、その道はなだらかに続いていた。


(よし…ここなら…)


 民家や店の屋根伝いに南天はゆっくりと歩いていく。

 だが、そんな南天の前に三匹の猫が現れた。

 喉を鳴らし、毛を逆立てて威嚇してくる。ブチや三毛、トラ柄の野良猫達の妨害に南天は歩みを止めた。

 どうやら、縄張りに侵入してしまったらしい。


「にゃー」


 一歩も引かず、そのまま気にせずに横を逸れて行こうとする南天に、三匹の猫は一斉に襲い掛かってきた。

 それを横に跳んで回避する。その動作を数回繰り返し、南天は屋根伝いに逃げるように駈け出した。


 飛び跳ねるように瓦屋根を駆け抜ける。と、その先で突如家と家の間隔が大きく開いた場所に遭遇した。

 加速を付け、一気に飛び込む。だが、僅かな差でその身体は先の家の廂に届かず、南天の小さな身体はそのまま一気に降下した。


「にゃっ」


 落ちる最中、周囲を見渡し、辛うじて足が引っ掛かった木箱を踏み台に、落下の勢いを殺す。だが、人が落ちても下手をすれば骨折する高さ。小さな身体の猫の南天は衝撃を和らげたといえども、ぬかるんだ地面に落っこちた。


「にゃあ」


 幸い、前日の雨で地面がぬかるんでいた事でそれがクッションとなり、南天は怪我をせずに事なきを得た。

 白い毛並みが泥水で茶色く染まる。目に入った泥を落そうと南天は前脚で顔を撫でた。更に汚れは悪化して、無残な姿に成り果てた。


(はあ…)


 胸中で溜息を吐き、とぼとぼと南天は路地を出る。

 いつの間にか、日は西に傾こうとしていた。


「……」


 ふと、南天の脳裏に真澄の姿が浮かぶ。昨日もかなり心配をしてくれていたが、今も自分がいない事を気にしているのだろうか。


(マスターは甘すぎる…あれじゃ、生き残れない…)


 西に傾き始めた太陽を見つめ、南天は溜息をついた。

 南天の目的は真澄を護る事。真澄を死なせない事が、彼が特夷隊に来た理由。ドクターという自分達の親にも等しい人物から与えられた使命だった。


(どうしてボクの事をあんなに気にするんだろう…)


 自分は戦闘に特化した殺戮人形。本来なら使い潰される為にある存在だ。

 怪我をしようが、手足が吹き飛ぼうが、戦えるうちは価値がある。

 それとも、真澄はその事を本当は分かっていて、なるべく長く使用する為に気にかけているのかもしれない。


(きっとそうだ、そうでなきゃ、あんなに必死になるわけない)


 過大解釈で自分を納得させ、汚れた身体で南天は夕暮れの通りを歩く。

 豆腐を売りに来る豆腐屋のラッパの音が遠くから聞こえてくる。

 商店街が近い場所を歩いていると、店の人や買い物客の声で夕方の街は賑わっていた。


 長閑で平和な風景は、この都市がかつて世界を混沌に陥れた異形が再び跋扈している事実を知らない分、南天には幻のように見えた。


(まさか…これ、怪夷の幻覚じゃないよね)


 つい先日、幻覚を見せる怪夷に遭遇して真澄とえらい目にあったばかりだ。

 怪夷の使う攻撃も日々高度化してきている。それを考えたら、実は自分は怪夷の術か何かで猫になるという幻覚に捕らわれたのではないか。


 そんな考えに至った途端、南天は思わず駈け出した。

 早く覚醒しなくては。


 逸る気持ちを抑え込みながら泥で汚れた身体で通りを走り抜ける。その先で、今自転車を避けようとして南天は道の脇に詰まれたゴミの山に突っ込んだ。


「にゃあっ」


 さっきから散々な目に遭っている。そう思いながらゴミの中から起き上がった南天をさらに不運が襲った。


「カア、カア」


 ゴミを目当てに降りて来た烏が、ゴミごと南天を突きだした。必死に前脚で払うが、自分より大きな烏は鋭い嘴で南天の身体を突きまくる。


「にゃあ、にゃあ」


 必死に抵抗をしていた時、バサバサと烏が大きな羽音を立てて飛び上がった。


「こら、何してる。あっち行け」


 西日に照らされた人影が烏を手で払うと、ゴミの中に埋もれていた白い猫の身体を抱え上げた。


「もう大丈夫だ。お前、随分汚れているな」


 制服が汚れるのも気にせず、自分を烏から助け抱き上げてくれているのは…。


(マスター!?)


 突如現れた真澄に、南天は驚いて「にゃあ」と鳴いた。





 そのまま猫が南天だと知らずに真澄汚れた白猫を自宅へと連れ帰った。

 最初に彼がしたことは、猫を洗う事だった。


「にゃー」

「ほら、じっとしてろよ。恐くないからな」


 シャワーを手に真澄は後ろから猫を抱きかかえてお湯をかけた。全身に付いていた泥が落とされ、白い毛並みが露わになる。


「よしよし、いい子だ」


 お湯の温度と丁寧に現れる心地よさに、南天は次第に大人しく真澄に身を委ねていた。


「汚れてるだけじゃなくて怪我もしてるのか」


 その一言に南天は一瞬ピクリと耳を立てたが、真澄の大きな手から逃げられないのを悟り、大人しくされるがままになった。



 結局、全身を綺麗に洗われ、外で負った傷の手当てをされて南天は真澄の自室に連れて来られていた。


「……」


 自分を膝に乗せ、ベッドサイドに腰かける真澄を南天は無言で見上げた。

 何度も背中を行き来して毛を撫でる真澄の手は、心地がいい。


「お前、俺の知ってる奴にそっくりだな。白くて目が綺麗だ」


 わしゃわしゃと大きな手に頭を撫でられ、南天はぴくぴくと耳を揺らす。


「はあ…何処行ったんだよあいつ…」


 溜息を吐き、独白を始めた真澄を南天は静かに見つめた。


(もしかして…ボクを探してた?)


「ああ、悪い。お前には何のことかだよな。なあ、ちょっとだけ俺の話を聞いてくれるか?」


 真澄の柔らかな視線に頷くように猫は真澄の膝の上で丸くなった。


「実は俺にはお前と同じ色彩の部下がいるんだが…どうにも頑固でさ。俺の事を想ってくれているのは分かるんだが、そのせで無茶ばかりする…」


(あ…ボクの事だ…)


 まさかその自分に話しているとは気づいていないであろう真澄は、淡々と白い猫に語りかける。


「俺は確かに部下が上官を護るのは自然な事だと理解しているんだ…ただ、俺はもう自分の部下を失いたくなくてな…かつての戦場で、俺は多くの部下を死なせ、戦友を失い、地獄を見た」


 猫の少し熱い体温を感じながら真澄は目を細めた。それは、苦痛に耐えるような痛みを伴う眼差し。


「今の小隊でも部下達は俺を慕ってくれている。それは心から嬉しい。けど、そのせいで命を掛けさせたくはないんだよ…これ以上、おいて行かれるのは正直しんどいんだ」


 規則正しく撫でる手に、少しだけ力は籠る。僅かな冷や汗が真澄の緊張を伝えていた。


「にい…」


 身を起こし、猫の姿のまま南天は真澄を見あげた。徐に身体を寄せて南天は真澄の手の甲に頬擦りをする。

 理由は分からなかったが、自然と身体が動いていた。


「くすぐったいな。慰めてくれてるのか?」


 柔らかな毛並みの感触に苦笑し真澄は更に猫の喉を優しく指で撫でた。

 しばらく猫のしたいようにさせていたが、不意に真澄は声量を落した声音で語りかけた。


「なあ、南天。もう戻ってこいよ」


 名前を呼ばれた途端、ピクリと三角形の耳が動く。


「お前がどうして俺を必死に護っているのか、まだよく分からないけどさ、その気持ちは素直に受け入れる。俺を護りたいとしてくれるのは嬉しい。けど、俺はお前にももっと自分を大事にしてほしいんだ。俺の命もお前の命も変わらない…重さは一緒だ。俺は、お前が傷ついたら、哀しいよ」


 目尻を歪め、情けない顔で真澄は白い猫―南天に語りかける。

 真っ直ぐに見つめてくる翠の瞳が、哀しげに潤んでいる。


「……」


 紅玉の瞳が真っ直ぐに真澄を見つめ返した刹那、視界の中に黒く丸い塊が飛び込んで来た。


『にいー』


 アッと驚く間に、黒い塊は南天の鼻先に自身の鼻先を擦りつける。直後、ボンっと白い煙が周囲に巻き起こった。


「ゲホッ、ゲホッ、くろたま…」


『にいー』


 ふよふよと目の前で浮いている球体型の猫耳と尻尾を生やしたペットをみやり、南天は激しく咳き込んだ。


「ゴホッ、ゴホッ、南天、大丈夫か?」


 近くで聞こえた真澄の声に、南天は白い煙の中彼を探す。

 煙が晴れ、視界が晴れた時南天はようやく自分の置かれた現状を理解した。


「あ…」


 さっきまで猫の姿でいた。それも真澄の膝の上に乗せられての状態で。

 それは、いまだそのままで南天は真澄の膝の上に乗ったまま、間近にある真澄の顔と目が合った。


「マスター…」


「お帰り」


 ニヤリと笑う真澄の上から南天は反射的に降り、顔を逸らして項垂れた。


「マスター…あの…すみません」


「お、ほんとに南天だったのか。くろたまに言われて付いてきたら白い猫が本当にいたから最初は半信半疑だったんだが…」


 ふよふよと宙に浮いている猫の怪夷を撫でて真澄は苦笑する。


「ど、どうして…」


「昨日の俺達の喧嘩、くろたまも見てたからな。大方、仲直りさせようと思ったんだろう。まあ、やり方は意外だったけど」


 真澄の推測が大方当たっているのか、くろたまは鳴きながら辺りを漂う。


「南天、傷の方は?」


「あ…はい、多分くろたまが治してくれたのかも」


「お前、そんな事出来るのか?案外凄い奴なのかもな」


 真澄に褒められくろたまはドヤ顔でパタパタと尻尾を振る。

 その姿に苦笑しながら真澄は自分から顔を逸らしている南天の頭を撫でた。


「昨日は悪かった。けど、お前が俺を護りたいように俺もお前の事が心配なんだからな。それくらいは分かってくれよ。あと、怪我したらきちんと治療してもらう事。三好先生はともかく、天童先生ならうまく治療してくれるから」


「…別にボクは治療が怖い訳じゃないですよ」


「はは、そういう事にしておくよ、俺を護りたいなら、自分の身も気にかけてくれ。自分を顧みない奴に俺は護ってほしくない」

「…了解しました」


 南天を納得させるように言葉を選び、真澄は自分の思いを伝える。それは、どうやら南天にも無事に伝わった様だった。


「さて、腹減っただろう。飯にしよう。今日はオムライスだぞ」


「オムライス…!」


 ベッドから腰を上げた真澄の口からでた夕食のメニューに南天はぴこんと反応した。それこそ、猫耳と尻尾が見えた気がした。


「手伝います」


「ああ、そうしてくれると助かる」


 ニヤリと笑う真澄の横をついて南天は真澄の自室を出る。

 仲直りをした二人の背中を、くろたまは満足そうに見つめたから、ふよふよと二人の後を追いかけた。





 奇妙な魔法で猫になった南天の冒険は静かに幕をおろしましたとさ。





 〈おしまい〉




*******************



ご閲覧誠にありがとうございました。

尚、こちらの番外編。本編との合間に挟まっておりますので、公開期間を限定させて頂きます。

公開期間:2月22日~3月3日


公開期間終了後は一度非公開とさせて頂き、後日改めて再公開致します。

どうぞご了承ください。

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