第二十七話ー真夏の夜の夢の終わり


 日が沈む頃。東の空から顔を覗かせたのは黄金色に輝く満月だった。

 方位盤が反応を示したのは、皮肉にもこの作戦の決行を決定づけた神田明神近くだった。

 隼人が率いる巡回班の今宵のメンバーは隼人を筆頭に朝月、鬼灯、そして急遽本人の希望で編成を移って来た南天だった。


「それにしても珍しいな。お前が隊長と別行動なんて」


 道を歩きながら隼人は隣を歩く南天に話しかけた。

 真澄からは本人が護衛班は退屈だから怪夷との遭遇率の高い巡回班に回して欲しいとは聞いていたが、吉原の一件の時にあれほど真澄と別行動を嫌がった筈の人物が自ら離れているのが隼人には不思議でならなかった。


「…最近運動不足なので…」

 隼人から目を逸らしたまま、南天は間を持たせた後に答えた。

「なんだそれ…なんか隠してんじゃないだろうな?」


 隊長である真澄からの要請で南天を引き受けたが、隼人はいつもと違う南天の様子に疑問を抱いていた。


(…流石は元警視局の警察官…)


 隼人の勘繰る視線に気づいた鬼灯は眉を顰めて袖口で口元を隠した。

 南天が真澄から離れたのには確かに理由がある。

 だが、その理由を知っているのは自分と朝月、そして南天だけである。


(情報開示に制約がある以上、赤羽副隊長は主様にどうにかしてもらうしかないですね)

 ちらりと、鬼灯は隣にいる朝月を見遣る。


「なんだよ…」

「主様、今夜の作戦、覚えていますよね?」

 耳元に口を寄せ、小声で確認してくる鬼灯に朝月はげんなりとした様子で頷いた。


「満月が中天に来た時に、お前と南天を神田明神に行かせる事だろ?」

「そうです。その間、赤羽副隊長の相手は頼みますよ。あの人、中々勘が鋭いようなので」

「なあ、きちんと話して隼人兄さんにも協力してもらった方が丸く収まるんじゃないか?わざわざ不信感抱かせるような真似しなくてもさ…」

 困り顔で朝月は鬼灯達がこれからしようとしている事に一抹の不安を感じていた。


「別に悪い事している訳じゃないんだろ?」

「そうは言っても、段階というものがありまして…少なくとも、次の仲間が来ない事には我々の目的を話す事も出来ないので」

「結局それかよ…」

 がくりと肩を落とし朝月は腕時計に視線を落とした。


「たく、その仲間とやらを無事に呼べたらお前等の目的を言うんだぞ」

 吐き捨てるように鬼灯に言うなり朝月は先を歩く隼人の傍へと駆け寄った。


「赤羽副隊長、ここは二手に分かれて巡回しませんか?」

「なんだ朝月、やけにやる気だな」

「先日の副隊長達が遭遇した怪夷以降、大物の怪夷の出現はありません。今夜は満月とはいっても、そろそろ旧ランクBくらいの怪夷と遭遇してもおかしくないかと」


 朝月の提案に隼人は俯きながら思案する。月齢や日数を考えても、そろそろ大物の怪夷との遭遇の可能性は否定できない時期だった。ここ二週間何もないのがそもそも不思議なくらいに。


「そうだな。少し範囲を広げてみるか…」

「じゃあ、副隊長は俺と湯島の方へ行きましょう。鬼灯、お前は南天とこの周辺を警戒してくれ」

「了解しました」

「は?お前、何を勝手に」

「ささ、たまには俺にも副隊長のかっこいいとこ見せて下さいよ」


 班長を任されている隼人を差し置いて組み分けを提案した朝月は、隼人の背中を押して湯島方面へと方向転換をした。

 肩越しに鬼灯を振り返りながら朝月は「しくじるなよ」と目線で念押しをする。

 それに鬼灯は笑顔で頷くと、南天の肩を抱いて朝月達とは反対方向へ歩き出した。




 朝月に促されるまま、湯島の方へと巡回の場所を広げた隼人は、七海の護衛班である真澄と連絡と定期連絡を取った。

 怪夷の遭遇率が高まっている事を考慮し、巡回の範囲を広げる為に二手に分かれた事を隼人は報告する。

 二手に分かれての巡回が朝月の提案だという事に真澄は少しだけ引っ掛かりを覚えていた。


 隼人も朝月もどちらも結界は張れるから万一二人だけで怪夷に遭遇しても対処は出来る。南天と鬼灯も怪夷退治の専門家を豪語しているので、恐らく何かしら対処は可能だろう。だが、朝から引っかかることばかりが起こっていた。


『何かあればすぐに連絡しろ。南天達は勿論だが、俺もいざとなったら応援に出る』

「そう言って貰えると心強い。まあ、南天と鬼灯に関しては何考えてるか分からないのは事実です…朝月はなんか知ってそうだけど」

 離れた場所で警戒に当たっている朝月をちらりと盗み見て隼人は肩を竦めた。


「隊長、そろそろあの二人が何者で、何が目的かはっきりさせた方がいい。試用期間も三か月でしょ」

『それについては俺も考えてはいる。まあ、今は七海ちゃんの夢遊病の解決が優先だがな』

「なら、いいですけど」

『まあ、引き続き警戒をたの』

 頼むと言いきる前に、通信機越しにガタガタと扉を揺らす音と拓と大翔の声が混じってくる。


『赤羽、始まったぞ』

 通信機の向こうから聞こえて来た真澄の緊迫した声に隼人はごくりと息を飲む。


『特夷隊隊員各位に告ぐ、これより囮作戦を開始する』 


 それぞれが耳に着けた通信機越しに隊長の号令が下る。

 その直後、朝月と隼人の視界の先で暗闇が蠢いた。


「副隊長!」

「分かってるっ朝月、結界を貼れ!俺が出る」


 朝月の切迫した声に彼の傍に駆け寄ると、前方の暗闇がぐにゃりと歪んだ。

 ざわざわと木々が異様に震えだし、眠っていた鳥たちが異変に気付いてバサバサと夜の空へ飛び立っていく。

 リボルバーに銃剣を装着したモノをホルスターから抜き、隼人は朝月の横で構えを取る。

 夜の静寂を破り、現れたのは漆黒の翼を広げた全長、五メートルはあろうかという鴉の怪夷だった。

 バサバサと大きな羽根を広げ、鴉の怪夷は首を絞められたような不気味な声で鳴くと、一つしかない真っ赤な瞳で隼人と朝月を凝視した。




 ゆらりとベッドから起き上がった七海は、いつものように誰かに抑えつけられることなくふらふらと歩き出した。

 いつの間にか扉は開き、自身の思いを体現するかのように開かれた廊下へと七海は吸い込まれていく。


「よし…そのまま後を付けるぞ」


 扉の左右に控えていた真澄達は、扉を通って廊下に出て行く七海を静かに見守る。

 七海が自室を出て廊下を歩き、階段を降りて行く七海の後を真澄、大翔、拓の三人はゆっくりと尾行を開始する。


 この囮作戦は、柏木邸の者達には全員に伝えられている。その為、邸の者は誰も出てこない。

 七海の父親である柏木は、今日は公務で自宅には戻っていない。


 ふらふらしながら階段を降り、迷うことなく玄関に向かった七海は鍵を開けてそのまま裸足で外へ出た。

 七海の後ろを付けながら真澄は通信機である場所に電話を掛けた。


「…柏木俺だ」

『こんな夜更けにどうし…そうか、始まったのか』


 通信機の向こうで柏木の声音がいつになく低くなる。真澄が連絡をしてきた理由を柏木は瞬時に察した。


『九頭竜君…七海を頼む』

「ああ…任せろ。必ず無事に連れ帰る」


 自分自身への誓約をするように、真澄は幼馴染である柏木に誓いを立てる。

 短く作戦開始を告げた真澄は通信を終了し、七海の後ろを大翔、拓と共に追いかける。


「七海ちゃん…やけに足早くないですか?」


 柏木邸を出て暫く、七海の足取りは徐々に早くなり、ふらふらと歩いているのにその歩調は真澄達が速足で付いて行けるレベルだ。


「夢遊病の時は無意識に普段使っていない力を出せるっていうからね…油断してると見失いそうだ」

「気を付けろ。見失ったらそれこそ本末転倒だ」


 真澄の忠告に大翔と拓は強く頷く。無言で歩いていく七海はまるで目的地があるかのように真っ直ぐに進んでいく。

 ふと気になり大翔はポケットから八卦盤を取り出し、針の位置を確かめた。

 八角形の機器の中、方位を示す針は丁度七海が向かっていく方向を示している。


「この方角…秋葉原の方ですね」

「やはり、何か関係が…」

「わあ!七海ちゃんっ」


 突如驚きの声を上げた拓に、八卦盤を覗き込んでいた真澄と大翔は同時に顔を上げる。その視線の先で七海の歩く速度が急に上がる。

 走っている訳ではないのに目にも止まらない速度で進んでいく七海を真澄達は必死で追いかけた。




 黒く巨大な羽を羽ばたかせ、鴉型の怪夷は刃のような羽が隼人と朝月目掛けて飛ばされる。


「くそっ」


 矢のように降り注ぐ羽を朝月は自身の愛用の武器である鉄扇を広げ、風を起こして跳ね返した。

 朝月の背後に隠れ、鴉型の怪夷目掛けて引き金を引き隼人は応戦を試みていた。


「二手に別れたのが裏目に出やがったな…宙に浮いてる獲物を相手にするには俺達だけじゃ分が悪すぎる。朝月、アイツ等呼び戻せ」

「やりたいのはやまやまなんですけど、この状況じゃ無理っすよ!」


 大羽が前後に振られ、大風が二人に容赦なく吹き付ける。

 結界を張っているが、威力が強いのか防ぎきれずに擦り抜けた風が鎌鼬となって二人の腕や足を傷付ける。細かな傷だが何度も受ければ行動に支障をきたすだろう。


 キイイイイイイイイイイイ


 咆哮を上げ鴉の怪夷は大きく飛び上がると、赤い一つ目に隼人と朝月を映し、嘴を突き出して飛び掛かった。


 銃口を怪夷に向け、引き金を引きながら隼人は朝月と左右に別れて攻撃を回避する。放たれた銃弾が怪夷の首元や腹部に命中するが、致命傷には至らない。


「おりゃあっ」


 広げた鉄扇を大きく左右に振り、扇面から朝月は風の刃を鴉の怪夷目掛けて繰り出す。地上から放たれた針の如き刃は、鴉の黒い身体に突き刺さると、ビリリと痺れたような痛みを与えた。


(くそ…鬼灯から例の薬貰っておくんだったな)


 自身の攻撃が思った程の効果を示さない事に朝月は内心舌打ちした。不意に脳裏をよぎったのは、鬼灯と契約する直前の討伐で渡された霊薬。あれが結局何が原料か未だ知る由はないが、今はその存在が喉から手が出る程に欲しかった。


 地上からの攻撃を嘲笑うように鴉の怪夷は朝月が張った結界の範囲内で滑空し、翼を大きく羽ばたかせて風圧を掛けて来る。

 今にも飛ばされそうなその風に、隼人と朝月は足を踏ん張って必死に耐えた。

 二人だけだは持ちこたえられない。最悪の事態を覚悟した時、隼人と朝月は結界の中に誰かが入って来るのを感じ取り、咄嗟に振り返った。




 ひんやりとした感触が、裸足の皮膚越しに伝わってくる。

 纏わりつくような真夏の空気と肌を撫でる生暖かい風が、まるでこっちだと自分を誘っている。

 何かに導かれるように、足は真っ直ぐにその場所を目指していた。


 白いネグリジェ姿の七海は、ふらふらと何かに導かれるように夜の東京の街を歩き、やがてその歩みは神田明神の近くへと引き寄せられた。


 ぼやけた視界の向こうで、黒い大きな鳥が羽ばたいているのを茫然と見詰めながら、七海は薄いベールのように張られた結界の中に入り込んだ。


 バチンと、不意に意識が鮮明になる。はっと我に返ると、七海はキョロキョロと周囲を見渡した。


「あれ…ここ何処?」


 いつの間にか外にいる事に七海は茫然と目を円くした。確か自分は真澄達に挨拶をしてベッドに入った筈だ。それが、どうして外にいるのか。

 疑問を抱いていた七海は、突如大声で呼ばれてそちらに視線を向けた。


「え?」


 それは、隼人と朝月の同時の叫び声だった。

 声のした先との中間地点に黒い影が浮かび上がる。


「あ…」

 頭上に舞い上がった異形の存在に七海は息を飲み、その場に立ち尽くす。


「七海ちゃん!」


 鴉の怪夷の嘴が七海目掛けて落下する。

 本能的に身構えた七海の身体が貫かれる直前で、彼女の身体はその場から倒されるようにして難を逃れた。


「隊長!」


 七海を抱きかかえて地面を転がって攻撃を回避した真澄の下に、大翔と拓が駆け寄って来る。


「問題ない。宮陣、東雲と結界張りを交代だ。月代は東雲と共に七海嬢の護衛だ」

「了解しました」


 真澄からの指示に大翔と拓は早速行動を起こす。

 大翔は朝月が張った結界に重ねるように更に二重、三重に印を組む。

 拓は真澄から七海を預かり、彼女を自分の後ろへと下がらせた。


「月代さん…一体何がどうなっているんですか?」

 状況が掴めず困惑している七海に拓は優しく笑い掛ける。


「大丈夫、お姫様は僕等が絶対護るからね」


 柔和で王子様然とした甘い笑みと柔らかな声に励まされ、七海は年頃の乙女らしく頬を染めて拓の後ろに隠れた。


「東雲と鬼灯は月代と共に七海嬢の護衛を、赤羽と南天は俺と」


 指示を出したところで真澄は、周囲に南天と鬼灯の姿が見えない事に気付き、眉を寄せる。


「アイツら何処行った!?」

「隊長、通信機に呼びかけても応答ありません」


 見兼ねた大翔が鬼灯と南天が持つ通信機に呼びかけるが、反応がない事を真澄に告げる。


「アイツら…任務中に…」


 定時連絡で隼人から二手に分かれて巡回をしていると聞いていたが、怪夷が出現しているにも関わらず、姿が見えない二人に真澄は頭を抱えた。

 その間にも、怪夷は大羽を羽搏かせて風を起こし、真澄達特夷隊と七海を襲う。


「仕方ない。赤羽、俺と来い」

 軍刀を引き抜き真澄は隼人を呼び寄せて空中に浮く鴉の怪夷と対峙する。

「行くぞ」


 真澄の号令を合図に、隼人は二丁のリボルバーから銃弾を繰り出す。その援護を受けて真澄は鴉の怪夷の前に駆けだした。

 地面を蹴り、宙へ跳びあがった真澄は上段に構えた軍刀を袈裟懸けに鴉の怪夷に振り下ろす。

 だが、左へ旋回して鴉の怪夷は真澄の攻撃を寸での所で躱した。


「くそ」


 地面に着地したところへ、今度は鴉の怪夷が滑空し、鋭い嘴を突き出してくる。それを真澄が軍刀で弾くようにして受け止めた。

 閃光が散り、大きく頭上へ鴉の怪夷は浮かび上がっていく。

 真澄が対峙している間も、隼人は銃弾を撃ち続けた。


(飛んでいるせいか上手く近づけない…)


 これまで相手にして来た怪夷は大概が自分達同様に地面に足を付けた形状のモノばかりだった。だが、今回は空を飛ぶモノを相手にしなくてはならない。


(こんな時南天がいれば…)


 不意に脳裏をよぎったのは、初めて怪夷討伐に参戦した時の南天の姿。身軽に怪夷の周りを飛び回り、的確に傷をつけていくその戦闘スタイルは、今まさに欲しい戦力だった。

 そして、それを自身が望んでいる事に真澄は戦闘中ながらハッとなった。


「いない奴を頼っても仕方ないか…」


 小声で呟き、真澄は再び軍刀を握ると、こちらの様子を伺っている鴉の怪夷を見据えた。

 甲高い奇声を発しながら鴉の怪夷が真澄達特夷隊目掛けて滑空する。

 鋭い嘴が朝月と拓が護る七海へ迫った時、暗闇から黒銀の影が突如として飛び出した。


「あれは…」


 真澄達が凝視する最中、黒銀の毛並みを真夏の風に靡かせ、漆黒の狼は身軽に跳びあがると、空中で優勢を誇っていた鴉の怪夷を前脚で叩き落とした。


 強い力で叩き落とされた鴉の怪夷は重力に逆らう事なく地面に叩きつけられる。その上に覆いかぶさるように牙を剥きだして狼の怪夷は鴉の怪夷に食らいついた。

 二体の怪夷の攻防が、砂ぼこりを上げて繰り広げられる。


「加勢してくれたのか…」

「今のうちに一気に畳みかけるぞ」


 突如現れて鴉の怪夷に食らいつく狼の怪夷を隼人は思わず凝視する。

 その隙を逃すまいの真澄は号令をかけた。

 狼の怪夷の加勢を好機と踏み、真澄と隼人は地面に倒された鴉の怪夷へ近づく。


「隊長!新手です!」


 結界を貼っていた大翔が大声で叫んだのに、その場の誰もが戦慄した。

 結界をこじ開けるようにして、もう一体怪夷が襲ってきたのだ。

 二本の尾を生やした四足歩行、獣型の怪夷。その姿は狼よりも小型で、耳は細長い。新たに現れたのは、狐の怪夷だった。


「怪夷がもう一体!?」

「それも結界破って自ら入ってくるとかあり得ないだろ…」


 新たに現れた狐の怪夷は鴉の怪夷に噛みついていた狼の怪夷に果敢に飛び掛かると、その首筋に牙を立てた。

 三体の怪夷による前代未聞の攻防戦に特夷隊の面々は思わず息を飲んだ。


「怪夷が三体…」

「こんな怪夷同士の戦いなんて聞いた事ないぞ…」

 七海を護りながら様子を伺う拓と朝月は茫然と眼前の光景に食い入った。


「……」


 そんな二人の後ろで護られながら七海は初めて目にする怪夷と特夷隊の戦いを静かに見守っていた。

 何故か、先程から自分達に加勢してくれた狼の怪夷が気になって仕方がない。

 喉の奥、胸の中である一つの単語が浮かぶ。だが、今それを口にすれば場の混乱を招きかねないと、七海はぐっと唇を引き結んだ。


 新たに現れた狐の怪夷に噛みつかれ、狼の怪夷はそれを振り払うように鴉の怪夷から離れて後方へと下がると、喉の奥を唸るように鳴らした。


「赤羽、俺達は狐の怪夷の方をどうにかするぞ」

「隊長?」


 真澄の指示に隼人は一瞬目を見張る。だが、直ぐにその言葉の真意を理解して頷いた。


「行くぞ」


 ちらりと、真澄は自分達に何故か加勢してくれる狼の怪夷に視線を向ける。真澄の視線に狼の怪夷はまるで応じるように遠吠えを上げると、意図を組んだように再び鴉の怪夷目掛けて駆けだした。


「続け!」


 今度は自分達が加勢する形で真澄と隼人は狐の怪夷へ向かっていく。

 二手に別れての攻防が繰り広げられる中、後方にある神田明神付近から、眩い銀色の光の柱が夜空に向かって突き出した。




「朝月さん…上手くやってくれるかな?」

「大丈夫でしょう。なにせ、あの人はわたくしの主様ですから」


 隼人と朝月の姿が見えなくなった所で、鬼灯と南天は石で出来た鳥居をくぐり、参道である坂道を登っていた。

 二人の前方には提灯を左右に吊るした朱色の門が現れる。

 朱色の門をくぐり、静まり返った境内へ足を踏み入れると、一瞬ひんやりとした空気が二人を包み込んだ。


 本来、聖域である筈の神社の境内だが、日が沈んだ後は神気の残滓を求めてよからぬもの達が集まってくる事もしばしばだ。

 だが、今は完全な静寂に包まれ、月だけが煌々と朱色の社を照らし出している。


「神田明神はかつて坂東武者を束ね、朝廷に一矢報いようとした平将門の胴体が祀られたのが始まりと言われています。江戸に幕府を開こうとした際に徳川家康が鬼門の護りとして重要視した場所。我々が降り立った上野のお山同様、この軍都・東京の守護を司る場所」

「うんちくはいいから、始めようよ」


 知識を披露している鬼灯の横をすり抜け、南天は門と社を結んだ境内の中央へと駆け寄った。


「やれやれ、せっかちですね」


 水を差された事に肩を竦め、鬼灯は足早に南天が立つ場所へ歩み寄ると、懐から五枚の呪符と、一枚の形代を取り出した。

 形代を中央に置き、その周りに五枚の呪符を五角形の位置に配置する。

 五角形の頂点、丁度対角線になる位置に南天と鬼灯は立った。

 位置についた所で、鬼灯は袖の中から薄い掌サイズの板状の物を取り出して、鏡面のように磨かれた表面に指を這わせた。


「直ったのそれ?」

「ええ、ちょっと充電に時間がかかりましたが」


 にこりと微笑み鬼灯は鏡面の部分を耳に押し当てる。板からツーツーと通信機のような音が響いた後、ザザッとさざ波のようなノイズが走った。


「こちら鬼灯、準備が整いましたよ。そちらはどうですか?」


『あら、遅かったですわね、待ちくたびれてしまいましたわ』


 不明瞭な通信の先で聞こえてきたのは、女性にしては少し低めの声音。怒っている訳ではないが、少し呆れた様子の相手の反応に鬼灯は肩を竦めた。


「すみません。場所の特定に手間取りました。これから儀式を始めます」


『了解です。わたくしはいつでも大丈夫ですので、どうぞ始めてくださいまし。ああ、清白すずしろ、南天は大丈夫そうですわ、ええ、こちらの事は伝えておきますから、そう心配なさらないで』


 通信の向こうから応答する声の他に、数人見知った声が聞こえてくる。それに苦笑しつつ通話相手の快活な受け答えに鬼灯はほっと安堵すると、目の前にいる南天に目で合図した。


「通信は繋いだままで」


 そう言うと、耳元から板状の通信機を下ろした鬼灯は、目を閉じて深く息を吐きだした。

 南天も鬼灯のそれに倣って呼吸を整える。

 形代の上に掲げるように二人は手を伸ばすと、ほぼ同時に呪文を唱え始めた。


 2人を中心に銀色の光が泡のように浮かび上がる。それは徐々に長さを増し、一本の柱となって月夜に向かって伸びあがった。

 鬼灯と南天が立つ頂点の間、旧江戸城の方角を向いた五角形の頂点が中央に置かれた形代と線を結び、強く輝きだした直後、それは現れた。


 雷鳴の如き轟きと落雷に似た強烈な光の柱が、天へ昇っていた柱を駆け下りていく。

 月から伸びたような光の帯は、眩い閃光を放ち、夏の夜の闇を一瞬だけ昼に変化させる。


 神田明神の境内に落ちた光は、やがて光量を落とし、再び夜の闇が戻る頃、南天と鬼灯の目の前には一人の女性が立っていた。


「成功しましたね」


 騎士物語に出て来るような紺色のナポレオンジャケットを身に纏い、豪奢な金色の巻き髪を揺らし、優雅に目の前に立つ女性を見て鬼灯と南天はほっと胸を撫で下ろした。どうやらこの方法で問題ないようだ。


「なかなか呼ばれないのでトラブルでもあったのかとドクター達と心配していましたのよ。まあ、術式も問題ないようで安心しましたけど…」


 豊満な胸を強調するように腕を組み、金髪の女性は呆れた溜息を零す。


「再会を喜ぶのは後で、怪夷が出現しています。鈴蘭すずらん、さっそくで悪いですが仕事です。言っておきますが、こちらの怪夷はかなり旧型に近い」


「承知しましたわ。いい腕鳴らしになりますわね」


 ふふと、お嬢様然とした口調で女性―鈴蘭はほくそ笑む。その笑みは彼女の豪奢で優美な容貌からは想像も出来ない獲物を狙う狩人の如くぎらついていた。



*******************



三日月:次回の『凍京怪夷事変』は…


暁月:二体同時に出現した怪夷。謎の狼の怪夷の加勢を受けながらも苦戦する真澄達特夷隊。そんな彼等の目の前に現れる者とは!


三日月:第二十八話「咲き乱れ月下美人」次回もよろしくお願いします。

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