第二十六話ー思いと願いと心配りと



  柏木への報告を終えた真澄と隼人は、直ぐに作戦の計画書作成に取り掛かった。

 仮眠室で休息を取っていた拓も、二人の補佐をする形で計画書作成に加わる。


 三人が肩を寄せ合い話し合っているのを桜哉達は遠巻きに見守っている。

 男三人が真剣な様子で作戦の立案を行っていると、執務室の扉がノックの後に開いた。


「皆、おはよう!今日も頑張ってる?」

 意気揚々と執務室に入って来たのは、菫だった。その手には紙袋が下げられている。


「お母様、おはようございます」

「ふふ、任務お疲れ様。お弁当買って来てあげたわよ」

「わざわざすみません。菫さん、今日はどのような御用ですか?」

 紙袋を受け取った大翔は菫にここへ来た要件を訊ねた。


「桜哉のお見合い相手の写真が届いたから見せに来たのよ。この後この間注文した着物を呉服屋に取りに行こうと思って」


 ニコニコと嬉しそうに菫はハンドバックの中から写真の挟まれたアルバムを取り出し、桜哉と大翔の前に差し出した。


「後で取りに来るからじっくり見ていいわよ。兄さんにも見せといて。お取込み中みたいだから先に用事済ましてくるわ」


 ひらひらと手を振り、来た時同様にサクサクと菫は執務室を出て行く。

 その背中を見送ってから、桜哉と大翔は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。




 それから作戦計画書が完成し、柏木大統領の許可が下りたのは、昼過ぎになってからだった。

 その頃には日勤である朝月も医務室に用事があると言っていた南天も鬼灯と共に執務室に戻っていた。

 菫が差し入れてくれた弁当を食べながら、作戦の詳細が真澄から全員に告げられる。

 黒板に書きだされた作戦名に朝月を含めた部下達は一様に眉を顰めた。


「それでは、今後展開する作戦について説明するぞ。作戦名は『柏木七海嬢囮作戦』長いので今後は囮作戦と呼称する」

「隊長、それって、完全に七海ちゃん危険に晒すの前提って事っすよね?」

 胸の前で手を挙げて朝月は実直な質問をする。

「そうならざる負えないのは、閣下も承知の上だ。なので、特夷隊総動員で作戦を行う」


 朝月の質問はもっともな問いだった。今まで護衛対象であった人物を今度は囮に使うのである。以前からその案は出ていたが、柏木からの許可が下りなかったのと、七海を囮にしてそれが彼女の夢遊病と関連があるのかの確証が得られなかったのだ。

 正し、それは昨日までの話。


「昨夜の作戦中、赤羽と月代、宮陣の三人が怪夷と遭遇した同時刻、俺達護衛班の方でも七海嬢の夢遊病が始まった。その際、南天は赤羽達が巡回に出た方角に奇妙な気配を感じたという。更に、六条に七海嬢に例のお兄ちゃんの居場所を聞いた。すると、七海嬢は赤羽達がいる万世橋の方角を指差したという。この事象は以前にも報告されていた」


 昨夜の状況を整理しながら真澄は黒板に図を書いて行く。それは、昨夜の護衛組と巡回組の位置関係とこれまでの護衛任務中の夢遊病が起こった時の巡回組の位置。

 それが全てではないが殆どが一致していた。


「そして、赤羽達が怪夷との戦闘中、まるでこちらに加勢するように現れた狼の怪夷。あの吉原で最初に遭遇した奴だ」

「アイツ、また出たのか…」


 半月前の吉原での事件。その時突如として現れた黒銀の毛並みを持つ狼の怪夷。特夷隊の自分達には目もくれず、猿の怪夷を屠ったあの怪夷の正体は誰もが気になっていた。


「…この狼の怪夷なんだが…これが現れるのと七海嬢の夢遊病が関係していると俺も赤羽も月代も思っている」

「隊長、それを示す確証は?」


 今度は桜哉が挙手をして問いかけた。狼の怪夷と桜哉は未だ遭遇していない。真澄達が遭遇したという狼の怪夷がどういったものかを、彼女は知らなかった。


「それは僕から話そう」

 真澄の横の椅子に腰掛けていた拓が徐に立ち上がる。

「これは僕と赤羽の二人の憶測で推測であり、独自のプロファイリングによるものだけど…例の狼の怪夷は恐らく、一年前柏木海静元副隊長を死地に追いやった例の怪夷と同一と思われる」


 ジジっと、詰め所の外に止まった蝉の声が不意に大きく聞こえる。一瞬の静寂が流れた後、最初に声を上げたのは朝月だった。


「はああ?どういう事だよそれ⁉」

「東雲、座れ、まだ話は終わってねえぞ」

 思わず立ち上がった朝月に隼人の叱責が飛ぶ。渋々朝月が席についた所で、拓は話を続けた。


「一年前に現れた狼の怪夷の特徴と吉原と万世橋で遭遇した怪夷との特徴が一致している。これはどちらの作戦にも参加していた赤羽の証言だ。それから、もう一つは七海嬢の夢遊病現象が起きる時の時刻が怪夷の出現と一致している事。南天君が感じたという気配。これだけ見ても、彼の狼の怪夷と七海嬢の現象が何かしらの関係性があると踏んだ」


 淡々と作戦立案の経緯を話す拓に、大翔は質問を投げかけた。

「月代さん、それだけでよく閣下が自身の娘を囮にする作戦の許可を出しましたね?本当は別に何か理由があるんじゃないですか?」


 大翔の質問に拓と隼人、真澄は視線を交わす。まるで何かを示し合わせるかのように。


「わたくしもそう思います。狼の怪夷の出現は吉原の案件と合わせて二回。もし七海嬢の夢遊病と関係があるなら、もう少し頻度を確認するべきでは?」

 大翔の意見に同意するように鬼灯も意見を口にする。


「それに関してだが、その確証を得るために、敢えてこの作戦を決行する。これはまだ俺達古参と閣下のみのトップシークレットだ」

「ふむ…ある程度情報は掴んではいるが、その確証を得る為にも今回の作戦決行は重要だという事ですね」

 真澄からの返答に鬼灯はあっさりと納得して、一人頷いた。


「ボクはマスターの立てた作戦に従います。その上で七海嬢も護ります」


 凛と澄んだ南天の声が、僅かに燻っていた戸惑いの空気を打ち消し、組織としての纏まりを促していく。

 それぞれの視線が混じり合い、無言で意思を確認し合った後、朝月達も南天の言葉に同意する形で相槌を打った。


「色々思う所はあるだろうが…よろしく頼む」


 朝月達の心境を理解しつつ真澄は隊長ではなく、一人の男としての顔で部下達を見渡した。


「それじゃ、作戦の概要を説明するぞ」


 咳払いをして真澄は普段の隊長としての顔に戻ると、資料を手に作戦を伝え始めた。


「七海嬢には自身が囮になるというのは告げずに行う。これまで同様に護衛班、巡回班に分かれて夜間は行動し、七海嬢の夢遊病が発症した日が、作戦決行日だ」

「いつ夢遊病が起こるか分からない以上、作戦決行の日は敢えて決めていない。だから、いつ作戦が実行されるかは分からないから覚悟しておけよ」


 真澄の補足をするように言葉を受け取った隼人が黒板の前に座る部下達を見渡す。視線の先にいる朝月達特夷隊の表情は、いつになく緊張で張りつめていた。


「囮作戦決行の合図は、護衛班より発信する。その際の行動は…」


 真澄と隼人、拓の三人が熟考の末に立てた作戦の内容が、特夷隊に伝えられていく。

 いつしか、真夏の熱に似た空気が執務室の中を満たしていた。





 柏木七海囮作戦を含んだ巡回と護衛の任務は作戦発表のその夜から実行に移された。

 夕方、一度家に真澄が戻ると、呉服屋から荷物を受け取って帰って来ていた菫が、居間で寛いでいる場面に出くわした。


「お帰り~もう仕事終わり?」

「いや、着替えを取りに来ただけだ。直ぐに戻る」


 居間で引き取ってきた着物や小物を並べていた菫を横目に、真澄は自身の寝室がある二階に上がる為、二階へ続く階段へ足を掛けた。


「ねえ兄さん、ちょっと時間ある?」


 階段を一段、二段と上がった所で真澄は唐突に呼び止められた。一瞬聞こえなかったフリを決め込もうとしたが、深い溜息を吐き、後頭部を掻きながら踵を返して階段を大股で跳び下りた。


「なんだ?」

「桜哉のお見合いの日取りなんだけど、再来週の日曜日になったの。色々任務で大変なのは承知なんだけど、勤務調節してもらえる?」


 畳の上に正座をして背筋を伸ばし、いつになく真剣な様子で願い出る菫のしおらしい姿に真澄は眉を寄せた。


「お願いなんて珍しいな…いつものお前なら、じゃ、その日だからよろしくとか軽く言うのかと思ったぞ」


 普段の快活で強引な妹の性格を思い出し真澄は物珍しいモノを見たような顔で呟いた。


「いやね、私だって愛娘の将来を決める大事までふざけるつもりはないわよ。纏まる纏まらないは別にして、私だって軍人の妻なんだからそれなりに配慮くらい出来るわよ」


 心外だとばかりに目くじらを立て、菫は子供のように頬を膨らませてそっぽを向く。その様子に真澄は「すまん、すまん」と頭を下げた。


「そういえば、さっき桜哉からお見合い相手の写真を見せてもらったが、なかなかの好青年だな。真面目そうだ」


 グリーフィングを終え、休憩の合間に桜哉から真澄は、菫が置いていったお見合い写真で見合いの相手を見ていた。

 海軍将校の白い軍服に身を包み、凛々しい表情で立つその青年は桜哉の父親であり菫の夫である六条大佐の若い頃を髣髴とさせる。

 真面目で少し堅そうな印象を受けたが、桜哉は誰に似たのか実母よりも穏やかな性格だ。これで話が纏まって結婚ともなればいい家庭を築ける気がした。


「あの小さかった桜哉が結婚を考える歳になるとはな…月日が経つのは早いな」

 いつの間にか菫の横に腰を下ろした真澄は、遠くを眺めて物思いに耽った。


「なにジジ臭い事言ってるのよ…そんなんじゃますます老けるわよ」

「そうは言ってもな。やっぱり生まれた時から見ている分、思い入れは深いさ」


 畳の上に並べられたお見合い用の振袖や帯、小物の数々を眺めて真澄はホッと息をついた。

 桜哉が生まれたのは、英雄たる両親が世界で怪夷討伐を行っていた頃。真澄自身は日ノ本で士官学校を卒業し、陸軍に入隊して少し経った頃だ。

 子供だと思っていた妹が親になり、姪が出来た事に慣れるまで少し時間が掛かった気がする。


 制服の内ポケットから真澄は一枚の写真を取り出した。それは、欧羅巴での怪夷討伐戦線の前に取った家族写真。

 お守り代わりに持ち歩いているそこに映る桜哉はまだあどけなさの抜けない少女だった。

 十年前の写真を眺め、物思いに耽る兄の横顔を見遣り、菫は真澄の肩に不意に寄り掛かった。


「ねえ、兄さんはどうするつもりなの?」


 唐突な問いかけに真澄は、チラリと肩に寄り掛かる妹を見る。が、直ぐに視線を逸らした。

 何を聞かれているのかは、訊ねずとも分かる。


「母様も父様も多分もうあんまり気にしてない…実質的に九頭竜の家は真之介じなんが継いでるし…今更兄さんに所帯を持てとか言わないと思うけど」


 幼い頃のように身を寄せ、顔を合わせないまま菫は独白のように真澄に語りかける。

 それは、無理強いではなく真澄の今後を想っての彼女なりの気遣いだった。


「…言っただろ。俺は軍人だ。今は軍属を抜けているが、この先もきっとこの国を護る為に生きるさ」

「…本当にそれでいいの?」


 チクリと小さな針が突き刺さるような問い掛けに真澄は困ったように眉を垂らし、菫の頭を優しく撫でた。


「少なくとも、今東京に蔓延る怪夷をどうにかしない限り俺は今のままだ。それに…雪を見つける事が俺の今の目標だからな…アイツの事が片付かない限り、前には進めない」

「やっぱりそれなんだ」


 真澄の口から出た答えに菫は納得した。ゆっくりと身を起こして兄から離れると、肩を上下させて大きく息を吐いた。


「まったく、相変わらずの雪之丞兄さんファーストだこと」

「生まれた時からの幼馴染だからな、このままにはしておけない」

「ぶう、だから良い人寄ってこないんじゃないの」


 さっきまでのしおらしさはどこへやら、普段の感情のふり幅の激しい彼女に戻った菫は、腕を組んでそっぽを向いた。


「悪いな。心配してくれてる気持ちは素直に嬉しいさ」


 いつになく素直に礼を言う真澄に菫は更に頬を膨らませた。何処までも優しく責任感の強い兄は、幾つになっても心配の対象だった。

 久し振りの兄妹水入らずの会話を交わした後、真澄は着替えを手に大統領府の特夷隊詰め所へと戻った。




 それから一週間。七海の護衛と怪夷の巡回。普段と変わらない編成で任務に臨んだが、囮作戦の決行まではいかず、平穏な日々が過ぎて行った。


 巡回でも、小さな生じたばかりの怪夷に遭遇する事はあったが、隼人達が遭遇したような大物の怪夷との遭遇はなく、七海の夢遊病も起こらなかった。


 あの日以来、南天も例の怪夷のようだが少し違う気配も感じる事はなかった。

 執務室で、勤務の編成の見直しをしながら、真澄は桜哉を呼び出した。


「桜哉、菫から聞いていると思うが、来週の日曜日は一日休みにしていいからな」

 カレンダーを眺めて真澄は桜哉に告げた。その日は桜哉のお見合いの日だ。


「しかし隊長、お見合いは昼間です。夜は私も巡回か護衛班に加えてください。囮作戦が始まって一週間、皆さん休まずに任務に当たっています。私だけ休むのは申し訳ないです…」

 背筋を伸ばし、軍人然とした表情で桜哉は真澄に進言した。


「気持ちは分かるが、お見合いがあるのは横浜だろう。いくら日帰りで帰って来れるといっても、疲れるぞ。色々準備もあるし…お父上も来てくださるんだろ?」


 菫の話から、桜哉のお見合いには彼女の父親である海軍将官・六条大佐も同行してくれることになっていた。

 普段、戦艦の艦長として各地を回っている六条大佐と桜哉が顔を合わせるのは一年振りになる。積もる話もあるだろうと真澄なりに考えての提案だった。


「父に会えるのは嬉しいですが、父も多忙な人です。それに、同じ軍人同士、理解してくれると思います。それとも、母に何か言われましたか?」


 桜哉の指摘に真澄は困惑した。菫には特に桜哉を完全にオフにして欲しいとは頼まれていないが、強気な母の性格を分かっている桜哉らしい推察だった。


「いや、菫は何も…これは俺独自の考えだよ」

「では、夜間の任務には参加させてください。せめて、何かあった時に駆けつけるくらいは大目に見て欲しいです」


 キッパリと言い切って桜哉はニコリと微笑む。

 誰に似たんだろうと思いながら真澄は苦笑を浮かべて頬杖を付いた。


「…分かった。けど、無理はするなよ」

「はい、承知致しました」


 教本のような綺麗な敬礼で応じ、桜哉は軍人らしい凛とした表情で声を張り上げた。



 柏木七海囮作戦の決行がされぬまま、いつしか月は七月から八月へ変わった。

 夏の盛りの最初の日曜日。真澄は朝のミーティングでその日の編成を読み上げた。

 あれから二週間。編成を読み上げるのがすっかり日課になりつつある。


「そういう訳で、前々から伝えてあるが、本日、六条は日中不参加だ。夜の巡回時に状況に応じて任務に参加とする」


 真澄の話通り、桜哉の姿は執務室にはなかった。既に早朝から菫と共に横浜に行っている。

 桜哉がいない事は隊員全員が理解していた。


「それじゃ、昼間はしっかり休息をとるように。解散」


 ミーティングが終わり、夜の任務に備えるために特夷隊の隊員達は各々執務室を出ていく。


「マスター」

 黒板の片づけをしていると、不意に南天が駆け寄ってきた。手を止めて真澄は南天の方へ顔を向ける。


「どうした?お前も少し休んでおけよ」

「マスター。今日の編成、ボクを赤羽副隊長の巡回班に回してください」

 唐突な南天からの要求に真澄は一瞬目を見張った。


「どうした急に?珍しいな、お前が俺とは別の班で動きたいなんて」


 最初の予定では、南天は真澄と同じ七海の護衛班だった。それを、自分と別の巡回班へ回して欲しいというのは、これまでの彼の行動を考えても前代未聞だった。


「まさか、何かあるのか?」


 普段と違う南天の進言に真澄は疑問を抱きながら尋ねた。

 それに南天は真澄から顔を逸らし、少し考えこんでから答えた。


「…護衛班は、退屈なので…」

「退屈って…まあ、巡回班の方が怪夷との遭遇する可能性が高いからな…分かった。どういう風の吹き回しか知らないが、お前が巡回班の方が心強いだろう。その代わりしっかり任務に当たれよ」


 真澄に肩を叩かれ南天は背筋を伸ばして敬礼を返した。







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朔月:次回の『凍京怪夷事変』は?

三日月:怪夷の出現と共に開始される七海囮作戦。そんな中、南天と鬼灯は自分達の目的を果たすべく動き始めて…

朔月:第二十七話「真夏の夜の夢の終わり」ご期待ください


 

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