第二十三話ー母と娘の銀ブラ散歩
海軍の幼年学校に進学した時から、自分は父のような海軍士官になるのだと思っていた。
16歳の若さで自身の兄より年上の海軍中尉に嫁いだ母は怪夷討伐の英雄と知られる両親を持つ人物で、彼女も結婚するまでは討伐軍で怪夷と戦っていたのだという。
そんな英雄譚を聞きながら育った私は、自身もいつかは母や父のように怪夷と戦って国を護るのだと思っていた。
けれど、欧羅巴で行われた大討伐戦線を最後に、怪夷は世界から消え去り、私の最初の夢は潰えてしまった。
それから、父の背中を追うように海軍士官を目指して勉学に励み、海軍士官学校を卒業する事が決まった頃。私の運命は母方の伯父からの要請で一変した。
『東京に再び現れた怪夷の討伐する部隊に、桜哉を推薦したい』
伯父・九頭竜真澄の一言は、呉基地に配属が決まっていた私の進路をかつての夢の続きへと引き戻すものだった。
母や父、英雄と呼ばれる祖父母と同じ道を歩める事は、私にとってこの上のない喜びだったのだ。
たとえそれが、欠員補充の為の推薦であったとしても。
桜が舞う春の日。卒業式を終えた私は、自分の中に流れる血に従うように特夷隊の制服に袖を通した。
真澄が天童と共にその場を離れた途端、菫は桜哉と南天を強引に連れ出した。
トラムと地下鉄を乗り継ぎ、三人が訪れたのは経済と文化の中心として目まぐるしい発展を続ける銀座。
通りを挟んで左右には流行の最先端を行く店やお洒落なカフェが並ぶ華やかな街並みを、菫は娘とその同僚を引き連れて闊歩する。
「まずは、何か美味しい物でも食べましょうか。南天君は何が好きなのかしら?」
「カプ麺が好きです」
斜め前を歩く菫に訊ねられ、南天はいつもの調子で即答する。
それに菫はキョトンと目を丸くした。
「カプ麺て、カップ麺の事?あのお湯を注いで麺をふやかして食べる非常食的な」
「南天さん、相変わらずブレない…」
南天の隣を歩いていた桜哉はいつも通りの南天に苦笑した。
「まさか、兄さん碌なもの食べさせてないんじゃ…」
南天が真澄の家で生活しているというのは、数時間前に本人や柏木から聞いた。
四十の男の独身生活の場に、突如転がり込んだ美少年。一体どんな生活をしているのか菫は気になって仕方がなかった。
菫の予想を南天は首を横に振って否定する。
「いえ、マスターはいつも美味しい物を作ってくれます。人形のボクは食べなくても問題はないのですが、しっかり食べろと気遣ってくれます」
真顔で菫を見つめながら、兵士が上官に報告するような調子で淡々と菫の疑問に応えた。
「え?人形…」
「ボクは怪夷討伐の為に造られた
感情の一切ない声音で語られる南天の話に菫は、眉を寄せて困惑した。
「…桜哉…この子、これいつもなの?」
「そうだよ。南天さんは自分は人形だっていつも思ってるちょっと変わってる人なんだ」
娘から得た答えと、彼女がそれを既に当たり前として受け入れている事実に、菫は更に混乱した。
(うわあ…兄さん、また厄介のと関わったわね…幼馴染の雪之丞兄さんと静郎兄さんといい、変なのと関わる宿命にでもあるのかしら、あの人…)
自身の兄がかなりの不憫体質であるのは知っていたが、ここまで悩みの種に囲まれている事実に、菫は実兄を珍しく憐れんだ。
本来なら真澄は、怪夷消滅と同時に陸軍で重要な地位について出世の階段を登っていく筈だった。所が、先の震災の折に怪夷の復活が確認された為に、彼の人生は大きく変化した。
柏木の要請で陸軍を退役し、それでも尚軍人のように戦いの中に身を置く実の兄。
(母様や父様が前線を退いた今、怪夷討伐が出来るのは確かに兄さんしかいないけど…部下の癖強すぎん?)
真澄の下に集った特夷隊の面々を思い出し、菫は胸中で溜息を吐いた。確かに子供の頃からの知り合いは多いが、皆中々の曲者である。
「兄さん、苦労してるのね…」
「そんなことありません!」
思わず零れた菫の感想を、異口同音で南天と桜哉は同時に否定した。ほぼ同時に言われて菫はキョトンと口を閉ざす。
「伯父さまはいつも私達の事を最善に考えてくれてるよ。苦労なんてしてるわけないよ」
「マスターに苦労などさせません。その為にボクがいます」
いつになく真剣な二人に迫られ菫は眉尻を僅かに垂らした。
(そういう意味じゃないんだけど…まあいいか)
二人の若者の勢いに苦笑いを滲ませて菫は、おもむろに咳払いをする。
「貴方達が兄さんの事を大事に思ってるのは分かったわ。それが確認できた所で、何食べたい?」
話を元に戻し菫は改めて二人に意見を求めた。
「せっかく銀座に来たし、洋食がいいな」
「いいわね。南天君はそれでいい?」
菫に確認され南天はこくりと頷いた。南天からしてみれば、空腹ではあるがそこまで食べ物に執着はしていなかった。
「よし、じゃあ私についてらっしゃい」
意気揚々と歩き出す母親の姿に苦笑しつつ、桜哉はその後をついて行く。南天も二人の後をゆっくりとついて歩き出した。
桜哉のリクエストで洋食のレストランを南天は菫達と共に訪れた。
江戸から東京に改名され、怪夷の影響で途絶えていた海外との交流が戻ってきてから、日ノ本の食文化は随分と様変わりした。
特に、東京では銀座を中心に洋食文化が栄え、五年前の大震災を経てこの頃は更に発展を遂げている。
西洋の洋館をイメージしたレストランの店内。窓際の四人席に通されて、菫と桜哉の向かいに南天は腰を下ろした。
「遠慮しないで好きな物食べてね。南天君は沢山食べる方かしら?」
「あ…普通だと思います…」
菫に聞かれて南天は少し考え込んでから応答する。
「もしかして、こういうお店は初めてかな?」
さっきから落ち着かない様子で周囲を見ている南天に気づいた菫は、淡く微笑みながら首を傾げた。
真澄の妹だという菫は、さっきまで少し強烈な印象があったが、こうして目の前にしてみると桜哉の穏やかな雰囲気が出ている。最初の印象と違う菫の様子に驚きつつ南天はこくりと頷いた。
「南天さんって少し独特というか、ミステリアスなんだよ」
メニューを広げて料理を選んでいた桜哉の言葉に、菫は感心したように吐息を零した。
「ちょっと感覚が周りと違うというか。時々伯父様がたじたじになってるよ」
「あの兄さんがたじたじねえ…」
頬杖を突き、菫は改めてまじまじと南天を見つめた。
その視線は先程の何かを探るようなものではなく、我が子を見守るような慈愛に満ちたものだった。
「貴方が何者かは個人的に興味があるけど、少なくとも敵ではなさそうね」
「お母様?」
唐突な菫の一言に桜哉はキョトンと目を見張る。まるで、何かを察したような母の視線が桜哉には不思議だった。
「……」
穏やかだが、何かを見透かしたような菫の視線に南天は僅かに身を固くした。
「あれで結構慎重で臆病な人だから、兄さんの事お願いね。本当なら私がその役目を担うべきなんだろうけど…私は自分の両親と同じ道を進む事を拒んだ身だから」
グラスに注がれた水を揺らし、含みのある笑みを滲ませて菫は遠くを見つめる。
彼女の言葉の真意に気づいた南天は、背筋を伸ばして頷いた。
「二人とも…なんの話してるの?」
母と南天の間で交わされる言葉数の少ない会話の意味が掴めず、桜哉は眉を寄せた。
「ふふ、桜哉にもそのうち分かるわよ。さて、早く注文しちゃいましょ。これから色々お店を回らないといけないからね」
メニューを開いて菫はさっさと料理を選ぶ。それにつられて桜哉と南天も急き立てられるように料理を決めた。
給仕に注文をし、料理が来るまで桜哉と菫は世間話を始めた。
内容は様々だったが、主な内容は特夷隊に入ってからの事だった。
「どうなの桜哉、仕事は大変?」
「大変だけど、やりがいはあるよ」
先に運ばれてきたオレンジジュースのストローに口を付けて桜哉は胸を張って菫の問いに答えた。
「兄さんから特夷隊への打診が来た時はどうなるかと思ったけど、しっかりやれているなら問題ないわ」
「と言っても…まだまだ入隊して四か月だし…ちゃんと伯父さま達の役に立ててるかなって…」
小さな溜息を零し、眉尻を垂らす桜哉に菫は心配そうに顔を曇らせる。
「…桜哉さんの戦闘力は隊の中でも十分な実力だと思います…」
菫の憂いを払うように、ぽつりと南天は巡回時の桜哉の様子を思い出して伝えた。
「南天さん…」
「戦闘力や戦闘センスで言えば、マスターより上かもしれません…」
「あら、兄さんより強いの?それはそれは…ふふ、将来が楽しみね」
南天からの思わぬ高評価に桜哉は頬を染めて照れ笑いをする。
さっきまでの不安が消し飛んだ菫は、今度は楽しそうにニヤニヤと笑い出した。
「お待たせいたしました」
会話が弾み始めた所に、注文した料理が届く。
桜哉と菫の前にはランチプレートを、南天はオススメだというオムライスがそれぞれ置かれた。
「……」
オススメと書かれていたので注文したオムライスを南天は普段では想像できない程に目を大きくして見下ろした。
黄色く滑らかな楕円状の玉子の料理に思わず目を奪われる。
「冷めないうちにどうぞ」
茫然とオムライスに見入っていた南天は、菫に声を掛けられ手元に添えられたスプーンを取る。
「南天さん、オムライスはもしかして初めて食べる?」
「はい、こんなに綺麗な玉子焼きは初めて見ました」
「ただの玉子焼きじゃないわよ。そのスプーンで掬って食べてみたら?」
僅かに声を上ずらせる南天の様子に微笑み、菫はスプーンで掬う動作をして食べ方を示す。
それを瞬時に理解して南天はオムライスにスプーンを突き立てた。
「あ…」
少し厚めの玉子の層を掘ると、中からケチャップで朱色に色づいたチキンライスが顔を出す。
中に何かが入っていると思わなかったのか、南天は目をパチパチと瞬かせてスプーンを掬った。
銀色の舟に載せられた玉子とチキンライスを恐る恐る口に運ぶ。
玉子のふんわりとした柔らかさと、少し酸味のある甘いチキンライスが口の中を満たすのに南天は普段表情の乏しい彼からは想像も出来ない程に吃驚した。
「…美味しい…初めて食べました…」
「喜んでもらえて良かった」
感動のあまり南天はゆっくりと二、三口をゆっくりと口に運んでから、後は夢中でオムライスを食べ進めた。
その様子を微笑ましく思いながら桜哉と菫もランチプレートのハンバーグにナイフとフォークを付けた。
食事を終えた後、菫はお見合いで着る為の着物を選ぶ為、桜哉と南天を呉服屋へと連れて行った。
「時期的に夏の花がいいかしら?」
「そうですわね、季節の色の下地を合わせるのもよろしいかと」
呉服屋の女将とあれこれ着物を見ながら、菫は桜哉に何着も試着させていく。
その様子を南天は遠くから眺めていた。
普段、軍服に近い制服姿の桜哉しか見た事のない分、いつもと違う衣装に身を包む桜哉を見るのは新鮮だった。
「桜哉はどれがいい?」
五着程並べられた振袖を桜哉はじっと見つめると、その中から一つを選んだ。
「この紫の生地に白の紫陽花の柄がいいな」
「じゃあ、それにしましょう。小物はこれに合ったものを一式揃えて頂けるかしら?」
「畏まりました」
「あとは…あの子に似合いそうな浴衣を三着程、誂えてもらえないかしら?」
それまで蚊帳の外にいたのに突然名前を出されて南天は顔を上げる。
「これはまた、お嬢様と同じくらい美人さんですねえ」
「兄が知人から預かっている子なんだけど、仕事ばかりで身の回りにまで手が回っていないと思うのよ。これから暑くもなるし」
「畏まりました」
菫と話を付けた女将は意気揚々と南天の傍に寄り、立つように促した。
キョトンと促されるまま立ち尽くす南天を巻き尺を手に女将はてきぱきと採寸を行っていく。
その様子を菫は満足そうに見つめた。
「はい、結構ですよ」
ようやく解放されて南天はほっと息を吐いた。
「既製品をお直しするだけでよろしければ来週にはお届けできますが」
「それでいいわ。それでは、宜しくお願いするわね」
「ご利用ありがとうございました」
女将に挨拶をして呉服屋を後にした菫は、今度はデパートへと二人を連れていった。
真っ先に菫が桜哉と南天を連れて行ったのは、洋服売り場だった。
「ねえ桜哉、これなんかどうかしら」
更衣室の前で菫と桜哉はあれこれ洋服を持ち寄ると、カーテンの敷かれた狭いブースの中にいる南天に洋服を手渡した。
「それもいいけどこっちも似合うよ」
「あ…あの…」
フリルの付いたカラーシャツと茶色のギンガムチェックの半ズボンを既に着せられた南天は、更に女性二人が持ってきた洋服に困惑した。
最初は紳士物の洋服だったのが、いつしかワンピースやチュニックなど女性物の衣服に切り替わっている。
「色が白いから何でも似合うわね。冬ならもう少しドレス調の洋服とかも着せられたのに」
何故か残念がっている菫に桜哉は深く同意する。唯一賛同できないのは母娘二人の着せ替え人形にされている南天だ。
「近頃は男女関係ない洋服も流行っているから、こういうフリルの付いたシャツや裾の長い上着もいいわね。あ、この七分丈のズボンも素敵ね」
「あのお…」
女性陣二人に抗議しようとするが、二人の勢いに押されて南天はそれ以上何も言えなかった。
(…まあいっか…)
楽しそうに話をする母娘を眺め南天は二人にその身を委ねる事にした。
それから小一時間。南天は菫と桜哉の持ってくる洋服をとっかえ引っかえ着る減目になり、終わる頃には珍しく少し疲れていた。
「で、いままでどこに行ってたんだ?」
日が沈む頃。桜哉と南天を連れ出した菫は大統領府内の特夷隊の詰め所へとも戻って来ていた。
執務室の扉を開けるなり待っていたのは、仁王立ちした真澄だった。
「何処って、銀座で娘とデエト」
「お前な、桜哉はともかく、なんで南天まで連れて行った?それに、その南天の格好は一体…」
菫に半ば拉致られるように連れ出された南天は、昼間詰め所にいた時は狩衣に似たフードの付いたいつもの服を着ていた筈が、今は水色と白を基調としたフリルスカートのワンピースを着せられていた。スカートの丈が膝より少し上の長さで、膝下までを覆う水色と白のボーダーのハイソックスのせいで肌色の見えている太股付近が実に際どい。
昔、英国で読んだ童話に出て来る不思議の国のアリスのようなワンピース姿の南天に真澄は眉間を押さえた。
「可愛いでしょ?」
「…うちの隊員オモチャにするなよ…」
にこりと自慢げに胸を張る妹に真澄はがくりと肩を落とした。
「す、すみません隊長…私も調子に乗りました…」
デパートの紙袋を下げた桜哉は母親の代わりに頭を下げた。
「別にいいじゃない。だって、南天君可愛いんだもん」
「だもん、じゃないの。まったく…南天、着替えてきなさい」
呆れたまま真澄は南天に指示を出す。だが、それに菫は不満を零した。
「えーもう着替えさせるの?」
「あのな。南天はこれから巡回なんだぞ。そんな動きにくい格好で行かせられるか」
「あれでも十分動けるわよ。もう少しあのままで」
「却下だ。桜哉、今日は上がっていいから、この分からず屋を俺の家に連れて帰ってくれ」
これ以上は収拾がつかないと判断し、真澄は桜哉に菫を押し付ける事にした。
真澄からの指示に桜哉は敬礼をして母の腕を掴んで引っ張った。
「お母様、今日はもう帰りましょう」
「桜哉を盾にするなんてズルいー」
ぶつくさ文句を零しながら菫は桜哉に引きずられてズルズルと執務室から出ていく。
バタンと扉が閉まってもしばらく菫の声は廊下に響いていた。
「はあ…」
詰め所の外に出てようやく納得したのか、菫は後ろ髪を引かれながら桜哉と共に大統領府から帰っていく。
その様子を窓越しに眺めてから、真澄はちらりと南天を見遣った。
「お前もさ、もう少し断るとかしろよ…」
「……?」
ぐしゃりと髪を掻いて真澄は脱力する。なぜ真澄が疲れているのか理解できず、南天は小首を傾げた。
「はあ、着替えておいで。そのままは巡回に行くのは隊の規律に反する」
「分かりました」
真澄の指示に従い、南天は紙袋を手に執務室の隣にある脱衣所へと向かう。
「南天」
脱衣所に入る直前、不意に呼び止められて南天は肩越しに真澄を振り返る。
「悪かったな、うちの妹が…嫌な思いをさせた」
シガレットを取りだしながら真澄は視線を下に向けながら南天に謝罪する。
自分に謝る真澄を不思議そうに見つめてから、南天は小さく首を横に振った。
「大丈夫です。それに、菫さんはいい人です。オムライス、美味しかったから」
「ん?オムライス?」
ぽつりと出た思わぬ単語に真澄は首を捻る。
何事もなかったように南天は脱衣所へと入っていく。
ぱたんと扉が閉まるのを見つめてから、真澄はシガレットの先端に火を点けた。
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刹那:さて、次回の『凍京怪夷事変』は?
弦月:菫の訪問の裏で、陸軍の情報を探る朝月と鬼灯。大統領府内の資料保管室にて、鬼灯はある事に気づき…
刹那:第二十四話『暗夜行路』次回もよろしく頼むぜ?
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