番外編-優しいセカイのクリスマス


 子供の頃。クリスマスは厳かなお祝い事だった。

 親父の故郷であるスペインは、他の欧羅巴の国と違ったクリスマスを過ごす風習があって、まだ向こうにいた時は家族でその日を過ごしたのを今でも覚えている。

 生まれた時からほぼ一緒に育った雪之丞や雪の両親。俺の両親や妹と弟も。それから、朝月の両親と兄弟も含め、俺が過ごしたクリスマスはスペイン流のそれだった。


 勿論、親の遠征について戦場を渡り歩いていた幼少期は、各国のクリスマスに参加して、違いを楽しんだものだ。

 怪夷との激しい戦いの中、誰もが安らぎと幸せを願ったあの輝きは、今もこの心に残っている。


 ロウソクの優しい明かりが照らす室内。

 暖炉にくべられたオレンジ色の炎。

 窓の外にちらつく雪と遠くに見えるクリスマスマーケットの明かりが、夢のような時間を子供心にもたらしてくれた、幸せな記憶に真澄は静かに微睡んだ。



 寒波が日ノ本各地に初雪の便りをもたらす頃。

 西洋の祭りであるクリスマスが徐々に広がりつつある銀座の通りには、華やかな飾りつけが施されていた。

 キラキラと耀く星やろうそく、丸い球の飾りが電灯に照らされていつになく煌びやかだった。


「買い物はこれくらいかな」


 大量の洋酒や飾り、チーズやハムなどの輸入品の入った紙袋を抱え、真澄はふうと息を吐いた。


「マスター、こんなに買い込でどうするんですか?」


 買い物の手伝いで付いて来た南天が、自身の腕に抱えた見慣れない装飾品の詰まった袋を見つめ、きょとんと小首を傾げる。


「これから柏木の家でパーティーをするから、そこで使うんだ。銀座くらいじゃないと輸入品は手に入らないからな」


「今年もそんな季節なんすね。なんか、年々一年が経つのが早くなってる気が…」


「そんだけ、お前も年を取った証拠だ」

 南天同様に買い出しについて来た朝月と隼人が互いに顔を見合わせる。


「俺、まだ若いですよ」


 不服だとばかりに顔を歪める朝月の頭を軽く小突き、隼人は真澄と先に通りを歩きだす。

 その後ろを南天と朝月もついて行く。

 午前中に買い出しに出て、もうすぐ昼だ。

 空は今にも雪が降りだしそうな曇天で、吐く息が異様に白い。


「旦那~帰ったら温かい物食べたいです」

「しょうがないなあ。簡単なものだぞ」


 紙袋を抱えた手を器用に擦りながらおねだりしてくる朝月に真澄は苦笑した。この後、パーティーの為の料理を作らなければならないのだが、朝から突付き合わせている分、それなりの報酬は払わないといけないらしい。


「あんま強請るなよ朝月。これから真澄さんはパーティーの支度なんだからな。俺ならホットワインか熱燗で十分」

「そういう隼人も、昼から飲んでつまみ喰いすぎるなよ」

 思わぬ忠告に隼人はぎくりと肩を揺らして、「気を付けま~す…」と小声で返事をした。


「まあ、もうすぐ昼だしな。前哨戦ってことで何か作るさ。味見も兼ねてな」


 ニヤリと悪戯っ子のように笑う真澄に、朝月と隼人もニヤリと笑い返した。

 そんな三人のやり取りを静かに見守っていた南天は、不意に空から落ちて来たものが鼻に当たり、おもむろに顔を空に向けた。


「雪…」

「お、降って来たな」


 ちらちらと灰色の空から降り注ぎ始めた六花に、四人の足取りは心なしか早くなった。



 パーティー会場である大統領府の特夷隊の詰め所では、拓を筆頭に、桜哉、大翔、鬼灯に加えて七海と晴美も飾りつけやお菓子作りに精を出していた。


「あ、雪降ってきたよ」

 ツリーの組み立てをしていた大翔は、窓の外にちらつく白い花弁を見つけて思わず声を上げた。


「予報で降るかもって言ってたけど、本当に降ってきたね」

「通りで寒いわけですね」

「東京は雪が少ない方なんだけど、今年は寒いかもね」


 作業の手を止め、窓の外を眺めていると、玄関の方が騒がしくなった。

「お帰りなさい」

 桜哉が出迎えに行くと、買い出しに出ていた真澄達が戻って来た。


「ただいま」

「店長~ドライフルーツとかありました?」

 台所からひょこっと顔を出した晴美が、さっそくとばかりに真澄達が買って来た紙袋を覗き込む。


「あるからちょっと待て。南天、その飾りは執務室の拓達に渡してくれ」

「分かりました」

 真澄の指示に南天は自身が持つ紙袋を一足先に執務室へ運ぶ。


「朝月は俺と一緒に台所に。隼人はそのワインとかシャンパンとか執務室に置いといてくれ」

「了解」

 南天同様に指示をもらった二人は、それぞれ買ってきた物を言われた場所に運んだ。


「さて、始めますかね」

 コートを脱ぎ、エプロンを付けて台所に入った真澄は、意気揚々と腕を捲って調理台の前に立った。




「外は寒かったでしょう」

 執務室で飾りつけをしていた鬼灯は、追加の飾りを持って帰ってきた南天から紙袋を受け取った。

「雪、降ってきた」

 こくりと頷き鬼灯に南天は紙袋を渡す。


「南天君、ポットに紅茶が入ってるから、良かったら飲む?冷えたよね」

「拓、俺には?」

「隼人はどうせ一人でお酒飲んで温まるでしょ」

 南天に続いて執務室に入って来た隼人に拓は肩を竦め、彼が抱えた紙袋を指さした。


「ちぇえ、なら勝手にブランデー紅茶するわ」

 紙袋をそっと隅に置いた隼人は、ブランデーの瓶を取り出した。


「隼人さん、ブランデー、ケーキに使うんであんま飲まないでくださいね」

 台所から顔を出した桜哉に注意され、さっそくボトルの栓を開けようとしていた隼人は、思わず手を止めた。

「…分かったよ」

 ぐしゃりと前髪を掻き揚げ隼人は数滴だけ紅茶にブランデーを垂らし、残りは大人しく桜哉に明け渡した。


 隼人の少しげんなりした背中を眺めながら拓は、南天に紅茶を渡す。

 それを受け取り南天は部屋の中に現れたツリーに視線を移した。


「大きい…」

「クリスマスツリーだよ。もしかして、南天君はクリスマスは初めて?」

 不意に大翔に問われて南天は緩慢に首を横に振る。

「存在は知っています」

「じゃあ、祝った事はない?」

「お祝い事なんですか?」

 いつになくキョトンと目を丸くしつつも興味を示す南天に、大翔は丁寧に説明を始めた。


「クリスマスっていうのはね、キリスト教のお祝いなんだよ。イエス・キリストって人が生まれたのを祝う大事な祭事」

 大翔の説明を静かに聞きながら南天は彼が入れてくれたカップに口を付ける。


「この飾り、真澄さんの故郷の飾りで、ベレンっていうんだけどね」

 話ながら大翔が取り出したのは、三人の老人が赤子を囲んだミニチュアだった。

「これが、そのキリスト誕生の様子を露わしているんだって」

「マスターの故郷?」

「真澄さんのお父さんはスペイン人とのハーフだし、真澄さんもスペインのアンダルシアって所で生まれたらしいよ」


「特夷隊には海外育ちがいるからね。欧羅巴のクリスマスを色々楽しめるから面白いんだよね」

 大翔と南天の会話に入って来た拓は、カップを手に笑みを零す。


「あのツリーはドイツとかの飾りだし、玄関のリースはイギリスとかの伝統だし…飾りやお菓子、料理も色々なものが出るから、南天君も楽しみにしているといいよ」

「なんせ、本場のクリスマスを知っている隊長が料理担当だしね」


「飾りにもそれぞれ意味があったりするから、もし興味があったら、飾りつけながら教えようか?」

 思わぬ申し出と、自分が飾りつけ担当になっている事にちょっと驚きながら、南天は小さく頷いた。さっき買ってきたばかりの煌びやかな飾りは気になっていた所だった。

 紅茶を一口飲んで南天はこくりと頷く。

「お願いします」

「ふふ、じゃあ、沢山飾ろう」

 大翔に促され南天は紙袋の中からキラキラ光る飾りをツリーに付け始めた。


「南天君、クリスマスはキリスト教のお祭りだけど、大切な人の事を思い出す日なんだよ。」

 人形を飾りながら唐突に大翔が話した内容に、南天は静かに耳を傾けた。

「大切な人…」

「そう、家族や友人、恋人…自分が大切にしている人、大切にしてくれている人。そんな人達と過ごす、又は思い出すそんな日だと僕は思うんだ」

 飾りに付いた紐を結び付けて大翔は、はにかんだ笑みを浮かべる。


「南天君は、やっぱり九頭竜隊長が大切な人かな?それとも鬼灯さん?」

「…ボクは…」


 不意な問いかけに南天は思わず考え込む。

 大切な人。そう聞かれた思い浮かんだ人物は幾つかいた。

 真澄は勿論、鬼灯と同じく残して来た仲間達。

 自分をここに来るように導いてくれたドクター。


「……」


 脳裏に自分が見知った者達の顔を思い出していた南天は、不意に靄がかかった状態で浮かんだ人物に眉を顰めた。


(あれ…)


 はっきりと顔を思い出せないが、常に傍にいたような感覚。

 その人物が誰か思い出そうとして、南天は何か薄い膜のようなモノに触れた気がした。



 特夷隊の詰め所には、食堂に負けない程の厨房がある。

 料理が得意な真澄の為に、柏木が自分が食べたいという理由を込めて最新鋭のキッチンセットを配置したのだ。


 調理台では桜哉、晴美、七海の女性陣が真澄と共に菓子や料理の支度に精を出していた。

 オーブンから焼きあがったクッキーを取り出し、桜哉と七海は砂糖で作ったアイシングでクッキーに模様を施していく。


「七海ちゃん上手」

「そんな事ないよ。桜哉ちゃんだって凄く可愛い」

「二人とも器用だねえ。私そういうのは苦手だもん」


 エプロンを身に着けた女性陣三人がキャッキャと賑わう台所は、実に華やかだ。

 そんな三人を肩越しに眺め、真澄はローストチキンの用意をする。


「晴美ちゃん、もう直ぐローストビーフ焼きあがるから、オーブンから出してくれるか?」

「はーい」


 返事をして晴美はオーブンから夜気上がったローストビーフを取り出す。

 ハーブと共に焼いた牛のもも肉が香ばしい香りを辺りに漂わせる。


「すげえ美味そうな匂い」

 丁度皿やグラスを運ぶの会場と台所を行き来していた朝月は、漂ってきた匂いにつられて調理台の上を覗き込んだ。


「朝月、つまみぐい禁止だぞ。手が空いてるならこれ持っていってくれ」

 すっと朝月の前に真澄は仕込みの片手間に作ったサンドイッチの皿を差し出した。

「やった」

 早速皿を受け取った朝月は一つ手に取るなりサンドイッチを頬張った。


「隼人達と一緒に食え。晴美ちゃん達も少し休憩にするぞ」

「はーい」


 作業を一度中断し、晴美、桜哉、七海の三人は調理台に置かれたサンドイッチの前に集まった。

 朝月も皿を手に会場へ戻っていく。

 きゃっきゃと話をしながらサンドイッチを摘まむ乙女達を眺めつつ、真澄はローストチキンをオーブンへと押し込み、自身もサンドイッチにかぶりついた。



 朝月がサンドイッチを運ぶと、隼人と南天が梯子に登ってツリーの上の方の飾りを付けていた。


「おや主様、その手の物は」

「旦那が作ってくれた軽食。ちょっと休憩にしろってさ」


 テーブルにクロスを掛けたり食器の用意をしていた鬼灯は、戻ってきた朝月が抱えた皿を見て声をかけた。

 それに応えて朝月はサンドイッチの皿を一先ず空いたデスクの上に置いた。


「拓さん、少し休めって真澄の旦那が」

「あ、もう一時だね。隼人、南天君、その辺で一度止めようか」

「了解」

 拓の声に隼人と南天は身軽に梯子から降りて来た。


「大分華やかになったすね」

「もう少し飾ってもいいかなと思うけど、どうだろ?」

「十分賑やかだけどな、これ」


 飾りつけのされたツリーを拓の横に並んで朝月と隼人は眺める。

 さっき買ってきたばかりの追加の飾りもついて、今年は例年よりボリュームがある。


「南天君が頑張ってたからですね」

 サンドイッチを手に取りながら少し遠目にツリーを眺めた大翔は楽し気に南天を見た。


「楽しそうに飾ってましたね」

「…そう…かな?」


 鬼灯からの思わぬ指摘に南天はキョトンと目を円くする。普段感情の起伏に乏しい分、本人も自身の気分には無頓着だ。


「懐かしいですね。今年はみんなで過ごせないのが少し残念です」

 小声でそう呟く鬼灯を振り返り、南天はツリーを見上げてから小さく頷いた。

「どうしてるかな?」

「それなりにやっているでしょうね。それより、早く我々も準備を整えないと」

「そうだね…」


 鬼灯の話に頷いてみたものの、南天は微かに違和感を覚えて壁にかかったカレンダーへ視線を向けた。

 日付は、12月25日。クリスマス。

 外には雪がちらつき、灰色の空はとても寒い。


(あれ…)

 さっきまでなんの違和感もなかった日付を南天は訝しんだ。


「鬼灯、今日は何日?」

「突然どうしました?今日は12月25日ですよ」


 唐突な質問に鬼灯は訝しむ。

 返ってきた日付を聞いて南天は、奇妙な感覚を感じながらも、頷いた。


「おやおや、大分準備が進みましたね」

「皆さんお疲れ様です」

 ガチャリと執務室に入って来たのは、医務室勤務の三好と天童だった。


「先生達も仕事終わりそうか?」

「なんとか夕方までには。まさか、軍都大の研究室から資料の編纂の手伝いを依頼されるとは思いませんでした」

 白衣を着たまま三好は肩を回して苦笑する。彼の助手でもある天道も資料を抱えて苦笑した。


「先生達もどうですか?サンドイッチ」

「旦那のお手製」

「九頭竜隊長が作ったものなら頂きましょう」

「有難いです。お腹空いてたので」

 拓からの誘いに二人も皿に手を伸ばした。


「そういえば、柏木大統領達、少し会議が長引きそうだから先にやっていてくれと伝言を頼まれました」

 天童の言葉に隼人は礼を言ってから時計を見上げた。


「閣下と春樹はともかく、海静には悪い事したな。護衛任務代わってやれば良かったか?」

「そうだね。でも、今日の会議は将来の勉強になるからって志願してたから、本人も納得してるよ」

「海静さん、朝から張り切ってましたよね」

「あいつ、勉強熱心だし、親父の背中も見ておきたいのかもな」

「朝月とは大違いだね」

「拓兄さん、そりゃないっすよ」

 笑みを浮かべた拓の指摘に朝月はがくりと肩を落とす。

 そんな弟分の様子を笑いながら見つめて隼人はブランデー入りの紅茶を煽った。


「さて、そろそろ私達は軍都大に行ってきます。早く戻らないと博士がぶつくさ文句を言いだしますから」

「次に戻る時は博士も一緒に連れてきますね」

「そうしてくれ。あの人、一人で歩かせたらここに着く前に凍死しそうだからな」


 二つ目のサンドイッチを頬張った所で、三好と天童は来た時同様に連れ立って部屋を後にした。

 隼人達の会話を黙って聞いていた南天はおもむろに大翔に訊ねた。


「博士って?」

「え?南天君どうしたの?博士って言ったら秋津川博士の事だよ。昨日も来てたよ」

「え…?」

 大翔の口から出た名前に南天は驚いて目を見張った。


「もしかして疲れちゃった?朝から買い出しも行ってくれてるし、少し休んでていいよ」


 大翔に肩を叩かれ南天は、茫然と彼を見つめた。

 気が付くと、こめかみが鈍く痛くなっていた。

 疲れているのか。いや、人形の自分が疲れるなんて。

 胸の内に浮かんだ疑問を振り払うように南天は大きく頭を振った。




 日が沈み、辺りがすっかり暗くなった午後六時。

 特夷隊の詰め所ではクリスマスパーティーが開かれた。

 白いクロスの敷かれたテーブルには真澄や桜哉達が作った料理や菓子が並べられていた。


 朝から準備をしていた特夷隊の面々もグラスや皿を片手にクリスマスを楽しんでいる。

 その様子を料理を作り終えようやく会場に戻って来た真澄は、壁際から眺めていた。


 今年も無事にこの日を迎えられた。

 子供の頃、クリスマスは厳かなモノだったが、家族や友人、親しい者達と過ごす大切な日だった。


 暖炉と蠟燭の暖かい光に包まれ、談笑を交わして過ごす日は、怪夷との戦闘に明け暮れていた両親達が穏やかに過ごせる数少ない日だったと思う。

 普段執務室として使っている場所の各所では、特夷隊の面々や招かれた家族達が談笑に花を咲かせていた。


 その様子を見ながら、真澄は壁際で1人ワインの注がれたグラスを煽る。

 朝から買い出しと調理で少し疲れも出ていた。


「ふう」


 喉を通り過ぎて仄かに熱を帯びるアルコールが妙に心地いい。

 だが、室内の様子に真澄は奇妙な違和感を感じていた。

 いつもと変わらないクリスマスの風景なのに、何かが違っている。


(疲れてんのかな…)

 胸中で呟き、おもむろに肩を揉み解しておると南天が寄って来た。


「マスター」

「お疲れ、楽しんでるか?ちゃんと食べとかないと朝月達に取られるぞ」

 さっきまで姿が見えなかったような気がした南天が駆け寄って来た。


「マスター、今日は何日ですか?」

 唐突な問いかけに、真澄はキョトンと目を見張る。

「どうしたいきなり、今日はクリスマスだろう?12月25日に決まって…」

 南天の問いに真澄はさっきまで当たり前だと思っていた日付を口にする。だが、そこで不意に違和感を感じて目を見張った。


「マスター、周りをよく見て下さい、今日はクリスマスなんかじゃ」

「やあ、ごめんごめん、遅くなって」

 南天の言葉は、そこから続くことはなかった。まるでそれを掻き消すように入り口から聞こえてきた声に真澄も南天も視線を向けたからだ。


「遅いぞ、何をしてたんだ?」

 右手を挙げ、会場に集まった人々の注目を集めながら入って来たのは、白衣を羽織った一人の男。

 海静や七海、奥方と家族四人で団欒をしていた柏木は、部屋に入ってきた白衣の男に気づくと、親しげに歩み寄った。


「ちょっと研究が長引いちゃってさ。そういう静郎は時間通りだったんだね」

「当たり前だ。九頭竜君の料理を喰いそびれる方がよっぽど問題だからな」

「あはは、相変わらずだね」

「それより、早く行ってやれ、そこでくたびれてるぞ」


 柏木が指差した方には、壁に寄りかかりワイングラスを煽る真澄がいる。

 それを確認して白衣の男は、ゆっくりと真澄の方へ歩み寄った。


「お待たせ真澄、今日はお招きありがとね」

「雪…」

 同年代の少し白髪の混じった髪の男はー秋津川雪之丞は嬉しそうに真澄に笑い掛ける。


「ああ、お前…なんで」

 突然現れた雪之丞を前に真澄は驚愕した。


「うん?僕の顔になんかついてる?幽霊見たみたいな顔して…」

 驚き固まったままの真澄を訝しみ、雪之丞は親友の顔を覗き込む。


「マスター、その人はドクターじゃない!あの人がこの時代にいる訳ない!」

 真澄に近づく雪之丞の前に、南天は咄嗟に立ちふさがった。


「うわ、え?何?僕なんかした?」

 突然ナイフを構えて立ちふさがった南天に雪之丞は驚き目を見張る。


「貴方は誰ですか?」

「僕は秋津川雪之丞だよ。九頭竜真澄の親友で幼馴染の?君こそ何者?」

「ボクの事を知らないんですね?」

「初対面だよね?」

 キョトンと目を見張る雪之丞を見据え、南天はナイフを握る手に力を籠める。


「おい、南天一体どうした?そいつは俺の」

「マスター、目を覚まして下さい!今日はクリスマスなんかじゃない。今日はまだ8月。季節も夏です」

「は?」


 思わぬ指摘に真澄は困惑した。外には雪がちらつき、暖炉の火が赤々と灯されている。そんな光景が目の前に広がっているのに、どうして今が夏だというのか。


「南天、お前何言って」

「目を覚まして!ボク等がいるのは、怪夷が見せる幻術の中ですっ」


 普段声を荒げる事のない南天がきっぱりと真澄に告げた瞬間、ぐらりと世界が歪んだ。

 それまで見えていたものがモザイクとなって曖昧になり、足元がおぼつかなくなる。


「っ!?」


 気が付くと、それまで自分がいた執務室の景色はなくなり、思い思いにクリスマスを楽しんでいた仲間達の姿は消えていた。

 代わりに、真澄と南天、その目の前に立ちふさがる雪之丞の姿をした何かは暗闇の中に立たされていた。


「よく気付いたね…」

 雪之丞の姿をしたモノが、悲しげに目を細める。


「全部幻だったのか…」

「マスターは怪夷との戦闘中に幻術を掛けられたんです。傍にいたボクも巻き込まれたようで、途中まで虚構だと気付きませんでした…」

「くそっなんつう幸せな夢見せんだよ!」

 幻術だと認識した途端、真澄の腰には愛用の軍刀が下げられ、特夷隊の制服を身に纏っていた。


「南天、行くぞ」

「はい」

 全てを振り払うように真澄は軍刀を引き抜く。


「僕を切るの?君が一番大切な親友の雪之丞だよ?」

 眉尻を下げ、寂しげな表情を浮かべる雪之丞の姿をしたモノを真澄は唇を噛みしめて見据えた。


「お前は、雪じゃない。俺はアイツを自分の手で見つけるって決めてるんだよ!」

 軍刀を正眼に構え、真澄は一気に踏み込むと、躊躇いなく白衣の影に切りかかる。

 それを援護する形で南天は敵の背後に回り込み、退路を塞いだ。


「くそっもうちょっとだったのに!」

 前後から鋭い白銀の刃が白衣の影に突き刺さる。途端、キラキラとした粉が周囲に飛び散った。


「これは…鱗粉…」

「ボク等が対峙していたのは蝶の怪夷です」


 刃の突き刺さった場所から飛び散った鱗粉と共に、ヒトの姿から本来の巨大な蝶の姿に戻った怪夷は、ぎちぎちと鋭い牙を鳴らす。

 留めとばかりに真澄は蝶の額に軍刀を突き刺し、その奥にある核を砕いた。

 断末魔の悲鳴を上げ、蝶の怪夷が飛散していく。


「…なるほど、夢見鳥ゆめみどりか…くそ、人の弱い部分に干渉しやがって…」

 黒い塊となって落ちた怪夷の残骸を眺め、真澄は苦い顔をする。

 気が付くと、周囲の景色は暖かな冬の一室から、ジメジメと蒸し暑い夏の夜の下に戻っていた。


「南天、悪かったな。それから、ありがとう」

「いえ、無事でよかった」

 ほっと息を吐く南天の頭を真澄は優しく撫でる。それに南天は目を閉じて身を委ねた。


「そいうや、どうして気付いたんだ?あれが幻だって」

「ああ、ボクがいるのに今はいない人がいたのと…ドク…秋津川博士の話題が出たから…」

「なるほど、そうか…俺が感じた違和感は、海静や春樹がいた事か…」


 既に隊にいない人物が、会った事のない南天や鬼灯と同じ空間にいるのは、奇妙な話だった。

 ましてや、桜哉や大翔がいる中で海静と春樹がいるのもおかしい。

 そして、特夷隊発足前に消えた雪之丞の存在が同じ場所にいるのがそもそも間違っていたのだ。


「鬼灯に確認をとっても、なんも違和感がなさそうだったから、これはボクだけかと思って色々探っていたんです。そしてたら、直前の事を思い出して」

「それで、幻術にかかったのは俺だって気付いたのか。凄いなお前。助かったよ」

「いえ…ボクはただ違和感の正体を捜していただけなので…」

 視線を逸らし俯く南天に、真澄はキョトンとしてから肩を竦めた。


「…すみません、マスターにとってあの幻は、きっと望んだ光景だったんだと思うんですが…壊すような真似をしてしまった…」

「いや、たとえあの光景が俺の望みでも、俺は夢の中に囚われるのは御免だ。現実でそうなるよう努めるさ。まあ…一部は叶わないとしてもな」

 少しだけ寂しげな表情を浮かべてから、真澄は毅然とした顔できっぱりと言い切った。


「さて、戻るか。本当のクリスマスはまだ先だしな」

 背伸びをして肩をほぐした真澄はゆっくりと歩き出す。いつの間にか夜は静かに明けようとしていた。


「本番は俺の手料理をしっかり食わせてやるからな」

 隣を歩く南天にニヤリと笑い掛ける真澄は何処か楽しげだ。


「ボクはかぷ麺があればいいです」

「こらこら、そういう悲しい事言わないの」


 いつもの南天に戻った事に苦笑しつつ真澄は細い肩に腕を回した。

 驚いたように目を見張った南天だったが、真澄の好きにさせる事にして、ゆっくりと歩調を合わせた。


 夢見鳥が見せた幻影はとても幸せなものだった。本当にそうであったらいいのにと思わせるほどに。

 けれど、それを真澄は良しとしなかった。


(早く、あの光景に近い日を迎えられるようにしないと…)


 真澄に肩を抱かれたまま歩きつつ、南天は白む空を見上げる。

 その胸には自身が背負う使命を自覚させるための決意の炎が燃えていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る