第二十話-作戦開始の鐘が鳴る





 真澄に向かって鋭い爪が迫る。

 咄嗟に鬼灯が鞭を振るうが、距離がある為に間に合わない。


 地面への落下を受け身を取った真澄の頭上で鋭い先端が迫った刹那、暗闇の中から漆黒の影が風を伴って現れた。


 真澄の眼の前、漆黒の突風が吹き抜ける。

 それは、差し迫ってた猿の腕に噛み付くと、勢いのままに嚙み千切った。


 ギイイイイイイイ


 耳をつんざく悲鳴が夜闇に木霊する。

 先程まで真澄を切り裂こうとしていた猿型の怪夷の腕は、肘から先がなくなり、黒い体液を滴らせていた。

 明里を抱えて猿型の怪夷と距離を取った真澄は、風が吹き抜けていった方に視線を向ける。


「あれはっ」


 そこにいたのは、噛み千切った猿の腕を咥えた一匹の黒い狼だった。

 二メートルを越す体長に赤くぎらつく双眸。

 それが狼の姿をした怪夷だというのは誰もが瞬時に理解した。

 ただし、それに真澄達は見覚えがあった。


「まさか」


 咥えていた腕をゴミでも捨てるように吐き出して、狼型怪夷は真澄達には目もくれず、猿型の怪夷目掛けて駈け出した。


 そこからは、何が起こっているのか真澄達にも分からなかった。

 自分より大きな体躯の猿型の怪夷に飛び掛かった狼の怪夷は片腕を振り回す猿型の怪夷を体当たりで地面に倒すと、その上に馬乗りになった。

 鋭い牙が猿の身体に食い込み、肉が引きちぎられ、黒い血飛沫が夜の地面に飛び散る。

 二匹の怪夷による取っ組み合いの末、狼の怪夷は猿の怪夷の喉元に噛み付くと、その骨を砕くように容赦無く牙を立てた。

 猿型の怪夷が動かなくなると、狼の怪夷はその場から身を引き、真澄達の方を凝視した。


 次は自分達かと身構えていると、狼の怪夷は軽く顎を振って猿型の怪夷を示すと、現れた時のようにその場から去って行った。


「今のは...」


 茫然と真澄達が闇の中に消えて行く狼の是を追っている間に、鬼灯は猿型の怪夷に近付いた。

 鞭で容赦無く額の辺りを打ち、その奥にある核を砕いて完全に怪夷を絶命させた。


「ふう...」

「やったか」

 灰と貸して霧散していく怪夷を横目に戻ってきた鬼灯に朝月は駆け寄る。


「危ない所でしたね...それにしても今のは」


「怪夷が怪夷を襲う事例は確認されているが...あれは」


「どう見たって俺達を助けてくれた」

 暗闇に消えていった狼型の怪夷。それに三人は見覚えがあった。


「あの狼...まさか...」

「推測を論じている所で恐縮ですが、早く怪夷の残骸を回収して一度戻りませんか?また怪夷が寄ってきても面倒です」

 茫然としている真澄に鬼灯は珍しく強く進言した。


「そうだな。明里さんの事もあるし、戻るぞ」


 ハッと我に返った真澄はいつも通りに部下った位に指示を出す。

 それに従って隼人、朝月は怪夷の残骸を集め始めた。





 ガタガタと扉を挟んだ攻防戦が続く中、桜哉、大翔、拓は必死に七海を押さえ込んでいた。


「七海ちゃん!目を覚まして」


 悲痛な桜哉の呼びかけが夜の大統領邸に響き渡る。

 今にも扉が外れようかとした時、ふっと七海の動きが止まった。


「え」


 ぷつりと、糸が切れた操り人形よろしく、七海の身体から力が抜け、そのまま彼女はぐったりと扉に寄り掛かるように倒れ込んだ。


「七海さんっ」

「月代さんっ七海ちゃんが」


 扉をこじ開ける力がなくなった途端聞こえて来た二人の悲鳴に拓は勢いよく扉を開いた。


「何があった?」

「分かりません、急に七海ちゃんが意識を失って...」


 倒れ込んだ七海を床に寝かせて拓は徐に脈を取る。

 心音は正常に鼓動を刻み、呼吸も眠っているように規則正しく繰り返されていた。


「...どうなっているんだ...」


 就寝時と同様の七海の様子に拓を始め三人は困惑した。

 その晩、七海が同じような状態に陥る事はなく、護衛組は静かな朝を迎えるのだった。





 吉原の怪夷出没事件の二日後、真澄達は大統領府の詰め所に集まっていた。

 吉原での事件は、犯人と思われる猿の怪夷を討伐した事で一応の解決を見た。しばらくは警察による巡回が行われ、問題がなければ収束となる。

 一つ事件が解決した事と、七海の護衛の件。更に吉原に現れた怪夷の検証も含めた会議を行う事になっていた。


 執務室には先日の吉原で回収した猿の怪夷の分析結果を手にした三好も同席していた。


「先に皆さんが持ち帰ってくれた怪夷の検査結果からお伝えします」


 資料を手に三好は纏めたデータを公表する。


「結論から言わせて貰いますが、今回の怪夷、普段皆さんが退治しているモノと少し違うという結果が出ました」

「どういう事だ?」

 三好が出した結論に真澄を含め全員が視線を交わす。


「怪夷はこれまでの研究から死者の血肉を糧に発生する事が分かっています。血肉、怨念が霊脈に作用して発生するのが一般的な知識です」

「それが、今回はどう違うんですか?」

 拓の質問に三好は更に資料を手に会話を続ける。


「今回の怪夷から生者の成分が出ました。これは、今回の怪夷がかつて逢坂や欧羅巴の一部で跋扈したヒト型怪夷に近いという結論です」

「ヒト型?」

「あの旧ランクでランクSと言われていた連中か」

「けど、あれは特殊な方法でしか生まれないんじゃ?」


 欧羅巴での討伐戦線や過去の出来事を知っている真澄、隼人、朝月は驚きを隠せない様子で顔を見合わせた。


「ええ、かつてヒト型の怪夷は怪夷を人が取り込んだ結果生まれたと言われる意思疎通の出来た特異事例です。怪夷の生みの親と言われる水銀の錬金術師メルクリウスが実験の過程で生み出した、と今は伝わっています。私も実際に見たことがない上、資料が乏しいので推測しか出来ませんでしたが、今回の怪夷は恐らくかつてのランクSに近い存在という事は間違いないかと」

 淡々と語る三好の話に、真澄は眉を顰めた。


「けど、あれはメルクリウスしか造り出せなかった筈だ。アイツは43年前の江戸解放戦線の時にお袋達が倒したし、欧羅巴での連中も既に俺達が倒してる」

「残党...というより、誰かが新たに造り出した可能性があるのか」

「ヒト型怪夷の精製には今だ謎な部分が多いですから」

「そういえば、明里さんが聞いたという陸軍の会話...」

「確か実験がどうとか言っていたんだったな」

 確認する隼人の問いに朝月は頷く。


「宗像達が何かの計画に関与しているのは間違いないだろう。それが、今回の怪夷と関係があるかはまだ不明だが...この件についてはもう少し情報が欲しい所だな...」


「私の方ももう少しサンプルや資料があると助かります。今後の対策を練る上でも」


「そうだな...。次は、七海嬢護衛組の報告を頼む」

三好の報告と今後の動きがそれなりに纏まった所で、真澄は別班のリーダーである拓に話題を振る。

それに頷いて拓は椅子から立ち上がると、先日からの護衛任務の様子を話始めた。

「護衛に任務初日の観測ですが七海嬢の夢遊病状態は深夜、突然起こったという感じでした。それは短時間で落ち着きを取り戻し、症状が収まった後は何事もなかったかのように眠っていました。昨日も護衛に着きましたが、初日のような状態には陥っていません」


「就寝前は普通だったんです。それこそ任務を忘れてお茶会をしてしまった位ですし」

「状況が変化したのが深夜二時頃です」

「二時頃っていったら、吉原で猿型の怪夷が出没した時間か」

 その時の状況を大翔と桜哉は詳細に説明する。


「閣下が言っていた通りに『お兄ちゃんが呼んでいる』と言いながら外に出て行こうとしていました。何処に行くのか聞いたら指を差したので」

「試しにその方角を図って見たんですが...その時はどうやら吉原の方向に向かおうとしていたみたいなんです」


「吉原に?」

「あくまで方角が一緒というだけではっきりと目指していたかまでは分かりませんが」


「護衛前に結界を張って、怪夷が出没するかも確認しましたが、出没どころか気配すらなかったんです」

「怪夷が関係している訳じゃないのか...」


「そこまでははっきりとしません。今後も護衛中の様子を観察する必要があります」


「いっその事、何処に行くか歩かせてみるとか?」

「朝月、お前阿保か、保護対象を囮に出来るかよ」


「いや、その方が早く解決するかもしれない。危険は伴うが、吉原の一件が片付いた今なら全員で護衛も可能だしな。俺の方から閣下に提案してみるよ」


「しかし、なんか謎が増えたというかキナ臭いな」

「これは、案外大きな事が動いているのかもしれないね」


「赤羽さんも月代さんも、それは警察官の勘ですか?」

 桜哉の問いに隼人と拓は同時に頷く。


「何かが裏で動いている時は小さな不可解が続くもんだ」

「軍が動いている実験っていうのも気にかかるしね」

「少し編成を考えるか...とは言っても、情報戦は俺もそれ程得意じゃないしな...」


 眉を顰め考え込む真澄を無言で見詰めていた南天は、不意にちらっと同じく黙って様子を伺っている鬼灯を見る。

 南天の視線に気づき、鬼灯は肩を竦めつつも眼だけで合図した。


「マスター」

「どうした南天?」


 それまで会話に入らずに黙っていた南天が挙手をしたのに気づき、真澄は後ろの方に座っていた南天の方に顔を向けた。


「その軍への調査、鬼灯にさせてください」

「鬼灯に?」

 突然上がった名前に真澄を含めた全員の視線が後ろの席に腰掛けた鬼灯に集まる。


「彼ならそういった探るのは得意です。鬼灯は、元情報士官です」

 キッパリと告げられた予想外な一言に三好を覗く特夷隊の面々が目を見開いた。


「は?お前、スパイだったのか⁉」

 ガタンと、思わず椅子から立ち上がった朝月は驚きのあまり鬼灯を凝視した。


「スパイと言っても、別にここに潜り込んだのは諜報の為ではありませんよ。それは誓って宣言します」

 溜息交じりにそう弁解すると、鬼灯は涼しい顔で真澄を見詰めた。


「ええ、南天のいう通り、わたくしはここに来る前のある場所で諜報官を兼ねた情報士官でした。これでも、色々潜入任務は熟していますよ」

「意外だな...いや、逆にしっくりくるか」

 真澄も驚きを隠せない様子で声を詰まらせる。


「皆様のお役に立つのが我々の使命ですので、隊長さんが許可と権限をくださるのでしたら、この鬼灯、人肌脱ぎましょう」


「マジで脱ぎそうだけどな、コイツ」

「でも、人は見かけによらないね...」

 同じく驚いたまま隼人と拓は顔を見合わせる。


「情報士官か...分かった。軍の実験の件に関しては鬼灯、それから監督補佐役で朝月、二人で当たってくれ」

「俺も?」

 突然振られて朝月は更に驚いて真澄を見遣った。


「バディ組んでる以上お前しかいないだろう。それに、お前ならまだ陸軍とパイプがあるだろう?」

 真澄の指摘に朝月は思わず顔を逸らした。


「まあ...交流はありますけど...」

「お前な、陸軍抜ける時にここの情報探って来いって言われてたの、俺が知らない訳ないだろ?」


「え⁈朝月さん、スパイだったんですか?」

「誤解だ!いや、最初はそうだったけど、俺にも色々事情とか苦労があって」


「ああ...だからまだ陸軍に配属されたばかりの朝月君が特夷隊に来たのか...」

「月代さんまで誤解ですって、この隊への引き抜きが来た時、確かに上官から情報流せって言われてましたけど...親父に色々お灸据えられて結構大変だったんすから!」


「安心しろ、その話は東雲先生から聞いてる」

 ジト目を向けられ朝月は背中を丸めて椅子に座り込んだ。


「あの温和そうな東雲先生からのお灸...すげえ気になる」

「隼人さんまで!マジやめて!聞かないでっ」

 今にも泣きだしそうな朝月を散々弄った所で真澄は話題を元に戻した。


「それでは鬼灯、お前に俺が閲覧出来る機密資料の開示権限を貸与する。軍の情報も閲覧検索可能だ。情報士官なら、後は分かるな」


「心得ました。この鬼灯にお任せください。あ、三好先生も手伝ってくださいね」

「いうと思いました。了解しました。私の専門分野等で協力はしましょう」

「朝月も頼むぞ。軍への探りはお前の分野だからな」

「はい...」

 悄然と肩を落したまま朝月は弱弱しく敬礼を返す。


「それでは、暫くは七海嬢の護衛任務と通常の夜間巡回で行動していくぞ。詳しくは...」





 会議が終わり、帰りの途に尽きながら朝月は溜息をついた。


「はあ...」

「おやおや主様、随分疲れていますね。何か精の付く物でも作りましょうか」

「お前な、さっきの遣り取り見てて助け船なしかよ」


「ああ、すみません。じゃれているようにしか見えなくて。さっきの主様の泣き顔大変愛らしかったですよ」

「コイツ...他人事だと思って...」


 鬼灯への恨み言を零して朝月はがしがしと頭を掻いた。

 そんな朝月の後姿を眺めてから、鬼灯は不意に立ち止まり、朝月を呼んだ。


「どうした?」

「主様、先日の答え合わせをしましょうか。わたくしが何者かという」

 思わぬ真剣な鬼灯の顔つきに朝月は自然と背筋を伸ばす。


「なんだよ、改まって...」


「貴方様がわたくしとの契約の時に見た風景、あれはわたくしの過去であり、この身が宿すモノの過去であります」


 突然の告白に朝月は目を見張る。

 まだ青年だった頃の父親の姿。その肩に乗る一匹の狸。

 あの狸を朝月は知っていた。子供の頃、共に過ごした事がある。

 あれは確か...。


「主様、わたくし達の目的は九頭竜真澄を護る事。そして、この時代に蔓延る怪夷を完全に消し去る事です」


「この時代?」

「貴方なら知っているでしょう。欧羅巴での怪夷討伐戦線まで使用された、怪夷殺しの聖剣と呼ばれた五振りの刀剣。英雄が英雄たる由縁だったその刃。あの大震災で失われたかの最終兵器。わたくしの中にはその一振り、神刀しんとう弦月つるつきが宿っています」


「神刀・弦月...!」

「そう、貴方のお父様、英雄・東雲雨しののめしぐれが用いた短刀。わたくしはそれを宿した鞘人さやびとという存在です」


 突然告げられた真実に朝月は思わず後退る。脳内ではぐるぐると幼少期の記憶と共に、鬼灯と契約をする為に彼の血を飲んだ時に脳裏を過った光景、それから自身が抱いていた勘が一直線に結ばれた。


「お前...あの狸なのか?」

「実際にはあの狸ではありませんが。それがわたくしの中にいるのは間違いありません。そして、陸軍が動いているという実験、なんとしても止めなくてはなりません」

 ニコリと微笑んでから鬼灯は普段の様子とは異なる真剣な視線で朝月を見据えた。


「ちょっと待て、話が飛躍しすぎて意味が分からんから」

「ようは、事態がかなり重いという事です。まだ詳しくは話せませんが、わたくしの正体を告げたからには、貴方には協力して頂きます。それが、九頭竜隊長を救う手だてであり、この国の未来を護る事になりますから」


「この国の未来ってどいう事だよ...てか、お前と南天は一体...」

「主様、軍の動向を探る傍ら、我々の仲間を此方に呼ぶ為に協力して下さい」


「なんか...情報量多くて頭パンクしそうだけど...要するに、旦那の為って事でいいんだな?」

「ええ、その解釈で問題ないかと」


「じゃあ、その呼び寄せたいお前の仲間ってのも、その...聖剣が宿ってるって?」

「ええ、南天もその一人です。彼が何を宿しているかはわたくしも知りませんが。情報開示の権限は本人にしか与えられていませんので」


「猫っぽいから、雪之丞の旦那のお袋さんが使ってた神刀・刹月だったりしてな」

「さあ、どうでしょうね」

 意味深に笑う鬼灯を前に朝月は溜息を吐く。


「お前が敵でないのが分かっただけでもよかったわ...正直胡散臭さ満載だったし。それで、策はあるのか?」

「ふふ、それは勿論」


 何処か楽し気な様子で鬼灯は朝月の耳元で囁く。

 その内容に朝月は大きく目を見張ってから真剣な様子で相槌を打った。








******************


弦月:さあさあ次回の『凍京怪夷事変』は


暁月:真澄から陸軍への探りを命じられ、同行を探る朝月と鬼灯。一方、七海嬢護衛の任務と通常任務に戻った真澄達の下をある人物が訪れて…


弦月:第二十一話「横須賀から来た女」こうご期待ご期待!




次回更新日は12月7日㈫『凍京小話』をアップ予定です。






 


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