第十八話ー新任務、はじめました。


 長く続いた梅雨が明け、太陽がギラギラと輝く季節が訪れた。

 暑さを少しでも凌ごうと、詰め所内の窓は全開にされ、天井に取り付けたファンがフル稼働していた。

 中山道側にある大統領府は海からは少し遠く、敷地内を覆う木々だけが強い日差しから職員を護ってくれていた。


 午前中のまだ日が昇りきらないうちから特夷隊の執務室には、珍しく隊員全員が集められていた。


「それじゃ、この先暫くの配置変更と業務変更を説明するぞ」

 黒板の前に資料を手に、真澄は目の前に椅子を持ってきて座る部下達を見渡した。


「先日、朝月と鬼灯が遭遇した猿型の怪夷、これがどうやら吉原を中心とした一帯に何度も出現しているという証言が取れた。民間人に怪夷の存在が知れ渡るのは避けたい。そこで、暫くの間、吉原及びその付近の巡回を強化する。今回は俺達だけでは警備が間に合わない為、この事件の調査依頼を持ち込んできた警視庁と合同で行う。むろん、彼等は警戒だけで実際に怪夷の討伐は俺達が行うけどな」


「警視庁との合同か…」


「赤羽と月代は古巣との共同になるな。彼等は大統領支持の革新派かくしんはだから、問題はないが、合同で行う上で不具合がないよう、事前に話をつけてもらえると助かる」


「分かりました。後程庁舎を訪ねてきます」

 資料を手に隼人と拓は互いに視線を交わして頷いた。


「次に、この件と並行で暫く別案件に携わる事になった。皆も見知っていると思うが、柏木大統領閣下から実子である柏木七海嬢の身辺警護を依頼された」


「七海ちゃんの護衛?なんでまた」

 資料と真澄の顔を交互に見やり、朝月は驚いた様子で眉を顰めた。


「これは閣下本人からの直々の依頼だ。この間の海静かいせいの法事の後から夜になるとまるで夢遊病のように外に出て行こうとするらしい。その際、必ず「お兄ちゃんが呼んでる」と譫言をいうそうだ」


 資料にはない事柄にその場の全員が互いに顔を見合わせた。これまで、大統領からかなりの無茶振りの要請がなかったわけではないが、これは今まで以上に大ごとだった。


「分かっていると思うが、もし海静が戻ってきているなら、それはもう海静じゃないと思っていい」


「海静が怪夷に…」


 一年前、海静の最期を見ている朝月と隼人は唇を引き結ぶ。一緒に仕事をしてきたが最期の時には現場を離れていた拓と、海静が抜けた後で入ってきた大翔と桜哉は戸惑った様子で視線を彷徨わせた。

 状況をしらない南天と鬼灯は静かに話を聞いていたが、おもむろに鬼灯は手を挙げた。


「よろしいですか?」

「質問か?」


「はい。吉原においての怪夷出現とその大統領のお嬢さんの護衛。同時進行で行うという事は、隊を二つに分けるという事でしょうか?それと、日中に行っている大統領の護衛はどうされるんですか?」

 鬼灯の問いは誰もが気になっていた事だった。


「それについては今から説明する。閣下から七海嬢の護衛を行うにあたり、事案解決までは自分の護衛は必要ないと要請があった。七海嬢の護衛が夜間になるし、日中の業務は最小限でいいそうだ。それから、吉原の案件は場所が場所だけに、怪夷が実際に出現するまでの間は、一部の者で巡回を行う」


 鬼灯の疑問に応えながら、真澄は黒板の真ん中に線を引き、各自の名前が書かれた札を貼っていく。


「吉原巡回組は俺、赤羽、東雲、鬼灯の四名。七海嬢護衛組は月代、宮陣、六条、南天の四名に当たってもらう」


 真澄の人選には誰もが納得するものだった。但し、約一名を除いては。


「マスター、どうしてボクはマスターと別の組なんですか?」


 ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった南天は不満げに真澄を凝視した。

 予想していた食いつきに真澄は毅然とした態度で答えた。


「さっきも言っただろ。場所が場所だけにって。吉原は未成年の出入りは厳禁だ」


「ボクは人形ですから年齢制限は関係ありません。マスターのサポートをするのがボクの使命です。先日の黒結病こっけつびょうの件もまだありますし」

 真澄の右腕を示して南天は発言を続ける。


「それに関しては、検査結果も問題なかったから心配ないよ。どういう原理かは分からないけど、九頭竜隊長のその腕は黒結病とは異なるようだから」


 ミーティングに参加していた天童和磨が、ファイルを見ながら応じた。先日、病院から上がってきた検査結果に異状はないとあったのだ。


「専門医の許可も下りている。だから心配ない。後、お前人形っていうのは勝手だけどな、自分の顔を鏡で見てから言え、そんな女みたいな綺麗な顔して吉原なんぞに行ってみろ、怖い目に遭うぞ」


「ボクは暴漢くらい倒せます。マスターボクを吉原組に加えて下さい」


「駄目だ。お前には七海嬢の護衛を任せる。そっちだってどんな凶悪な怪夷と遭遇するか分からないんだからな」

 溜息を吐き、真澄は南天に座るように促すと話を戻した。


「以上、今夜よりこの配置で行動する。各自勤務表を確認し、五時に再び集合する事」


 了解と、誰もが返事をする中、南天はその場に茫然と立ち尽くした。

 ちらりと、その顔を鬼灯が覗き込む。すると、南天と視線がぶつかった。


「すみませんね。隊長に貴方の年齢を聞かれたので、答えておきました」


「…余計な事を…」


 捨て台詞のように吐き捨てた南天は、黒板を片づけている真澄の傍に駆けよると、更に抗議と懇願を繰り返す。

 その様子を見ながら、ふと鬼灯は朝月の袖を捕まえて自分の傍へ引き寄せた。


「な、なんだよ」

 突然の事に驚いていると、鬼灯は真剣な顔で質問を投げかけた。


「主様、警視庁が大統領支持の穏健派というのは、どういう意味でしょうか」

 唐突な問いかけに、朝月は「ああ」と頷いてから話を始めた。


「いわゆる、政治的な派閥だよ。この日ノ本共和国は先の帝が逝去された後、新政府に変わったんだけど、そこで司法、政治、軍事、祭事さいじの四権分立がなされたんだ」


「ふむふむ」


「その中で、大統領が属する政治部は革新派、穏健派おんけんは中立派ちゅりつはの三つの派閥があって、それぞれが他の三つの部門と癒着している訳。警視庁が所属する司法部は大統領制導入に一役買っているから、大統領支持を貫いているんだ」


「つまり、残りの穏健派、中立派はそれぞれ考え方が違うと?」


「そうだな、軍部は簡単で大統領毛嫌いの穏健派が陸軍、大統領支持の革新派が海軍で真っ二つ。一番複雑なのは祭事部さいじぶだろうな。あそこは帝擁立派の中立派が大半だけど、現帝が大統領の支持をしているから、今のところ大人しくしてるらしい。ああ、勿論祭事部にもこちらに協力的な革新派や敵対している穏健派もいる」


「なるほど。つまり、日ノ本政府の懐も一枚岩ではないのですね」


「そ。こういう話はあまり公にはされていないから、一般人が知ってる方が少ないからな」


 朝月の説明を聞き、鬼灯は深く頷いた。

 そっと、声を落とし朝月は更に話を切り出した。


「余談だけど、この特異隊設立の際に旦那を陸軍から引き抜くのにもひと悶着あったらしい…なんせ、旦那はあの英雄の息子。欧羅巴の討伐戦線でもかなり功績を上げていたから怪夷絡みでなかったら引き抜きは無理だっただろうとか言われてる」


「ほほう…それは中々興味深い」


「中立派はともかく、穏健派は何かと邪魔してくるから、余計な事すんなよ」

 朝月の思わぬ忠告に、キョトンと目を丸くしてから鬼灯は楽し気に微笑んだ。


「ふふ、こちらに害がない限りは何もしませんよ」

 不敵な笑いを零す鬼灯に不信感を覚えながら、朝月は鬼灯と共に執務室を出た。



 

 日が暮れる頃。

 大統領府の特夷隊の詰め所には、柏木七海護衛を任された四人が集まっていた。

 少し前に吉原警邏組を見送った南天は珍しく不満げな顔でソファに座っている。


「そんなに膨れなくても...」

「膨れてません」


 苦笑交じりの大翔の指摘に南天はきっぱりと意思表示をする。だが、視線は窓の外に向けたまま動くことはない。


「隊長の事が気になるのは分かりますが、吉原は私達では」

「花街だからね。それに、真澄さんも言ってたけど、南天君が行ったら、きっと攫われちゃうよ」

 桜哉の言葉を引き継ぐように大翔は肩竦めて南天を諭す。


 すっと、南天の前にカップが差し出される。

 カップを受け取りながら顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべた拓が見下ろしていた。


「これでも飲んで落ち着いたら、もう少ししたら僕等も出発だよ」

 自身もカップを手に拓は南天の隣に座る。


「隊長の人選、不満かな?」


 膝を抱えカップを両手で握り締めている南天の顔を覗き込むようにして拓は問いかけた。


「不満...」


「どうして君が真澄さんの傍にいたいのか分からないけど、気にかけてくれてありがとね。あの人、周りには大丈夫とか言って結構無理してるからさ」

 カップを傾ける拓を南天は横目で一瞥する。


「隼人から聞いたけど、多分君の事真澄さんは怒っている訳じゃないよ。少なくとも、君を吉原の組から外したのは君の事を気遣ってだと思うよ」


「どうして、僕がマスターが僕の事を怒っていると思っていると知っているんですか?」

 唐突に振られた推測に、隣に座った拓を凝視して南天は疑問を投げかける。


「ああ...職業柄そういうのが読めるんだ。知ってるかもだけど、僕は元々警視庁から引き抜かれた元警察官だから、犯人が事件を起こした動機を探るのに心理分析をするのが癖でね。なんとなく君の心理状態を読んだだけだよ」

 苦笑を浮かべ、拓はカップを傾ける。


「確か、海外だとプロファイリングというんでしたっけ?」

「まだ学問としては発展途上だけどね。警視庁の発足に米国の心理学者を招いた時に少し勉強させてもらったんだ」


 大翔の問いに拓は微笑みながら頷く。

 そんな拓を南天はいつの間にか凝視していた。


「どうかした?」

「本当にそれだけ?」

「え?」


 透き通った紅玉の双眸に見据えられ、拓は一瞬息を止める。

 何かを見透かされているような真っ直ぐな視線に、拓は深呼吸してから微笑みかけた。


「まあ、人より感受性が豊かな方なんだ。昔から人の顔色を窺って生きてきたからね。そのせいかも」

「…そうですか」


 何かをはぐらかすような拓の話を聞いてから、南天は興味を失くしたように再び窓の外に視線を向けた。

 思わず深い溜息を零し、それを誤魔化す様に拓はカップの中の紅茶を飲み干した。


「さて、大統領邸に行く前に、軽くグリーフィングしようか。桜哉ちゃん、大翔君、南天君、いいかな?」

 気を取り直すように腰を上げ、拓は年少組に声をかける。


「了解です」

 今回の班のリーダーである拓の号令に従い、桜哉と大翔はソファに集まった。


「今回の僕等の任務は、夜間の七海嬢の護衛だ。彼女が外に出て行かないように阻止するのは勿論だけど、彼女が言うお兄ちゃんの正体も突き止めなくてはならない。最悪、僕等だけで怪夷との戦闘になる可能性もあるから、覚悟して。幸い、戦力的には問題ないかな」


「任せて下さい。戦闘なら誰にも負けません」

「相変わらず桜哉ちゃんは血気盛んだね。でも、1人で突っ走らない事。南天君もね」


 いまだ視線を外している南天にも拓は忠告をする。真澄に彼を任された時、1人で突っ走らないように見張って欲しいと言われたからだ。


「大翔君は、いつも通り結界の展開をお願いするよ。そうだ、事前に大統領邸の外部に結界を貼っておくのはどうだろう?怪夷の感知が出来るように」


「そうですね。その案はいいかもしれません。では、向こうに行ったら最初に結界を貼ります」


「うん。お願い。それから、僕は今回君達の指揮官だから、しっかり従って欲しい。隊長から預かっている分、無茶はさせられないからね」


「そういう月代さんこそ無茶しないでくださいね、まだお子さん生まれたばかりなんですから」

 桜哉の思わぬ忠告に拓は苦笑する。照れ臭そうに頬を掻いて困った様子で肩を竦めた。


「それは…まあ、仮にも僕も軍人みたいなものだし…いつ何があってもいいように奥さんには心構えはしてもらってるよ。彼女のお父様だって、かつて怪夷を退治していた執行人だった訳だしね。理解はあるよ」


「それでも、やっぱり乳飲み子を残していくのはどうかと思います。だから、そこは自分の心配もしてくださいね」


「ふふ、肝に銘じておくよ。さて、もうすぐ七海嬢も学校から帰宅する頃だし、閣下との約束の時間もあるから、準備が出来次第出発するよ」

 穏やかにそういう拓に桜哉と大翔は深く頷き、それぞれ準備を始めた。


「……」

 1人ソファに座ったまま、南天は拓の事を視界の隅で追う。


(…今の子供の話は…もしかして…)

 胸中で呟いた南天の脳裏には、残して来た仲間の容姿が浮かんでいた。






 夜の帳が落ちる頃、吉原の軒先には淡い光を放つ提灯の明かりが灯される。

 江戸の頃より幕府公認のこの色街は、60年前の大災厄を乗り越え、江戸の街に蔓延っていた怪夷が一掃され江戸が東京と名を変えても尚、一夜の夢を与えるべく賑わいを見せていた。


 新政府発足により、いくらか昔よりは規制が厳しくなったが、それでも色を売る女達とそれを買う男達の駆け引きは色あせることなく続いている。


 店の屋号が書かれた行燈の明かりが灯る道を真澄達は目的地目指して歩いていた。

 そこは、警視庁が密かに内通している遊郭で、今回の事件捜査の拠点となる場所だった。


「御免ください」


 軒先の暖簾をくぐり中に入ると、女将と思しき妙齢の女性と、若い遊女が出迎えてくれた。


「へい、ようこそお越しくださいました。お客様は初めての方ですね」

「ああ、そうなんだが…待ち合わせを」


「九頭竜さん、赤羽先輩、お待ちしてました」


 奥からの呼びかけに真澄と隼人は同時に声の方へ視線を向ける。

 そこに現れたのは、赤毛交じりの髪に詰襟の制服を着た三十代半ばの男だった。

 気さくな様子で男は真澄達の傍に近づいてくる。


「これはこれは、大変失礼いたしました。市村様のお連れ様とは知らず」

「ああ、いえ…久しぶりだな市村君」

「ご無沙汰しています。ささ、どうぞ中に」


 市村と呼ばれた男は照れ臭そうに笑ってから、真澄達を奥へ促した。

 それに真澄、隼人、朝月と鬼灯も続く。

 渡り廊下を通り、四人は奥の間に通された。障子戸を開けた先には、人数分のお膳が用意されている。


「おい、これじゃ接待だぞ」

「まあ、まあ、積話もあるので、軽くつまみながら話しましょう。それに、宴会装ってないと怪しまれます」

 小声で忠告され、真澄は複雑ながらも頷いた。


「銀の言う通りだな。真澄兄さんは変なとこ真面目過ぎ」

「そういうお前は酒が絡むとすぐ気を抜くな、隼人…仮にも仕事中だぞ」


 そそくさと座敷に上がった隼人は、市村が示したお膳の前に腰を下ろす。

 早速いっぱいやろうとしている隼人に呆れながら、真澄は朝月と鬼灯にも適当に座るよう促した。


「初めての方もいるので改めて。私は警視庁から今回の捜査を任されている市村銀之助いちむらぎんのすけと申します。以後お見知りおきを」


「俺の後輩だ。特夷隊に引き抜かれるまでは一緒に仕事してた同僚だ。信用していい」


 朝月と鬼灯の前で市村は頭を垂れる。彼の素性を保証するように隼人はニヤリと笑いながら付け加えた。

 朝月と鬼灯もそれぞれ挨拶をすると、市村は慣れた手つきで二人の盃に酒を注いだ。


「さて、さっそく本題ですが、今回の事件の概要についてお話します。あ、後で目撃者の方もこの座敷に何人か読んでいますので。まずは先に経緯から」


「目撃者も呼んでるのか」

 驚く真澄に市村はこくりと頷くと、その盃に酒を注ぐ。


「ええ、主は遊女ですが、芸者の方もいたので。ここに呼べる方には来て頂いてますよ」


 にこりと笑う市村の手際の良さに真澄は舌を巻く。隼人の後輩でいまだに酒のみ仲間であるこの男の事は以前から知っていたが、意外にも仕事は出来るようだ。


「今回は、我が警視庁との合同捜査を引き受けてくださいましてありがとうございます。今回の事件はひと月ほど前からこの吉原を中心に起きている誘拐、惨殺事件です」


 制服のポケットから市村は一枚の紙を取り出して広げる。それは、この吉原を中心にした浅草、上野にまたがる地図だった。

 地図上には赤い丸と青い丸が何カ所か記されていた。


「始めは深夜、遊女や客、芸者などが何者かに連れ去られ、数日後に引き裂かれ切り裂かれた無残な遺体で見つかるという事件が始まりです。最初の内は野犬の仕業や金目当ての強盗の仕業かと思われていたのですが、生き残った者の証言に巨大な猿を見たというのがありまして。それで、捜査の方針を変えようかとしていた所に、1人の芸者から巨大な黒い猿のような化物に襲われたという通報があったんです」


 市村の話を肴をつまみながら聞いていた朝月は、思わず箸を止めて隣に座る鬼灯と視線を交わした。


「その芸者さんの話だと、軍人だと名乗る二人組に助けてもらったそうで。そこでもしやと思ったわけですよ」

「それで、特夷隊が関わっている、つまり犯人は怪夷じゃないかってか?」

 酒を煽っていた隼人の発言に市村は激しく頷いた。


「その通りです。怪夷の存在は一部の者しか知らないし。それならいっそ合同で捜査した方が手っ取り早いだろうってことで、今回協力を要請させて頂きました」


「その軍人らしき二人組ってのは、この東雲と鬼灯の事だ」


 市村が注いでくれた酒を煽り真澄はやけに大人しくしている朝月と鬼灯を顎で示した。


「ああ、君達が」

「ああ…たまたま近くを通りかかっただけで…」

「いえ、君達のお陰で捜査が進展しました。感謝します。せっかくなのでその時の状況を少し聞いてもいいですか」


 ずいっと前のめりに身を乗り出して来た市村に朝月と鬼灯は顔を見合わせてから、先日の事を話し出した。

 その様子を眺めていたが、不意に真澄は腰を上げた。


「隼人、少し通信してくる。拓達の様子が気になる」

「分かった。銀の聴取もかかりそうだし。ここは俺が見てます」

「頼んだ。市村には厠にでも行ったて言ってくれ」


 隼人にその場を任せ、真澄は1人座敷を出ると、廊下を進み人気の少ない場所を目指した。


 大きな遊郭だけあって座敷の数も多く、あちこちで宴会が行われている。

 コの字型に囲われた中庭の端で、真澄は通信機で拓の通信機に連絡を取った。

 今のところ何も異常はないのと、南天が大人しく任務に就いているのを確認してホットする。


 通信機を仕舞い、真澄は再び障子戸に映った客のシルエットを横目に元来た道を戻っていると、前方から歩いてきた数名に呼び止められて。


「これは、九頭竜少佐ではないか」


 ねっとりとした、嫌みの籠った呼び声に仕方なく視線を向けると、そこにいたのはカーキ色のダブルブレストの軍服を纏う軍人だった。

 軍服の色から彼等が陸軍の者だというのは容易に想像できた。まして、かつてそこに所属していた真澄自身、その軍服は嫌でも見慣れている。

 ニヤニヤとこちらを嘲る視線を向けてくる四人の軍人に真澄は背筋を伸ばして敬礼をした。


「これは、宗像むなかた中佐、鮫島さめじま少佐ではありませんか」


 四人のうち、中佐と少佐の階級章を付けた二人は、かつて真澄が軍にいた時に共に死線を潜り抜けてきた戦友だった。但し、彼等は真澄が大統領の引き抜きで退役した事を快く思っていない生粋の穏健派だ。


「奇遇だな。こんな所で合うとは。お前も女遊びをするくらい柔軟になったのか?」


「まさか、今日は知人の付き合いです。宗像中佐は昇進おめでとうございます。近頃は並々ならぬご活躍だとか」


「貴様が抜けてから軍も変わったからな。今や怪夷などという化物に脅える必要もない。これからは世界の覇権を争う時代だ。あの忌々しい柏木大統領が退陣すれば、直ぐにでも日ノ本が世界の覇権争いに加われるものを」


 真澄が下出に出たことで機嫌を良くしたのか、宗像は歯を剥き出して笑うと、大仰な態度で肩を竦めた。


「そればかりは世論次第でしょう」


「お前も、そろそろ軍に戻ってきたらどうだ?武内中将は今もお前を高く買っている。英雄の息子らしく、今度は人相手に一旗揚げてみろ。戻りたいというなら俺が取り次いでやってもいいがな」


「まさか。今更軍に戻るつもりはないですよ」


 宗像の誘いをやんわりと断り真澄は四人に道を開けるように廊下の端に身を寄せる。


「やれやれ、英雄の息子も落ちぶれたもんだな。あの欧羅巴での鬼気迫る覇気はどこに捨ててきた?」


「それはもう昔の事です。いくら英雄の息子でも、今更古巣に未練はないですから。一市民として陸軍の栄光と武運を祈ってますよ」


「ふん、相変わらず張り合いのない。貴様が何故ここにいるか詮索はしないが、こちらの邪魔もしない事だな」


 捨て台詞のような文言を吐き捨て、宗像達は真澄の横をすり抜けて廊下を去っていく。

 その背中を見送って真澄は小さく溜息をついた。


(やれやれ…まさか古巣の連中に会うとはな…ついてない)


 後頭部を掻きながら真澄は隼人達が待つ座敷へと戻った。










*******************



暁月:次回の『凍京怪夷事変』は


朔月:吉原、大統領邸の二方面で展開される特夷隊の任務。真夜中を迎え、彼等は行動を開始するが...


暁月:第十九話「真夜中に蔓延るモノ」次回もよろしくね!

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