第十四話ー苦悩と焦燥の間



 詰め所に戻る頃。時間は夜半を回っていた。


「朝月、鬼灯、今夜はこれで上がれ。また何かあったら呼び出すが。今夜は一先ず家に帰れ。お疲れさん」

「いいんすか?一応俺も宿直なのに」

 真澄からの突然の指示に、朝月は首を傾げた。


「ああ、たまにはゆっくり休め。明日宿直は任せるよ」

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 ニヤリと笑みを零し、朝月は制服の首元を緩めた。


「南天も初陣にしてはいい成果だった。これからもこの調子でた頼むぞ。鬼灯はもう少し本気だしてくれよ」

「次回は期待に応えましょう」

 袖口で口許を隠して鬼灯は笑みを零す。


「それじゃ、お疲れ様でした」

「おう、気を付けて帰れよ」


 鬼灯を連れ、詰め所を出て行く朝月を見送って、真澄は応接用のソファに腰を下ろした。

「南天、この後は要請があるまで自由にしていいぞ」

 部屋の壁際に突っ立ている南天に真澄は声を掛ける。


「もう直ぐ十一時か...腹減ってないか?何か食っとくか?」

「カプ麺がいいです」

 食べたい物を聞かれて南天は即答する。


「お前、それ本当に好きだな。別に何か簡単な物なら作れるぞ」

「ボクは人形ですから食べなくても問題はないのですが、カプ麺だけは原動力です」

 

「だから...その人形発言はどうにかなんないのか?どう見たってお前は

 人間だろう...」


 南天の発言にやれやれと肩を竦め真澄は腰を上げて、給湯室に向かう。

 お湯を沸かし、二人分のマグカップにそれぞれ袋から出したカップ麺をいれ、お湯を注ぐ。

 それを持って真澄が執務室に戻ると、会議などを行うテーブルに南天がちょこんと座っていた。

 お湯を注いだカップ麺が出来上がるのを街ながら、真澄は南天と向かい合ってテーブルについた。


「さっきの戦闘だが」

 時間の立った麺の入ったマグカップに卵と醤油を入れてかき混ぜている南天に真澄は話を切り出した。

「お前、この間より力が出ていなかったな」


 思わぬ指摘に、南天は麺を食べようとしていた手を止める。

 顔を上げ、箸をマグカップに渡す形で置いてから、少しだけ真澄から視線を逸らした。


「ああ、食べながらでいいぞ。さっき鬼灯が朝月に何か渡していた物をお前は知っているようだったし。そろそろ何処から来たとか話てくれないか?」

 真澄の指摘に南天は僅かに視線を彷徨わせてから、意を決した様子で切り出した。


「マスター。ボクと契約をしてください。それが成されない限り、ボクはマスターの力にはなれません」


「いや、だからお前達が一体何処から来たのかを教えてくれたら、俺もそれなりに対応する。その契約でお前が本来の力を発揮出来るってのはどういう理屈なんだ?朝月は上手く鬼灯に丸めこまれてたが、俺はそうはいかないからな」

 額を押さえ、眉間に皺を寄せて真澄は溜息を吐く。


「お前の戦闘能力は認めるし、俺の動きに合わせていたあの対応力は見事だったし、それだけでもお前は十分役に立ってるよ。そんな良く分からない契約なんか必要ないだろ」


「いいえ、この先、怪夷と戦う為にはボクはマスターと契約する必要が」


「だから、なんでそんな頑なに説明を拒むんだ?俺は別にお前が海軍や海外の軍から極秘に派遣されてきたエージェントでも、個人的な怪夷討伐の自警団でも受け入れるつもりだ。ただ、目的や出自を説明してくれたら済むだろう」


 段々と苛立ちに囚われ初めていた。

 だが、それに気付かずに真澄はまるで尋問のようなテンポで南天を問い詰めた。


「なあ、頼むよ。正体不明の連中を大統領直属の部隊にしておくにはリスクが高いんだ。せめて、誰の指示で来たのかくらい教えてくれ。なんでお前は俺を“マスター”と呼ぶんだ?...」


 気が付くと、真澄はテーブルに指を無意識に打ち付けていた。嫌な癖だ。苛立ちが募るとついでてしまうその仕草。

 陸軍時代、捕虜やスパイを尋問する時に相手を威圧するのに覚えた手法は、今でもストレスが高まると無意識に出てしまう。

 だが、真澄の威圧に怯む事無く、南天は淡々と回答を口にした。


「マスターはマスターです。ドクターが力を貸すようにとボクは命を受けました。怪夷討伐に協力するためにボクはいます。私生活では衣食住お世話になっていますので、ボクに出来ることはお手伝いします。マスターはボク達にはなくてはならない存在です」


「それは、お前の意思でか?それとも命令でやってるのか?お前にその任務を与えたのは誰だ?」

 真澄の質問に南天は一瞬言葉を失った。


「意思?」


「考えて、自分が思って行動してるのかって聞いたんだ。命令関係なく」

 更なる追撃に南天は僅かに視線を外してから、再び真澄を見る。


「これに関してはお願いされたので命令ではありません。ドクターのためになりたいと考えた時点でこれは意思と言えるかもしれません」


 キッパリと言い切った南天の言葉の中に、真澄は手掛かりを捜していた。

 だが、有力な情報が出てこない事についに真澄はずっと南天に対して抱いていた疑念をぶつけた。


「なら、人形だなんて言わないでくれ」


 それは、些細な事だった。

 南天がどんな人物であっても、少し変わった奴なのだと受け入れていたつもりだった。

 それなのに、思ったより彼のその発言は真澄にとって疑念の奥深くに突き刺さっていた事象だったのだろう。


「ボクは人形です」

 真澄からの追及に南天は真っ向からぶつかった。それが、彼の揺るぎない本心である事を示すように。


「なんで、わかってくれないんだ…オジサン困らせないでくれよ」

「ボクはマスターを困らせているのですか?」

「そうだ」


 思わぬ回答に虚を突かれ、南天は目を見張る。

 余程予想外な答えだったのだろう。

 少しだけ南天が狼狽えたように真澄には見えた。


「申し訳ありません。しかし、ボクは人形なのでそれを変えることは出来ません」


「人形なら、自分で思考できないはずだ。自分を偽るのそろそろやめたらどうだ。何があったが知らないけどな」


 トンと、無意識に強く指でテーブルを叩いていた事に気づき、真澄は大きく息を吐く。がしがしと後頭部を掻き、懐からシガレットケースを取り出した真澄は、煙草を咥えて火を点けた。


「はあ...悪い。別に威圧するつもりは...」


 紫煙を吐き出しながら真澄はチラリと南天を見る。

 厳しい事を言ったのは自覚している。だが、南天は真っ直ぐに自分を見詰めてまま、黙って今の話を聞いていた。

 その瞳は、全てを哀れむような透き通った紅玉。

 本人が“人形”と自身を称しているのを肯定する硬い双眸。

 己の弱さ、奥底を見透かす異様な眼力に真澄は息を飲んだ。


 ガタンと、無意識に真澄は椅子から立ち上がる。

 咥えていた煙草を掌で揉み消し、踵を返して真澄は南天に背を向けた。


「...悪い、頭冷やして来る...」


 その場から逃れたくて、真澄は一言告げて執務室を出て行った。


「...マスター...」


 一人残された南天は、真澄が出て行った扉を暫くじっと見詰めていた。






 南天から半ば逃げる形で真澄が駆け込んだのは、仮眠室の隣にあるシャワー室だった。

 宿直勤務のある特夷隊の詰め所には、汗や汚れを流せるシャワー室が整備されていた。


 制服を脱ぎ、シャツとスラックスを籠に放り込んだ真澄は、シャワー室のタイルの床を踏むなり蛇口を捻った。


 外に設置された簡易の蒸気炉から送られる熱めの湯が、鍛えられた体躯へ降り注ぐ。


 軍人として国の為に尽くしてきて既に人生の半分の歳月を過ごして来た真澄の体躯には、深いものから浅いもの、大小様々な傷が刻まれている。

 その全てが真澄の生きて来た誇りであり、中には鮮烈な記憶と共に刻まれたものもある。

 中年を迎え、酸いも甘いも味わってきたつもりだったが。


(どうして頑なに隠そうとする...?俺達に協力する意志があるのに、その根本を話せない理由が分からない...)


 これまで幾度となく尋問を行ってきた真澄にも、南天の強情さはいっそ見事としか言えなかった。


(契約...それが示す先はなんだ?)


 疑問が、ぐるぐると真澄の中を駆け巡る。

 真の力を発揮するのに必要だというそれ。


(アプローチを変えてみるか...)


 頭上から通り雨のように降り注ぐに打たれながら、真澄は思考を別な方向へ転換した。


(鬼灯が朝月に渡していたあの短刀...俺はあれに見覚えがある...それに、鬼灯が言っていた怪夷討伐に必要な呪具...)


 鬼灯が朝月に話ていた会話が、不意に蘇る。二人の間だけで交わされた会話だけにはっきりとは聞こえなかったが、鬼灯は重要な事を言っていた気がする。


(呪具...か)


 チラリと、真澄の脳裏に故郷にいる母の姿が過る。

 怪夷討伐の英雄として、日ノ本と世界を怪夷の脅威から救った彼女の背中を、真澄は生まれた時から傍で見て来た。


 その傍らにあった一振りの太刀。

 五年前の震災で雪之丞と共に行方知れずになった五本の刀剣。


(まさかな...もし聖剣をアイツ等が持っているなら、何処で手に入れた?本歌ほんかは今だ旧江戸城の大穴の傍。お袋が討伐戦線の時まで使っていた写しは雪と一緒に行方知れずだ...どっちにしろ、聖剣な訳がない)


 自らの見解を否定し、真澄は蛇口を捻ってシャワーを止める。


「はあ...」


 手拭いで水滴を拭いながら執務室へ戻ると、そこに南天の姿はなかった。


「アイツ...何処行ったんだ...」


 テーブルの上には、空になったマグカップが置かれている。カップ麺はどうやら食べたらしい。

 仮眠室や南天がよくいる屋根の上などを捜してみたが、詰め所の中に姿は見当たらなかった。


「たく...しょうがねえな...」


 がくりと肩を落して真澄は脱力気味にソファに座り込んだ。

 





 半ば逃げ出すように大統領府内の詰め所を南天は飛び出していた。

 別にやましい事があるとか後ろめたいことがある訳でもないのに、あの場に居ずらかった。

 どうしてそんな気分になったのか理由が分からず、南天はその意味を捜して歩き出した。


 いつの間にか、空はどんよりと厚い雲に覆われている。また雨が降り出しそうな空模様と自身の今の気分が重なる。

 曇天の下を南天はぼんやりと当てもなく歩いていく。


(ボクはマスターを困らせているのだろうか...)


 真澄に言われた言葉が南天の中でぐるぐると回っていた。


「はぁ…」


 思わずため息をつき南天はふと、空を見上げて立ち止まった。


清白すずしろ達はどうしてるだろう…)


 さる目的の為に父親にも等しい存在であるドクターからの命を受け、南天は鬼灯と共にこの東京に来た。

 しかし、助けてほしいと頼まれた肝心の人物の役に立つどころか、自分が困らせている。

 あまりの事実に南天はいつになく肩を落すと同時に、真澄の言葉が理解できずにいた。

 今まで自分が人形だと言って何か言われたことはなかった。


(マスターの価値観とボク達とでは考え方が違うのかもしれない…)


 胸中で考え込みながら南天は知らないうちに郊外まで歩いていた。

 そこは、渋谷川と呼ばれる川が流れる地域だった。

 江戸の頃は農村の広がる喉かな場所であったが、原宿に大統領府が設置された事で、近年急速に成長を遂げている。

 すり鉢状の地形の中、薄暗い坂道を上っていた時だった。

 ガサガサと、横に広がった茂みが唐突に動く。


「ッ!?」


(怪夷か)


 茂みを睨み南天は殆ど条件反射で袖の中に隠していたナイフを構えた。

 ガサガサと激しく茂みが揺れる。

 直後、茂みから黒い球状の塊が飛び出した。


『キュゥ』

「ん?わっ」


 突如繁みの中から飛び出した黒い塊は、南天を見つけた途端、真っ直ぐに飛び付いてくる。

 反射的に南天は構えていたナイフでそれを切り裂いた。


『キュゥゥ』

『キュゥゥ』


 切られた黒い塊がふよふよと漂いながら二匹に分裂した。


「増えた...」

『キュゥ~!』


 二匹は怯むことなく、南天にふよふよと浮かびながら向かってくる。

 球状の身体に、長い尻尾のような物と頭には三角形の獣のような耳がついている。

 向かってくるそれを薙ぎ払おうと、今度は鉤爪を構えた南天の目の前で、二匹が視界の前から弾け飛んだ。


(え…?)


 ハッと、黒い塊が飛ばされた方向と反対側を凝視する。

 暗闇の中、地響きを立てながら何かが蠢く。目を凝らした先にいたのは巨大な蜘蛛の姿をした怪夷だった。


「新手…」

『ミィー!』


 現れた蜘蛛型の怪夷に標的を変えて南天は武器を構える。

 そんな彼の後ろから、飛ばされていた二匹の黒い塊が果敢に前へと現れた。


「あっお前っ」


 南天の制止を振り切り、二匹は蜘蛛型の怪夷の前に躍り出ると、体当たりで応戦を始めた。

 だが、圧倒的な体格差に節足に弾かれたり払われたりして歯が立たない。

 自分の前で必死に特攻を繰り返すその様子は、自分の傍に怪夷を近付けないとばかりに動き回っている。二匹の行動に南天はある見解に至った。


「まさか...助けて…くれてる…」


 蜘蛛型の怪夷の口から、白い糸が吐き出され、南天に向かって攻撃が仕掛けられる。


『ミィー!』


 黒い塊の一匹が南天の前に立ちはだかったかと思うと、迫った糸による攻撃を身を呈して受け止めた。

 鋭い槍のような糸の先端に貫かれ、黒い塊の半身が弾けた。


「お前…」

『キュ~』


 弾けた欠片が、残っていた黒い塊に吸収され、最初に南天の前に現れた時の大きさに戻ったそれは、南天の側に合流した。

 また護るように今度は南天の前でふよふよと浮き、蜘蛛型の怪夷を真っ向から見据えた。


「あ…」

『ミィ』


 勇ましく自身の前に立つ黒い塊が何かを気づき、南天はハッと目を見張る。


「お前...もしかして...」


 何かを呟こうとした南天の横に、蜘蛛の黒い脚が迫る。

 咄嗟にナイフを翳すが、間に合わず南天の身体は勢いよく横薙ぎに吹き飛ばされた。


「がはっ」


 立っていた場所から木立の繁みの中へ南天の身体が飛ばされる。


『ミィっ!』


 吹き飛ばされた南天の身体を、黒い塊は先回りして咄嗟の所で受け止めた。


『ミィっミィっ』


 地面に投げ出され、気を失った南天の傍で黒い塊が心配しているかのように鳴き声を上げる。

 一人と一匹を捜すように、ずしりと重い足音が繁みの向こうから迫ってくる。


『ミィ』


 意識を失った南天を護るように、繁みの向こうから迫る怪夷を向かい打つべく、黒い塊は繁みの向こうを睨みつけた。


 





*****************




次回予告


三日月:次回の『凍京怪夷事変』は



刹那:詰め所を飛び出した南天。それを捜そうとした矢先、特夷隊に怪夷出現の一報が入り、真澄達は現場に向かうが…


三日月:第十五話『加護と呪いは紙一重』どうぞよろしくお願いします。

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