第十三話ー茨の道を征くならば
ずっと追いかけてきた背中があった。
幼い頃から子守歌のように聞いてきた英雄譚。
それは、幼い朝月にとって小さな胸を躍らせるには十分だった。
「いいかい、朝月。いつかは君がこの国を護るんだよ。今の僕みたいにね」
「うん!俺、父さんみたいに英雄になる!」
優しく撫でてくれる手が、大好きだった。
あれは、欧羅巴での最後の大規模討伐戦の前。
父が、彼の尊敬する姉や兄のような人達のように自分もなりたいと思ったのは、きっとこの時だ。
「父さんが帰って来る頃には、士官学生だよ」
「そうか、じゃあ、僕等がいない間は任せるよ」
優しく頭を撫でてくれた温かな記憶は、彼の中に揺るぎない決心を生み出した。
東雲朝月の戦いは、父の後姿を追いかける事から始まったのだから。
差し出された小瓶とそれを差し出す鬼灯を朝月は交互に見遣る。
「これは...」
「秘めた力を引き出す霊薬です。貴方は怪夷退治の英雄の血を受け継いでいるのでしょう?なら、やれる筈です」
涼やかな目元が、妖艶に細められる。
それは、なにか禁断の誘惑に似ていた。
「霊薬...」
「ええ、少々医学の知識があるもので。どうしますか?二人に加勢したいのでしょう?貴方の今の結界の威力ではあの怪夷を押さえるには力不足です。それはご自身がよく分かっていますでしょう?」
思わぬ指摘に朝月は奥歯を噛み締めた。
鬼灯の言う事は間違っていない。
術式が使えるとはいえ、自分はどちらかと言えば前衛タイプだ。大翔には当然及ばない上、桜哉や拓よりも結界の力は弱い。
だが、真澄が全く結界を張れない時点で怪夷戦で重要な結界を張る役目は自分しかいない。
ペテン師の如き問い掛けに朝月は一瞬躊躇った。
出逢った日から数日。行動を共にしているが、この男には未知数な事が多い。
自分達に積極的とは言い難い行動に朝月は内心疑念もあった。
掌に乗せられた小瓶と鬼灯を、交互に見遣る。すると、背後から思わぬ声が上がった。
「鬼灯っそれはっ」
敵の攻撃を躱しながら、何かを抗議するような南天の呼び声。
それに鬼灯は口許に不敵な笑みを刻んだ。
「さあ、選んでください?」
再びの呼びかけと、忠告のような南天の呼び掛けに朝月は更に躊躇った。
「南天!」
僅かな躊躇いの時間。
背後から聞こえた真澄の悲痛な声に振り返ると、怪夷の尾に払われた南天が吹き飛ばされるのが視界に入る。
「くっ」
打撃を食らった脇腹を押さえ、南天は辛うじて地面に降り立つと、直ぐに立ち上がって後方に跳んだ。
南天が着地した場所に、鋭い角を生やした尾が激しく打ち付けられる。
一歩でも反応が遅れていれば、恐らく無傷では済まなかっただろう。
「このままでは、貴方の敬愛する隊長殿も無事では済まなくなりますよ」
半分脅すような鬼灯の促しに、朝月は奥歯を噛み締めた。
「分かったよ。やってやる」
奪い取るように朝月は鬼灯の掌から小瓶を受け取る。
「ふふ、それでこそ、我が主様ですね」
楽しげに笑う鬼灯の前で、コルクを引き抜き、朝月は腰に手を当て、目を閉じて中身を一気に煽る。どろりとした苦い液体が口の中を満たし、一瞬躊躇ったのを無視して、それを飲み込んだ。
ドクン。ドクン。
苦くどろりとした液体が、喉の奥へ流し込まれる。
その瞬間、全身が酒を飲んだ時のように熱くなった。
(なんだ...)
血の巡りが早くなり、鼓動が強く脈を打つ。
内側から、力が漲ってくる感覚に朝月は一瞬戸惑ったが、ニヤリと笑みを零した。
(やれる)
血液と共に強化された霊力が全身を巡っていく。
朝月の変化に呼応するように、彼が張った結界が強さを増す。
親玉である蜥蜴型の怪夷を取り巻いていた小型の怪夷達が、強化された結界の中で一瞬で蒸発していく。
それは、蜥蜴の怪夷にも影響を及ぼした。
「動きが鈍くなった」
「マスター今が好機です」
突然足踏みをして動きの鈍った怪夷を真澄と南天は前後で挟む位置に付いた。
視線を交わし、南天は後方から、真澄は前方から怪夷へと迫る。
地面を蹴って跳びあがった南天に気付いた怪夷の巨大な尻尾が大きく振りあげられた。だが、先程より動きが明らかに鈍っている。
振り上げられた尾よりも先に空中に跳んだ南天のナイフが、落下の速度を利用して一直線に怪夷の尾を切り裂いた。
ギイイイイイイイ
鼓膜を震わす甲高い悲鳴と真っ黒な体液を撒き散らして斬られた痛みに怪夷が悶え苦しみだす。
痛みと怒りに支配された怪夷が今度は正面にいた真澄に向かって前脚を振り上げる。
「遅いっ」
尾を斬られた事で怒り狂う怪夷の動きを読むのは容易く、真澄は軍刀を横薙ぎにして怪夷の前脚を一閃した。
切り裂かれた前脚が、宙を舞い、地響きを立てて地面に落ちる。
片方の前脚を切り落とされ、既に怪夷は半狂乱と化した。
真澄と南天から逃れる様に、残った前脚と後ろ脚で逃亡を図る。
必死に疾走する先には、鬼灯と朝月。
「朝月!」
部下に迫る怪夷に真澄は咄嗟に駆け寄ろうと地面を蹴る。
だが、真澄の心配は杞憂で終った。
全身に漲る力。
愛用の鉄扇を握り締め、朝月は自分の前に迫る怪夷を見据えた。
右足を前に出し、鉄扇を頭上に掲げて構えを取る。
自身の眼前に怪夷が迫る直前、トンと、地面から跳びあがった朝月は、鉄扇の先端を怪夷の額目掛けて振り下ろした。
鋭い打撃が怪夷の額を穿ち、その奥に隠された核が粉々に砕け散る。
核を破壊された怪夷は悲鳴を上げる事もなく、巨体を横倒しにしながら灰となって消えていく。
地面に着地した朝月は、灰と化していく怪夷を見詰めて茫然とその場に立ち尽くした。
「朝月」
「旦那、今の見ました⁉」
自分の傍に駆け寄ってきた真澄に朝月は興奮気味に訊ねた。
「ああ、凄かったな。一体、どんな手を使ったんだ?」
今まで見た事の無かった朝月の力に、真澄は内心驚いていた。
「鬼灯のお陰っす。アイツ、なかなか有能かもしれないっす」
肩越しに後ろに控えた鬼灯を見遣り、朝月はニヤリと笑う。
そんな朝月に鬼灯も微笑み返した。
「鬼灯...さっきの」
鬼灯の傍に駆け寄った南天は、いつになく渋い顔で先程の鬼灯の行動を問い詰めた。
「ふふ、我々がいかに役に立つかを示すのに一つ手を打ちました。ああ、中身は今回はお試しなので薄めていますよ」
「......」
怪訝に眉を顰める南天に鬼灯はニコニコしながらチラリと、真澄と朝月を見遣った。
鬼灯から渡された小瓶の効果を素直に喜ぶ朝月が哀れになり、南天は溜息を吐いた。
「...それに、やはり彼がわたくしには相応しいようですしね」
クスリと口許に笑みを刻んだまま、ゆらりと鬼灯は朝月の傍に歩み寄る。
彼が何をしようとしているのかを察した南天は、複雑な想いで様子を見守る事にした。
「主様、いかがでした?わたくしが使える奴だと分かって頂けました?」
真澄に興奮気味に話をする朝月に、鬼灯はまるで商人の如く声をかけた。
「ああ、お前凄いな!あの霊薬は一体何なんだ?」
「ちょっとした漢方のような物です。今回はお試しなので、効果はそれ程強くなかったのですが、主様の霊力を引き出すのにお役に立てた様ですね」
口許に袖口を添えて鬼灯は淡くほくそ笑む。何処か胡散臭さのある表情だが、朝月はそんなのはお構いなしだった。
「これからも、あれを使いたいっていったら、出来るのか?」
「勿論。主様がお望みでしたらわたくしは力を貸しますよ。ただ...条件がありますが」
ふっと、鬼灯の表情から笑みが消え、見たこともない真剣な視線が朝月に向けられる。
「条件?」
「ええ、主様、いえ、東雲朝月様。どうぞこのわたくしと契約をして頂きたく。わたくしも怪夷討伐の真の力を引き出すには、契約を結ぶ必要がありますので」
それは、数日前に南天が真澄に持ちかけたのと同じ口上だった。
同じ台詞をまた聞くとは思っていなかった真澄は、思わず離れた所にいる南天を振り返る。が、直ぐに視線を外して朝月と鬼灯に向き直った。
「その、契約ってさ、いまいちなんで必要なのか分かんないんだけど...それは教えて貰えないの?俺は別に全然良いんだけどさ...」
朝月自身は鬼灯の話に乗り気だった。先程のような強力な術を使えるようになるのは、日に日に激化する怪夷との戦いにきっと役立つと思ったからだ。
だが、同じ状況で自身の隊の頭である真澄は南天との契約を断っている。
自分がホイホイ気軽に応じる事に若干の気まずさを感じていた。
「そうですね。いずれは詳しくお話しますが。我々の体内にはある怪夷討伐に関わる呪具が宿っているのです。その呪具の力を引き出すのに、同じくそれと繋がりのある人物と契約を結ぶことが必要なのです」
「なるほど...お前も本来の力を出して怪夷と戦うには、誰かとその契約をする必要があるんだな」
「飲み込みが早くて助かります。ええ、今の状態のわたくしでは、怪夷と戦うなど出来ませんので」
胸に手を添え、嫣然と微笑む鬼灯に朝月は深く頷いた。
「分かった。なら、お前がしっかり戦ってくれるなら、その契約をしてやってもいいぜ。旦那、問題ないですよね」
「お前が決めたなら俺はとやかく言わない。ただ、その話は真実なんだろうな?」
探るような視線を向けられ、鬼灯はふふと笑う。
「二言はありませんよ。この鬼灯、特夷隊の為に全力を尽くしましょう」
一瞬、鋭い視線を真澄に向けてから鬼灯は朝月と向かい合う。
「契約って、どうするんだ?」
朝月の問い掛けに、鬼灯は懐から一本の短刀を取り出した。鞘にすら収まっていない抜き身の刃は、キラキラと白銀に輝いている。
「では、こちらの短刀で指で結構ですので傷付けて血を出して頂けますか?」
短刀を差し出し、鬼灯は指示を出す。
頷いて短刀を受け取った朝月は、言われた通りに左の人差し指を傷付けた。
ジワリと滲み、滴り出した血を、鬼灯はゆっくりと朝月の人差し指ごと、口に含む。
ごくりと、溢れ出した血を飲み込んで鬼灯は、ゆっくりと朝月の指を解放した。
「さ、次は主様の番ですよ」
「おう」
緊張を孕んだ声で頷く朝月にほくそ笑み鬼灯は短刀を受け取る。
「我が身は剣、我が身は鞘。この身が宿すは星砕く刃。嗚呼、今ここに使い手への祝福と忠誠を。汝『東雲朝月』を我が主と定めん」
不思議な口上を口にしながら、鬼灯は今度は自身の手首を軽く斬りつけた。
「どうぞ」
ぽたりと滴る血を、鬼灯は飲めと勧めてくる。
一瞬躊躇いながらも、朝月は口の中に垂らされた血をごくりと飲み干した。
鬼灯の血が、嚥下する。直後、朝月は身体が熱く火照るのを感じた。
ぐるりと、世界が回る感覚。それは、自身が知らない風景を脳裏に浮かび上がらせた。
迫りくる怪夷の群れ。
燃える見知らぬ街。
建物の屋根の上と思われる場所に立つ、
(っ......)
その肩に乗った一匹の狸と視線が合う。
ぐにゃりと歪んだ視界に、眩暈を覚えて朝月はその場で足をふら付かせた。
「朝月?大丈夫か?」
「あ...はい...ちょっと眩暈がしただけで...」
額を押さえ、心配そうに覗き込んでくる真澄にそう声を掛けた。
「これで、契約は成功です。改めて、よろしくお願いしますね。主様」
ニコリと嬉しそうに笑う鬼灯に、朝月は緩慢に頷いた。
「よし、一度詰め所に帰るぞ」
真澄の号令で、いつも通り怪夷の残骸を集めた朝月達は大統領府の詰め所へ戻るべく、歩き出す。
「鬼灯...」
帰りの途に尽きながら、朝月は徐に鬼灯に声を掛けた。
「さっき見えた景色は...」
朝月が切り出したのは、契約の際に見えた幻覚の事。
「ああ、今はまだ内緒ですよ」
唇に人差し指を立てて、意味深に笑う鬼灯に朝月は、唇を噛み締めた。
「...お前、まさかとは思うが...」
「ふふ、いずれ答え合わせをしましょう。今はまだ、その時ではないので」
そう言ってほくそ笑む鬼灯に朝月はそれ以上追及をするのを止めた。
「この先、貴方様が進む道が例え茨の道であろうと、わたくしは役目を終えるまでついて行きますよ。朝月様」
最後の言葉は一体何を意味しているのか。朝月はただ、隣を歩く彼の言葉を胸中で噛み締めた。
「......」
最後尾を歩きながら、南天は複雑な想いで鬼灯と朝月、真澄の背中を見詰めた。
**************
次回予告
刹那:さてさて、次回の『凍京怪夷事変』は?
朔月:初陣を無事に終えたにも関わらず、真澄との契約が進まない事に焦りを感じる南天。一方真澄は自分を“人形”と主張する南天の言動に思い悩んでいて...
刹那:第十四話『苦悩と焦燥の間』次回もよろしくな。
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