第九話ー鬼火が導く巡りに従いて

 

 真澄の店を後にし、他の仲間達と別れた朝月は一人家路に着く。

 一人暮らしで待つ者はいないので時間は特に気にしなかった。

 家に向かう最中、止んでいた雨が再び振り出し、直ぐに辺りは雨に濡れた。


(降ってきたな)

 雨の中、小走りで道を掛けると、やがて自宅であるアパートへと辿り着いた。


「ん?」


 自宅アパートの玄関の前で、朝月は一度立ち止まった。

 何かが居た。いや、正確には地面に倒れていた。


「おい…」


 眉を顰めて薄暗がりの地面に腰を折る。

 すると、地面に俯せに、黒い着物を着た銀髪の少年が行き倒れていた。


「おい、お前、大丈夫か!?」


 膝が濡れるのも気にせずに朝月は倒れた少年の横に膝をつく。

 肩を揺さぶり、声を掛けると、呻くような声が聞こえてきた。

 どうやら生きているらしい。

 それにホッとした所で、倒れた少年が何かを喋り始めた。


「動けません…」


「大丈夫か?」


「お腹すきました…」


「……はい?」


 深刻な状況かと思いきや、少年が口にした理由に朝月は、それまでの緊迫感は何処やら、ポカンと口を半開きにした。


「お腹と背中がくっつきそうです」


 顔を横に向けて、うるうると、子犬のような目で少年は朝月を見上げてくる。

 縋り付くその視線としばし見つめ合った後、朝月は頭を掻いて溜息をついた。


「しょうがねぇな…」


 肩を竦め朝月は動けないという少年をひょいっと、抱え上げる。

 そのまま少年を連れて朝月は自宅へと入っていった。




 朝月が住むアパートは、独身の一人暮らしには少し広めな六畳二間。

 居間として使っている手前の部屋には、革張りのソファが置かれ、仕事用の机とちゃぶ台が置かれている。

 壁には様々な本が収納された棚があり、奥の部屋にはベッドが置かれている。


 江戸以前から西洋と交流を持ってきた日ノ本共和国だが、調度品や生活雑貨は西洋の物を取り入れているのは、なかなか珍しかった。


 少年をゆっくりとソファに下ろした朝月は箪笥から引っ張り出したバスタオルを放る。


「ありがとうございます」

 バスタオルを受け取り、少年はそれで濡れた頭を拭き始めた。


「今風呂沸かしてるから、取り合えずその濡れた着物脱げ」

 更に箪笥から浴衣を出して来た朝月はそれを少年に手渡した。


「ご丁寧にどうも」


「飯だが、なんでもいいか?」


「キッチンを貸していただければ…お礼にご飯作ります。それとも御夕食は、もうお済みですか?」


 少年に聞かれて朝月は首を縦に振る。


「あぁ、さっき食べてきた」


「そうですか…」

 朝月の答えに、何処か寂しそうに少年は肩を落とした。


「なんだ、お前料理出きるのか?」


「できます。今は、この姿ですが食事をすればもとに戻ると思うので」


「...?元に戻る?」


 少年の意味深な言葉に朝月は眉を潜め、少年を徐に観察した。

 緩い癖の付いた銀髪は、白よりも灰色に近い。

 こちらを見つめる瞳は紅梅色で淡い色彩だ。

 小柄で、濡れた黒い着物が何処か艶めかしさすら感じさせる。

 顔つきはまだ幼さが残るが、なかなかの美少年だ。


「そ、そうか...得意なら明日の朝飯作ってくれよ。俺は独身の独り暮らしだからさ」


 さっきの少年の言葉を頭の片隅に追いやって朝月は気を取り直して会話を交わす。


「はい。主様」


 ニコリと、突然少年の口から零れた単語に、朝月は目を見張る。


「あるじさま?」


 キョトンとしていると、少年はこくりと頷いて、袖で口許を隠しながら嫣然と微笑んだ。


「貴方様が怪夷と戦っていらっしゃるのを目撃しました。その戦うお姿が格好良くて、貴方の元でお役にたちたいと」


 淡々と話し出した少年の話に、朝月は昨日の廃ドックでの戦闘を思い出す。

 あの時、怪夷と交戦した南天を助けるように四方八方から伸びて来た鎖。

 姿が見えなかったが、もしや。


「…お前、南天っての知ってるか?」

 鎌をかけるように朝月は少年に問いかけた。


「南天…えぇ。なぜ、その名前を?」


「いや、なんとなく…」


 知っているようだが、今は答える様子はない少年に、朝月は少しだけ警戒をした。


(南天の仲間だとして...なんか、胡散臭いなこいつ)


 南天を真澄が連れて来た時とは違う、何か得体の知れないモノを、朝月は目の前の少年から感じていた。

 軍人になって暫くして特夷隊に引き抜かれた朝月は、真澄程相手を観察しただけでその正体を推測する技術には長けていない。

 自分なりにこの少年の正体を掴もうと観察していた所で、盛大に腹の虫が鳴いた。


「...あ、ご飯…」

「レトルトでいいか?」

「はい」

「用意するから、先に風呂言って来い」


 玄関横を指差して朝月は少年に洗面所の先を示す。

 それに頷いて少年は浴衣とタオルを手に洗面所の方へと入って行く。

 少年が風呂に入ったのを確認して朝月は台所に立った。




 それから、しばらくして少年が風呂から上がって来た。

 ちゃぶ台の前に正座をして座った少年の前に、朝月は皿にレトルトのライスカレーを置いた。


「ほら」


「あ、主様手作りのカレー。光栄です。いただきます」


 ちゃぶ台に置かれたライスカレーを少年は深々と挨拶してから食べ始める。


「美味しいです」

「レトルトだからな」

「主様がご飯をよそって、カレーをかけて。それだけで嬉しいです」

「そうか」

「はい」


 奇妙な会話を交わしつつ、朝月は少年が食事を済ませるのを見守った。


「腹膨れたか?」

「はい、お腹一杯になりました。ごちそう様でした」

「なら、よかった」

「ありがとうございます」


 深々と頭を下げた直後、少年の姿がまるで引き伸ばされたように大きくなっていく。

 ぶかぶかだった着物はすらりと伸びた彼の手足に合い、髪も腰まで伸びていた。

 歌舞伎の女形のような着流しに面長な顔立ちは艶やかで、何処か遊郭の花魁を思わせる。


 目の前で少年から青年へと変わった彼を前に、朝月は驚き目を見張った。

「おい…」


「これが年相応の姿です」

 ふふっと、口許に袖を添えて微笑む元少年から、朝月は勢いよく距離を取る。


「お前、妖怪か!?」

「人間ですよ」

「突然でかくなる人間がどこにいんだよっあれか、雨女の類いか」

「まあ、普通はそうなりますよね。わたくしが何だかは、主様の判断に任せます」

「…変な奴」


 眉を顰めている朝月に、元少年は肩を竦めた。

「私もここに来るまで幼くなるだなんてことなかったですし、アレには驚きました」


 先刻の自分を思い出し、元少年は苦笑する。

 その表情から、本当に予想外だったのだろうと朝月は推測した。

 というより、脳がこれ以上追及する事を拒んでいる気がした。


「…なぁ、お前名前は?」

 咳払いをして、気を取り直し朝月は聴き忘れていた事をようやく訊ねた。


鬼灯ほおずきです。主様のお名前は何と言うのでしょうか」


「朝月。東雲朝月だ」

 名乗りを上げると、鬼灯と名乗って青年は、じっと朝月の顔を見詰め、何かを納得したように一人首を縦に振った。


「よろしくお願いします。主様」


「その、主様ってのなんとかならないか…?」


 先程からずっとそう呼ばれて朝月は首の後ろを掻いた。

 そういえば、南天も真澄をマスターと呼んでいた。

 何か法則があるのだろうか。


「我が君は、どうでしょう」

「…そのままで、いい」

「はい、主様」


 結局『主様』と呼ぶ事を赦している自分にげんなりとして、朝月は崩れるように椅子に腰を下ろした。


「ところで、お前、俺達が怪夷と戦ってるの見てたって言ったな」

「見てましたよ。加勢もしましたけどね。少し」

 隠す事もせず、しれっと昨日の事を話す鬼灯に朝月は虚を突かれた。


「なら、お前はあの南天と知り合いなのか?」

「知り合いも何も。同じ仲間ですよ」

「仲間?」

「はい。九頭竜真澄という男の所へ行けと言われていました。私と南天は」

「旦那のとこに?」


 南天ですら話ていない事を話し出す鬼灯に、自然と朝月は身を乗り出して耳を傾ける。


「それと、怪夷を倒してこい、という使命を与えられました」

「お前達は誰かに命令されてきたのか?」

「命令というか頼まれました。我が父にも等しい『ドクター』に。友人を助けてやってほしい、と。南天は、命令と受け取ったと思いますけどね。彼は人形と言い張る子なので」

 仲間である少年の姿を思い出して鬼灯は肩を竦める。


「なぁ、あれって本当なのか?」

「あれですか?」

 朝月の質問に鬼灯はふふっと笑う。


「自分を偽ってるだけです。私と同じ人間ですよ、彼は。貴方の隊長さんも大変ですね。南天の人形設定に付き合わないとならないんですから」

「あ、やっぱり設定なんだ」

「えぇ。本当がよかったですか?」

「いや、そういう訳じゃねぇよ」

「そうですか」

 鬼灯の話に頷いてから、朝月は胸の前で腕を組んで、考え込む。


「自分を偽る…か、なんか哀れだな」

「彼は彼なりの事情があるんでしょう」


 鬼灯ですら、南天が自身を人形という事を詳しく知らないらしい。

 思わぬ所で知れた情報に、朝月は内心思案して眉間に眉を寄せた。


「主様は明日はお勤めですか?」

「あぁ。そうだ、南天の仲間なんだろ?明日仕事場に連れて行ってやるよ」

「ありがとうございます」

 深く頭を下げる鬼灯に、ふと朝月は期待を込めて問いかけた。


「なぁ、お前も南天みたいに強いのか?」

「強い?まぁ、一応は養成学校に居ましたけど」

「養成学校って、軍か何かのか?」

「はい」

「南天は見たことない服装してるが、お前達は軍人なのか?」


 真澄の家にいる南天を思い出しつつ朝月は鬼灯に聞く。

 あの強さが標準であるなら、彼等は一体何処から来たのか。

 敵ではないとはいえ、その強さの出所は気になる処だった。


「正式には学校を卒業していないので、見習いみたいなものですね」

「学生なのか?」

「そうなりますね」

「ふぅん」

「ふふ、いずれ全てお話しますよ。今はまだ、貴方の味方だという事だけ」


 口許に人差し指を当てて笑う鬼灯に、朝月は流される形で頷いた。




 翌日、朝月は鬼灯を連れて特夷隊の詰め所へ出勤した。


「主様の働いていらっしゃる所へ行けるなんて嬉しいです」

「お前は元々うちの隊長に用事があったんだろ?」

「彼の手伝いをというだけなので。私は主様の側に居れれば満足です」


 ニコリと笑う鬼灯に朝月は苦笑する。

 昨日からずっと、鬼灯は朝月の為に甲斐甲斐しく家事や支度を手伝ってくれた。

 本人がいう通り、今朝用意してくれた朝食は美味かった。

 だが、この笑みと発言から胡散臭さがぬけない。


「こらこら、目的を忘れちゃいかんよ」

「南天が居るので大丈夫です。主様も同じところに行きますし。それとも、わたくしをお捨てになるのですか?」

「捨てるって…」


 突然、うるうると瞳を潤ませ、袖口で口許を隠す鬼灯に、朝月はぎょっと目を向く。

 遠目から見たら、鬼灯は少し背の高い女に見えなくもない。

 そんな相手が自分を見詰めながら泣く様子は、はたから見れば自分が女を泣かせたように映りかねない。


「私が主様ではなく他の人間の所に行ってしまっても良いのですか?」

「別に止めないが...」


 朝月の非情な発言に、鬼灯はまるで穴が開いて空気の抜けていく風船のように小さくなり、地面に這いつくばった。

 うるうると瞳を潤ませる姿は子犬のように耳と尻尾を垂らしている姿を連想させた。


「そ、そんな。酷いです、主様」

「そうか?」

「そうですとも」

「そりゃ悪かったな」


 肩を竦めてそう言って、朝月はずるずると鬼灯の首根っこを引いて歩き出す。


「ほら、通行の邪魔だから行くぞ」 

「あ、首、首しま」


 朝月に引きずられて鬼灯は特夷隊の詰め所へ入った。



 特夷隊の執務室。謎の青年を伴って出勤した朝月に、そこにいた隊員の視線が集中した。


「...朝月、お前、ついに同伴出勤を...」

「違いますっこれには色々事情が」

「お赤飯かな?」

「隼人さんも拓さんも早とちりしすぎですから!旦那は?」


 ぶんぶんと首を全力で横に振って、朝月は室内に真澄の姿を捜した。


「朝から賑やかだな朝月...ん?」

「だん、いや九頭竜隊長、ご報告があります」


 執務室の奥から資料を手に戻ってきた真澄は、朝月の横に立つ見慣れない青年に視線が止まった。


「...朝月、その人は...」


 茫然としている真澄に朝月が説明しようと口を開き掛けた所で、入口から声が掛かった。


「鬼灯」

「おや、南天。ここにいましたか」


 飛び込むように入ってきた南天に、鬼灯は親し気に笑いかける。


「...南天、知り合いか?」

 真澄に聞かれて、南天はこくりと頷く。


「お初に御目に掛かります。南天の同期で鬼灯と申します。以後、お見知りおきを」


 ニコリと微笑み鬼灯は丁寧に腰を折る。

 南天の時よりは話の通じそうな相手に、真澄は内心ホッとした。


「鬼灯、ちょっと」


 ぐいっと、袖を引かれ鬼灯は南天と共に外へと出て行く。


「マスターちょっと出てきます」

「ああ...気を付けてな」


 鬼灯と共に執務室を出て行った南天を見送り真澄は、朝月に視線を送る。


「朝月、説明してくれ。今の鬼灯ってのは...」

 隊長の命令に朝月は昨夜家に帰ってからの出来事を報告した。




「どうして、通信にでなかったんですか?」

 詰め所の裏へとやって来るなり、南天は鬼灯を問い詰めた。


「すみません。通信機の充電が切れていたようで。やはり、ここに来るまでに何かしら障害が出ましたね」

 袖口から、黒い板のようなものを取り出して鬼灯は肩を竦める。


「ボク等の任務は九頭竜真澄の支援及び援護です。何故あの時直ぐに合流しなかったんですか?」


「確かに、貴方が受け取った任務はそうですが、私には他にもやる事があるのです。...残りの皆さんを此方に呼ぶ為のスポットを見つける必要もありましたからね」


 ここ数日の事を鬼灯は南天に話す。

 それに少しだけ納得がいかない様子だったが、南天は鬼灯から視線を外した。


「...鬼灯は、誰と契約をするの?」

「...ふふ、私はやはり朝月殿でしょうか。逢ってみて分かりました。そういう貴方は真澄殿と契約は済んだのでしょう?」

「...それが...」


 いつもは見せない、不安を含んだ顔で南天は鬼灯を見上げる。

 それだけで状況を察した鬼灯は、南天の頭を優しく撫でた。


「まあ、焦らずとも大丈夫でしょう。全員が揃うまでに済ませればいいですから」

「...うん...」


 優しい鬼灯の指の動きに南天は大人しく身を委ねた。




「薄々感じてたが...まさかもう一人いるとはな...」

 朝月から話を聞いた真澄は、執務卓に頬杖をついて、肩を落した。


「鬼灯は契約とかはまだ何も言って来て無いですが...誰かに頼まれて旦那に協力しに来たみたいです」


「...その“ドクター”ってのに心当たりがないしな...」

 腕を組んで唸る真澄に、共に話を聞いていた副隊長の隼人は、口を挟んだ。


「しかし、敵でない訳だし。南天の仲間なら少し様子見て良いんじゃないですか?」

「実際、先日の討伐の時に加勢してくれた訳だしな...」

 暫し思案し真澄は朝月に視線を戻した。


「朝月、あの鬼灯という奴はお前に任せる。なんか親し気だったしな」

「そうだな、お前が責任もって面倒みろよ」

「なんすか、まるで犬猫拾ってきたみたいに...」


(いや、南天が猫なら、アイツは犬か...)


 鬼灯の様子を脳裏に反芻し、朝月は内心溜息を付いた。

 何故か、大変なモノを拾ってしまったという念が、朝月の肩に伸し掛かる。


「さて、俺はまた柏木に報告か...」


 不敵な笑みを浮かべた幼馴染の姿を想像し、真澄もまた、肩を落す。

 真澄と朝月の溜息が重なるのを、隼人と拓は苦笑しながら見守った。




 特夷隊発足くから五年。

 新たな仲間を加えて、彼等は新たな道を歩き出す。

 南天と真澄の出逢いが、全ての始りだとはこの時は誰も予想しなかった。








 ***************




 三日月:さて、次回の『凍京怪夷事変』は?


 朔月:降りしきる雨の中、真澄達はある過去の出来事と向き合う日を迎えて…


 三日月:第十話『銀箭に遺した想いの雫』どうぞよろしくお願いします。





『凍京怪夷事変』、これにて第一章終了です。

次回は8/10火曜日に『凍京小話②』を掲載致します。

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