第五話ー難を転じて事を成せ
真澄達が駆けていったのを横目に、南天は一人廃工場の天井を伝い、別の方向から一足先に旧ドッグへと辿り着いた。
物陰に身を潜めて、眼下で蠢く黒い塊を注視する。
蜘蛛のような体つきのその黒い異形は、伝え聞いていたのと少し形状が違っている。
相対するのもこれが初めてだが、図体がでかいだけで、それほど強敵とは思えない。
その黒い異形と対峙している者がいる。
制服は真澄達と同じだが、他の三人に比べると、軍人というより、巫女や巫覡の方がしっくりくる少年が、札や針を駆使して異形の動きを封じ込めていた。
(あれは…)
縦横無尽に飛び跳ねては、異形を翻弄する様は、以前借りた本で読んだ牛若丸のようだ。
その横顔が、知り合いの表情と重なって、南天は目を凝らした。
彼が何をしているのかを、南天は瞬時に読み取り、自分が出て行くタイミングを計る。
異形を翻弄する少年を眺めていると、階段を下りてくる真澄達が視界に入った。
少年が苦戦したら加勢しようとしていた南天は真澄達の到着に、安堵した。
だが、自体は杞憂では終らない方向に発展した。
真澄の部下である朝月が威勢よく地面に降り立とうとした瞬間、南天は真澄と同じ事を叫びかけていた。
「南天?!」
真澄達の視線の先で、身軽に地を蹴って飛び上がるモノクロの影があった。
和袖のように広がった長い袖の下から、南天は右腕に鉤爪、左手にナイフを逆手に持ち、怪夷に向かっていく。
「これがこの時代の怪夷か...」
天井の梁に着地し、改めて真上から見下ろすように標的を見つめ、南天は刃の切っ先を怪夷に向ける。
狙いを澄まし、天井を蹴って一気に怪夷の頭上へ落下した。
頭上から落下してくる南天を怪夷の太い節足が薙ぐ。
それを左手に持った両刃のナイフで受け止めて、南天は疑問を抱いた。
(あれ...なんで?)
じんと、ナイフ越しに痺れのような物が伝わってくる。
先程真澄を助けた時のような力が上手く出せない事に、南天は眉を顰めた。
不可思議な疑問が、一瞬脳裏を過る。
一先ず節足を蹴り飛ばし、怪夷から距離を置くように離れた南天は、身軽に地面へと着地した。
さっきまでの勢いが途切れた事に、桜哉に介抱を受けていた真澄も、眉を顰めた。
さっきの強さは偶然だったのか。それとも何処か怪我をしたのか。
「南天、大丈夫か⁉」
不安の募るままに、真澄は南天へ問いかける。
「大丈夫です…」
(おかしい…力が出ない…武器は出せたのに…)
真澄の呼び掛けに南天は辛うじて返事をする。その声は驚きに震えていた。
「バカっ避けろっ」
水を打つような朝月の声が鼓膜に響く。
その声に弾かれたように顔を上げると、南天の頭上には、怪夷の巨大な後ろ脚が降り下ろされようとしていた。
(しまったっ)
反応に遅れ南天は一瞬、自身の行動を見失う。
身構えて動きを止め、咄嗟に南天は目を閉じた。
だが、怪夷の降り下ろした後ろ脚は降りてこない。
疑問に思っていると、自身の頭上で空を切る鋭い音が幾重にも重なった。
ジャラジャラと、連なった金属音が廃ドッグの空間に響き渡る。
(なんだ…)
眉をひそめ顔を上げてみると、怪夷の太い節足には、鎖のようなものが巻き付き、自身の頭上で動きを妨げられていた。
それをきっかけに、怪夷の全身を四方八方から現れた沢山の鎖が絡めとり、自由を奪っていく。
「南天!血です。血を飲んでくださいっ」
不意に頭上から聞き覚えのある声が響く。
(あれは...)
聞きなれた声からの指示に、南天は咄嗟に周囲を見渡した。
「血…」
だが、己が知る人物の姿は見当たらない。代わりに視界に入ったのは、後方にいる真澄。
真澄と視線が合い、南天は胸中で覚悟を決めた。
だっと、勢いよく走り出した南天は、まるで猫科の動物のように身軽に跳ぶ。
「お前、大丈夫かのか?この鎖はなんだ?」
突然駆け寄って来た南天に真澄は矢継ぎ早に質問を投げかける。
真澄は状況を理解しきれていなかった。
数時間前。店の裏で雨に濡れていた捨て猫のようだった少年が突如現れたかと思うと武器を手に、怯む事無く怪夷に立ち向かっている。
真澄ですら、この2、3メートル近くある巨大な怪夷と対峙するのは九年前の討伐戦線の時を入れて数えられる程だ。
経験のある自分ですら慎重になる相手にこの少年は真っ向から立ち向かっている。
それだけでなく、彼に呼び掛ける声と共に現れ、今まさに怪夷を拘束した鎖。
謎が多い目の前の少年に真澄は疑問を抱かずにはいられなかった。
「説明は後です。特夷隊隊長・九頭竜真澄殿、このボクと契約して下さい」
「は?契約」
状況を完全に無視した突然の申し出に真澄は困惑する。
一体、この少年は何を言っているのか。
「ボクは、暗殺と怪夷討伐を目的と造り出された
恭しく、自分の前に膝を着く南天を、真澄は茫然と見詰めた。
「契約ってなんだよ...」
「今後、貴方の手足となって働く為に必要です。そして、ボクの中に眠る力を解放する為には貴方の協力が必要になる。その為の契約です」
真っ直ぐに、真剣な表情で告げてくる南天の言葉。
彼が嘘を言っているとは思えない。だが、殺戮人形とは、眠った力とは...様々な疑問が真澄の中で渦を巻く。
「旦那、あいつまた動き出すぞ...」
南天への返答に困っていると、鎖で拘束され動きを止めていた怪夷が徐々に身じろぎを始めた。
ぎしぎしと鎖が軋む音を立てる。このままでは直ぐに拘束が解けてしまう。
「では、仮契約という事で」
状況を重く見た南天は、そう短く告げると、怪夷の方に視線を向けていた真澄の腕に突如噛み付いた。
「痛っおまっ」
南天の歯が真澄の腕に刺さり、血が滲む。
滲み出た血を南天は迷いもなく、ごくりと飲み干した。
真澄の腕を解放し再び南天は軽々と宙に舞う。
その瞳は先程までの気だるさが抜け、狩りをする獣のように鋭い光を宿し、紅玉から星屑の如き蒼玉に輝いていた。
「やっと、本調子」
再び刃を南天が構え直すと、怪夷を拘束していた鎖が消えた。
戒めが消えた途端、怒りに震えた怪夷は南天に牙を向く。
「今度は、外さない」
サッと、残像だけを残して南天の姿が消える。
怪夷の腕が、空を切り、獲物を捜してその視線が右往左往する。
「遅いよ」
南天が呟いた直後、怪夷の腕が胴体から離れ、黒い体液の飛沫が上がる。
更に南天は刃を翻して、残りの節足も切り落とした。
がぁぁぁぁ!
「これで、終わり」
白銀の閃光が数回、怪夷の身体を撫でる。
怪夷から南天が離れると、怪夷の身体は小間切れ肉のようにバラバラに飛散した。
最後に南天の鈎爪が、怪夷の額に突き刺さり、バリンと、何かが砕けるような音が、静かに響いた。
南天の鈎爪が額から抜かれると、怪夷の戦意は完全に喪失した。
バラバラと、辺りに大量の体液と肉塊を残し、怪夷は咆哮を上げる事なく、静かに絶命した。
目の前で繰り広げられた戦闘の光景に、真澄や朝月、桜哉、大翔は思わず息を飲んだ。
「...終わったかのか」
「やるじゃねぇか、あいつ」
いまだ信じられないと言いたげな表情で真澄と桜哉、大翔はバラバラになった怪夷を見詰めたが、朝月は南天の戦闘能力を素直に称賛した。
「隊長...彼は一体...」
突然現れた少年の戦闘能力の高さに、桜哉は目を見張る。
「ま、敵ではなさそうだが...さてさて、これから色々聞かないとな...」
肩を竦め真澄は、残骸と化した怪夷を眺めている南天を見つめた。
(あのでかぶつを一人で倒すとかどんな訓練を受けてる?それに、さっきの契約だの、俺の腕を噛んだ理由はなんなんだ...)
南天に噛まれた腕を部下達に見えないように、真澄はそっと制服の袖で隠した。
「なにはともあれ、討伐終了だ。怪夷の残骸を回収して帰るぞ。宮陣を三好のとこ運ばないとならないしな」
「僕は、一人で歩けます…」
それまで壁際に退避していた大翔は、よろめきながらも立ち上がる。
「無理しないで下さい」
ふらっとよろめいた大翔をすかざず桜哉が支える。
彼の左目からは未だに血が滴っていた。
「無理すんなっての」
横から抱えるように朝月は大翔に腕を貸す。
「すみません...」
朝月に支えられ、申し訳なさそうに大翔は顔を歪めた。
「気にすんな。それより、悪かったな。俺がついていながら...」
まだ入隊して半年の大翔に無理をさせた事に朝月は責任を感じていた。
この場にいない副隊長や年上の仲間がいたら、きっとこのような失態は犯さなかっただろう。
「お前は、俺が責任もって三好先生のとこに運ぶからな」
朝月の言葉に大翔はホッと息を吐く。
直後。
朝月が支えていた大翔の身体が重くなり、朝月の腕に重みがかかった。
「おいっ宮陣っ」
「…」
朝月に寄り掛かり、大翔は気を失っていた。
そんな彼を見下ろして朝月は肩を落した。
「たく、大分無理してたんだな...」
自分に寄り掛かる大翔を見下ろし、朝月は肩を落した。
「朝月、宮陣を連れて先に戻ってくれ。俺達は後から行く」
「了解」
真澄の命を受け、大翔を背中におぶると、朝月は足早にその場を後にした。
朝月と大翔を見送ってから真澄は、南天の方へ視線を移した。
「助かった。大丈夫か?」
「はい」
自身の方へ駆け寄ってきた真澄に、南天は小さく頷いた。
さっきまで瞳に宿っていた強い光は今はなく、南天の瞳は最初と同じ紅玉に戻っている。
少し気だるげな雰囲気も戻っていることに真澄は何故か、安堵した。
「さて、南天も手伝ってくれ。回収して帰るぞ」
気を取り直すような真澄の要請に、南天は驚いた様子で目を見張った。
「これを回収するのですか?」
辺りに散らばった肉塊を眺め、南天は小首を傾げる。
「三好が使うんだとさ。研究だかなんだかで」
制服の袖を捲り、当たりに散らばった肉塊を回収しながら真澄は、南天の疑問に答える。
「三好って、誰ですか?」
「軍医で、俺達の隊のサポートをしてくれている奴だ」
「サポートを...」
自分の答えに返ってきた内容に、南天は眉を顰めた。
「変わってる奴だが、まあ、仕事はしっかりしてるよ」
「そうなんですね」
「あぁ」
真澄の話を南天は黙って聞いて、静かに頷いた。
「隊長、回収出来ました。全ては無理ですが、頭部や胴体を中心に回収しました」
真澄が南天に説明をしている間、一人せっせと怪夷の残骸を回収していた桜哉が声掛ける。
「悪い、一人でやらせたな」
集めた肉塊を布に包んでいた桜哉に真澄はすまなそうに眉尻を垂らした。
「いえ、私は先程の戦闘で何も出来ませんでしたから...大翔さんを一人にしたのも私の落ち度ですし...」
敬礼をしていた手を下ろし、桜哉は顔を曇らせる。
大翔が怪我をした原因は一緒にいなかった自分だと、負い目を感じている。
そんな桜哉の肩を、真澄はポンと叩いた。
「お前のせいじゃない。もう少しきちんと指示を出すべきだった俺の力不足だよ。まだ入隊して二月のお前や、半年にも満たない宮陣には責任はない」
「伯父様...」
ふわっと顔を上げた桜哉は、未だ不安を残しながらも強く頷いた。
「これから経験して行こうな」
ニヤリと笑う真澄に励まされ、桜哉は強く頷いた。
「さて、帰るか」
「はい」
「南天、お前もこれ抱えてくれ」
肉塊を集めた布を抱えて真澄は、後ろで突っ立ていた南天にも声を掛ける。
それに応じて南天も肉塊の収められた布を抱えた。
「残骸の浄化は夜が明けてからだな...俺も術式が使えたら良いんだが...」
廃ドッグに散らばった残りの残骸を見遣り、真澄は肩を竦めた。
「一応、結界は張っておきますね」
制服の懐から五枚の札を出し、桜哉は残骸の周りを覆うように、結界を施した。
淡い膜の張られた空間に、桜の花を模した紋章が浮かび上がる。
「桜哉にもいずれは後方にも力を入れて貰うかな...」
「え?私は前線で怪夷と闘いたいです」
真澄の提案にすかさず桜哉は抗議する。
「母様から教わった剣術を生かすにはやはり前衛の方が適任だと思っていますから。伯父様もご存じでしょう」
「うう...どうしてうちの親族の女性陣はそんな強いの?オジサン、君の父君に申し訳ないんだけど...」
朝月や大翔がいないせいか、桜哉は普段、真澄に接するような口調で話しかけてくる。
それにつられる形で真澄も口調を崩した。
「父様も、私が剣を振るう事に異論はないと申してました」
「六条大佐は娘に甘すぎるんだよな...」
桜哉の父たる義弟を思い出し、真澄は溜息を吐いた。
「まあ、桜哉の実力は認めてるよ。じゃなきゃ、この隊に士官学校卒業したばかりの君を引き抜きはしなかったからな...海軍士官になれなかった事、後悔してないのか?」
ふと、真澄は二月前の事を思い出し、桜哉へ改めて訊ねた。
彼女は本来なら今頃、何処かの鎮守府で軍艦に乗っていた筈の身分だ。
それを、ある事情から真澄が軍部に掛け合って引き抜いた。
本来であれば、いずれは一戦艦の艦長として、出世をしていた筈。その未来を変えた事を真澄は申し訳なく思っていた。
「いえ、確かに戦場は海ではなくなりましたが、英雄達と同じ戦場に立てる事は、九頭竜の血を引く者としては誇りに思います。伯父様...いえ、九頭竜大佐。この度の引き抜きありがとうございました」
不意に立ち止まり、桜哉は真澄に向かって敬礼する。
その気高くも可憐な少女に真澄は誠意を持って敬礼を返した。
「...このお嬢さんとマスターはご親戚なのですか?」
それまで二人の後を黙ってついて着ていた南天が、唐突に問いかけた。
「ああ...この六条桜哉は俺の姪で、妹の娘なんだ」
真澄に紹介され、桜哉は南天に向かって会釈をする。
桜哉に合わせるように頭を垂れた南天は、まじまじと彼女を見詰めた。
不意に、血がざわついたのを感じて南天はそっと胸元を押さえた。
自分をじっと見詰めてくる南天を訝しみ桜哉は気にしないフリをして、再び歩き出した。
真澄と桜哉の後に続き南天も歩き出す。
チラリと、頭上を見るが、そこに声の主はいない。
しばらく辺りの気配を探ってみたが、そこに目的の人物がいないと分かると、南天は足早に真澄達の後を追った。
大翔を連れ、一足先に大統領府内にある特夷隊の詰め所に戻った朝月は、詰め所内にある医務室を訪れた。
「先生っ急患だ」
「そこのベッドにお願いします」
医務室には白衣を纏った一人の男がいた。
医師である男は、朝月に彼が背負ってきた大翔を寝かせるように指示した。
「直ぐ診てやってくれ」
「あとは、私に任せてください。目を覚ましたら連絡します」
「あぁ、頼んだぜ。三好先生。あ、後、怪夷の残骸も後で持ってくるから、よろしく」
「はい」
医務室の奥にあるベッドに大翔を寝かせた朝月は、医師・三好に敬礼をして、医務室を後にした。
笑顔で朝月を見送った三好は、チラリとベッドに寝かされた大翔を見下ろす。
「おやおや...派手にやられましたね...彼がいたらきっと慌てふためいていた所でしょうが...まあ、今はいないので、傷の残らないように手当をしましょうか」
傷の影響で熱が出ているのか、額に汗を掻いて呻く大翔を見下ろしてから、三好は白衣の裾を翻した。
*************
第六話予告
朔月:さて、次回の『凍京怪夷事変』は
弦月:怪夷討伐を終えて詰め所のに戻ってきた真澄達。自分を人形だと言い張る南天は真澄に、自分との契約を迫るのであった!
朔月:第六話『
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