第四話ー軍都の闇に潜みしモノ




 バタバタと、風が全身を吹き抜けて行く。

「それじゃあ、任せるよ。落ち着いたら必ず連絡を」

 白衣を身に着け、眼鏡を掛けた白髪の男が、地面に空いた穴の前に立つ二人の若者に声を掛ける。


「了解致しました。必ず、任務を果たします。ドクター」

「ドクター、私がついているから、心配いりませんよ」

 穴の前に立った若者二人は、それぞれ背後に控えた白衣の男と、その後ろにいる仲間達を振り返る。


「気を付けて」

 ドクターと呼ばれた白衣の男の声を合図に、二人の若者は、奈落へと続く底の見えない深き深淵の中へ、その身を投じた。





「旦那」


 通信があってから小一時間。

 真澄が辿り着いたのは、木場を越えた先の沿岸部だった。

 そこは、五年前の烈震から今日、未だ瓦礫の残された場所である。


 現場に辿り着くと、真っ先に朝月が出迎えた。

「状況はどうだ?」

「追い詰めたんだが、廃墟に逃げ込まれました。今、六条と宮陣が内部を探っています」

「廃墟か」


 目の前に怪しく聳える海軍の施設だったと思しき廃墟を見上げ、真澄は眉を顰めた。

 雨上がりの暗闇に佇む荒廃した建物は、火事で燃えたのか、黒ずみ、鉄骨が剥き出しになっている。

 今尚埋め立てを続け、土地を広げる海岸線の中、その場所だけが五年の歳月に取り残されていた。


「隊長」

 廃墟を眺めていると、真澄と朝月の傍に、一人の少女が駆け寄ってきた。

 揺れる総髪を背に長し、ぴたりと少女は足を止める。


「怪夷は廃墟の奥、地下に潜り込んだようです。恐らく、ここがねぐらかと」

 真澄の前で敬礼し、六条桜哉は淡々と報告する。

「わかった。行くぞ」

「了解」

「はい」

 二人を従えて真澄は廃墟の方へ足を向ける。


「隊長、あれいいのか?」

 真澄の後を追おうとした矢先、ずっと後ろに控えている見慣れない少年を見つけ、朝月は首を傾げた。


「あれ?あ、南天。お前も来い」

 真澄の呼び掛けに南天は、命令を待っていた忠犬のように、一定の距離を保ちながら真澄の後ろに着いて歩き出した。


「隊長、この少年は一体?」

 自分達の後ろを黙々とついてくる少年を肩越しに振り返り、朝月は首を傾げる。

「店の裏で晴海ちゃんが拾った」

 真澄が呼ばれて店に戻っていた理由がどうやらこれらしいと気づき、朝月と桜哉は顔を見合わせる。


「なんだよ、それ。猫か?」

「ホントにな。まあ、本人が恩を返したいっていうから連れて来た」

 ニヤリと笑う真澄に、桜哉は不満そうに抗議を口に出した。

「民間人を関わらせるのは危険ではないですか?」

 経緯は分からないが、真澄が許可している以上問題はない。それを桜哉も分かっているのだろうが、その声音には不満が感じられた。


 桜哉の意見は最もだ。本来、この仕事は民間人にも部外者にも関わらせるべきじゃない。

「そいつ、強いのか?」

「どうなんだ?南天」

「強いです」

 朝月の問いかけを受け取り、真澄は肩越しに南天を振り返る。

 真澄に訊ねられ、南天は真っ直ぐに三人を見詰めて答えた。


「と、言うわけだ。お手並み拝見するか」

「はははっ、面白いな、お前。それじゃ、俺達に力貸してくれ」

 いつの間か南天の隣に近付いていた朝月は、扇を口許に当てて高らかに笑い、南天の背中をバシバシと叩く。


「隊長...」

 朝月とは反対に、眉を寄せて桜哉は南天を連れてきた真澄を見据える。

「信用できないか?」

「一般人を関わらせるのが私は良くないと思っているだけです」

 誰に似たのか、真面目な桜哉は、部外者である南天が関わるのに疑念があるようだ。


 その気持ちを理解しつつ、真澄は諭すように桜哉に声を掛けた。

「あいつから志願してきた事だ。子供じゃないんだ、自分のことは自分で責任を持てるだろう」

「......」

 隊長に諭されても尚、未だ不満げな桜哉に、今度は朝月がニヤリと笑いかけてきた。


「いいじゃねぇか、面白そうだしよ。うちの隊長が許可してんだしさ、な、旦那」

「責任は俺が取る」

 対照的な意見の部下二人を、真澄は一言で収めた。




 部下達の意見は様々だが、結局南天は真澄達と共に廃墟に足を踏み入れた。

 黙々と四人は、崩れかけた廃墟の奥へと進んで行く。

 廊下を進んだ先には階下へおりる階段があり、真澄を先頭に四人はゆっくりと地下へと下りて行く。

 水滴の滴る音と、微かな潮の匂いが漂ってくる。


「うわっ、いかにもなとこだな」

「政府発足当時の海軍の軍事工場跡地のようです。今は五年前の震災の影響と規模拡大のために拠点が移った関係で廃工になったようです」

 資料として持っていた地図を見遣り、桜哉はこの場所がかつてどのような目的を持っていた場所なのかを説明する。


 それを聞いて進みながら、ふと真澄は部下達を振り返った。

「六条、宮陣はどうした?東雲の話じゃ二人で奥に調査に行ったんじゃ無かったか?」

 桜哉の説明を聞いた後、ふと真澄は姿の見えない大翔の事を問いかけた。


「私に隊長と東雲少尉を呼びに行くように告げて、一人で標的の観察をすると...」

「一人にしたのか?」

「呼び止めたんですが行ってしまいました」


 桜哉からの報告に真澄は頬を強張らせた。

「ちっ、一人で行かせるなとあれほど。なんのために複数で行動してると思ってるんだ」


 青ざめた隊長の表情に桜哉はびくりと肩を震わせる。

「申し訳ありません...宮陣少尉は祭事部の出だから術式を使えるので、大丈夫だと言われたので...」


 大翔との遣り取りを桜哉は素直に報告する。

 確かに、例の異形の討伐には、古の技である呪術を使用する。

 小隊の中で大翔は術式を得意としているが、それだけでは自分達が相手にしている異形は倒せない。


「悪い旦那、俺の判断だ、二人が偵察だけでも経験を積みたいって...」

「お前の判断か...たく、そういうのは赤羽や月代がいる時にしろよ...経験浅い年少二人だけで行かせるな」

 真澄から指揮を任されていた朝月の判断に真澄は溜息を吐く。


「いや...俺の時は結構一人で行かせて貰ってたから...」

「お前と二人じゃそもそも強さのレベルが違うだろ。たく、今更仕方ない。急ぐぞ!」

 真澄の号令に朝月と桜哉は速度を早める。

 その後を南天はじっと見詰めてから、人知れず別の方向へと姿を消した。




 真澄は桜哉の案内の下、廃墟の地下へと続く階段を足早に降りていく。

「そうか、ここは戦艦建造の為のドック跡か...」

 この廃工がかつてなんの為に使われていたのかを理解し真澄は、慎重に進んでいく。


 潮騒が聞こえて来る事から、ここが海に繋がっているのだろう。

 やがて、暗がりに仄かな灯りが見え、ズズンと、腹の底から響くような重低音が煉瓦の壁を反響して聞こえてきた。


「近いな」

 三人が暗い通路を抜けると、開けた空間が見えてきた。遠くにだが一人の少年が、巨大な黒い影と対峙しているのが見える。

 黒い影ー真澄達が討伐対象にしている旧時代の異形の体には、沢山の札が張り付いている。更に、壁や異形の影には無数の針が打ち込まれていた。


「宮陣、加勢するぜ」

 仲間の戦っている姿を見つけるなり、扇を手に朝月は階段を掛け下り、一気に大翔の傍へ飛び込んで行く。


 真澄達の到着に気付いた大翔の顔が、一気に驚愕に歪む。

「止まって!踏み込まないでっ」

 大翔が声を発した時には遅かった。


「朝月!止まれ! 」

「えっ」

 真澄の制止の声に朝月は驚きの声を漏らす。

 その意味が分からないまま、朝月の身体は怪夷と大翔の傍へと降り立った。


 朝月の足地面ついた瞬間、バチンと紫電が迸り、それまで黒い影に纏わりついていた札や針が効力を無くし、はらはらと地面に落ちた。

 咆哮を迸らせ、異形は身体を大きく左右に揺らす。


「宮陣っ!」

 解かれた術式が何を意味するのかを悟った真澄は、腰に差した軍刀の柄に手を掛け、一気に走り出した。


 拘束を解かれた異形が、咆哮を迸らせその身をくねらせる。

 その姿は、八本の鈎爪を備えた巨大な蜘蛛のよう。

 禍々しく光る赤い眼光が、それまで自身を拘束していた大翔を見下ろした。


 かつて、日ノ本を、世界を混沌と窮地に追い込んだ旧時代の異形ー『怪夷かいい』が、自身を害した者を捉える。

 ぎちぎちと鋭い牙を向きだした歯を鳴らし、怪夷は鍵爪の前脚を大翔目掛けて振り下ろした。


「っ⁉」

 咄嗟に避けたにも関わらず、鍵爪の先端が大翔の顔面を直撃する。

 小柄な大翔の身体が、真澄達の目の前で壁際にまで吹き飛ばされる。幸いにも、咄嗟に札を使って衝突は回避したらしい。

 だが、大翔は衝撃に苦悶の表情を浮かべ、壁に寄り掛かりながらズルズルと地面に座り込んだ。


「宮陣さんっ」

「大丈夫です...なんとか」

 怪夷に吹き飛ばされた仲間の元に桜哉は咄嗟に駆け寄ると、その身体を抱き起した。


「宮陣さん、目が」

 怪夷の鍵爪が直撃した部分には血が滴り、宮陣の端正な顔を紅く染めている。


「くそってめぇっ」

「桜哉っ大翔を頼む!直ぐにこの場を離れろ」


 仲間を攻撃された事に激高した朝月が、扇を手に一気に駈け出して行く。

 その後を追いかける寸前、真澄は桜哉に指示を出した。

 真澄の命令に、大翔を支えて来た道を戻っていく桜哉の姿を視認して、真澄は軍刀を構えた。


「うおりゃああ」

 地面を蹴って跳びあがり、真正面から朝月は、鉄で造られた扇を怪夷の眉間目掛けて振り下ろす。

 頭上に来た朝月を、怪夷は葉虫を払うような動きで前脚を翳し、横薙ぎに吹き飛ばした。


「朝月っ」

 回避出来ずに吹き飛ばされた朝月を目で追い、真澄は奥歯を噛み締めた。

(こいつ...旧クラスのランクAか...)

 眼前で咆哮を迸らせる怪夷を分析し、真澄は唇を引き結ぶ。


 九年前。

 世界規模で怪夷討伐の最終決戦が実行された。その大戦に参加していた真澄ですら、生き物の形を完全に擬態させた上位ランクを見たのは、数体ほど。

 それが、現状は自分より巨大な大物と遭遇する率が高くなっている。


「たく...こんなのをずっと相手にしてきたっていうんだから、笑えるよな...」

 目の前で牙を剥き出し、こちらを伺う怪夷を前に、真澄は苦笑した。

 幼少期から聞かされてきた英雄譚は、どれも信じられないものだったが、どれも事実だ。

 彼女達が相手にしてきた化け物が、目の前にいるのだから、あの話は全て真実なのだろう。


 軍刀を構え、頭上より振り下ろされた鈎爪を真澄は受け止めた。

 ガチンと、重い衝撃が刃越しに伝わってくる。

「く...」


 本来、怪夷の討伐は術式による結界を張り、対象の力を削いでから行うのが古くからの戦闘スタイルだ。

 だが、その役目を担う大翔が負傷した今、それに頼る事は出来ない。

 ほぼ全力の怪夷を相手にするのがこれ程骨の折れる重労働だと、真澄は改めて思い知った。


 鈎爪を押し返し、素早く身を引いた真澄は、更にその懐へ踏み込んで行く。

 怪夷の死角になる位置。足の付け根の当たりで、真澄は軍刀の先端を上に向けると、柔らかそうな怪夷の腹部に突き刺した。


 ギイイイイイイイ。


 耳をつんざく咆哮に桜哉、大翔、朝月の三人は耳を塞ぐ。

 真澄は顔を歪めながら軍刀を引き抜いて怪夷の背後へと回り込んだ。

 痛みに荒れ狂う怪夷の節足が、縦横無尽に振り回される。

 その一部が移動をしていた真澄の背中を掠めた。


「ぐわっ」

 節足の振り回される方向へ、真澄の身体が吹き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられる。


「旦那っ」

「隊長っ」


 部下達の悲痛な悲鳴が鼓膜を震わせる。

 辛うじて気絶せずには澄んだが、背中と足がずきりと痛む。

 折れていない事を願いながら、真澄は再び軍刀を構えて立ち上がった。

 痛みの衝撃から立ち直った怪夷の禍々しい眼光が、仇を捜して周囲を見渡す。そして、その赤い瞳が真澄の姿を捉えた。


「はあ、はあ...くそ...こんなとこでくたばらねえぞ...」

 口の中に溜また唾を吐き出して、真澄は怪夷と向かい合う。

 ここで終る訳にはいかない。

 まだ、やらなければならない事が真澄にはあった。


「俺の中にもお前等とやり合った英雄の血が流れてんだ...こんくらいでやられると思うなよ」

 ズルズルと、節足を引き摺るように黒い影が近付いてくる。

 壁際の真澄に迫った怪夷は、ぎちぎちと牙を剥き出し、前脚に当たる節足を二本、勢いよく振り上げた。


 頭上に振り下ろされた鈎爪を前に真澄は軍刀を振り上げる。

 一瞬、脳裏に幼馴染の顔が浮かぶ。

 この隊の目的を果たせずに終るつもりは、真澄にはなかった。

 歯を食い縛り、軍靴の裏に力を込めて衝撃に立ち向かう。


「隊長!」

 後方から聴こえる部下達の声が遠い。


 振り下ろされた鈎爪の先端が、真澄の首を刎ねる瞬間。

 金属のぶつかる甲高い音色が真澄の鼓膜を震わせた。


 一向にやって来ない衝撃に、真澄はいつの間にか閉じていた瞼を開く。

 開いた視線の先に広がる光景に、真澄は大きく目を見張った。


 自分と怪夷の間に立ちはだかるように、一人の人影があった。

 凛と佇む銀糸の髪と黒い頃ものモノクロのシルエット。

 その背中が纏うのは、歴戦の戦士の如き威圧感。


「あ...お前...」

 眼前に立つ少年に真澄は、掠れた声で呼び掛けた。

「遅くなりました。マスター。これより加勢に入ります」

 淡々と、感情のない声音でそう告げたのは、銀髪の少年。

 首筋を緩く、すっぽりと覆う襟に、両肩から袖の半分離れた狩衣に似た焦げ茶色の衣服を纏うその少年。晴美が店の裏で拾った南天は、肩越しに真澄を振り返った。

 怪夷とは違う、宝石のような紅玉の瞳が、真澄を見詰めてくる。


 その強い眼差しに、真澄はかつて戦場で見たある人物の視線を重ねた。

 着物の袖のように先端が広がった袖口から、右手に鈎爪、左手に逆さに構えたナイフが覗くのを見て、真澄は驚愕した。


 軍刀でも苦労する怪夷の巨体を、南天はナイフ一本で受け止めている。

 よく見れば既に前脚の一本が怪夷の身体から離れていて、地面に横たわっていた。

 左手に持ったナイフ一本で受け止めていた怪夷の前脚を一本、南天は意図も容易くすっぱりと切り裂いた。


 黒い血が、廃墟の中に飛び散り、悲鳴に似た咆哮が怪夷から発せられる。

 茫然と驚く真澄を軽々と抱えて、南天は彼を桜哉達のいる場所まで運んだ。

 地面に降ろされて真澄は信じられないと言いたげな表情で南天を凝視する。

 それは、その場に避難していた桜哉と大翔も同様だった。


「お前...一体」

「...下がっていて下さい」

 真澄を桜哉達に預け、南天はゆらりと怪夷の方を向く。


「コイツは...怪夷は、ボクが倒します」

 前髪を編み込んだ左側から真澄達を振り返り、短く告げた南天は、得物を構え、一人怪夷の前に駈け出した。







 *************




 三日月:次回の『凍京怪夷事変』は


 刹那:巨大な怪夷に苦戦する特夷隊の窮地を救ったのは、謎の少年南天だった。南天の強さに驚きを隠せない真澄と特夷隊の隊員達。そんな中真澄は、南天からある提案を持ちかけられて…


 三日月:第五話『難を転じて事を成せ』次回もよろしくお願いします。

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