第二話ー新設部隊は波乱の幕開け
未曾有の大震災から一週間。
軍都・東京の被害は特に東側に集中し、隅田川沿いを襲った業火は三日後には鎮火した。
東の防衛の要として発展を遂げ、国の片翼を担うまでに復興した東京の街は、今や瓦礫と消し炭に塗れた焼け野原と化していた。
比較的被害の少なかった大統領府のある山の手側には、被災した民間人が避難し、大統領府の広大な敷地は、そんな避難民の為に解放され、至る所にバラックが並んでいた。
混乱に見舞われた東京の街を、真澄を含めた軍は、救護から市民の避難などありとあらゆる事に走り回っていた。
炊き出しが行われている大統領府の敷地内で、真澄はようやく一息ついていた。
ポケットからシガレットを取り出した。
「お疲れ様です。九頭竜少佐」
火を付けようとライターを捜していた真澄の横から、すっとライターが差し出された。
灯された火を貰い受け、シガレットの先端に火を灯し、真澄はニコチンを肺に吸い込んだ。
「おう、
「ご無沙汰してます。真澄の旦那。その三男坊ってのどうにかなりません?」
真澄の横に並ぶように建物の壁に寄り掛かったのは、長い黒髪を総髪に結い上げた二十代前半の若者。
「悪い、悪い、ついな...元気そうだな。
ニヤリと、不敵な笑みを浮かべて真澄は自分と同じ陸軍の軍服を纏う後輩を見遣る。
まだ真新しい、綺麗にアイロンがけにされた軍服が、煤で汚れている。彼もこの大災害の救護に駆り出された一人だ。
「陸軍に入隊したのは聞いていたが...なかなか様になってるな」
「欧羅巴遠征を終えて軍都に戻ったとたん、この大地震すよ。母国での初陣が救援活動とか、兄貴達に軍医になれば良かったんだって小言言われそうです...」
昔馴染みである真澄の前で、青年士官ー
「そりゃそうだろ。東雲先生のご子息なんだから、医師への道を切望されたんじゃないのか?」
紫煙を燻らせ真澄は同じくシガレットに火を付ける若者に問いかけた。
朝月の生家である東雲家の家業は医師だ。
先祖代々という訳ではないが、彼の父親は、ある病の専門医でもある。
真澄にとっても、彼の家とは古くから交流があり、朝月の父親の事はよく知っていた。
「兄貴達やお袋には医者になれって言われましたけど、親父は...己の道は己で決めろって感じだったので、その辺は特に苦労はしませんでした」
「はは、東雲先生らしいな...まあ、あの人ならそう言うだろうな」
良く知る男の顔をぼんやりと思い出して真澄は、吸い終わったシガレットの火を靴底で踏み消した。
「...旦那、親しい者同士の噂で聞いたんですが...」
それまで、軽い調子で話ていた朝月の声音が低く落される。
耳打ちするように話始めた彼の声音に、真澄は静かに耳を傾けた。
「...雪之丞の旦那が行方知れずってのは、本当ですか?」
「......」
思わぬ朝月の問いに、真澄の顔が一瞬曇る。
その一瞬の表情が全てを物語っていた。
「...何処まで知ってる?」
「詳しい事は何も...ただ、震災直後に姿を消したとしか...」
「お前、それ誰に聞いた?」
「...大統領から密かに捜索依頼を受けた
低く絞り出すように、朝月が出した名前に真澄は空を見上げた。
「アイツか...まあ、確かに関係者だからな。たく、柏木の奴...」
「何があったんですか?親父もきっと心配します。それに...神戸や出雲の御方様達だって」
「あっちにはまだ報せてない。こんな状況で通信なんか出来なかったからな」
深い溜息を付いた真澄はぐしゃぐしゃと頭を掻いた。
「ああくそっこんな状況じゃ無きゃ俺が捜したいよ」
軍帽を目深に被り、真澄は苦痛に歪んだ顔を隠す。
軍帽を握る手に力が込められているのに気付いた朝月は「すみません」と、謝罪を口にした。
大地震後の混乱の中、旧江戸城跡で雪之丞が消える瞬間を真澄は目の当たりにした。
一番捜しに行きたいのは、親友でもあり、護るべき立場にあった真澄自身。
悔しさに苛まれる真澄の心中を察して、朝月も話題を出した事を後悔した。
秋津川雪之丞の失踪は、まだ公にはされていない。
軍部にも顔の通っている科学者である雪之丞の失踪が知れれば、今後面倒な事が起こるのは真澄も柏木も分かっていた。
ましてや、上野の博物館に保管されていた件の刀剣を持ち出した末の失踪がバレれば、きっと柏木の立場もタダではすまない。
「...この件は関係者以外には漏らすなよ」
念を押す真澄に朝月は深く頷いた。事の大きさをまだ若いながら朝月も理解できているのが、真澄には有難かった。
二本目のシガレットを取り出そうとした真澄を、遠くから呼ぶ声が響く。
その声に顔を上げると、一人の士官が駆け寄って来た。
「九頭竜少佐。大統領閣下がお呼びです。至急第一会議室へ」
「分かった。東雲少尉。励めよ」
朝月に吸おうとしていたシガレットを託し、真澄は敬礼をしてその場を離れる。
呼びに来た士官と共に離れて行く真澄を朝月は敬礼で見送った。
近代式の鉄筋コンクリート建築であったお陰と、下町に比べて被害の少なかった為に、倒壊を免れた大統領府庁舎の一階。東向きの一室が、大きな会議を行う為の第一会議室だった。
つい先日まで、ここは連日救護活動に従事した軍人や警官達の仮眠室となっていたが、一週間が過ぎて、救護活動もひと段落したという事で、今日から本来の用途に戻ったばかりだ。
その広い会議室の中、長方形に配置された机に腰掛け、数人の人物が難しい顔を付き合わせていた。
「柏木大統領、今の話は本当かね?」
下座に座るのは、この国の国防を担う、陸軍の将軍三人と彼等の副官達だ。
その向かい、上座に座るのはこの国の政治を司り、事実上“国家君主”としての地位を頂く大統領ー柏木静郎。
「こんな状況化で嘘を吐く理由もありません。かつて、この国を、世界を大災厄という名の混沌の後、三十年近くも苦しめた旧時代の異形の封印が先日の地震で解けたのは、間違いないでしょう」
涼しい顔でさらりと言ってのけた柏木の話に、将軍達は頭を抱えた。
「五年前、ようやく彼の異形を世界から殲滅出来たというのに...」
「あの異形退治の最初の功績があったからこそ、我が国は他国に先駆けて復興を果たし、様々な国に支援という形で優位に立てたのは、君も分かっているだろう」
「それを...先進国である我が国でまたあの悪夢が繰り返されるというのか...」
将軍達が口々に話す内容を、柏木は静かに聞いていた。
「閣下達が仰るのは勿論です。あの異形を最初に討伐出来た事で、我が国は他国に抜きんでて英雄国としての地位を得た。それを自ら陥れたいとは私も思っておりませんよ」
「だが、もしこの事が他国に知れれば一大事だぞ!」
ダンと、柏木と正面に座っていた恰幅のいい将軍が、苛立たし気に机を叩く。
「しかし、まだ
机の上に両肘を付き、身を乗り出すようにして柏木は話を続ける。
その双眸には、企みのような、野心のようなギラギラとした色が滲んでいた。
「何か、策があるとでも言いたげだね...」
右側に座っていた初老の将軍の問いに、柏木は自信ありげに頷く。
次に柏木は、控えていた部下に大きな模造紙を持って来させると、自身の背後に置かれていた黒板にそれを広げさせた。
そこに描かれていたのは、今も尚、西の防衛の要として機能するある都市の地図。
その隣には、この大統領府のある東京府が描かれていた。
「かつて、西の防衛都市として、彼の異形と共にある生活をしてきた
指示棒で東京府を囲むように円を描き、柏木は並んで描かれた西の防衛都市を示す。
「そして、彼の異形の討伐ですが...」
そこで、すっと言葉を切り柏木は自身の視線の先にある扉を見つめた。
「かつては執行人と呼ばれる者達が担っていましたが、今回は民間からそれを募る事はせず、専門の部隊を立ち上げるつもりです」
唐突な大統領の発案に、将軍達は抗議の声を上げた。
「ふざけるな!貴様、軍部の指揮権が事実上大統領にあるとは言え、勝手に軍部を動かすのを認められるとでも思ったか!」
「昨今の国際情勢を分かっての発言だと仰るなら、いよいよ貴方の支持も地に落ちたというものですぞ」
口々にまくしたてる軍部のお偉方の抗議に柏木は内心舌を出しつつ、表面は涼し気な表情を崩さずに発言をする。
「御心配には及びません。軍部には一切負担を掛けませんので。その討伐に当たるのは、私が新たに設ける大統領直属の特殊部隊です」
「大統領直属の部隊だと...」
柏木が口にした構想に、将軍達は息を飲んだ。
「軍部は今後、彼の異形関係の事件への対処は不要。私の直属の部隊がこの軍都東京を守護致します。つきましては、幾人か各部署より引き抜かせて頂きたく」
ニコリと、人の良い笑みを浮かべて提案する柏木に、三人の将軍は顔を見合わせた。
「軍部にはこれまで通り、各国との軍事均衡、国防のみに専念して頂いて結構。余計な仕事は一切増えませんよ」
更に畳みかけてくる大統領に、三人は渋い顔をしつつ、互いに深く頷き合った。
正直、軍部としては、彼の異形に人員を割いている余裕は無かった。
他国との間に燻る世界大戦の火種。中立であり国連の常任理事国である日ノ本の軍部は国内より国外に目を向けている。
そんな状況下で、既に解決した筈の事案に関わっては、他国に情報が漏洩し兼ねない。
それは、かつて世界の危機を救ったとして高い地位を得ている日ノ本に取って、致命的な事だった。
「...ふん、
「ええ、構いません」
「ならば、彼の異形の件は閣下にお任せするとしよう」
将軍達の間で、意見が纏まり、中央に座っていた恰幅のいい将軍が軍部としての承認をする。
「物分かりが早くて助かります。それともう一つ、この部隊の隊長に推薦したい者がおりまして、彼の者の退役を認めて頂きたいのですが?」
思わぬ柏木の言葉に、幹部達は面食らったように柏木を凝視した。
「一体、誰だね、それは...」
幹部の一人の問い掛けに答えるように、柏木は入口の傍に控えていた部下に目配せした。
それに応じた部下が、ゆっくりと扉を開く。
「失礼致します。陸軍憲兵部隊少佐、九頭竜真澄、要請に応じ参上致しました」
普段のくたびれた様子とは打って変わる清廉された動きで敬礼をして、真澄は第一会議室の中に足を踏み入れた。
その場に集った者達の視線が、真澄に集中する。
軍部の将軍達は、現れた人物に目を見開いた。
「大統領直属部隊の隊長に私が推薦したいのは、怪夷討伐戦線の英雄にして陽の巫女・
柏木が告げた言葉と、集中する視線に真澄は思わずあんぐりと口を開けそうになって、咄嗟に顔を引き締めた。
軍部との会議が終わった夕暮れ、会議室には真澄と柏木だけが残っていた。
「...勝手に決めやがって...」
「怒るなよ。お前も承諾してただろう?」
「まだして無かっただろっ」
柏木の一方的な言葉に真澄は思わず声を荒らげた。
本来なら国の最高指揮官たる人物だ。こんな軽口を叩くのも憚られるのだが、幼馴染であるのでそこは最早免罪符のように、咎められない。
「たく...結局お前の計画通りか...」
「だが、怪夷の討伐はお前意外に出来ないだろう?御方様方は既に引退しているんだし」
溜息を吐いて肩を落した真澄の背中を、柏木は優しく叩く。顔を覗き込んで柏木は耳元で囁いた。
「それに、秋津川君が失踪した件も、怪夷が関わっている可能性は大いにある。彼が消えた理由が旧江戸城だと公にする訳にもいかないだろう?」
柏木の言葉は最もだ。
「秋津川君の行方の手掛かりを掴む為にも、自由に動ける方が君にも私にも都合がいいだろう?」
「...雪の失踪は不可抗力として...アイツがあの刀剣ごと消えたのが知られるのはまずいな...」
悪魔の囁きの如き柏木の話に半分は同意し、半分は自分の意見だというように、真澄は頷いた。
「で、その部隊の構成は?」
「おや、やっと乗り気になったな」
「仕方ないだろ...怪夷は俺にとっても関りの深い案件なんだし。雪の行方も捜さないと、神戸の御方様が悲しむし...お袋に殺される...」
最後の方は声のトーンを落し、真澄は自分を納得させるよう、言葉を紡いだ。
「相変わらず、英雄様は過激だなぁ。私達にはお優しい方だったのに」
「スパルタだぞ、あの人は...まあ、それはいい。どうすんだよ、人選」
ズレ始めていた話を修正し、改めて真澄は柏木に質問する。
「既に目星はついている...が、お前にも決めて欲しい。リストは後日渡すから。出来れば、関係者で固めたい」
「分かった」
「お前の方からも、推薦があれば言ってくれ。考慮はするから。今日はもう下がっていいよ」
「了解。帰ったら直ぐに辞表書かないとな...」
溜息を零し、真澄は一先ず会議室を後にした。
震災から一月。
軍都東京は少しずつ復興へと向かい始めていた。
陸軍を退役した真澄は、未だ瓦礫の残る東京の街を歩き、大統領府を訪れた。
今日からここが、新たな職場である。
身分証を見せて庁舎に入り、真澄は大統領の執務室を目指す。
ノックをして、扉を開けば、含みのある笑顔が出迎えてくれた。
「やあ、初出勤ご苦労。隊長殿」
「本日付で大統領付きになりました、九頭竜真澄。ただいま参上致しました」
軽い口調の柏木とは対照的に、軍人らしい清廉された敬礼で真澄は来訪を告げた。
「堅苦しいのはいいよ。ほら、早く入って。ようやく全員揃ったんだから」
柏木に催促されて、真澄は渋々執務室へと足を踏み入れる。
扉の左側。資料や書物を収納した書棚の前に五人の若者が整列している。
年齢や背格好はバラバラだが、皆この新設部隊に選抜された精鋭だ。
「遅れてすまない。諸君、俺が、この部隊の隊長を務める九頭竜真澄だ。俺達が相手にするのは、人に仇名す、旧時代の異形。既に討伐の術が確立しているとはいえ、十年近く誰も遭遇していない。本日から貴官等にはその討伐方法を学びつつ、俺の下で軍都東京守護に従事して貰うので、宜しく頼む」
「了解しました!よろしくご教示願います、九頭竜隊長」
五人の声が、示し合わせたかのように揃う。
「じゃあ、私の方から改めて隊員の紹介を。九頭竜君の補佐であり、部隊の副隊長、
一番左に並んでいた、この中で一番年若い青年が敬礼をする。その名字が示す通り、彼は柏木静郎の長男だ。
父親とは異なる、柔和で人の良さそうな表情の青年は、背伸びをするように胸を張る。
「次に、司法部...警視庁からの引き抜き組。
燃えるような赤い髪に鳶色の瞳の男とふんわりと緩い薄い髪の男が、敬礼をする。どちらも警視庁での評価は好評で、引き抜くのに苦労した。
怪夷討伐の関係者であり、真澄や柏木とも交流のある前警視庁長官の推薦が無ければ叶わなかった人選だ。
「次は、祭事部からの推薦だ。
宮陣と聞いて、真澄は何処かで聞いた事があるなと思いながら、彼に敬礼した。
「最後は、軍部からの推薦だ。東雲朝月君。九頭竜君同様、怪夷討伐に深く関わった英雄の一人である
元気よく敬礼する朝月に真澄は苦笑する。
軍部の推薦だというのに、まだ年若い朝月が選ばれたのは少々奇妙だが、彼の父親が英雄の一人である以上、問題はない。
「そして、怪夷討伐の最もたる功労者、九頭竜莉桜女史の子息であり、先の怪夷討伐大戦線の経験者たる、隊長、九頭竜真澄君。以上六名を、本日付で
柏木の前で、真澄に続いて五人の若者が一斉に敬礼する。
「諸君の活躍に期待する。しっかり励みたまえ」
ニコリと、期待に満ちた笑みを向ける柏木。
この部隊の設立が新たな波乱の幕開けだとは、この時真澄は想像もしなかった。
************
刹那:さて、次回の『凍京怪夷事変』は
朔月:関東大震災から五年後。
大統領の命を受けて新設された『特夷隊』の面々は、東京の街に蔓延る怪夷討伐に日夜命を掛けていた。そんなある日、真澄の自宅の裏で謎の少年が倒れていると報告を受けて…
刹那:第三話『裏口にて少年は小雨に濡れる』。よろしくな。
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