第一話ー暗雲は烈震と共に訪れる
1923年。大正36年。
風が吹き付ける公道を、
夏が終わりに近付き、昨日で八月も終ったというのに、軍都・東京を包む空気は、未だ熱気を帯びている。
海が近いからか、日本海側に台風が来ている為か。
それとも、普段とは異なる衣服の窮屈さのせいかもしれない。
その日彼が身に纏っているのは、陸軍士官用の黒い詰襟の軍服。焦げ茶色の髪はうっすらとワックスを掛けて纏めている。普段、陸軍省庁舎へ出勤するだけなら、身だしなみはあまり気にしないのだが。
流石に今朝は、それも憚られた。
軍都東京府の中央から西へ少し外れた旧江戸城の外堀の先、かつて彦根藩主の下屋敷があった場所に鎮座する大統領府。
この日ノ本共和国の政治の中心である庁舎の門を潜った。
真っ直ぐに真澄が足を向けたのは、大統領府の二階にある執務室。
その簡素な扉を彼は叩いた。
「失礼致します。帝国陸軍少佐九頭竜真澄、招集に応じ、参上いたしました」
形式に習った口上を述べると、室内から応答の声が返る。
それに従って真澄は扉を明けて中に入った。
「おはようございます
「やあ、呼び出して悪かったな」
敬礼をして中に入ると、執務机の横に立っていた人物が、朗らかに微笑んできた。
この笑みにどれ程の人間が騙されているのだろうかと、内心真澄が思う程に、目の前の人物は穏やかな人ではない。
「人払いはしてあるから楽にしてくれ。元気そうだな、九頭竜君」
後ろ手に腕を組んだまま、この国の政治の一切を取り仕切る最高指揮官は、悪戯を思いついた子供のような笑顔を見せた。
親し気な男ー
「この間までまた海外に行っていたそうだな。どうだ?欧羅巴の様子は」
「先の討伐大戦線の損害は既に癒えたと言わざる負えない。各国の軍事力は日に日に増大されつつある...といった所だな...というか、それは報告書として既に上がっていませんか?大統領」
むすっと、眉を細める真澄に柏木は笑みを刻んだまま、執務机に広げた書類を拾い上げた。
「お前に大統領とか畏まった口調で話されると調子が狂うな...誰もいないし、不敬罪とか問わないから、普通に話せよ」
「じゃあ、そうさせて貰う。俺が見た限りじゃ世界大戦なんて覇権争いの火種は各地で燻ってるぞ。お前はどう考えているんだ?柏木」
幼馴染である真澄の問いに、柏木は顎先に指を添えて首を傾げた。
「そうだな...日ノ本としては、今はまだ様子見だな。陸続きの国同士の話なんて、こっちから首を出さなきゃ巻き込まれないし。
「またそんな消極的な発言を...軍部の司令官連中が聞いたら叩かれるぞ。ただでさえ、富国強兵だ、軍事力強化だって軍部が台頭を狙ってんのに」
真澄の言葉に柏木は更に首を捻ったが、パンっと、手を叩いた。
「この話は辞めだ。というか、俺がお前を呼び出したのは、違う話をする為だしね」
ようやく本題に入った柏木に真澄は内心溜息をついた。
執務机の前に座った柏木は、肘をついて真澄を見据えた。
「昨今の列強諸国の軍事力拡大、我が国の軍部内に燻る政権への反発...大いに結構。この国は先に幕末の大災厄の脅威から脱却し、各国への支援によって培ったものは大きい。だが、近代国家としてはまだまだ若い」
「何が言いたいんだよ...もっと、分かりやすく話てくれ」
「血の気が多いってことだ。かつての天子様を頂点に戴き行う政治から、大統領を政治のトップとした新たな政権が発足してから日も浅い。そこでだ、真澄、お前に大統領直属の特別部隊の隊長を任せたいんだが、引き受けてくれないか?」
ニコリと、柏木の胡散臭い笑顔が真澄の頬を強張らせた。
この幼馴染は、よく分からない事や無理難題を押し付けてくる。
長い付き合いだ。この男が何をしたいのか、少しは分かっていたつもりだったが。
「大統領直属の部隊...お前、俺に自分護れってか...」
突拍子もない要求を真澄は信じられずに天井を仰いだ。
「軍部の反発食らうぞ」
「臨む所だな」
どや顔で言い切る幼馴染に胃痛を感じた。
「まあ、待て、別に私利私欲の為に俺の完全なる私設部隊を造りたい訳じゃない。そりゃ、暗殺とか怖いけど。俺も元は士官学校出身者だ。実家は武家だし。戦闘には自信があるから身を護るくらいは出来るさ」
「じゃあ、その大統領直属部隊ってなんなんだ?」
怪訝に眉を顰める真澄に柏木はチラリと、腕時計を見遣る。
「そろそろか...」
秒針が動くのを眺めていると、ノックもなしに扉が勢いよく開いた。
「ヤッホー、二人とも元気にしてた?」
大きく手を振りまがら室内に入って来たのは、布に包まれた長い荷物を手にした、白衣に袖を通した黒髪の男。
歳は真澄や柏木と同年代。
「相変わらず元気だなあ、
「雪、お前仮にも大統領の執務室入る時位は形式に則れよ...」
猫のような琥珀色の瞳を子供のように輝かせ、男ー
「人払いしてあるんだろ?なら別にいいじゃないか。僕等が幼馴染なの、静郎の側近なら知ってるだろうし」
キョトンと目を円くする雪之丞に真澄はがくりと肩を落した。
「それはそうと、話何処まで進んだの?」
「真澄に新説部隊の隊長を打診した所までだな」
頬杖をついて雪之丞の問いに答え、柏木は不敵に笑う。
「君を待っていたからね。本題はこれからだ」
「おい、まだなんか隠してんのかよ...」
柏木と新たに入って来た雪之丞、二人の幼馴染の意味深な言葉に、真澄はますます困惑した。
「真澄、この新設部隊の打診は、僕も一枚噛んでるんだ」
「は?どういう事だ?」
現れるなり、早々に告げられた一言に真澄は雪之丞を見据えた。
「...僕等のよく知るさるお人からの助言だ。旧時代の異形が、復活するかも知れない。それを未然に防げって」
旧時代の異形、と真澄は雪之丞の言葉を反芻する。
「待て、それって、まさか」
雪之丞の言葉から、ある事象に行きついた真澄は、微かに掠れた声で言葉を紡ぎ。
ゴゴゴゴゴゴゴ。
それは、大地の底から、何かが目覚める音だった。
「ッ⁉」
上下に身体が飛び跳ねるような感覚。直後、部屋にあるありとあらゆる家具が激しく揺れ、真澄達も咄嗟に床に膝を折った。
バラバラと、天井が崩落し、真澄は咄嗟に柏木と雪之丞を引き寄せ、頑丈な執務机の下へ身を隠した。
「なんだっ」
「地震だ!」
建物全体を揺るがし、バリバリと窓ガラスを震わせて大地が咆哮を上げた。
小さな小舟の中で、大波に揺さぶられたような感覚が三人を、果ては大統領府に務める人々を襲った。
バラバラと、天井の壁が砂埃と共に舞い落ちる。幸いにも建物の倒壊は免れたようだ。
揺れが収まり、真澄、柏木、雪之丞の三人は辺りを警戒しながら立ち上がった。
「でかかったな...」
「これ、ちょっとヤバいかも...」
茫然と雪之丞が呟いた後、執務室の扉が激しく叩かれた。
「大統領!ご無事ですか!」
それは、この大統領府に務める職員達だ。
「私は大丈夫だ。そちらはどうなっている?」
瓦礫の中から柏木は廊下にいる部下達に問いかけた。
「今の揺れで扉が変形して、開きません。閣下がご無事なら、直ぐに外へ避難を」
「分かった。君達も直ぐに避難してくれ。ここには九頭竜少佐と秋津川科学所長がいる。私の事は気にせず、館内の被害状況と各地の状況整理をして、報告をしてくれ」
「了解しました。少佐、閣下をお願い致します」
「ああ、任せとけ」
旧知の職員の声に真澄は力強く答えた。
真澄と雪之丞が揃っている事は、彼等に余計な気を使わせなくて済む。それを、柏木も真澄本人も良く分かっていた。
「取り合えず、外に出るぞ」
机の下から這いだすと、先程の揺れでかき混ぜられた家具や調度品が室内に散乱し、一部壁が剥落している。
天井が落ちて来たが、物が少ない事が幸いして、室内の被害は少なかった。
「米国の助言で建物を鉄筋コンクリートで立てて良かったよ」
スーツに付いた埃を払いながら柏木も机の下から這いだした。
「建物が倒壊してないのは、不幸中の幸いだな...」
散乱した調度品や建物の一部を掻き分けて、真澄は窓際に向かう。
皹の入った窓に、軍刀の鞘先を打ち付ける。
バリン。窓ガラスが割って避難路を確保した。
「柏木は自分で下りれるだろ?雪之丞、手を貸すから俺と下りるぞ」
「ええ~窓から下りるの?」
「我が儘言ってる場合か?」
こんな状況でも不満を口にする雪之丞に呆れつつも、真澄は降下する為の準備をした。
真澄と雪之丞が子供のような遣り取りをしている横で、窓の外に視線を向けた柏木の表情が険しくなった。
「九頭竜君、下に下りたら直ぐに江戸城に行け」
「柏木?」
唐突な一言に、真澄は嫌な予感を感じて窓の外を見た。
大統領府から東にある旧江戸城。
その上空は不気味に紅く染まっている。
昼時だ、恐らく民家から出火して東京の街は火事が起こっているだろう。だが、それとは異なる禍々しさが、かつての中心を覆い初めている。
烏達が警鐘を鳴らすように騒ぎ、木々のざわめきが異様な気配を運んで来る。
「これは...英雄達の予言が当たったかも知れないぞ...」
暗雲立ち込める空を見据え、柏木はごくりと息を飲み込んだ。
ゴゴゴゴゴゴゴ。
それは、地の底から何かが目覚める音の様だった。
大地を揺るがし、この世の終わりとも知れない巨大な獣が、地の底から這い出てくるが如きその揺れは、ようやく都市機能を復興させた凍京の街を飲み込むのに十分だった。
昼時で、何処の家も昼食の用意をしていた事、丁度日本海に台風が来ていたことが重なり、街は火の海と化し、瓦礫に押し潰された人々を焼きつくした。
後の世に『関東大震災』と呼ばれるその揺れは、軍都としてようやく国の一翼を担うまでに発展を遂げた東の都市に甚大な被害を齎した。
いや、きっと、それだけであれば復興しても何も問題はなかったのだろう。
だが、その大揺れは、かつてこの国を、世界を混沌へと陥れた旧時代の異形を呼び起こす引き金となってしまった。
揺れが収まり、人々が荷物を手に高台や川岸に列をなして逃れていく。
東京の街、特に浅草から本所など下町からは火の手が迫り、昼間だと言うのに空に巻き上がた黒煙により、空は不気味な多相良時へと変貌を遂げていた。
逃げ惑う人々の間を、軍服に身を包んだ者達が人々を誘導しながら、駆け抜けていく。
彼等が目指すのは、四十年前、江戸城と呼ばれた政治と権力の中心地。
そこは、今は軍が守るある機密を持った場所だった。
「急げ」
軍帽を被った男が、部下達を叱咤する。
その彼の後ろには、軍服の上から白衣を纏う男がいた。
陸軍の庁舎から部下を呼び寄せた九頭竜真澄と、何故かついて来た秋津川雪之丞の姿は、堀を声て江戸城の桜田門の前に差しかかっていた。
「これは、もう解けてると思うけど...」
「そんなの行って見ないと分からないだろっ」
不吉な事を言う雪之丞に言葉に、真澄は舌打ち交じりに吐き捨てた。
人々が逃げ惑う中を擦り抜け、真澄達は江戸城跡へと辿り着く。
堀に守られたその場所の頭上には、既に禍禍しいほどの黒雲が渦巻いていた。
「あ~あ、これ、参ったね...やっぱり、この揺れのせいで解けたかもね...母さんの予感も珍しく当たるなあ」
火の海に包まれた東京の街に、暗雲が立ち込めている。
それは、彼等が恐れていたものの訪れを、ひそやかに告げていた。
飛び込むように真澄と雪之丞、以下数名が旧江戸城の中へと潜り込む。
注連縄の何重にも施されたかつて天守閣のあった場所。
この四十年の間、決して誰も立ち入る事の無かった場所には、先程の地震で空いたとは言い難い巨大な穴が、ぽっかりと口を開けていた。
ヒュウウウ。
地の底から、唸り声の如き風が吹き抜けてくる。
穴の周りには、五芒星を描くように配置された五本の刀剣が突き刺さっていたが、僅かに傾き、かつての神々しさが薄れていた。
話には聞いていたが、真澄も雪之丞も実際にこの場に足を踏み入れるのは初めてだった。
「聖剣が抜けかかっている...」
眼前に広がる光景に、真澄は息を飲んだ。
「真澄、こうなったら、これを使うしかないだろ」
現状を前に、雪之丞はそれまで大事そうに背負っていた物を下ろした。
それは、大統領府の執務室に入って時から持っていた布に包まれた何か。
すっと真澄に前に差し出されたのは、布に包まれた五本の刀剣。
それも、何処か既視感のある形状のものだった。
「お前、それどっからっ」
「どっからも何も、上野から拝借してきたに決まってるじゃん。まあ、母さん達には内緒だけどね」
「阿保だろ…」
「でも、
雪之丞が布を開くと、彼の言葉通りにそこには様々な長さの刀剣が現れる。
それは、穴の周りに突き刺さった五本の刀剣と瓜二つの代物。
「...どうする気だ?」
「取り合えずこれで溢れ出て来るであろう奴らを倒して、もう一度本歌を突き刺すしかないかな」
「言っておくが、俺達は選ばれなかったんだぞ?今更核が力を貸してくれるか?」
「やってみるしかないよ。それで駄目なら、昔に戻るだけじゃん」
ニヤリと笑う親友に、真澄は舌打ちした。
「俺は、自分の得物で行く。お前達っ援護しろ」
ついてきた部下十人に真澄は命令を下す。
その直後、下から大きな風が吹き荒れた。
「くそっ」
身体を飲み込むような旋風が真澄達を巻き込んでいく。
「うわっ」
「雪!」
五本の刀剣を抱えた雪之丞の身体が、穴の底から吹き上げた風に攫われる。
咄嗟に掴もうとした真澄の腕は間に合わず、雪之丞と彼が持っていた五本の刀剣は、江戸城跡にぽっかりと空いた穴の中へと吸い込まれた。
「雪‼」
轟音共に巨大な穴に吸い込まれていく親友の姿。
秋津川雪之丞を九頭竜真澄が見たのはこの時が最後だった。
*************
弦月:さあ、さあ、次回の『凍京怪夷事変』は
三日月:軍都・東京を襲った大地震。それによって行方不明になった親友・雪之丞を捜す暇も無く被災者救援に奔走する真澄。その最中、彼の元に大統領・柏木からある要請が成されて…
弦月:第二話『新設部隊は波乱の幕開け』。乞うご期待!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます