サイケな……

味醂ビリガー

第1話 どこまでも古く

 文学系の某国立大学の部活棟への道はレンガで出来ていた。

 集合しては歪さを修正しないまま次の合体を繰り返し行ったような違法建築性が、その危なっかしさを見事なまでに演出し、一種の劇場を形成していた。

 そして、その部活棟は学生運動が活発だった頃の人々の面影が行き交っていた。

 首が痛くなるほど見上げて、その荘厳さに圧倒されていると、道の端でブルーシートを広げている人物に遭遇する。

 インドの高僧を髣髴とさせる異様な出で立ちは、この空間に見事なまでに馴染んでみせていた。

 私は見ていないフリをして通り過ぎようとしたが、その男に声をかけられて立ち止まった。


 「君……音楽とか興味ないかな……?」


 ヘッドフォンで世の中の喧騒を搔き消そうとするほど、このキャンパスライフに混じり合って見えたのだろうか。

 私は気にする事なく、背負っていたカバンにかけたヘッドフォンを打ち鳴らし、ベタ足でレンガ道を進もうとした。


 「待てまて!困ってるんだ!」


 必死に引き留めようとしてくる割に、その場で胡坐をかいて動こうとしない男は手招いてくる。

 仕方なく、肩でカバンの取っ手を滑らせながら男のブルーシートにあがり、体面するように座った。

 男は私を見ながらニコニコ顔で手にしているタバコをふかしたふかし、不気味な声をあげながら私を指して笑った。


 「やっぱり、雰囲気ってのは人を惹き付けるもんだよなぁ!」


 何を言っているのかはさっぱりだし、タバコのにおいは嫌に甘ったるかった。

 ただ、この怪しい雰囲気だけは居心地がよかった。

 男は私が一切喋っていないことを気にせず、話を続ける。


 「こう……エル・トポ何か観ながら、ジョン・レノンはこういうヤツが好きだったんだぜ!って……なぁ」


 酔っ払いが泣き上戸になった時のように落ち着き、顔に暗い影を落とした男。


 「ほら……」


 何を考えているのか訊ねて欲しそうな顔をしながら誘導してくるので、私は仕方なく訊ねた。


 「何があったんですか?」


 待ってました、とばかりに指をパチンと鳴らして手を摩る。


 「そうそう。このクラブ、サイケデリックへようこそ!にも部室があったんだけど、近くにあったポップロックのバンドクラブが流行りの曲ばかりカバーして演奏するもんだから、嫌気がさして大音量で音楽を流しまくってたら取り上げられちゃった……」


 あまりにも危ないエピソードで、私は笑えなかった。

 この人に関わらない方がいいと考えたが、男はスイッチが入って語ることを止めようとはしなかった。


 「ビートルズってバンドは聴いたことがあるよね?」


 「ま、まあ」


 面倒くさい状況とはこういうことなのだろう。

 年上の相手というのは難しい。


 「ビートルズこそがサイケデリックの祖であり、近年、洋楽で盛り上がりを見せつつあるブームの始まりでね。そこでサイケデリックとビートルズの話をしようじゃないか」


 この否応なしに次の話をしたがっている空気を否定することができないまま、私は頷いた。


 「それじゃあ、先ずは薬物の話から……」


 危険な話をしたがるオタクのアングラ精神が話の始めとは、と私は思ったが、男は意気揚々と話し始める。


 「LSDという名前はあまりにも有名だけど、そのLSDがサイケデリックな音楽の始まりだったらしいんだ。無理矢理飲まされたLSDにハマったジョン・レノンがメンバーに勧め、それで一番有名なサイケデリックアルバム『Revolver』が生まれたらしいんだけど、睡眠剤を飲ませるヤリサーみたいLSDを飲ませたらしいからとんでもないよね」


 どこまでも逆張りオタクでありたがる男は、バンドサークルのことを根に持って刺した。

 聞いていて不快なことばかりだが、こうしたオタクの気質というものを持っている私としては、あまりにも指摘しづらい。

 そこで私は言った。


 「それで、その薬が音楽を作っただけですか?」


 男は全力で否定をしながら答える。


 「いいや!この薬物ってのが肝でね、薬物の歴史が深いインドの哲学に興味を持ったジョン・レノンが瞑想をしに行ったんだけど、この瞑想が当時のジャンキーたちの間で神秘体験ができる手段として話題になっていたこともあってね。だから、サイケデリックな音楽によくあるインド音楽的な要素っていうのが、インドの麻薬の歴史だってそうだけど、こうした瞑想のトリップも関わってるんじゃないか、って思うんだ」


 瞑想と聞いた私は、すぐさまに座禅を思い浮かべたが、瞑想がよく分かっていないため、思考することを断念した。


 「……で、ビートルズのサイケデリックな音楽ってどう思っているんですか?」


 全く触れて来なかったので直接触れることにした。

 話題を振られた男は、オタク然とした姿勢で語った。


 「そうだねぇ。最近はNEO系というか、ネオサイケデリックとでも形容するべき進化を遂げていて、ビートルズがいた時代の沢山のバンドがやってきたことよりも質が良くなっているんだよね。だからまあ、時代が変われば良いモノも変わる。現代の価値観で評価できないけど、『名曲だよなぁ』って思うよ」


 なんとも煮え切らない態度だったので、私はそのまま立ち去ることにした。


 「どこいくの!ねえ!」


 男の声が響く部活棟の一室から何かが放り投げられ、大きな物音がして静かになった後のことを私は何も知らない。

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