二話 アプリコット=東雲紅日(しののめゆうひ)

 朝ごはんを作り、一通りの準備をしてから家を出た。

 もちろん、それはバイト先へ向かうため──……ではなく、4つも離れた駅にあるスーパーに向かうためだ。

 目的からすれば、スーパーじゃなくてもいい。いいのだが、そこが便利というだけ。

 だからまあ、今日はバイトなんかじゃない。

 そもそも、バイトなら朝から二度寝なんてしようと思わない。

 そんなんで遅刻したら、最悪というか終わりだ。

 と、そんなこんなで、スーパーに着く。

 そこから迷いなく向かった場所、それは試着室だ。

 その理由は簡単で、女性ものの服を着るため。

 そう、いわゆる女装である。

 女装したいがために、こんなところまで来て、着替えてるのである。

 ちなみに、下着もちゃんと買った……。

 と、そうこうしてるうちに、着替えが終わる。

 最後にウイッグを付けて完璧だ。

 着てきた服は、持ってきた大きめの手提げバッグにしまって試着室を出る。

 そして、今度は多目的トイレに向かった。目的は化粧だ。

 化粧をすることによって、より女の子に近づけて、周囲の人に気づかれないようにできる。

 正直、それを多目的トイレでするのは他の人に申し訳ないが、多目的トイレが最善だろう。

 そんなわけで、多目的トイレに入り、持ってきた化粧品で顔を可愛く仕上げていく。

 少しでも完璧な女の子に近づけるために。

 ちなみに、途中でトイレに行きたくなったときは、多目的トイレを使うようにしている。

 正直、どっちのトイレを使っても迷惑にしかならない。

 それだけ、女性として完璧な仕上がりだからだ。

 そんなこんなで、ぼちぼち化粧も終わる。

 鏡に映る自分の可愛く仕上がった顔に満足しながら、化粧品を鞄にしまった。

 そして、自分の可愛いお顔を見ながら、


「あー、あっ、あー、あっあっあー……」


 なんて声を出しながら、チューニングをしていく。

 こうして、心は男、見た目も声も完璧な女の子に変身した俺は、駅のホームに向かった。

 その道すがら、コインロッカーに行き、持ってきた大きめの手提げバッグをしまい、小さいショルダーバッグを取り出して肩から掛けた。

 そんな俺がホームで電車を待っていると、偶然幼馴染の来栖陽葵くるすひなを見つける。

 今まで知り合いと遭遇したことなんて一度もなかった。

 それだけに、少し驚きが隠せない。

 そもそも、わざわざ離れた駅に来てるのも、知り合いと遭遇しないためである。

 う~ん、これはどうしたものか。

 この姿の俺を見られるのは困る。

 そもそも、今のところ誰にも女装が趣味であることは話していない。

 てか、話せない。

 いわゆる、トップシークレットなのだが、陽葵あいつは妙に勘が鋭いんだよな。

 ……って、そんなこと思ってたら近づいて来てるし。

 そして、程なくして間近に迫る陽葵ひな


「あの、すいません」


 うわ、話しかけられた。

 声のチューニングはバッチリ。

 きっと、大丈夫。俺ならできる。

 そう思いながらも、失敗したときのことを考えると、緊張でドキドキが止まらない。

 それどころか、少し身震いまでしている気がする。


「あの、聞こえてますか?」


「あっ、えっと、お、私ですか?」


「そうです~。突然すいません」


 一瞬あまりの動揺に俺と言いかけたが、可愛い声とともになんとか乗り切った。

 それにしても、ふにゃりとした陽葵ひなの笑顔はとっても可愛い。

 まあ、可愛いさだけでは、俺も負けてはないと思うがね。

 そこで、あらためて陽葵ひなに向き直る。


「あの、小鳥遊湊たかなしみなとくん、だよね?」


 あー、終わった。

 てか、なんでバレた? そんなにわかりやすいか、俺の見た目。

 誰がどう見ても女の子にしか見えない見た目なはずだし、声だってちゃんとチューニングできてたはず。

 とりあえず、バックレよ。


「えっと、誰のことですか?」


「もう、嘘なんかつかないでよ。私がみなとくんのことを見間違えたりしないよっ! だって、みなとくんの色だもん」


 あー、そうだった。

 話をしっかりと聞いたわけじゃないからよくわからないが、陽葵こいつには見えてる世界がまるで違うらしい。

 だから、どんな変装をしていようがお構いなし。人の嘘も簡単に見破れる理不尽な存在デタラメなんだった。


「あの、ちょっと話しませんか?」


「もちろんいいよっ! みなとくんとだったらいくらでも話すよ……と、言いたいところなんだけど、今日はちょっと用事があるから、また今度でいいかな?」


「えっと、ちょっとだけだから、ね?」


 このまま返すわけにはいかない。

 とりあえず、ここで見たことは忘れてもらわないと。


「えっと、それじゃ、みなとくん。ここじゃだめ、かな?」


「今日見たことは他言無用でお願いします」


「えっ? それだけだったら、別にいいよ?」


「本当に本当?」


「うん、本当だよ。それじゃ、このことは二人だけのヒ・ミ・ツ、だね♪」


 そのとき見せた陽葵ひなのとびっきりの笑顔は、天使にも等しかった。



 そのあと、陽葵ひなとも別れ、電車に乗り、ゲーセンのある駅で降りる。

 そこから、なんとなくゲーセンのある方へ歩いていると、公園に面白いやつを見つけた。

 そんなわけで、ゲーセンに行くのをやめて、そいつのもとへこそこそ近づいていく。


「わっはっはっはっ! 我こそは渾沌の覇者にして、漆黒の魔王。アプリコット様なのだ! 貴様がそこにいることはわかりきっている。名乗りを上げるがいいっ!」


 近づいていたことがバレていたことには驚きだが、まさかこの人とこんな所で会えるとは。

 まあ、バレてるのなら隠れてる必要もない。


「えっと、こんにちは……?」


「……って、ホントにいたっ!」


「えっ?」


「ついに我にも、五感のさらに上の力。第六感シックスセンスが目覚めて──」


「ないよ」


 どうやら気づいていたわけではないらしい。

 なんだ。驚かそうと思ってただけに、なんか損した気分だ。

 いや、これは天罰か。


「その、東雲紅日しののめゆうひ先輩はどうしてここに?」


「な、なぜその名をっ!? その名は現世においての我の仮の名。き、貴様、何者なのだ!」


「えっとー……」


 あー、やってしまった~!

 つい、ポカをしてしまった。

 でも、俺は今本来ではない、女装した姿。相手からしたら知らない人なわけだ。

 あぁ、穴があったら入りたい。


「うん? どこかで会ったことあるような……」


「その、私はこの辺で失礼して──」


「あっ、わかったのだ! 貴様、我の仇敵なのだ!」


「やめてっ! その名前を大声で叫ばない、で……?」


 うん? なにか勘違いしてないか? いや、それならそれでいい。

 が、やはり話し合いというものは必要だろう。

 ちなみに、この中二病。これでも、うちの高校の生徒会長である。


「……? やっぱり知らない人なのだ」


「その、ちょっとついて来てくれますか?」


「そ、その笑顔は、ちょっと怖いのだ。や、やめるのだっ! 我に近づけば、そなたも正気ではいられなくなるぞっ! 絶大なる我が力の前に、ひれ伏すことになるであろう。我は渾沌の覇者にして、漆黒の魔王であるからな!」


 なにか言っているが、そんなことはお構いなし。俺は無言の圧力とともにアプリコットの腕を掴むと、人気の少ない場所まで連れて行った。



「わ、我の力を前にして、これだけ自由に動けるとは、なかなか、やるではないか」


 震え声でそんなことを言い放つ魔王。もはや威厳も何もあったものじゃない。


「な、なにをするつもりなのだ」


「あの、話し合いをしませんか?」


「ん? んん? これはもしかしなくても、我の方が有利な状況なのだ?」


「違いますよ? そうだ、あめちゃんをどうぞ」


「わー! ありがとうなのだ。……って、違うのだ! それより、お願いがあるのだ。我は今、困ってることがあるのだ」


 意外とノリのいいやつだな。

 まあ、それはそれとして、お願いか。


「魔王なのにですか?」


「ぐぐっ……。ま、魔王にだって、悩みの一つあるのだ。たとえ、漆黒の魔王アプリコットでもなのだ」


「で、悩みとはなんですか?」


「その、一緒にフルーツバイキングに行ってほしいのだ」


「えっと、なぜですか?」


「その、二人以上からとなっているのだ……」


「それは、お友達じゃだめなんですか?」


 そんなことを言うと、鋭い目つきで睨まれた。

 あー、なるほど。察した。


「わかりました。私も丁度暇ですし、いいですよ」


「ありがとうなのだ。ところで、名前はなんと言うのだ?」


「私は、えっと……みーちゃんと言います」


「それじゃ、早くフルーツバイキングに行こうではないか!」


 そうして、俺と漆黒の魔王アプリコットもとい東雲紅日しののめゆうひは、フルーツバイキングを楽しんだのだった。



 アプリコットと別れた後、来たときとは逆のことをして、いつもの姿になると、そのままの足でコインランドリーに向かった。

 もちろん、俺の他に人のいない無人のコインランドリー。

 今日着た服、下着を洗濯機に突っ込み適当に操作する。

 着たものはその日のうちにコインランドリーに持っていき、洗濯する。

 そうして、次のときに備える。

 それから数十分間かけて乾燥機まで終えると、自宅への帰路についた。

 今日の夜ごはんを何にするか考えながら。

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